第三章 絡む意図ー⑤
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同時刻、ステイラ南端、河沿いの旧倉庫街。人気の薄い石畳を、青い鎧の一団が無言で進んでいた。
ここ数日、同じような場所をいくつも回っている。廃倉庫、修理工房、密輸船、無許可の魔道具屋。通報、密告、裏帳簿。
怪しい情報を片端から潰してきた。だが成果は、ほとんどゼロだった。
「ここも空振りか。」
若い騎士が小さく舌打ちする。
昨日だけで三件。一昨日は四件。
どこも「怪しい」だけで、決定打がない。魔石は普通。刻印も規格内。証拠は何一つ出てこない。
「……妙だな。」
先頭を歩くオルフェンが呟く。鎧がわずかに鳴る。
「不具合は確かに起きている。だが、発生源だけが見つからん。」
「巧妙に隠しているのでは?」
横のイリスが静かに返す。
「かもしれん。」
オルフェンは短く答えたが、表情は硬い。巧妙に隠すにしては、痕跡がなさすぎる。まるで最初から存在しないかのように。
そのとき、先発隊の騎士が駆け寄った。
「隊長、こちらの倉庫から反応が出ました。魔石です。数も多い。」
「……ようやくか。」
疲労が滲んだ声だった。イリスが即座に手を上げる。
「突入準備。」
青騎士が散開する。呼吸が揃う。合図と同時に、扉が蹴破られた。中へ雪崩れ込む。
「制圧完了!」
抵抗はなかった。倉庫の中央に、木箱が積まれている。蓋を開ける。
魔石。未加工の原石、加工済みの補助石、用途不明の特殊形状。数十、いや百はある。
「当たりだ……!」
誰かが声を上げた。奥には簡易工房。刻印用の器具、設計図、試作品。帳簿まで揃っている。証拠としては十分すぎるほど、綺麗に。
「やっと捕まえたな……。」
安堵の空気が広がる。だが、オルフェンだけは動かなかった。視線が倉庫をゆっくりなぞる。
魔石の箱。整然と並びすぎている。
器具。片付けられすぎている。
設計図。机の上に、まるで展示品のように広げられている。
「……。」
胸の奥に、嫌な感触が残る。
「隊長?」
「……証拠が、揃いすぎている。」
「え?」
「隠す気がない配置だ。見つけてくれと言っているように見える。」
それは発見というより、提示に近かった。
騎士たちは顔を見合わせる。だが、ここまで追ってきてようやく掴んだ現場だ。疑う理由の方が薄い。
「ともかく押収だ。関係者は全員拘束しろ。」
命令は出た。作業が始まる。
この商会のリーダーらしき黒髪の女は、妙に落ち着き払った様子で、素直に両手を挙げて膝をついた。他の商会の人間たちも、大人しく縄に手を差し出した。暴れない。言い訳もしない。ただ、静かに従うだけ。
その様子が、余計にオルフェンの胸をざらつかせた。
「……隊長?」
イリスが隣に立つ。
「どう思われますか。」
オルフェンはしばらく黙り、短く息を吐いた。
「分からん。」
本当に分からなかった。ようやく掴んだはずなのに。勝ったはずなのに。なぜか、追い詰められているのは自分たちのような気がした。
「事情聴取だ。俺も行く。」
オルフェンは倉庫を後にした。
その背後で、拘束された黒髪の女が、ほんの一瞬だけ視線をある方向へ向けた。その方向には鳥がいて、女と視線があった瞬間飛び立っていく。青騎士たちは押収と拘束を手際よく進めていた。警戒も怠ってはいない。だが、その仕草はあまりに自然だった。
黒髪の女は青騎士の声に従いながら、鳥の羽音を確かに聞き届けた。
***
男の姿が奥へ消えると、店内はさらに静まり返った。紙をめくる音すら止んだ気がする。さっきまでどこかで聞こえていた生活の気配が、嘘みたいに消えていた。
「……ねえ。」
セラが小声で囁く。
「やっぱダメかな。」
「……まだ、分からない。」
ルミナは棚に並ぶ道具を眺めながら答えた。保存食、油布、予備紐、簡易浄水器。どれも旅慣れた商会が扱う品だ。無駄がない。選別されている。
ここなら、越えられる。理由のない確信だった。
奥から足音が戻ってくる。
男は変わらぬ微笑みを浮かべたまま、二人の前に立った。
「お待たせしました。」
声色は先ほどと同じ。柔らかく、丁寧で、角がない。
「現状、同行枠はすべて埋まっております。」
「……ですよね。」
セラが苦笑する。
「ですが。」
男が続けた。
「護衛や荷役とは別に、“臨時協力者”という形で契約する場合もございます。」
セラの顔がぱっと明るくなる。
「ほんとですか!?」
「はい。ただし、条件があります。」
「条件?」
「商会にとって明確な利益となる技能、もしくは専門性を提示していただくこと。」
声音は穏やかなまま。だが、言葉は冷静だった。
「単純労働でしたら既に足りております。危険地帯へ連れて行く以上、相応の理由が必要です。」
面接だ。ルミナはそう思った。
男の目が、自然な動作の中で二人を観察している。手の傷。靴底の減り。荷物の質。立ち方。呼吸。
値踏みされている。
「料理とか、雑用とか……。」
セラが言葉を探す。
「それだけでは、少々難しいかと。」
