3 別物
当たり前だけど、嘘と間違いとフィクションは全くの『別物』だよね。
***
中等部1年A組の自席に戻れたのは、1時間目が始まる10分前だった。
とっくにHRは終わっていた。
どうやら副学級委員長が代わりに担任の雑用を引き受けて、資料を教室に運んでくれたそうだ。
俺が笑顔でお礼を言うと、彼女は顔を真っ赤に染めて何度も首を横に振っていた。
「戻って来るの遅かったね。何かあったのかい?」
後ろの席に座っている理斗が興味深そうに口元に弧を描きながら俺に訊ねてくる。
「直輝が中等部3年の女子生徒にぶつかって、2人して気絶して倒れたんです」
「気絶!?そんなに凄い衝撃だったのかい?」
「……………ええ」
確かに凄い衝撃ではあった。いろんな意味で。
あの中等部3年の女子生徒は、春日 詩織という名の美術部部長だった。
美術部顧問である佐藤先生が、廊下に散らばっていた薄い本を慌てた様子で拾い集めていた。おそらく彼女もあの本の制作に携わっているのだろう。俺の顔を見た途端、石のように固まっていた。
「それで、祷は2人の付き添いで保健室にいたってこと?」
「はい。それと事情聴取も受けていました」
春日の叫び声を聞いて駆けつけた先生たちが最初に見た光景は、それはそれは信じられなかったことだろう。
口から泡を吹いて仰向けに倒れている春日。その周囲に散らばった、親密そうにしている俺と神楽が描かれた薄い漫画本。その隣に、頭に大きなタンコブを作ってうつ伏せに倒れている直輝。
そしてそんな2人を無視して自分と神楽が描かれた同人誌を読み耽る俺。
最初は、俺が2人を殴って気絶させてしまったのだと先生たちに勘違いされてしまったのだが、真実を話すとすぐに誤解は解けた。さすが俺だ。常日頃から優等生として先生たちの信頼を得ているおかげだろう。
「そっか。朝からお疲れ様」
「ありがとうございます」
同人誌のことは理斗には黙っておこう。好奇心旺盛な理斗のことだ、絶対にそれを手に入れようと動くに違いない。手に入れるだけで終わってくれればいいのだが、理斗は必ずそれを神楽に見せる。そして興味津々に、同人誌を読む神楽を観察する姿が容易に思い浮かぶ。
(あれはただのフィクションだ。)
どの同人誌も、最終的に俺と神楽が結ばれるストーリーだった。どちらかが愛の告白をして、受けた方が承諾して恋人になる。神楽は男だったり女だったり、本によって性別は違ったが大まかな話の流れは同じだった。
本の中で、俺の腕に抱かれていた『神楽』を思い出す。
神楽は頬を染めてうっとりと目を閉じていた。
現実では有り得ない。
(貴様を抱いたのは、あの時だけだ。)
静かに笑う真澄の首。
首を斬り落としたあの時だけ、貴様は俺の腕に抱かれた。
生前も、今も一度だって貴様は俺の腕に抱かれたことなんて無い。
「1時間目何だっけ〜?」
突然、ぼんやりしていた頭に隣の席に座る女子生徒の声が響いた。
「歴史だよ〜」
その前に座っている彼女の友人が教える。
「マジ!?やったぁ〜!」
ガッツポーズする女子生徒に、友人は首を傾げる。
「そんなに歴史好きだったっけ?」
「戦国時代だけ好きなんだ〜」
女子生徒はパラパラと教科書を捲ると、戦国時代の流れが記載されたページを友人に見せた。
「これ!!日月峠の戦い!!めちゃくちゃ最高なんだよ、もっと詳しく教科書に載せて欲しいんだよね〜!」
思わず俺は肩をピクリと動かしてしまった。
それに気付くことなく隣の女子生徒は頬を染めながら熱弁を続ける。
「皇族の血を引くやんごとなきお姫様を巡って争う三角関係!も〜最高なの!!」
友人は教科書を指しながら首を傾げる。
「つまり、この『日出 真澄』と『月詠 鷹明』は、この『雛菊姫』を奪い合って戦になったってこと?」
「そういうことーっ!!」
俺は小さく肩を落として窓の外を見た。青空が清々しい。
「ねぇ、祷」
突然、背後から理斗が声をかけてきた。
「ああやってさ、事実とは異なる情報が後世に伝えられてることについて否定したくはならないの?」
俺が振り向くと、理斗は肘顎をつきながら見つめ返してきた。その真剣な顔に、俺は真面目に考える。
考えた上で、どうでもいいと思った。
「別に。勝手に想像してもらって構いませんよ」
