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第三章 絡む意図ー②

***

翌朝のステイラは、夜とは別の顔をしていた。霧は完全には晴れていないが、河面には朝の光がにじみ、停泊していた船のいくつかは帆を広げ始めている。港には荷を運ぶ声が戻り、木箱が擦れる音が響いていた。それでも、流れは完全ではない。人は動いているが、活気はない。どこかで皆が、様子をうかがっている。

「今日は港の方を回ってみよう。」

セラが言った。昨夜よりも声が少し弾んでいる。

「人が動くところに、噂は集まるでしょ。」

ルミナは否定しなかった。情報を得るには、正しい判断だ。

港に近づくにつれて、会話の断片が耳に入る。

「……また壊れたらしい。」

「魔石、替えたばっかりだろ。」

「いや、普通のじゃないって話だ。」

セラが足を止め、ルミナの耳元に近づく。

「ねえ。今、あそこで魔石って言ってたよね。」

ルミナは答えず、周囲を見渡した。岸につながれた船の一隻が作業をしている。船腹に刻まれた補助魔術の紋が、微妙に歪んで見えた。

普通じゃない。理由は分からない。だが、確信だけはあった。

ここで起きている異常は、偶然ではない。

ルミナは、修理中の船から視線を外さずに言った。

「あの紋、少し変だと思う。」

セラが首を傾げる。

「変、って?」

「刻みが浅いとか、欠けてるとか、そういう話じゃない。…紋自体が歪んでる?ような反発している感じがする。」

セラは船腹を見上げたが、違いは分からなかったらしい。それでも、ルミナの表情を見て、軽く息を吸う。

「……他にも、あるかもしれないってこと?」

ルミナは小さく頷いた。

「港を一周するだけでいい。目立たない範囲で。」

「了解。」


二人は歩き出す。船着き場に沿って、荷が積まれ、下ろされ、また別の船へと運ばれていく。その合間で、いくつかの船が修理を受けていた。

すべてが同じではない。

だが、違和感のあるものが、確実に混じっている。

帆柱の根元。舵輪の近く。魔術補助用に刻まれた簡易紋。

どれも大きく壊れているわけではない。使用されている紋も魔術として問題はない。

だが、紋同士の距離が不自然だったり、線の流れが途中で乱れていたりする。

魔術として成立させない意思のような、曖昧な違和感だけが残った。


近くで、船員たちが低い声で話しているのが聞こえた。

「また調整か?」

「昨日やったばかりだぞ。」

「魔石が合わねぇんだよ。光り方もおかしいし。」

「普通のやつじゃないって話だな。」

別の声が続く。

「使えはするんだ。」

「ただ……結果が、安定しねぇ。」

セラが小さく眉をひそめる。

「結果が安定しない、って。」

「本来、魔石は一定の出力を保つ。」

ルミナは淡々と答えた。

「補助魔術ならなおさら。使うたびに挙動が変わるのは、おかしい。」


さらに歩く。

別の船のそばでは、船大工らしき男が愚痴をこぼしていた。

「紋は合ってる。魔術式も間違ってねぇ。」

「なのに、昨日と今日で効きが違う。」

「石を替えたら、今度は逆に出力が跳ねた。」

セラは小さく息を呑んだ。

「それ、結構まずくない?」

「まずい。」

ルミナは即答した。

「でも、原因が分からないのが一番まずい。」

歩きながら、ルミナは考える。紋の乱れ。出力の不安定さ。魔石の個体差では説明がつかない。それでも結果が揺れる、ということは…誰かが、魔石に何かを混ぜている?証拠はない、だが、確信に近い嫌な感覚が静かに形を持ち始めていた。

