第2話:古代詠唱と金色の魔力
王立魔導学院の大講堂、「真理の間」。
その名の通り、ここでは全ての嘘が暴かれ、個人の資質が白日の下に晒されると言われている。天井は遥か高く、ドーム状の屋根には数百年前の星座図が描かれ、四方の壁にはめ込まれた巨大なステンドグラスからは、七色の光が降り注いでいた。
その荘厳な空間に、数百人の新入生とその保護者たちが集められている。
絹擦れの音、高価な香水の香り、そして期待と緊張が入り混じった熱気。
煌びやかな貴族たちの群れの中で、私は灰色のドレスの裾を握りしめ、ただ息を潜めるようにして柱の影に立っていた。
「……素晴らしいわね。この荘厳さこそが、選ばれた私たちに相応しい舞台だわ」
前方に陣取った義母ベアトリスが、扇子で口元を隠しながら陶酔したように呟く。その隣には、緊張で顔を強張らせた義妹セシリアがいた。
ローズピンクのドレスは美しいが、彼女の顔色はドレスの華やかさに負けて青白くなっている。
それもそのはずだ。この「適性検査」の結果次第で、学院内でのクラス分けが決まり、ひいては将来の結婚相手のランクまで左右されるのだから。
「大丈夫よ、セシリア。あなたは公爵家の血を引く私の娘。あの凡俗な連中とは格が違うのよ」
「は、はい……お母様。でも、手が震えて……」
「シャキッとしなさい。アレクシス様が見ていらっしゃるのよ」
義母の視線の先、講堂の最奥にある壇上には、数名の魔導士たちと共に一人の青年が座っていた。
第二王子、アレクシス・フォン・ルミナス。
銀糸のようなプラチナブロンドの髪に、凍てつく湖のようなアイスブルーの瞳。整いすぎたその容貌は、まるで神話から抜け出してきた彫像のようだ。
彼は王族でありながら、現役の最前線で活躍する魔導研究者でもあり、今年からこの学院の特別講師に就任したと聞いている。
その冷徹な眼差しは、会場のざわめきを静かに、しかし鋭く観察していた。
私は彼から目を逸らし、壇上の中央に鎮座する物体に意識を向けた。
巨大な透明な結晶体。
「真実の水晶」と呼ばれる、魔力測定器だ。
被験者が手を触れることで、体内の魔力量、属性、そして魔力の質を色と光の強さで可視化する古代遺物。
母の古書によれば、あれは単なる測定器ではなく、精霊との契約の可能性を探る「問いかけの石」なのだという。
(本物は、あんなに透き通っているのね……)
挿絵でしか見たことのなかった実物を前に、私の胸の鼓動が早くなる。
触れてみたい。
あの中に眠る光を、この目で見てみたい。
義母からの罵倒も、周囲の冷ややかな視線も、今の私には遠い世界の出来事のように感じられた。私の心は、ただ純粋な知的好奇心だけで満たされていた。
「これより、新入生魔力適性検査を開始する!」
試験官の太い声が響き渡り、会場の私語が一瞬にして消え失せた。
名簿順に名前が呼ばれ、一人、また一人と生徒たちが壇上へ上がっていく。
「バロン・マクシミリアン」
「はい!」
赤毛の少年が水晶に手を触れる。
ブゥン、という低い唸り音と共に、水晶が赤く発光した。炎のような揺らめきが見える。
「属性・火。魔力量・中。クラスB」
試験官が淡々と結果を告げる。少年は安堵したように息を吐き、保護者の元へ戻っていく。
その後も検査は淡々と進んだ。
緑色の風属性、茶色の土属性、青色の水属性。
水晶は正直だ。貴族の位が高かろうが、魔力が乏しければ光は弱く、逆に下位貴族であっても、才能があれば講堂全体を照らすほどの光を放つ。
その残酷なまでの公平さが、プライドの高い貴族たちを苛立たせ、あるいは絶望させていた。
「……なんてこと。あの男爵家の娘がクラスAで、伯爵家の息子がクラスCだなんて」
「測定器の不調ではないのか?」
周囲からは不満げな囁きが漏れ聞こえる。
私はそれを聞き流しながら、彼らの魔力の「形」を観察していた。
母の本には、魔力の質についてこう記されていた。
『魔力とは波であり、粒子であり、そして歌である。心の在り様がそのまま光となる』
確かに、傲慢な態度で水晶に触れた者の光はどこか濁り、緊張しすぎている者の光は不安定に明滅していた。
