第二章 二人で歩くー③
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「ねえ、ルミナ。」
広場へ戻る道すがら、セラが口を開く。
「さっきの、どうやったの?」
「…さっきの?」
「木箱、重たいのに動いた。それに、音もなくしたり。」
少しの沈黙のあと、ルミナは肩をすくめる。
「魔術だよ。」
「やっぱり!」
セラは目を輝かせる。
「でも、大きいことはできないよ。」
「十分すごいよ!」
セラがルミナに詰め寄る。
「ねえ、魔術ってどうやって使うの?私、子どもの頃に未来測定を受けたんだけど適性なしって言われて。ルミナがいつも持ってる短剣ってもしかして魔道具?」
興奮しているセラの問いかけに、ルミナが気まずそうな表情を浮かべる。
「いや、これは普通の剣。自分の魔道具も持ってないよ。私、帝国の魔術師として登録してないから。」
「え、じゃあ野良の魔術師…?」
セラが目を見開く。驚くのも無理はない。
帝国では、子どもが八歳から十二歳になる頃、必ず“未来測定”を受けさせられる。未来をどれだけ使えるか、どんな魔術に向いているか。それを国が決めるための検査だ。
適性があると判断された子どもは候補生として登録され、学校へ送られ、試験を受け、合格すればようやく「魔術師免許」が与えられる。帝国内において、免許を持たずに魔術を使うことは未来の窃盗とみなされる。見つかれば有罪だ。
「魔術師の免許を取るとね、魔道具を渡されるんだ。それがあれば魔術を安定して使える。」
ルミナは淡々と続ける。
「身分証と一体になってて、使った魔術の記録が全部残る。どれだけ未来を削ったか、どんな術を使ったか……全部、国に見える。」
「え……怖くない?」
「安全のため、って言われてる。」
魔術師には階級もある。未来を多く使える者ほど高位に置かれ、功績次第では国宝のように扱われる。逆に、免許を持たない者は危険視される。
「だから、登録してない魔術師は……あんまり表に出ない方がいい。」
セラはしばらく黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「……ルミナ、すごいってことだよね?」
「そうでもないよ。大きな魔術は使えないもの。…秘密だよ?」
ルミナは視線を逸らす。セラは黙って頷いた。
広場の灯りが見えてきた頃、小さな足音が後ろから駆けてきた。
「おねえちゃん!」
振り返ると、先ほど話した少年が息を弾ませて立っている。
「さっきの井戸……夜になると光るんだ。」
「光る?」
「うん…。」
少年の顔は不安に染まっている。
「危ないかもしれないから、大人の人に相談して依頼を出してみよう?そしたらちゃんと調べてもらえるよ。」
少年は首を横に振る。
「でも、今日も光るかもしれないんだ。みんな、怖がって近づかないし……。」
セラは困ったように笑い、ルミナを見る。
「……ちょっとだけ、様子見るくらいならいいよね?」
ルミナは一拍置いてうなずく。
「そうだね、見るだけ。」
少年と共にルミナとセラは井戸へ向かった。井戸の縁に近づくと、底の闇の中で紫の光が揺れていた。
水面は見えない。ただ、暗闇の奥に、灯りだけが浮いている。
光は均一ではなかった。黒い粒のようなものが混じり、ゆらゆらと呼吸するように明滅している。
「……寒い。」
ルミナが腕をさする。風が吹いているわけではないのに、井戸の周囲だけ空気が冷えていた。肌に触れる温度が夜よりも一段低い。
「んん、そうかな?夜だから?」
この異常な寒さをセラは感じていないようだ。
ルミナは縁に手をかざしかけ、止める。指先がじん、と痺れるような感覚があった。
底は見えない。だが、光だけが確かにそこにある。
少年は半歩後ろへ下がった。
「いつも、あんな感じで光るんだ。」
音が吸い込まれていくようで、三人の呼吸だけがやけに大きく聞こえた。
