第三章 絡む意図ー③
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翌日、二人は朝から街に出た。
最初に向かったのは、港に近い大きな商会だった。湿原越えの装備を扱っていると聞いていた場所だ。
「防水布はある?」
セラが尋ねる。
店主は帳面をめくり、首を振った。
「入荷はしてたんだけど、昨日の夕方で全部出ちゃって。」
「全部?」
セラが目を瞬かせる。
「ええ。まとめて。珍しいこともあるもんね。」
仕方なく、別の商会へ向かう。そこでは靴が足りなかった。
「幅広のは、今ない。細身ならあるが……湿原向きじゃないな。」
「じゃあ、杖は?」
ルミナが聞く。
「杖はある。ただ、今朝いくつか持ってかれてな。」
「誰か、湿原に行く予定でも?」
セラが軽く聞く。
「さあな。」
店主は曖昧に笑った。
「まぁこの街じゃ、珍しくない。」
三軒目、四軒目。品切れは続いた。すべてが欠けているわけではない。だが、必要なものだけが、少しずつ足りない。
「物流、やっぱり滞ってるんだね。」
セラが言った。
「そうだね。」
ルミナは頷いた。
「需要が偏ってる。」
納得はできる。実際、街は慌ただしく、人の動きも多い。ただ、湿原を越えてまで用がある人はそこまでいるように思えない。違和感はあるが確証はないまま、また別の商会に向かった。
最後に訪れたのは、少し離れた場所にある小さな商会だった。港からも街道からも外れた、目立たない建物。看板は古いが、手入れは行き届いている。
中に入ると若い商人がいて、一通り店内を案内された。
商品が揃っている。ここまで商会を回ってきて少しずつ足りなかった物が、すべてここにあった。
「すごい!色々ある!」
セラが嬉しそうに店内を見て歩く。
「在庫、ちゃんと回してるんですね。」
ルミナが店主に言った。
「いやぁ、お客さんの運が良かっただけですよ。こういうのは巡りもんですからね。」
男は穏やかに答えた。
値段は、他より少し高い。だが、法外ではない。
「ここで残りの物を揃えちゃおうか。」
セラが言う。
「そうだね。」
ルミナは頷いた。
契約は簡潔だった。書類も問題なく、支払いも滞りなく済む。
店を出てから、セラが言った。
「途中、どうしようかと思ったけど、最後にラッキーだったね!」
「…そうだね。」
ルミナはそう答えた。
買った荷を背負い直す。必要なものは揃った。これで湿原に行ける。
ただ、ずっと抱いていた違和感が消えない。必要なものが、必要な順番で用意されていた。そんな意図があるような気がする。
ルミナは、その考えを振り払う。偶然だ。そういう日もある。
すっきりしないまま、二人は宿へ戻ることにした。
***
宿の部屋に戻り、買い込んだ荷物を床に広げた。買い揃えた品々を見渡し、抜けがないことを確認する。セラは膝をつき、布を一枚ずつ畳み直していった。ルミナは帳面を閉じ、荷の配置を確認した。頭の中で、湿原の地形と今日集めた情報を重ね合わせていく。
「思ったより、荷が増えたね。」
セラが、軽く笑って言う。
「これでもだいぶ減らしたんだけど…湿原だから仕方がないね。」
ルミナは視線を落としたまま答えた。商会を何か所も巡った疲れが、二人の動きに滲んでいた。
「お腹空いちゃったね…ご飯食べに行こ!」
二人は宿の食堂へ向かった。夕方の食堂は昼とは違うざわめきに包まれている。仕事を終えた人々の声は低く、どの卓も長話をしていない。灯りは柔らかいが、影は濃い。
席につくと、温かい料理が運ばれてきた。湯気が立ちのぼり、香草の匂いが鼻をくすぐる。
しばらく食事をしていると、酒が入ったのか周りの声が少し大きくなってきた。
「ねえ、聞いた?」
隣の卓から、声が飛んできた。
「明日から、物流だけ一部通すらしいよ。」
「どうせ商会限定、だろ。」
「そうねぇ。個人で行けるのはもっと先ね。」
話が聞こえていたセラが手を止めた。
「商会だけ、か。」
声は低く落胆が滲む。
「みたいだね。」
ルミナは短く答えた。胸の奥が、静かに沈む。街の様子が変わっていない以上、予感はしていた。それでも、改めて聞くと重い。
「普通に通れるようになるのは、いつなんだろ。」
「未定、って言ってた。」
答えながら、ルミナは周囲を見渡す。人の数は多い。だが、皆どこか落ち着かない様子だ。
「うーん…物は揃えてあるからいつでも行けるし、明日からは依頼を受ける?お金はあればあるほどいいよね!」
セラは沈んだ空気を変えるように、明るい口調で言った。
だが、ルミナはその言葉に頷くことはできなかった。セラにとってこの旅は急ぐものではない。外に出てみたい、それがセラの目的だ。ゆっくり待てばいつか国境は解放されるだろう。セラの言う通り、それまで稼いで過ごせばいい。
しかし、ルミナの事情は違う。
「……セラ。」
ルミナは、意を決して口を開いた。
「なに?」
セラはすぐに顔を上げる。
「最近、灰色の魔術師が探されてるって話、聞いた?」
突然の話題の変化に、セラの表情が硬くなった。
「うん……ちょっと。」
セラは周りを少し気にするように小声で答えた。ルミナは視線を手元に落とす。
「心当たりは、ないよ。」