魔力はただのエネルギーではない。その人の精神そのものが反映される鏡なのだ。
「次、セシリア・レインワース」
名前が呼ばれた瞬間、義母が背筋を伸ばし、セシリアの背中をバシンと叩いた。
「行きなさい、セシリア。皆に見せつけてやるのです」
「は、はい……!」
セシリアが震える足取りで壇上への階段を登っていく。
会場の視線が彼女に集まる。レインワース伯爵家の令嬢であり、実家は公爵家という高貴な血筋。誰もが強い光を期待していた。
義母は扇子を閉じ、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。彼女の中では、娘が素晴らしい結果を出すことは確定事項なのだ。
セシリアが水晶の前に立つ。
彼女はちらりとアレクシス王子の方を見たが、王子は手元の資料に目を落としたままで、彼女を一瞥もしなかった。
セシリアは唇を噛み、祈るように両手を水晶に押し当てた。
「お願い……光って……!」
静寂が支配する中、セシリアの手が白くなるほど強く押し付けられる。
しかし。
水晶は沈黙したままだった。
数秒が経過し、ようやく中心部に微かな、本当に微かな光が灯った。
色は薄い泥水のような茶色。光の強さは、蛍の光よりも頼りない。
「……え?」
セシリアの声が震える。
試験官が眉をひそめ、水晶の数値を読み上げた。
「属性・土、微弱。魔力量・極小。……クラスD。魔導士としての適性は認められません。教養科への編入を推奨します」
その宣告は、死刑判決のように重く響いた。
クラスD。それは実質的に「魔力がほとんどない」一般生徒と同じ扱いであり、魔導学院においては落ちこぼれを意味する。
会場がざわめいた。
「まさか、あのレインワース家の?」
「公爵家の血筋だと言っていたのに」
「期待外れね」
クスクスという失笑が波のように広がる。
セシリアはその場に崩れ落ちそうになり、顔を覆って泣き出した。
その時だった。
「待ちなさい!!」
ヒステリックな叫び声と共に、義母ベアトリスが壇上へと駆け上がっていった。
警備の騎士が止めようとするが、彼女はそれを振り切り、試験官に詰め寄る。
「何かの間違いです! 私の娘が、公爵家の血を引くセシリアが、そんな微弱な魔力であるはずがありません! この機械が壊れているのでしょう!?」
「奥様、測定器は正常です。今朝、王宮魔導士による調整を終えたばかりで――」
「嘘をおっしゃい! 裏で誰かに金を握らされたのではないの!? やり直しなさい! 今すぐ再検査を!」
義母の金切り声が講堂に反響する。
醜悪だった。
自分の虚栄心が満たされないからといって、公の場で、しかも神聖な儀式の最中に喚き散らすその姿は、彼女が常日頃口にしている「高貴さ」とは対極にあった。
セシリアは母親の狂乱ぶりに怯え、さらに小さくなっている。
「……騒々しいな」
冷徹な声が、騒音を切り裂いた。
アレクシス王子がゆっくりと立ち上がり、義母を見下ろしている。
そのアイスブルーの瞳には、絶対零度の軽蔑が宿っていた。
「ア、アレクシス様……。しかし、これは不当な評価でございます。我が家の名誉にかけて――」
「名誉?」
王子は鼻で笑った。
「家柄や血筋が魔力を保証するなら、我々は苦労しない。水晶は真実を映しただけだ。其方の娘の魔力は、その程度だということだ」
「そ、そんな……」
「それに、自分の娘の不甲斐なさを棚に上げ、試験官の不正を疑うとは。レインワース伯爵夫人の品位とは、随分と底が浅いようだ」
王子の言葉に、会場中から嘲笑ではなく、納得の空気が流れた。
義母は顔を真っ赤にし、パクパクと口を開閉させたが、言葉が出てこない。
これ以上の恥の上塗りはできないと悟ったのか、彼女はセシリアの手を乱暴に掴み、引きずるようにして階段を降りてきた。
「……帰りましょう、セシリア。こんなインチキな学校、こちらから願い下げよ!」
義母は私の方を睨みつけ、八つ当たりのように怒鳴った。
「お前もよ、アイリス! どうせお前など、セシリア以下のゴミに決まっているわ。さっさと検査を受けて、無能を証明してきなさい。それが終わったら即刻屋敷に帰って、一生地下牢に閉じ込めてやるから!」