紫の光が、わずかに強く脈打った気がした。ルミナは無意識に一歩下がる。見覚えがあった。禁制魔道具に付けられる魔石の色。しかし、あの黒い粒はなんなのだろうか。肌が粟立つ感覚。相容れない何かを感じさせる。
昨日の食堂で聞こえてきた噂が思い返された。通常とは異なる禁制魔道具。帝国兵による国境警備の強化。
異様な空気に嫌な連想ばかりが浮かぶ。何一つ確証はない。ひとまず今日はこのままにして、明日依頼を出した方がいいだろう。
「……帰ろうか。」
セラが小さく言う。
少年はほっとしたようにうなずき、三人の足音だけが石畳に残った。
少年を家の近くまで送ると、三人は別れた。少年は何度も振り返り、最後には走るように路地の奥へ消えていった。
残ったのは、夜の石畳と、二人分の足音だけだった。さっきまで井戸の縁に張りついていた冷気が、服の内側にまだ残っている気がする。息を吐くたび、喉の奥がわずかに痛んだ。
「ねえ、さっきの寒さってさ。」
セラが歩きながら言った。
「私、ほんとに全然わかんなかったんだけど。夜だから冷えたってだけじゃないの。」
「うーん…そうだね…。」
なんとも表現しにくい感覚に、ルミナは言葉を濁す。
視線を前に向けた。通りの灯りはやわらかく揺れ、人々の笑い声が遠くにある。いつもの夜。いつもの街。……そのはずなのに。
井戸の周囲だけが、別の季節みたいだった。冷たい、というより、温度の“流れ”が歪んでいる。肌がそれを拾って、勝手に身構える。
「……あれは、夜の冷え方じゃない。」
ルミナはようやく口を開いた。
「井戸の近くだけ、空気が沈んでた。吸い込まれるみたいに。」
セラが一歩だけ歩幅を落とす。
「吸い込まれる…?」
「うん。」
ルミナは短くうなずいた。
「それに、私の指先、まだ痺れてる。」
言って、手袋越しに自分の指を握り直す。痺れは薄くなっているが、完全には消えていない。軽い火傷のあとみたいに、意識すると浮いてくる。
セラは何か言いかけて、やめた。代わりに、自分の両腕をさすってみせる。
「……でも、私は本当に感じなかったよ。ルミナだけってこと?」
「たぶん、そう。」
ルミナは息を吐き、次の言葉を選ぶ。遠回しにする理由もない、と心のどこかが告げた。
「セラ。」
呼ぶと、セラはすぐ顔を上げた。
「井戸のこと、関わらない方がいい。」
「え。」
セラの声が小さく跳ねた。
「見るだけ、って言ったけど……そんなにまずい感じだった。」
ルミナは少しだけ頷く。
「禁制魔道具に似てた。……でも、似てるだけじゃなかった。」
言葉にした途端、背中に薄い汗が滲む。思い出しただけで、肌が粟立つ。
「私、ああいうの、嫌な予感しかしない。」
セラは唇を結び、黙って歩いた。それは反論ではなく、飲み込むための沈黙だった。
通りの角を曲がる。風が抜け、洗濯物が夜の空を渡って揺れる。
灯りの輪郭が、ふっと滲んだ気がした。瞬きすると戻る。……錯覚。そう思おうとしたのに、胸の奥が妙にざわついた。
セラが小さく言う。
「じゃあ、明日役所に言った方がいいのかな。」
「言ってもいい。でも、私たちは深入りしない。」
ルミナは即答した。
「依頼が出てても、受けない。」
「……わかった。」
セラは頷く。けれど、その頷きはいつもの軽さじゃない。
「ルミナがそう言うなら。」
その言葉に、ルミナの胸が少しだけ締まった。信頼はあたたかい。でも、責任の重さでもある。
宿の看板が見えた。窓の灯りが二階にいくつも並び、布の影が揺れている。そこだけは、いつもの場所みたいに見える。
「セラ。」
宿の前で、ルミナはもう一度だけ言った。
「もし、また“光る場所”の話が出ても……近づかないでね。」
ルミナの表情を見て、セラも真剣に頷く。
「うん。約束する。」
扉を押し開けると、外の冷えが少しだけ遠のいた。温かい空気に身体の強張りが、ゆっくりほどけていった。




