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第三章 絡む意図ー③

***


翌日、二人は朝から街に出た。

最初に向かったのは、港に近い大きな商会だった。湿原越えの装備を扱っていると聞いていた場所だ。

「防水布はある?」

セラが尋ねる。

店主は帳面をめくり、首を振った。

「入荷はしてたんだけど、昨日の夕方で全部出ちゃって。」

「全部?」

セラが目を瞬かせる。

「ええ。まとめて。珍しいこともあるもんね。」

仕方なく、別の商会へ向かう。そこでは靴が足りなかった。

「幅広のは、今ない。細身ならあるが……湿原向きじゃないな。」

「じゃあ、杖は?」

ルミナが聞く。

「杖はある。ただ、今朝いくつか持ってかれてな。」

「誰か、湿原に行く予定でも?」

セラが軽く聞く。

「さあな。」

店主は曖昧に笑った。

「まぁこの街じゃ、珍しくない。」

三軒目、四軒目。品切れは続いた。すべてが欠けているわけではない。だが、必要なものだけが、少しずつ足りない。

「物流、やっぱり滞ってるんだね。」

セラが言った。

「そうだね。」

ルミナは頷いた。

「需要が偏ってる。」

納得はできる。実際、街は慌ただしく、人の動きも多い。ただ、湿原を越えてまで用がある人はそこまでいるように思えない。違和感はあるが確証はないまま、また別の商会に向かった。


最後に訪れたのは、少し離れた場所にある小さな商会だった。港からも街道からも外れた、目立たない建物。看板は古いが、手入れは行き届いている。

中に入ると若い商人がいて、一通り店内を案内された。

商品が揃っている。ここまで商会を回ってきて少しずつ足りなかった物が、すべてここにあった。

「すごい!色々ある!」

セラが嬉しそうに店内を見て歩く。

「在庫、ちゃんと回してるんですね。」

ルミナが店主に言った。

「いやぁ、お客さんの運が良かっただけですよ。こういうのは巡りもんですからね。」

男は穏やかに答えた。

値段は、他より少し高い。だが、法外ではない。

「ここで残りの物を揃えちゃおうか。」

セラが言う。

「そうだね。」

ルミナは頷いた。

契約は簡潔だった。書類も問題なく、支払いも滞りなく済む。

店を出てから、セラが言った。

「途中、どうしようかと思ったけど、最後にラッキーだったね!」

「…そうだね。」

ルミナはそう答えた。

買った荷を背負い直す。必要なものは揃った。これで湿原に行ける。

ただ、ずっと抱いていた違和感が消えない。必要なものが、必要な順番で用意されていた。そんな意図があるような気がする。

ルミナは、その考えを振り払う。偶然だ。そういう日もある。

すっきりしないまま、二人は宿へ戻ることにした。


***


宿の部屋に戻り、買い込んだ荷物を床に広げた。買い揃えた品々を見渡し、抜けがないことを確認する。セラは膝をつき、布を一枚ずつ畳み直していった。ルミナは帳面を閉じ、荷の配置を確認した。頭の中で、湿原の地形と今日集めた情報を重ね合わせていく。

「思ったより、荷が増えたね。」

セラが、軽く笑って言う。

「これでもだいぶ減らしたんだけど…湿原だから仕方がないね。」

ルミナは視線を落としたまま答えた。商会を何か所も巡った疲れが、二人の動きに滲んでいた。

「お腹空いちゃったね…ご飯食べに行こ!」


二人は宿の食堂へ向かった。夕方の食堂は昼とは違うざわめきに包まれている。仕事を終えた人々の声は低く、どの卓も長話をしていない。灯りは柔らかいが、影は濃い。

席につくと、温かい料理が運ばれてきた。湯気が立ちのぼり、香草の匂いが鼻をくすぐる。

しばらく食事をしていると、酒が入ったのか周りの声が少し大きくなってきた。

「ねえ、聞いた?」

隣の卓から、声が飛んできた。

「明日から、物流だけ一部通すらしいよ。」

「どうせ商会限定、だろ。」

「そうねぇ。個人で行けるのはもっと先ね。」

話が聞こえていたセラが手を止めた。

「商会だけ、か。」

声は低く落胆が滲む。

「みたいだね。」

ルミナは短く答えた。胸の奥が、静かに沈む。街の様子が変わっていない以上、予感はしていた。それでも、改めて聞くと重い。

「普通に通れるようになるのは、いつなんだろ。」

「未定、って言ってた。」

答えながら、ルミナは周囲を見渡す。人の数は多い。だが、皆どこか落ち着かない様子だ。

「うーん…物は揃えてあるからいつでも行けるし、明日からは依頼を受ける?お金はあればあるほどいいよね!」

セラは沈んだ空気を変えるように、明るい口調で言った。

だが、ルミナはその言葉に頷くことはできなかった。セラにとってこの旅は急ぐものではない。外に出てみたい、それがセラの目的だ。ゆっくり待てばいつか国境は解放されるだろう。セラの言う通り、それまで稼いで過ごせばいい。