その剣幕に、周囲の貴族たちはドン引きしていたが、義母はもう周りが見えていないようだった。
私は静かに一礼し、彼女の罵詈雑言を受け流した。
ここで感情的になれば、彼女と同じレベルに落ちてしまう。
「次、アイリス・レインワース」
名前が呼ばれた。
私の番だ。
義母たちの騒ぎで冷え切った空気の中、私は壇上への階段を一歩ずつ登っていった。
灰色の古着ドレス。装飾品一つない地味な姿。
さっきまでセシリアに向けられていた期待の視線とは対照的に、私に向けられるのは「早く終わらせろ」という無言の圧力だった。
「あれが、連れ子の……」
「母親は下位貴族だったらしいな」
「じゃあ、期待するだけ無駄か」
囁き声が聞こえる。
階段を登りきると、目の前には巨大な水晶があった。
間近で見ると、それは私の背丈よりも大きく、内側から不思議な拍動を伝えてくるようだった。
試験官は疲れた顔で、「はい、さっさと触れて」とぞんざいに指示を出した。彼もまた、私に何の期待もしていないのだ。
私は深く息を吸い込んだ。
肺の中の空気をすべて入れ替え、心を凪にする。
屋根裏部屋で、月明かりの下、母の本を読みふけった夜。
寒さに震えながら、文字の海に没頭することで孤独を忘れた日々。
その全てが、今の私を作っている。
私は「家門の恥」ではない。母が愛し、命を懸けて残してくれた、誇り高き娘だ。
そっと、右手を水晶に伸ばす。
指先が冷たい表面に触れた瞬間――。
ドクン。
心臓が跳ねた。
冷たいはずの水晶から、熱い奔流が流れ込んでくる。
それは私の体内にある魔力回路と繋がり、まるで長年会えなかった友人に再会したかのような歓喜の声を上げていた。
(……聞こえる)
音が、聞こえる。
風の音、土の呼吸、水のせせらぎ、炎の歌。
世界を構成する全ての要素が、この水晶を通じて私に語りかけてくる。
普通の検査なら、ここでただ魔力を流せばいい。
でも、私は知っていた。母の本に書かれていたことを。
『水晶は扉なり。鍵を持たぬ者は叩くだけだが、鍵を持つ者は言葉を紡ぐ』
ただ魔力をぶつけるだけでは、水晶の真の力は引き出せない。
対話が必要なのだ。
私は無意識のうちに、ポケットの中の紙片を思い出し、口を開いていた。
それは、今の公用語ではない。
遥か昔、魔法がまだ祈りと呼ばれていた時代の言葉。
『――星辰の導きにより、我、根源へと問う』
私の唇から紡がれたのは、澄んだ鈴の音のような、不思議な響きを持つ言語だった。
試験官がぎょっとして私を見る。
「おい、何を言って……」
『闇を払い、真実の光をもって、我が魂の形を示したまえ』
言葉を重ねるごとに、水晶の内部で何かが目覚めていくのが分かった。
最初は小さな光の粒。
それが急速に回転し、膨張し、眩い輝きとなって溢れ出す。
『咲き誇れ、聖域の黄金花』
最後の言葉を口にした瞬間。
カッ、と視界が白く染まった。
「なっ……!?」
「うわあっ!」
会場中から悲鳴に近い驚きの声が上がる。
水晶から放たれた光は、会場のステンドグラスを突き破らんばかりの勢いで天井へと立ち昇った。
その光の色は、高貴なる黄金。
ただの光ではない。光は空中で複雑に絡み合い、一本の巨大な蔦となり、葉を広げ、そして美しい大輪の花を咲かせたのだ。
光でできた花弁が舞い散り、講堂全体が温かな金色の粒子で満たされていく。
それは圧倒的な、暴力的なまでの美しさだった。
属性などという枠を超えた、純粋な魔力の結晶。
会場にいた数百人の人々は、その神々しさに言葉を失い、ただ呆然と空中の光の花を見上げることしかできなかった。
「こ、これは……」
最前列にいた試験官が腰を抜かし、尻餅をつく。
義母ベアトリスは、あまりの光量に目が眩んだのか、腕で顔を覆いながら悲鳴を上げていた。
「な、何なの!? 何が起きたの!?」
「お母様、怖い……!」
私は、自分の手から溢れ出る光の中で、不思議な浮遊感を感じていた。
体は熱いのに、頭は冴え渡っている。
これが、私の力?
