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終電の先は、選ばれなかった世界でした

作者: 出雲
掲載日:2026/01/04

天野浩介が終電を逃したのは、

上司に引き止められたからでも、仕事が長引いたからでもない。


ただ、帰る理由がなかった。


「……はあ」


誰もいないホームでベンチに座り、スマホを見る。

通知はゼロ。

母が亡くなってから、家に帰っても「おかえり」と言われることはなくなった。


その時だった。


音もなく、見覚えのない列車が滑り込んできた。


「……終電、もう出たよな?」


行き先表示はなく、古い車体なのに妙に綺麗だった。


「乗られますか」


背後から声がする。


振り返ると、白髪の男が立っていた。仮面をつけ、制服のような服を着ている。


「行き先は?」


「決まっておりません」


「それ、答えになってないですよね」


浩介は苦笑し、それでも立ち上がった。


「……まあ、いいか」


どうせ、どこにも行く予定はない。



列車が動き出した瞬間、足元の感覚が消えた。


「え……?」


窓の外に、雲が流れている。


「浮いてる……?」


怖さより先に、現実味がなさすぎて笑ってしまった。


列車は静かに止まり、

扉の向こうには、広い庭と石造りの屋敷があった。


「こんばんは」


声に振り向く。


淡い色のドレスを着た少女が、少し緊張した様子で立っていた。


「……初めまして?」


「はい。コトノと申します」


「俺は浩介。たぶん、迷い込んだ」


そう言うと、彼女は小さく笑った。


「やっぱり。異世界の方なんですね」



庭のベンチで、二人は並んで座った。


「異世界って、どんなところですか?」


「なんだろう?」


一瞬考えた。


「人は多いし、建物も多い。……でも、部屋は狭い」


なんだそれ笑


「狭い?」


「異世界って、そんなに狭い部屋で暮らすんですか?」


「狭いよ。ワンルーム。キッチンも一歩で届く」


「一人で?」


「ああ。一人で」


コトノは少し黙った。


「……それは、寂しくありませんか」


「たぶん、寂しい」


「そう、ですか」


「コトノは?」


彼女は空を見上げる。


「私は、この屋敷からほとんど出たことがありません」


「そっか…」


「時々、外の世界を、自由に見れたらなと思ってしまうんです」


微笑みながら、そう言った。


その表情に、浩介は少し胸が痛んだ。



(コトノ視点)


彼が帰ったあと、庭は少し静かすぎた。


胸の奥が、理由もなく苦しい。

ほんの少し、話しをしただけなのに。


(……また、来てくれるでしょうか)


それが願いだと気づいて、少しだけ怖くなった。



列車は、それから何度も浩介を連れてきた。


「今日も来てくれたんですね」


「ああ、ここに来ると落ち着く」


「私も嬉しいです。少し冷えるので、温かい紅茶を用意しました、飲みますか?」


そう言って、慣れない手つきで紅茶をそそぐ。


「もちろん!いただきます」


二人はいつしか、会って他愛もない話をするのが日課になっていた。



ある夜、突然雨が降り出した。


「……雨?」


一気に強くなり、二人は慌てて庭の東屋に駆け込む。


狭い屋根の下。

雨音が、外の世界を遮断する。


「……近いですね」


コトノが小さく言った。


「ご、ごめん」


「いえ……」


彼女は一度手を引っ込め、ためらうように、もう一度だけ——

指先が、浩介の袖に触れる。


「……あ」


すぐに離れた。


「す、すみません……!」


「いや、違う。嫌じゃない」


沈黙。



コトノは視線を落としたまま、小さく言った。


「……あたたかいです」


雨音だけが、二人の間を満たしていた。



ある日、列車は来なくなった。


「……ない」


ホームには、何もない。


「なんでだよ……」


胸の奥に、遅れて痛みが広がった。



(コトノ視点)


庭は変わらない。

屋敷も、人も、すべて同じ。


なのに、音が消えたみたいだった。


(あの人は、もう……)


どうしようもない。

それが分かるから、余計に苦しかった。



浩介は、引き出しの奥からネックレスを取り出した。


母の形見。

理由は分からない。ただ、握った。


一瞬、温かくなった気がして——

気づけば、列車が目の前にあった。



屋敷に着いた時、いつもの場所にコトノはいなかったが、代わりに屋敷の主人で領主を名乗る男が待っていた。コトノの父親だ。


男の表情は険しかったが、浩介に丁寧に挨拶をし、屋敷に招き入れた。


屋敷の応接室は、ひどく静かだった。


隙間風が聞こえてきそうな静けさの中、沈黙を破ったのは領主だった。


「娘には、もう会わせない」


「理由を、聞いてもいいですか」


浩介が言うと、領主はしばらく黙ったが、再び口を開いた。


「私は昔、異世界から来た女性と会った」


それだけ言って、言葉を切る。


「短い時間だった。

だが……忘れられなかった」


浩介は、ただ黙って聞いた。


「その人は、帰った」


領主はそれ以上、何も語らなかった。


微かに表情が変わり、続けた。


「娘には、同じ思いをさせたくない」


その声は、領主ではなく、

ただの父親のものだった。


浩介は、しばらく考えてから言った。


「……会えなくなって、分かりました」


「俺は、後悔したくない」


領主は答えなかった。


ただ、目を伏せた。


その時、足音がした。


「浩介さん!」


コトノだった。


「私……何も選ばずに生きる方が、怖いです」



(コトノ視点)


怖い。

でも、それ以上に——

何も選ばなかった自分が、怖かった。



夜、列車の扉が開く。


「行かれますか」


白髪の男が、淡々と告げた。


「行くよ」


浩介は答え、コトノの手を取った。


「……怖い?」


「少し。でも」


彼女は、ぎゅっと握り返す。


「一人じゃないので」


列車が走り出す。


どこへ行くのかは分からない。

戻れる保証もない。


それでも、二人は並んで座っていた。


「後悔しない?」


「しない」


浩介は笑った。


「だって、選んだ」


空を渡る列車は、夜の向こうへ消えていった。


それが夢か現実かは、分からない。


ただ一つ確かなのは、

選ばれなかった想いが、

形を変えて、今も続いているということだった。


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