しかし、ルミナの事情は違う。

「……セラ。」

ルミナは、意を決して口を開いた。

「なに?」

セラはすぐに顔を上げる。

「最近、灰色の魔術師が探されてるって話、聞いた?」

突然の話題の変化に、セラの表情が硬くなった。

「うん……ちょっと。」

セラは周りを少し気にするように小声で答えた。ルミナは視線を手元に落とす。

「心当たりは、ないよ。」

それは事実だった。少なくとも、自分が意図的に何かをした覚えはない。

「ただ、外見が似てると、疑われることがある。今までも検問で聞かれたことがあるの。」

セラはやや沈黙し、すぐにルミナを正面から見た。

「でも、ルミナは何もしてないでしょ。」

「……うん。」

そう答えながら、どうしても確信できないことがあった。

セラと出会った街で囁かれていた噂。帝国が未来の魔術に興味を持っている。右目が抉られた死体。

ステイラでも同じような噂が回っている。

しかも、灰色の女魔術師というやけに限定的で、でも曖昧な表現。

ルミナは何もしていない、でも、心当たりはある。

頭に浮かんだ考えに指先が冷えていった。


ルミナがもつ右目。未来を見せる魔眼。

魔眼と、通常の魔術は違う。

普通の魔術は、術者の意思のもと、魔道具を使って術者自身から代償を支払う。たいていは体力や集中力などで賄うことになる。

だが、魔眼は違う。ルミナの意思とは関係なく、突如未来を見せる。魔眼が示す未来は、現状で最も起こる可能性の高い未来。何もしなければそのまま実現するであろう未来。

そして、魔眼が見せた未来を変えようとすれば、代償が生じる。ルミナの意思に関わらず、ルミナ以外から代償が支払われる。

起こるはずだった未来と同等の重さを、支払わせる。

誰かの死を変えるなら、別の誰かの死を。事故を避けるなら別の事故を。


帝国は知っている。未来を視る魔術が存在することを。でも、その情報はきっと古い。

研究資料の断片が脳裏に浮かぶ。白い部屋。記録用の紙束。繰り返される試行。幼かったが、恐怖だけははっきり覚えている。そして、火事。


「ルミナ?」

セラの声に、はっと顔を上げた。

「大丈夫?」

「……うん。」

ルミナは小さく息を吐いた。

「ごめん。ちょっと、考え事してただけ。」

ひどく顔色が悪いルミナに、セラはそれ以上踏み込まなかった。安心させるように微笑む。

「なら、いいんだけど…無理しないでね。」

そのとき、店員が静かに近づいてきた。

「そういや、お二人さんは湿原に行くつもりだったかい。」

唐突な問いに、二人は一瞬だけ動きを止めた。

「え、なんで?」

「荷を見りゃ分かるさ。」

店員は肩をすくめる。

「国境が閉じるたび、そういう旅人は出る。」

「でも、通れないですよね。」

ルミナが言う。

「個人じゃな。」

「商会と契約して、一員として越える手もある。昔からあるやり方だ。まぁ、契約できるほどの価値を示せば、だが。」

その言葉は、突き放すようでいて、道を示してもいた。

考え込む二人をよそに、店員は空いた食器を片づけた。


宿への帰り道、夜風が肌を撫でる。

セラが先に口を開いた。

「私、急いでないよ。ここにしばらくいても、困らない。」

少し間を置いて、続ける。

「でも……ルミナは、違うんだよね?」

ルミナは足を止めた。

「……うん。」

すべての理由は言えない。だが、留まることが危険だという感覚は、セラにも理解できた。

「じゃあ、協力する!」

セラは即座に言った。

「私を外に連れ出してくれたの、ルミナだし。恩返し、ってこと!」

予想外の言葉にルミナは驚いて立ち止まった。しばらく黙り込み、深く頭を下げた。

「セラ、ありがとう。」

「ううん!そんな畏まらないでよ!恩返しだってば!」

セラが明るく笑う。

そんなセラの顔を見て、ずっと強張っていたルミナの顔がゆっくりと和らいだ。


食堂を出て部屋に戻ると、二人は向かい合って座った。

ランプの灯りが、床に落ちた荷物の影を長く伸ばしている。

商会と契約するために、差し出せるものは何か。

労働力、時間、雑用。

思いつくものはどれもありきたりで、食堂の店主が言っていた「価値」と呼べるほどのものには思えなかった。

「食事の手伝いとか、雑用系なら自信あるよ!」

セラが言って、少し照れたように笑う。

「でも、それだけで商会が契約してくれるかは……微妙だよね。」

ルミナは黙って頷いた。

二人はしばらく考え込むが、良い案は浮かばない。部屋の中に、沈黙が落ちる。

「……魔術師だ、っていうのは?」

沈黙の底から、ルミナの声が静かに響いた。

セラは一瞬、息を止めたようにしてから、伺うような視線をルミナに向ける。

「……言っちゃって、いいの?」

「これ以外に、ないかなって。」

ルミナは目を伏せたまま続けた。

「でも、できるのは補助程度だけかな。大きな魔術は使えないし……魔道具の修理も、少しくらいなら。」

野良の魔術師が、帝国で名乗り出ることは賭けに近い。まして今は、灰色の女魔術師が探されている。それがどんなリスクを生むのか、誰にも分からない。

それでも。ルミナが示せる最大の価値は、魔術だった。

セラは少し考え込み、それから頷いた。

「わかった。」

「じゃあ、魔術の話は最後の手段にしよ。」

「うん……ありがとう。」

そう答えたルミナの声は、わずかに安堵を含んでいた。

二人は翌日の交渉について、細かく打ち合わせを始める。

人と話すことが得意なセラが前に立ち、ルミナはその補佐に回る。

どこまで話すか、どこを伏せるか。

できる限りの準備を重ねていった。

やがて灯りを落とし、二人は床に就く。

外では、夜のステイラが静かに息をしていた。


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