「ねえ、ルミナ。」

セラが少し声を落として言う。

「これ、国境閉鎖の理由と関係あると思う?」

「関係ないなら、ここまで大げさにはならない。」

ルミナは河の方を見た。行き交う船の向こう、霧の先にある境界線。

「調べられてるのは、魔石そのものじゃない。魔石が引き起こした異常だね。」

セラは黙って頷いた。

港は動いている。だが、その足元で、確実に何かが歪み始めている。

何かの悪意が忍び寄っているのを感じ、身体がぶるりと震えた。


***

街道から外れた高台に、青騎士の野営地は設けられていた。天幕は最小限。焚き火も小さく、煙は上げない。必要以上に目立たない配置は、帝国軍の流儀だった。

天幕の中では甲冑を着た男が立っている。背は高く、肩幅が広い。無駄な装飾はなく、使い込まれた鎧が良く馴染んでいる。

動かずとも、圧があった。


茶色い髪を揺らしながら、長身の女が天幕に入る。オルフェンの一歩手前で止まり、報告書を差し出した。

「先発隊からの情報です、オルフェン隊長。」

オルフェンと呼ばれた男は受け取らず、視線だけで促した。

「イリス、口頭で。」

「はい。」

イリスと呼ばれた女は即座に切り替えた。姿勢は正したまま、明朗な声で報告を読み上げる。穏やかな色合いの緑の瞳とは異なり、表情は硬く引き締められている。

「河港都市ステイラを中心に、魔術補助設備の不具合が散発しています。主に船舶、倉庫、荷役設備。いずれも補助用の簡易魔術です。」

「破損か。」

「いいえ。刻印、式、構造、いずれも規格内です。」

オルフェンは短く息を吐いた。

「魔石か。」

「その可能性が高いと判断しています。騎士が直接確認した範囲内でも交換後に挙動が不安定になる事例が複数発生。出力が一定しません。」

「事故の範囲ではないということか。」

「はい。偶発では説明がつきません。」

イリスは迷いなく言った。

「加えて、ここ一週間で同様の事例が頻発しています。発生地点は国境近辺に偏っています。」

オルフェンは眉を顰め、低く唸る。

「意図的だと?」

「断定はできません。ですが、流通経路に不自然な点がありますので、疑うべきかと思われます。」

一瞬の沈黙。険しい顔をしたまま、オルフェンが身体の重心を変えた。鎧の金属が小さく鳴る。

「被害の程度はどうだ。」

「現時点では軽微です。ただし、魔術師でない者が関与した場合でも影響が出ています。」

オルフェンの視線が鋭くなる。

「……厄介だな。」

オルフェンが呟く。報告はこれですべてだった。

オルフェンがイリスの目を真っ直ぐ見る。

「街にはまだ入るな。」

「了解しました。」

「検問の強化は?」

「準備済みです。」

「正式命令を待て。命令が下り次第、即座に実行するように。」

「承知しました。」

イリスはしっかりと頷き答えた。

「先発隊については引き続き、港湾と流通を観測させるように。」

「隊長、検問での人物照合について、人手が足りず確認しきれていません。」

「構わない。」

オルフェンは視線を街の方へ向けた。霧の向こうに、河港都市ステイラが横たわっている。

「まずは人的被害が出ている方を優先する。国境を閉鎖している以上、帝国からは出られない。急ぐ必要はない。」

「はい、隊長。」

命令はそれで終わった。イリスが一礼し天幕を去る。

残ったオルフェンはステイラを見つめたまま、再び考えに耽った。


***


ルミナとセラはステイラに留まり、手分けして依頼をこなしていた。湿原を越えるには、準備が足りない。荷運びの補助、倉庫の整理、船に積む前の荷の仕分け。どれも大した仕事ではない。だが、街の空気は日ごとに変わっていった。