だって真実はもっと惨いから。
「そうなんだ。意外だったな」
「意外ですか?」
「お姫サマは君の地雷だろ?」
「…………。」
地雷。まぁ、500年も経っているというのに未だに忌々しいとは思うくらいには不快な存在ではある。
「ソレと恋仲にあったとか言われるの、嫌じゃないのかなと思って」
「そう言われても仕方がないことをしたので、自業自得だと思っています」
真澄の死後、俺は戦利品として真澄の婚約者であった雛菊姫を娶ったのは事実だ。
その後、何があったのかは真澄の耳には入らない方がいい。どこにも記されておらず、歴史の闇の中へ消えているのならそれでいい。
「そっか。まぁ君がいいならそれでいいけど」
それきり理斗は黙り込んで会話を終わらせた。俺も歴史の教科書とノートを机の中から取り出して授業の準備をする。
歴史の資料集を開くと、偶然にも日月峠の戦いの特集ページだった。
生きていた頃の真澄を見た絵師が描いた、500年前の真澄の肖像画を指先で撫でる。
(貴様は絵よりも美しかった)
死してなお、女であった真実が明るみに出ることなく男性として語り継がれるほどに高潔で精悍な生き様。
(俺だけが知っていればいい)
秘密にしていれば、貴様と俺の2人だけの世界が守られるのだから。
***
「神楽、帰りますよ」
俺はいつも、放課のチャイムと同時に教室を出て中等部3年B組の教室へと向かう。
神楽が1人で帰らないように迎えに行くのだ。
「すまない、祷。先に帰っててくれ」
いつもは頷いて俺についてくる神楽が、今日は珍しく首を横に振る。
「何か用事ですか?待ちますよ」
「遅くなるからいい。お前も習い事があるだろう」
「1日くらい休んでも問題ありません。それよりその用事は何ですか?」
「美術部のモデルだ」
「……………はい?」
熱い視線が集まる教室のど真ん中で、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
──────
────
「あっ、神楽さーん!…………って、ぇえええ!?!?」
神楽と2人で美術室に向かうと、朝に直輝とぶつかった部長と、12人の部員たちが待っていた。
その中には梛もいた。
「ちょっとやるじゃない、部長ぉ〜♡祷くんまで呼んでたのぉ!?」
「呼んでない呼んでない!!」
全力で首を横に振る部長の方へ、俺はカツカツと足音を立てながら近付く。
「ヒッ!!?」
俺が近付く度にどんどん萎縮して小さくなった部長の目の前で立ち止まり、ニッコリと笑って見せた。
「神楽に何をさせるつもりです?」
俺が訊ねた途端、室内に絶叫が響く。「セコムだ!」「セコム強!」「生セコム尊い!」などと部員たちが泣きながら手を合わせて叫んでいる。誰がセコムだ。
「ど、同人誌のモデルです…」
俺の威圧に耐えられなくなった部長が震えながら白状した。
「神楽に説明は?」
「してません!言えるわけないじゃないですか…」
俺はチラリと神楽を見やる。神楽はキョトンと目を丸くさせてこちらを見つめている。可愛い。いやいやそうではなく。
「神楽にはあの同人誌を見せてないのですね?」
「見せてません!」
「ならばよし」
俺は部長に放っていた威圧を緩めて少し離れた。途端、部長はそそくさと神楽の背後にまわった。
「神楽さんッ!どうして月宮さんをつれてきたんですか!」
「む。すまない…」
「神楽に非はありません。俺が勝手についてきただけですから。それより早く始めてください」
俺が腕を組むと、その腕に梛が手を置いてきた。
「あらヤダ、怖い顔ね。まぁそんなお顔も素敵なんだけどっ♡」
「貴方もあの本をご存知なんですか?」
「もちろんよ。本当にごめんなさいね、勝手に祷くんと神楽ちゃんで妄想して、さらにナイショで本まで作っちゃって。」
驚きはしたが、不快にはなっていない。
まぁ、前世の自分が勝手に小説やら漫画やら映画やらの題材になっているから抵抗が無いだけかもしれない。
今朝、理斗にも言ったように、他人の想像はただのフィクションで事実とは関係が無い。どんなに想像したとしても、事実が変わるわけではない。
真実は、知るべき人だけ知っていればいい。
だからどうでもいい。
「別に謝る必要はありませんよ」