それは事実だった。少なくとも、自分が意図的に何かをした覚えはない。
「ただ、外見が似てると、疑われることがある。今までも検問で聞かれたことがあるの。」
セラはやや沈黙し、すぐにルミナを正面から見た。
「でも、ルミナは何もしてないでしょ。」
「……うん。」
そう答えながら、どうしても確信できないことがあった。
セラと出会った街で囁かれていた噂。帝国が未来の魔術に興味を持っている。右目が抉られた死体。
ステイラでも同じような噂が回っている。
しかも、灰色の女魔術師というやけに限定的で、でも曖昧な表現。
ルミナは何もしていない、でも、心当たりはある。
頭に浮かんだ考えに指先が冷えていった。
ルミナがもつ右目。未来を見せる魔眼。
魔眼と、通常の魔術は違う。
普通の魔術は、術者の意思のもと、魔道具を使って術者自身から代償を支払う。たいていは体力や集中力などで賄うことになる。
だが、魔眼は違う。ルミナの意思とは関係なく、突如未来を見せる。魔眼が示す未来は、現状で最も起こる可能性の高い未来。何もしなければそのまま実現するであろう未来。
そして、魔眼が見せた未来を変えようとすれば、代償が生じる。ルミナの意思に関わらず、ルミナ以外から代償が支払われる。
起こるはずだった未来と同等の重さを、支払わせる。
誰かの死を変えるなら、別の誰かの死を。事故を避けるなら別の事故を。
帝国は知っている。未来を視る魔術が存在することを。でも、その情報はきっと古い。
研究資料の断片が脳裏に浮かぶ。白い部屋。記録用の紙束。繰り返される試行。幼かったが、恐怖だけははっきり覚えている。そして、火事。
「ルミナ?」
セラの声に、はっと顔を上げた。
「大丈夫?」
「……うん。」
ルミナは小さく息を吐いた。
「ごめん。ちょっと、考え事してただけ。」
ひどく顔色が悪いルミナに、セラはそれ以上踏み込まなかった。安心させるように微笑む。
「なら、いいんだけど…無理しないでね。」
そのとき、店員が静かに近づいてきた。
「そういや、お二人さんは湿原に行くつもりだったかい。」
唐突な問いに、二人は一瞬だけ動きを止めた。
「え、なんで?」
「荷を見りゃ分かるさ。」
店員は肩をすくめる。
「国境が閉じるたび、そういう旅人は出る。」
「でも、通れないですよね。」
ルミナが言う。
「個人じゃな。」
「商会と契約して、一員として越える手もある。昔からあるやり方だ。まぁ、契約できるほどの価値を示せば、だが。」
その言葉は、突き放すようでいて、道を示してもいた。
考え込む二人をよそに、店員は空いた食器を片づけた。
宿への帰り道、夜風が肌を撫でる。
セラが先に口を開いた。
「私、急いでないよ。ここにしばらくいても、困らない。」
少し間を置いて、続ける。
「でも……ルミナは、違うんだよね?」
ルミナは足を止めた。
「……うん。」
すべての理由は言えない。だが、留まることが危険だという感覚は、セラにも理解できた。
「じゃあ、協力する!」
セラは即座に言った。
「私を外に連れ出してくれたの、ルミナだし。恩返し、ってこと!」
予想外の言葉にルミナは驚いて立ち止まった。しばらく黙り込み、深く頭を下げた。
「セラ、ありがとう。」
「ううん!そんな畏まらないでよ!恩返しだってば!」
セラが明るく笑う。
そんなセラの顔を見て、ずっと強張っていたルミナの顔がゆっくりと和らいだ。
食堂を出て部屋に戻ると、二人は向かい合って座った。
ランプの灯りが、床に落ちた荷物の影を長く伸ばしている。
商会と契約するために、差し出せるものは何か。
労働力、時間、雑用。
思いつくものはどれもありきたりで、食堂の店主が言っていた「価値」と呼べるほどのものには思えなかった。
「食事の手伝いとか、雑用系なら自信あるよ!」
セラが言って、少し照れたように笑う。
「でも、それだけで商会が契約してくれるかは……微妙だよね。」
ルミナは黙って頷いた。
二人はしばらく考え込むが、良い案は浮かばない。部屋の中に、沈黙が落ちる。
「……魔術師だ、っていうのは?」
沈黙の底から、ルミナの声が静かに響いた。
セラは一瞬、息を止めたようにしてから、伺うような視線をルミナに向ける。
「……言っちゃって、いいの?」
「これ以外に、ないかなって。」
ルミナは目を伏せたまま続けた。
「でも、できるのは補助程度だけかな。大きな魔術は使えないし……魔道具の修理も、少しくらいなら。」
野良の魔術師が、帝国で名乗り出ることは賭けに近い。まして今は、灰色の女魔術師が探されている。それがどんなリスクを生むのか、誰にも分からない。
それでも。ルミナが示せる最大の価値は、魔術だった。
セラは少し考え込み、それから頷いた。
「わかった。」
「じゃあ、魔術の話は最後の手段にしよ。」
「うん……ありがとう。」
そう答えたルミナの声は、わずかに安堵を含んでいた。
二人は翌日の交渉について、細かく打ち合わせを始める。
人と話すことが得意なセラが前に立ち、ルミナはその補佐に回る。
どこまで話すか、どこを伏せるか。
できる限りの準備を重ねていった。
やがて灯りを落とし、二人は床に就く。
外では、夜のステイラが静かに息をしていた。




