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第三章 絡む意図ー④

***


天幕の中、簡素な机の上に報告書が並べられていた。検問記録、聞き取り書、港湾設備の点検結果。どれも同じ単語が繰り返されている。

「出力不安定」「魔石交換後に異常」「刻印正常」

鎧姿のオルフェンは腕を組み、紙束を睨んでいた。

「……刻印も式も問題なし。それで動作だけが狂うか。」

「はい。」

長身のイリスが即答した。

「構造上の欠陥では説明がつきません。魔石そのものに干渉があった可能性が高いかと。」

「人為的、か。」

「少なくとも偶発ではありません。」

イリスはもう一枚、紙を差し出した。

「加えて、住民側の反応にも変化が出ています。」

「反応?」

「商人が魔石交換を拒否しています。魔道具の使用を避け、手作業に戻す動きも確認しました。」

オルフェンの眉がわずかに動く。

「……魔術への不信感か。」

「はい。『使うたびに結果が変わる道具など信用できない』と。」

淡々とした報告だったが、その内容は重い。

「魔術そのものへの不信が広がり始めています。このままでは、インフラ以上に秩序が崩れます。」

短い沈黙。オルフェンは低く息を吐いた。

「面倒な時期に、厄介な種を蒔いてくれたな。」

イリスは続ける。

「補助術式が信用を失えば、帝国の強みそのものが揺らぎます。」

魔術で成り立つ帝国にとって、それは致命的だった。

「……早期に解決しなくてはな。」

オルフェンは即断した。

「まずは魔石だ。街の機能を完全に止めるわけにはいかない。これ以上の制限は生活に差し障る。」

「了解。」

イリスは一礼し、次の紙を差し出す。

「隊長、もう一点報告があります。灰色の女魔術師の目撃が複数挙がっています。」

「例の噂か。」

「はい。外見的特徴が一致しています。」

「魔石との関係はあるか。」

「現時点では不明です。魔石異常は出現以前から発生していることから、直接的な因果は考えにくいかと。」

「直接因果がないなら優先度は下げる。だが無視はするな。記録だけ続けろ。」

オルフェンは続ける。

「本部から正式命令も来た。青騎士の投入が許可された。検問と通行管理を強化する。出入りする商会についてすべて詳細に記録しろ。」

「はい。」

「不具合が出た魔石や補助術式については騎士団が対応するように。魔術の使用も許可する。積極的に住民に手を貸すよう通達しろ。」

「承知しました。」

オルフェンは踵を返す。

「俺は港湾側を見てくる。異常が出た箇所を直接確認する。」

「お気をつけて、隊長。」

オルフェンが天幕を出ていく。

静寂が戻った。イリスは残された報告書をもう一度見下ろした。

灰色。女。右目を隠す。

同じ特徴が、何枚も重なっている。魔石異常とは無関係。

だが…。

「……偶然にしては、出来すぎている。」

小さく呟いた。

イリスは顔を上げ、天幕の外に控えていた騎士を呼ぶ。

「お前。」

「はっ。」

「検問とは別に、商会に通達しろ。」

「商会、ですか。」

「封鎖された旅人は、国境を越えるために商会と手を組むことが多い。検問で厳格に照合する。旅人を混ぜれば足止めされると伝えろ。」

声は低い。

「そして、灰色の個体を確認次第、私に直接報告を。」

「了解しました。」

騎士が去る。

イリスは再び紙束を閉じた。魔石は任務の一つに過ぎない。だが、灰色の魔術師は違う。

帝国がわざわざ自分にだけ共有した“外れ値案件”。優先順位は、最初から決まっている。

「……必ず、捕らえる。」


***


翌朝、ステイラの空気はやけに澄んでいた。霧は薄く、河面は静かに光を反射している。いつもと同じ朝のはずなのに、どこか音が少ない。荷を引く音も、人の怒鳴り声も、昨日より控えめだった。街全体が、何かを待って息を潜めているように感じられる。

宿を出た瞬間、ルミナは小さく足を止めた。視界の端に、銀ではない光が混じる。磨かれた鎧の反射だった。

通りの角、橋へ続く道の入口、港へ下る坂道。そのすべてに、同じ青い装備の騎士が立っている。昨日までの衛兵とは違う。布鎧ではなく、厚い胸甲。槍ではなく、魔術補助具を備えた制式装備。動かず立っているだけなのに、存在感が重い。

「……騎士?しかも、多くない?」

セラが小声で言った。

「うん。」

ルミナは短く返す。

数が増えた、というより、質が変わった。検問にいる兵ではない。戦うために配置された人間だ。

胸の奥が、ひやりと冷える。

「まあでも、封鎖中だしね。そりゃ厳重になるか。」

セラはいつもの調子で笑い、歩き出した。

ルミナも続く。フードを深く被り直す。視界が少し暗くなる。

それでも、視線は消えなかった。

すれ違いざま、一瞬だけ騎士の目がこちらを向く。通行人に対するただの確認。ただ、それだけのはずだった。なのに視線が離れない。まるで顔の形を記憶しているような目だった。