「あらヤダ寛大。もぉ〜器まで大きいなんてっ、どこまで良いオトコなの祷くんっ♡」
「お褒めに預かり光栄です」
俺と梛が話している間に、神楽は美術室のど真ん中に立たされていた。神楽が何をさせられるのか気になった俺が、ついつい視線を鋭くさせると梛が隣で笑った。
「もうっ、心配しなくても大丈夫よ〜。あの本の参考にデッサンを描かせてもらうだけだからっ♡」
部員全員がイーゼルの前に立って神楽を見ている。
「部員の皆さんがあの本を描いているのですか?」
「そう!ここの部員、全員で協力して作ってるのよ♡でもでもぉ、1番絵が上手で1番キュンキュンするストーリーを描ける部長が、すっごくショックなことがあったらしくてね…」
今朝のことか。
『解釈違いですね』
『神楽は絶対に、俺に恋することなど有り得ませんよ』
心当たりがありすぎる。そういえば俺はかなり部長に対してズバズバと遠慮なく言ってしまった。
「そのショックのせいで、次のネタが浮かばなくなっちゃったらしいの…」
それはそうだろう。
登場人物に否定されたのだ。
物語を紡ぐに当たって、重要な存在に。
「だから、神楽ちゃんをここに召喚して、インスピレーションを得ようっていう作戦なの♡まさか祷くんまで来てくれるなんて♡最高よ♡」
逆効果かもしれない。
トラウマをフラッシュバックさせて追い討ちをかけるかもしれない。何故なら俺がその原因だからだ。
「梛さん、実は俺が…」
「だァ──────!!最っ高だよ神楽さんっっ!!!」
カシャシャシャシャシャッとスマホのカメラが連写される音が響いた。スマホを手に持った部長が鼻息を荒くして神楽の周りをグルグルと回っている。瓶底メガネを白く曇らせるほど興奮している。
言いかけてやめた俺に、梛が首を傾げる。
「……どうしたの?」
「いえ、大丈夫でした。問題ありません」
「次は神楽さんっ!こっち向いて私とハグしてくださいっ!」
「問題大アリですね」
俺は再びカツカツと足音を立てて部長に近付く。
「何、勝手に神楽に抱きつこうとしているのですか?」
「ヒェッ!?女でもダメなの!?はぁでもその嫉妬、ご馳走様ですぅえへへへへへへ♡」
周囲にいた部員たちもきゃあきゃあ叫び出す。
「嫉妬ではありません。そんな興奮した状態の貴方が抱きついたら、神楽が怪我をしてしまうかもしれないでしょう?」
「む。私はそんなに弱くない」
「貴方はお黙りなさい」
俺がピシャリと叱責すると、神楽はキュッと口を引き結んだ。可愛い。いやいやそうではなく。
「じゃあじゃあ、私じゃなければいいの?梛ちゃんとか?」
「ええーッ!?アタシ!?ちょっとヤダァ♡無理無理ッ!!」
「では俺がやります」
え、と皆が一斉に俺を見る。
「俺が、神楽を抱きます」
美術室を震源に震度3くらいの地震が発生した。
美術部員たちの叫び声が巨大な音波となり美術室が震えたのだ。
その振動の中で、俺は自分で自分の口を押さえて困惑する。
(勢いで俺は何をっ……!?)
「どうぞどうぞ〜っ!!ハイッ、神楽さんっ!!!」
グイグイと部長に背中を押された神楽が俺の前に立つ。まさにダチョウ倶楽部の流れだ。嵌められた。間違えた。
額を押さえて項垂れる俺とは対照的に、神楽は生き生きとした表情をしている。ホイホイと何でも頼み事を聞き入れる、超が10個付いても足りないくらいお人好しな神楽だ。人の役に立てることが嬉しいのだろう。
(本当に、前世から何も変わらない)
打算も何も無く、純粋に他人を助けられる真っ直ぐな善性。見返りも何も求めず、ただ他人に与えるだけの純粋な善性。それこそが真澄であり、神楽だ。
(本当に、腹が立つ)
俺は貴様のそういうところがずっと大嫌いだった。
俺がじっと睨み付けたが、神楽は涼しい顔のままパッと目を大きく開いて見せた。
「……そういえば。ずっと一緒にいたが、ハグをするのは初めてだな」
やめろ。こっちの気も知らないで。
「来い、祷」
神楽が両手を広げる。
「私はいつでもいいぞ」
色気もへったくれもない誘われ方に、俺は盛大な溜息を吐いたのだった。
登場人物
・黒田 直輝 (くろだ なおき)
聖蘭学園中等部1年生A組。スポーツ用品の製造・販売をする大手メーカー社長の次男坊。真面目だけど柔軟性もあって愛嬌もある、本作で唯一かもしれないまともな人。