依頼先へ向かう途中、検問に止められる回数が増えた。衛兵の数は増えていないように見える。その代わり、配置が変わっている。

通りの要所、港へ続く分岐、湿原へ向かう道の入口。人の流れを押さえた場所に必ず衛兵がいる。

「ちょっといいか。」

声をかけられる。聞かれるのは、名前と目的地。どこから来たのか。何日滞在しているのか。

「仕事の依頼です。」

セラが明るく答える。

兵は頷き、荷を一瞥する。中身を確かめることはない。代わりに、一人一人をじっくり見ている。

「なんか、数日前より増えてない?」

歩き出してから、セラが小声で言った。

「そうだね。色々細かくなっている気がする。」

ルミナは短く返す。依頼を重ねるうちに、新たな噂も耳に入ってきた。

「魔道具の持ち込みが止まったらしい。」

「修理屋が調べられてる。」

「港で魔石を扱ってた連中が、衛兵に呼ばれたってさ。」

街の様子が少しずつ変化していく中、湿原へ向かう準備も着実に進めていく。

防水の布、足を取られにくい靴、保存のきく食料、新たな生活用品。より効率的に旅をできるよう慎重に吟味していく。

ルミナはいつも以上に魔術を使わないよう意識し、魔術紋や争いごとも避けた。

街に漂う異様な変化がそうさせる。目立つことは避ける。絶対に注意をひかないよう務めた。


街に滞在する日が延びるにつれて、準備は少しずつ形になっていった。ただし、思ったほど順調ではない。依頼の合間、ルミナとセラは各々で港に近い店や、旅人向けの道具屋を回った。湿原を越えた経験がある者、あるいは、越えようとして引き返した者。

「湿原は、地図通りに進めない。」

「水面が地面かどうか、最後まで分からないぞ。」

「靴は必ず予備を持て。片方失くしたら終わりだ。」

誰もが口を揃えて言うのは、準備の重要性だった。旅程が難しい時ほど魔術師が重宝されるはずだが、ここではそうではないようだ。

「湿原での魔術は信用するもんじゃない。」

道具屋の主人が、低い声で言った。

「信用、できない?」

ルミナが聞き返す。

「足場は毎日変わる。水位も、地面も、霧もな。未来が定まらない場所で未来を先取りすりゃ、結果も定まらんだろ。」

主人はそう言って肩をすくめた。

「湿原では、魔術は安全策にならない。だから高い金出して魔術師を雇っても無駄ってことだ。」

魔術が有効とはいえない。ルミナにとっては、むしろ都合が良い話だ。


問題は物だった。

「防水布?昨日入った分はもう出たよ。」

「保存食ならあるけど、値が上がってる。」

物流が滞り始めている。港に船はあるが、動かない。荷が動かなければ、街に入る物も減る。

値札は静かに書き換えられていった。


夜、宿に戻ると、セラは疲れた様子で椅子に腰を下ろした。

「今日の依頼、ちょっと減ってた。」

「人が動かないと、仕事も減るね。」

「準備も、進みにくい。」

ルミナはそう言って、帳面を閉じた。

「時間がかかる…でも手を抜けない。」

セラは一瞬考えてから、顔を上げた。

「ねえ。明日、一緒に買い物行かない?」

「うん、いいよ。」

「私さ、依頼先で色々聞いてきたんだ。湿原のこと。」

ルミナは顔を上げる。

「どんな話?」

「絶対に一人で行くな、進むのは日中だけ、遠回りした方が生き残る…らしいよ!」

少し誇らしげな口調だった。

「そうだね。私の方もだいたい似た内容だったかも。湿原は早く抜けようと失敗するって。」

「それとね。杖。あれ、絶対いるって。歩く先に地面を叩かない人は沈んじゃうみたい。」

二人の間に、短い沈黙が落ちる。

靴は幅広の方がいい、布は防水だけじゃなくて敷けるもの、飲料水は持ち込んだものだけ、保存食は火を使わないもの。

ルミナが、一つずつ確認するように言い、セラは頷いた。

「じゃあ、明日は足回りと布を優先しよ!」

「食料は、値段見て考える。」

「うん。」

準備はまだ足りない。それでも、少しずつ形にはなってきている。

「ちゃんと越えられるかな。」

セラがぽつりと言う。

「誓約領と帝国は、あまり頻繁には商売してないけど、それでも定期的に商人が行き来しているみたい。だから、しっかり準備すれば大丈夫なはずだよ。」

ルミナは答えた。

「明日は少し大きな商会もいくつか回ってみよう。」

「うん!」

明日の予定を入念に確認し、ルミナとセラは眠りについた。


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