足音が背中に貼りつく。思わず歩く速度が早まる。

振り返る。誰もついて来てはいない。

ほっとしたのも束の間、前方の角にまた青騎士が立っていた。先回りされたわけではない。最初からそこにいただけだ。だが、視線だけがまっすぐこちらを向いている。

追跡する必要がないほど、要所はすべて押さえられている。街そのものが監視網になっている。

居心地の悪さが、じわじわと胸を締めつけた。


商会は朝が早い。開店と同時に交渉すれば、まだ間に合うかもしれない。

最初の商会は、港沿いの大きな建物だった。昨日も荷を仕入れていた、比較的融通の利きそうな場所。

「おはようございます。」

セラが明るく声をかける。

「湿原越えの同行、募集してますか?」

店主は帳面を閉じ、申し訳なさそうに首を振った。

「悪いね。もう埋まった。」

「え、もう?」

「昨日のうちに決まってな。人手は足りてる。」

言い方は自然だった。断り方も普通だ。仕方ないね、とセラが笑って店を出る。まだ一軒目だ。

二軒目。

話を聞く前に店員が奥へ引っ込んだ。しばらくして戻ってきた男は、視線を合わせないまま言う。

「今は新規は受けてない。」

「内容も聞かないんですか?」

「……受けてない。」

妙に早口だった。店の奥で、鎧が擦れる音がした気がした。

振り向いたが、誰もいない。

三軒目。

「申し訳ないが、今日は帰ってくれ。」

「まだ何も言ってないですよ?」

「帰ってくれ。」

扉が半ば強引に閉められた。カタン、と乾いた音が残る。

通りに取り残される。

セラがぽかんと口を開けた。

「……なんか、変じゃない?」

「うん。」

ルミナの声は、自分でも驚くほど低かった。

用件すら聞かれない。接触そのものを拒否される。関わりたくない相手を見る目。

視線を上げる。道の向こう側。青騎士が一人、こちらを見ている。逸らさない。じっと。

その手元の帳面に、何かを書き留めている。

背筋が冷えた。

「……行こ。」

理由は説明できない。ただ、この場に長くいてはいけない。

歩き出す。足音がやけに大きく響く。

いつもの街のはずなのに、どこにも居場所がない。店が閉じているわけでもない。人がいないわけでもない。それなのに、自分たちだけが浮いている。

ゆるやかに、だが確実に囲い込まれている。街が、二人を異物として押し出そうとしている。

胸の奥で、嫌な確信が形を持ち始めていた。これは偶然ではない。明確な意図が、自分たちに向けられている。呼吸が浅くなる。空気が薄い。

拒まれているのは分かるのに、何を理由に拒まれているのかだけが見えない。


青騎士の視線を振り切るように、二人は足早に通りを離れた。

港沿いの大通りは避ける。検問が多すぎる。代わりに、倉庫の裏手へ回る細い路地に入った。石畳は欠け、ところどころ水が溜まっている。人通りも少なく、荷車の跡だけが泥を引きずっていた。

「こっち、遠回りだよね。」

セラが振り返りながら言う。

「うん。でも、大通りは目立つ。」

ルミナは短く答えた。視線が刺さる感覚が、まだ背中に残っている。追われているわけではない。足音もない。

それでも、開けた場所に出るのが怖かった。

倉庫の壁沿いを進む。干した縄。積み上げられた木箱。潮と油の混じった匂い。生活の裏側のような、湿った空気。普段なら落ち着くはずの静けさが、今日は妙に重い。角を曲がるたび、先に誰かが立っている気がして、無意識に呼吸を止める。