屋根裏の隅で、誰にも知られず眠っていた力が、これほどのものだったなんて。
光が少しずつ収束し、しかし黄金の輝きは私の周囲にオーラのように留まり続けた。
静寂。
誰も動けない。誰も声を出せない。
その沈黙を破ったのは、壇上から駆け下りてきた足音だった。
「――そこまでだ!」
鋭い声と共に、アレクシス王子が私の目の前に立ちはだかった。
彼は私を守るように背中を向け、試験官や動揺する観衆に向かって手を翳した。
いつも冷静な彼の表情に、今は明らかな焦燥と、それ以上の興奮が浮かんでいるのが横顔から見て取れた。
「直ちに結界を張れ! この事態を外部に漏らすな!」
王子の命令に、我に返った魔導士たちが慌てて動き出す。
窓や扉に遮断結界が張られ、講堂は完全に密室となった。
「あ、あの……」
私が恐る恐る声をかけると、王子は振り返り、信じられないものを見るような目で私を見つめた。
そのアイスブルーの瞳が、今は私の黄金の光を受けて、エメラルドグリーンに輝いている。
「君は……自分が何を詠唱したか、分かっているのか?」
彼の声は僅かに震えていた。
私は正直に首を横に振る。
「いいえ……。ただ、亡き母の本に書かれていた言葉を……」
「母上の本だと?」
王子は息を呑み、そして私の周囲に漂う金色の魔力残滓に手を触れた。
「古代詠唱。そして、この黄金の魔力。……間違いない」
彼は私に向き直り、片膝をついて私の手を取った。
その行動に、会場が再び凍りついた。
王族である彼が、一介の伯爵令嬢、それも「家門の恥」と呼ばれた娘に跪いたのだ。
「お、王子様……?」
「『聖域の黄金花』。これは、王家の血を濃く引く者にしか発現しない、伝説の固有魔法だ。……君は一体、何者なんだ?」
王子の言葉は、結界の中によく響いた。
その意味を理解した瞬間、遠くで見ていた義母の顔色が、土気色を通り越して真っ白になるのが見えた。
「お、王家の……血?」
義母のかすれた声が聞こえる。
私は自分の手のひらを見つめた。
まだ熱い。
この手の中に、母が残してくれた秘密がある。
屋根裏部屋で縮こまっていた私の世界が、音を立てて崩れ去り、全く新しい世界へと書き換わっていく音がした。
「調査が必要だ。君の身柄は、今この瞬間から王家が預かる」
王子は立ち上がり、私を強く抱き寄せた。
それは保護というよりも、まるで大切な宝物をようやく見つけ出したかのような、強い執着を感じさせる抱擁だった。
義母の「アイリス!」という叫び声も、セシリアの泣き声も、もはや遠い雑音にしか聞こえなかった。
金色の光の中で、私の新しい運命が動き出した。




