終電の先は、選ばれなかった世界でした
天野浩介が終電を逃したのは、
上司に引き止められたからでも、仕事が長引いたからでもない。
ただ、帰る理由がなかった。
「……はあ」
誰もいないホームでベンチに座り、スマホを見る。
通知はゼロ。
母が亡くなってから、家に帰っても「おかえり」と言われることはなくなった。
その時だった。
音もなく、見覚えのない列車が滑り込んできた。
「……終電、もう出たよな?」
行き先表示はなく、古い車体なのに妙に綺麗だった。
「乗られますか」
背後から声がする。
振り返ると、白髪の男が立っていた。仮面をつけ、制服のような服を着ている。
「行き先は?」
「決まっておりません」
「それ、答えになってないですよね」
浩介は苦笑し、それでも立ち上がった。
「……まあ、いいか」
どうせ、どこにも行く予定はない。
⸻
列車が動き出した瞬間、足元の感覚が消えた。
「え……?」
窓の外に、雲が流れている。
「浮いてる……?」
怖さより先に、現実味がなさすぎて笑ってしまった。
列車は静かに止まり、
扉の向こうには、広い庭と石造りの屋敷があった。
「こんばんは」
声に振り向く。
淡い色のドレスを着た少女が、少し緊張した様子で立っていた。
「……初めまして?」
「はい。コトノと申します」
「俺は浩介。たぶん、迷い込んだ」
そう言うと、彼女は小さく笑った。
「やっぱり。異世界の方なんですね」
⸻
庭のベンチで、二人は並んで座った。
「異世界って、どんなところですか?」
「なんだろう?」
一瞬考えた。
「人は多いし、建物も多い。……でも、部屋は狭い」
なんだそれ笑
「狭い?」
「異世界って、そんなに狭い部屋で暮らすんですか?」
「狭いよ。ワンルーム。キッチンも一歩で届く」
「一人で?」
「ああ。一人で」
コトノは少し黙った。
「……それは、寂しくありませんか」
「たぶん、寂しい」
「そう、ですか」
「コトノは?」
彼女は空を見上げる。
「私は、この屋敷からほとんど出たことがありません」
「そっか…」
「時々、外の世界を、自由に見れたらなと思ってしまうんです」
微笑みながら、そう言った。
その表情に、浩介は少し胸が痛んだ。
⸻
(コトノ視点)
彼が帰ったあと、庭は少し静かすぎた。
胸の奥が、理由もなく苦しい。
ほんの少し、話しをしただけなのに。
(……また、来てくれるでしょうか)
それが願いだと気づいて、少しだけ怖くなった。
⸻
列車は、それから何度も浩介を連れてきた。
「今日も来てくれたんですね」
「ああ、ここに来ると落ち着く」
「私も嬉しいです。少し冷えるので、温かい紅茶を用意しました、飲みますか?」
そう言って、慣れない手つきで紅茶をそそぐ。
「もちろん!いただきます」
二人はいつしか、会って他愛もない話をするのが日課になっていた。
⸻
ある夜、突然雨が降り出した。
「……雨?」
一気に強くなり、二人は慌てて庭の東屋に駆け込む。
狭い屋根の下。
雨音が、外の世界を遮断する。
「……近いですね」
コトノが小さく言った。
「ご、ごめん」
「いえ……」
彼女は一度手を引っ込め、ためらうように、もう一度だけ——
指先が、浩介の袖に触れる。
「……あ」
すぐに離れた。
「す、すみません……!」
「いや、違う。嫌じゃない」
沈黙。
コトノは視線を落としたまま、小さく言った。
「……あたたかいです」
雨音だけが、二人の間を満たしていた。
⸻
ある日、列車は来なくなった。
「……ない」
ホームには、何もない。
「なんでだよ……」
胸の奥に、遅れて痛みが広がった。
⸻
(コトノ視点)
庭は変わらない。
屋敷も、人も、すべて同じ。
なのに、音が消えたみたいだった。
(あの人は、もう……)
どうしようもない。
それが分かるから、余計に苦しかった。
⸻
浩介は、引き出しの奥からネックレスを取り出した。
母の形見。
理由は分からない。ただ、握った。
一瞬、温かくなった気がして——
気づけば、列車が目の前にあった。
⸻
屋敷に着いた時、いつもの場所にコトノはいなかったが、代わりに屋敷の主人で領主を名乗る男が待っていた。コトノの父親だ。
男の表情は険しかったが、浩介に丁寧に挨拶をし、屋敷に招き入れた。
屋敷の応接室は、ひどく静かだった。
隙間風が聞こえてきそうな静けさの中、沈黙を破ったのは領主だった。
「娘には、もう会わせない」
「理由を、聞いてもいいですか」
浩介が言うと、領主はしばらく黙ったが、再び口を開いた。
「私は昔、異世界から来た女性と会った」
それだけ言って、言葉を切る。
「短い時間だった。
だが……忘れられなかった」
浩介は、ただ黙って聞いた。
「その人は、帰った」
領主はそれ以上、何も語らなかった。
微かに表情が変わり、続けた。
「娘には、同じ思いをさせたくない」
その声は、領主ではなく、
ただの父親のものだった。
浩介は、しばらく考えてから言った。
「……会えなくなって、分かりました」
「俺は、後悔したくない」
領主は答えなかった。
ただ、目を伏せた。
その時、足音がした。
「浩介さん!」
コトノだった。
「私……何も選ばずに生きる方が、怖いです」
⸻
(コトノ視点)
怖い。
でも、それ以上に——
何も選ばなかった自分が、怖かった。
⸻
夜、列車の扉が開く。
「行かれますか」
白髪の男が、淡々と告げた。
「行くよ」
浩介は答え、コトノの手を取った。
「……怖い?」
「少し。でも」
彼女は、ぎゅっと握り返す。
「一人じゃないので」
列車が走り出す。
どこへ行くのかは分からない。
戻れる保証もない。
それでも、二人は並んで座っていた。
「後悔しない?」
「しない」
浩介は笑った。
「だって、選んだ」
空を渡る列車は、夜の向こうへ消えていった。
それが夢か現実かは、分からない。
ただ一つ確かなのは、
選ばれなかった想いが、
形を変えて、今も続いているということだった。