いない。また歩く。

もう一度曲がる。いない。

「……なんかさ。」

セラがぽつりと言った。

「悪いことしてないのに、隠れてるみたいだね。」

「……うん。」

ルミナは苦笑した。本当にそうだ。

何もしていない。ただ商会を探しているだけなのに、逃げ回っている。まるで罪人だ。

ふと、建物の隙間から大通りが見えた。

青い鎧が二人、通行人を止めている。

書類の確認。荷の検査。そして、顔を見る時間が長い。

「……やっぱ、あっちは無理だね。」

セラが小さく呟く。

ルミナは頷き、さらに奥へ進んだ。

表通りから離れるほど、店は小さくなる。看板も色褪せ、窓も狭い。商売をしているのかどうか分からない建物も多い。

こんな場所に商会があるのか、と疑いたくなる。

だが、地図の記憶では、このあたりにもいくつかあったはずだ。

しばらく歩き、ようやく一軒の建物の前で足を止めた。

古い木造の二階建て。看板は小さいが、文字は丁寧に塗り直されている。扉も軋んでいない。掃除が行き届いているのが分かった。

派手さはない。だが、不思議と整っている。

「……ここ、かな。」

セラが看板を覗き込む。

「商会、って書いてあるね。」

周囲を見回す。青騎士の姿はない。視線も感じない。

さっきまでの圧迫感が、嘘みたいに薄れている。それが逆に、落ち着かなかった。

「……静かだね。」

「うん。」

静かすぎる。港の喧騒も、検問の声も、ここまでは届かない。まるで街から切り離された小さな空間だった。

「入ってみよっか。」

セラが扉に手をかける。

ルミナは一瞬だけ躊躇した。理由はない。ただ、胸の奥が小さくざわつく。

ここだけ、都合が良すぎる。今まで全部断られてきたのに、ここだけ普通に開いている。

偶然だ。きっと、たまたまだ。

そう自分に言い聞かせ、扉を押した。鈴の音が、小さく鳴った。


扉を押すと、乾いた鈴の音が小さく鳴った。外の湿った空気とは違う、乾いた木の匂いが流れ込んでくる。店内は思っていたより広い。棚は整然と並び、商品は種類ごとにまとめられている。床に埃はなく、窓から差す光も柔らかい。派手さはないが、妙に落ち着く空間だった。

「いらっしゃいませ。」

奥から声がした。

若い男が一人、帳簿を閉じて立ち上がる。年は二十代半ばほどだろうか。仕立ての良いが簡素な服。動きに無駄がない。商人というより、どこか使用人めいた静かな所作だった。

男はゆっくりと歩み寄り、丁寧に一礼する。

「昨日は、当商会の商品をご購入いただき、ありがとうございました。」

柔らかな声だった。押しつけがましさがない。だが、言葉が正確すぎる。

「え?」

セラが目を丸くする。

「昨日……?」

「はい。防水布と保存食、それから杖を。まとめてご購入いただきましたよね。」

男は穏やかに微笑む。買ったものではなく、こちらを把握しているような言い回しだった。ルミナの背中に、かすかな冷気が走る。

確かに、昨日最後に寄ったのがこの商会だった。だが、この店員に接客をされたわけではない。たった一回利用しただけの客の顔まで店全体で共有するものだろうか。

「覚えててくれたんだ。」

セラが嬉しそうに笑う。

「助かりました、ほんと。あそこだけ色々揃ってて。」

「お役に立てたなら幸いです。」

男は目を細めた。その笑みは自然で、作った気配がない。

それでも、視線がほんの一瞬だけ、ルミナのフードの奥を測るように滑った気がした。

ほんの一瞬。気のせいかもしれない。青騎士の視線のせいで気が立っているのか。

「今日は、どのようなご用件で?」

「えっと……湿原越えの商会同行、募集してませんか?」

セラが一歩前に出る。

声の調子が少し変わる。交渉のときの声だ。明るく、親しみやすく、それでいて引かない声音。

「私たち、労働力にはなれると思うんです。荷運びとか、雑用とか、力仕事もできますし。」

「なるほど。」

男は静かに頷いた。

即答しない。考える間を取る。だが、その沈黙に焦りはない。

「湿原越えは危険です。単なる労働力では、こちらとしても責任が持てません。」

断りの言葉のはずなのに、声音はどこまでも穏やかだった。

「そこを、なんとか。」

セラは食い下がる。

「短期でもいいですし、荷の管理とか、夜番とか、何でもやります。報酬も少なくていいので。」

「お気持ちはありがたいのですが。」

男は申し訳なさそうに眉を下げる。

その仕草が自然すぎる。まるで、本当に断るのが惜しいとでも言うように。

ルミナは黙って様子を見ていた。

店内は静かだ。外の喧騒が、ここまで届いてこない。

さっきまで感じていた青騎士の圧迫感も、嘘みたいに薄れている。

安全だ。そう感じるはずなのに、胸の奥のざわつきは消えない。この場所だけ、世界から切り離されているようだった。

「ちなみに。」

男がふと視線を上げる。

「お二人は、旅慣れていらっしゃる?」

「まあ、それなりに!」

セラが笑う。

「いくつか街も越えました。」

「……そうですか。」

男はゆっくりと頷いた。

その目が、またルミナを見る。今度は少し長い。色を確かめるように。形を覚えるように。けれど、すぐに柔らかな笑みに戻る。

「少々、お待ちください。条件を確認して参ります。」

男は奥へ引っ込んだ。足音が、やけに静かだった。

セラが小声で言う。

「ここ、なんか感じいいね。」

「……うん。」

ルミナは曖昧に頷いた。感じはいい。いいはずだ。

なのに。なぜか、ずっと試されている気がする。

ここに入った瞬間から。まるで、こちらが客ではなく、向こうが選ぶ側であるかのように。


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