第二章 二人で歩くー④
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メェェェェェェッ!
快晴だ。朝の通りに響きわたる声にセラがぱっと顔を上げる。
「いた!」
「静かに近づこう。」
ルミナとセラは足音をたてないようにしつつ極力スピードを上げる。
あともう数歩までの距離まで近づくが、敏感に気配を感じたようで逃げられてしまった。
「もう!あと少しだったのに!」
セラが悔しそうに叫ぶ。相手のスピードはこちらを遥かに凌いでおり、あっという間に見えなくなった。軽く息を乱したルミナもため息をつく。
「…なかなか難しいね。」
「これじゃいつまでも走らされるだけだよ…何かいい案ない?」
「んー、餌で釣るとか?」
「なるほど…野菜とか、いいかもね!」
メェェェェェェッ!メェェェェェェッ!
異なる方向から再び声が聞こえた。距離はそう遠くなさそうだ。
「…手分けしよっか。」
珍しく苦い表情をするセラの提案にルミナは頷いた。
二人の苦労はいざ知らず、山羊の声は至る所で響き続けた。
最後の一匹はなぜか荷車の上に乗っていた。
「どうやって登ったの……。」
「降りられないのかな?」
メェェッ!
ルミナの言葉に、そんなことはないとばかりに山羊が得意げに鳴いた。
セラがそっと近づくと、山羊は警戒するように後退った。二人で挟みうちにしても、ジャンプして逃げそうなイメージが容易に浮かぶ。そのような気概を感じさせる佇まいだ。覚悟を決めているような表情で、しかし余裕な貫禄を滲ませて山羊は荷車の上に鎮座していた。
「…魔術で捕まえたり、できる?」
今日だけで街中を散々走り回されたセラが、さすがに疲労を濃く滲ませてルミナに聞く。
ルミナは山羊を見上げたまま、少しだけ間を置く。
「できるよ。」
「やっぱり!」
セラの顔が明るくなる。
「でも、やらない。」
「え?」
「魔道具がないから。」
セラの気落ちした思いを感じ取ったのか、はたまた偶然か、山羊が短くもう一度鳴いた。
「魔術ってね、必ず代償が必要なんだ。免許を持ってる人は専用の魔道具があるけど…ない人の魔術は代償の矛先が定まらないんだよ。」
セラは荷車の縁に手をかけたまま止まる。
「え…それって、危なくない?」
「そうだよ。使った分がどこに流れるかわからない。私かもしれないし……。」
ルミナは山羊を見る。
「この子かもしれない。」
セラの表情が固まる。山羊は、何も知らない顔で木箱を一つ踏み鳴らした。
「じゃあ、昨日の魔術はどんな代償だったの…?」
恐る恐るセラがルミナに尋ねた。
「少し疲れたくらいだよ。大丈夫。かなり小さな魔術だったから今はもう何ともないよ。」
「そっか…。ごめんね、ルミナ…。」
ルミナは首を横に振る。
「昨日は子どもが怪我してたし、早く助けないといけない状況だったからね。でもこの山羊は…。」
再び山羊に注目が集まる。当の本人は口の周りを呑気に舐めまわしていた。
「…元気そう。」
「…そうだね。野菜作戦でいこう!」
セラは鞄から葉物野菜を取り出し、山羊の前に差し出した。
「ほ~ら、美味しいよぉ…こっち来たらあげるよぉ。」
山羊は興味を示したようで野菜に鼻を近づけた。
「そうそう…こっちだよぉ。」
山羊は葉をかじり、満足そうに咀嚼した。
「よし……。」
セラが一歩踏み出す。山羊は一歩後ずさる。
「……。」
セラが止まる。
山羊も止まる。
「交渉してるみたい。」
「負けそう。」
交渉の結果、鞄にしまっていたすべての野菜を山羊が獲得した。
飼い主は苦笑しながら頭を下げた。
「あれは、沢山食べると急に動かなくなるんです。」
「うーん、最初に言ってほしかったかも!」
山羊は何事もなかった顔で水を飲んでいる。大量の野菜を食い尽くしているのだ。喉も乾くだろう。
飼い主が小さな革袋を差し出した。
「今朝搾ったばかりなんで。」
セラが目を輝かせる。
「いいんですか?」
「野菜の分です。」
山羊の元気な声を聞きながら、ようやく今日の依頼は終わった。
***
役所の扉を押し開けると、昼の光が床に斜めに差し込んでいた。午前中よりも人の数が増えている。掲示板の前には小さな人だかりができ、紙の端を指で押さえながら読み込んでいる者もいる。ざわめきは低いが、落ち着きがない。
「昨日より、多くない?」
セラが小声で言う。
「増えてるね。」
ルミナは掲示板に目を走らせた。似た文面の依頼がいくつも並んでいる。
夜に光る場所の調査、井戸付近での不審な発光、魔術使用時の不具合の報告。
どれも急いで書かれたような字だった。紙の端が揃っていない。
近くで、二人の商人が話している。
「昨日は魔術灯が急に消えてさ。」
「国境の方でも似た話を聞いた。兵が増えてるらしいぞ。」
別の声が重なる。
「夜間の通行が厳しくなったって聞いたけど、本当か?」
「検問が増えただけだろ。……たぶん。」
係員の机の上には書類が積まれている。処理が追いついていないのか、角が少し曲がっていた。
セラは掲示板から目を離し、ルミナを見る。
「……なんか、昨日より落ち着かないね。」
「うん。」
短く答え、紙の束をもう一度眺める。光る場所。魔術の不調。国境の話。どれも断片的で、繋がっているようで繋がっていない。
「そろそろ、この街も出た方がいいかもしれないね。」
ルミナが言う。
セラは一拍だけ考え、頷いた。
「そうだね。ルミナは国境を目指してるんだっけ。」
「うん。帝国の外にいくつもり。」
「そっか…。」
掲示板にまた新しい紙が貼られた。仕入れ値の高騰について書かれたものだ。
ルミナは、街を出るタイミングが来たことを肌で感じた。