やんわりとした拒絶。責めていない。否定していない。ただ事実を述べているだけ。
だからこそ、逃げ道がない。
沈黙が落ちる。外の音が、やけに遠い。ここだけ、世界から切り離されているみたいだった。
「……他には?」
男が静かに問う。
「何か、専門的なご経験は。」
それはただの質問の形をしていた。だがルミナには、別の意味に聞こえた。
あなたは、何ができる。
あなたには、どんな価値がある。
胸の奥が、重く沈む。これ以上、隠していても進めない。
セラの横顔を見る。まだ何か言おうとしている。必死に別の案を探している。自分のために。
その姿に、胸が締め付けられた。
「……セラ。」
「ん?」
「……私。」
喉が少しだけ震えた。一瞬、迷う。
帝国内で名乗るのは賭けだ。灰色の魔術師が探されている今、危険でしかない。
それでも。ここを逃せば、もう道はない。最後の切り札を、出すしかない。
「……魔術、使えます。」
空気が、止まった気がした。奥の部屋で、かすかな物音が止む。男の瞳が、ほんの一瞬だけ、初めて感情を帯びた。
驚きでも警戒でもない。納得。そんな色だった。
「……魔術師、でいらっしゃる?」
「はい。湿原だし、大きな魔術は無理ですけど……補助とか、簡単な修理とかなら。」
嘘は言っていない。だが全部も言っていない。
男はゆっくり瞬きをした。それから、いつもの穏やかな笑みに戻る。
「……それは、貴重ですね。」
声が、わずかに低くなった。
「でしたら、契約の再検討が可能です。詳細を詰めましょう。」
その瞬間、ようやく話が始まった気がした。
***
商会を出ると、昼の光が思ったよりも強かった。さっきまで薄暗い店内にいたせいか、白く滲んで見える。
ルミナは目を細め、ゆっくりと息を吐いた。気づかないうちに、肩に力が入っていたらしい。
「……はぁー……」
隣でセラが大きく伸びをする。
「なんかさ、めちゃくちゃ緊張してたかも、私。」
「うん……私も。」
笑い合う。声に、やっといつもの柔らかさが戻っていた。
胸の奥に張りついていた重たいものが、少しだけ剥がれる。
通りは昼の賑わいを取り戻しつつあった。荷車がきしみ、港の方からは水夫の怒鳴り声が飛ぶ。パン屋の煙突からは香ばしい匂いが流れてくる。
朝のあの異様な静けさが、嘘みたいだった。
「よかったね、ルミナ。」
セラが言う。
「契約、いけたじゃん。」
「……うん。」
手の中の書類を見る。羊皮紙。帝国式の書式。商会印。通行許可番号。補助魔術師登録。
どれもきちんと整っている。整いすぎているくらいに。
名前を書いただけで、もう自分はこの商会の一員になっている。
不思議な感覚だった。昨日まで、どこにも属していなかったのに。
「これで、越えられるね。」
セラの声は、少し弾んでいる。
湿原。国境。誓約領。ずっと遠かった場所が、急に現実味を帯びてきた。
「明日、日の出前集合だっけ?」
「うん。だから今日はもう休もう。」
「賛成。私もう限界。」
セラが笑いながら腹をさする。
「お腹も減ったし、足も棒だし、頭も使いすぎたし。」
「全部だね。」
「全部。」
くだらない会話なのに、なぜか胸が温かくなる。
歩きながら、ふと周囲を見る。港の方角から、甲冑の擦れる音が遠ざかっていく。朝あれだけ目についた青騎士の姿が、ほとんどない。衛兵が二、三人いるだけだ。あの重たい鎧の青は、どこにも見当たらない。
「……あれ?」
「ん?」
「騎士、減ってない?」
「ほんとだ。どっか行ったのかな。」
「事件でもあったとか?」
「さあ。でもラッキーだね!」
セラは気にしていない。ルミナも、それ以上考えるのをやめた。今日はもう、追われていない。それだけで十分だった。
宿へ戻る道は、やけに短く感じた。石畳を踏む音が軽い。身体は朝よりも軽く、楽になっていた。
「湿原越えたらさ。」
セラが前を向いたまま言う。
「向こうってどんな街なんだろうね。」
「さあ。教会が多いって聞いたけど。」
「じゃあご飯まずそうー。」
「偏見。」
「だって質素なんでしょ?」
「……確かに。」
二人で吹き出す。未来の話を、こんなふうに笑ってできるのは久しぶりだった。
不安もある。追われているかもしれない。危険も多い。
それでも。
今だけは、ただの旅人だった。普通の二人だった。
宿が見えてくる。見慣れた扉。軋む看板。帰る場所があるというだけで、胸の奥がふっと緩む。
「今日は早く寝よ。」
「うん。」
「明日、がんばろ。」
「うん。」
短いやり取り。それだけで十分だった。
ルミナは小さく空を見上げる。薄い雲の向こうに、やわらかな陽射し。静かな午後。
何も起こらない、ただの一日。
このまま、何事もなく明日が来ればいいのに。そして、無事に湿原を越えられますように。
そんな、柄にもない願いが胸をよぎった。すぐに自分で苦笑する。うまくいきすぎている日は、だいたい後で痛い目を見るものだ。
それでも。今日くらいは、少しだけ期待してもいい気がした。
扉を押し開け、二人は宿の中へ戻った。




