26 夢
『夢』を叶えるって難しいよね。なのに捨てられないや。
寺の縁側で鶴千代が吐露した次の日から、鶴千代は烏丸と全く口を利かなくなった。
剣術の手合わせをする際、烏丸が声を掛けたのだが鶴千代は無視して別の者に声を掛けたのだ。
諦めずに追いかける烏丸を、鶴千代が視界に入れることは無かった。
そんな日々が続き、ついに烏丸は激怒した。
『鶴千代!なぜ俺を避ける!』
天巡寺の門下生たちは、早朝は寺の清掃をするのが決まりだ。
長い縁側を拭いていた鶴千代に、烏丸は背後から声を掛けた。
周囲にいた門下生たちが驚いて振り返ったが、声を掛けられた当の本人は黙々と床を拭き続けている。
『鶴千代!』
烏丸は手荒に鶴千代の肩を掴んで振り向かせた。
しかし鶴千代が烏丸を見ることは無い。
『答えろ。何のつもりだ』
『私に関わるな』
それだけ冷たく言い放つと、鶴千代は烏丸の手を振り払って立ち去った。
────そのやり取りから3日後、鶴千代は座学の試験においても烏丸から首席の座を奪った。
烏丸はますます鶴千代に興味を持った。
唐突に態度が冷たくなった鶴千代に対して、怒りはあるのに嫌いにはなれなかった。
嫌いになるどころか、もっと鶴千代のことを知りたいと思うようになった。
それはあの日、烏丸を『羨ましい』と言った鶴千代の目がとても寂しそうだったからだ。声も弱々しく、暗かったから。
おそらく鶴千代は烏丸のことを嫌いになった訳では無いのだと、烏丸には確信があったからだ。
『鶴千代』
相変わらず自分ではない、他の門下生と剣術の手合わせをしている鶴千代に烏丸は再び声を掛けた。
『座学で首席を取った気分はどうだ?』
烏丸ではない他の者と鶴千代の、カンッカンッと竹刀がぶつかり合う音だけが響く。
鶴千代が口を利く様子は無い。
烏丸は溜息を吐き、一際強く竹刀を振るって鶴千代の竹刀だけを叩き落とした。
鶴千代と手合わせをしていた門下生が怯えて顔を真っ青にする。
烏丸はその門下生に優しく微笑んで見せると、鶴千代の腕を掴んだ。
『此奴を連れて行く』
鶴千代は意外にも抵抗することなく烏丸に引っ張られた。
相変わらず何も言わないが大人しくついてきた鶴千代に、烏丸はひっそりと安堵した。
寺の裏側にある薄暗い湿地に着くなり、烏丸は鶴千代を納屋の壁に押し付けて両腕で囲い込んだ。
『貴様、なぜ俺と口を利かない?』
チラと宙色の瞳を左に向けた鶴千代が小さく唇を開いた。
『……私に関わらない方が良いからだ』
『どういうことだ。説明しろ』
鶴千代が再び、一瞬だけ視線を左に向けた。
烏丸はなるべく頭を動かさないようにして、鶴千代の視線が向いた先を見た。
すると少し離れたところにある椿の生垣の裏で、影が少しだけ揺れたのが確認できた。
『家の者か。監視されているのか』
『………』
『貴様は嘘を吐けないんだな』
分かりやすくキュッと唇を引き結んだ鶴千代の反応に、烏丸はふっと笑った。
そんな烏丸を、ムッとした表情で鶴千代は見つめ返す。
『嘘を吐くのは悪い事だ。悪い事をしたら罰を受けるからな』
『罰?飯でも抜かれるのか』
『逆だ。毒を飲まされる』
は、と烏丸は声にならない声を上げた。
『……毒?』
『今まで様々な種類の毒を飲んできた。どれもひどく痛くて苦しかった』
無表情のまま言ってのける鶴千代を、烏丸は信じられない思いで見つめた。
『そんなに毒を飲まされてきたのか』
『物心ついた時からだ。それに、罰は毒を飲むことだけではない。寒い真冬の夜間や暑い真夏の昼間に、山奥に放置されたこともある』
『は?』
『崖から突き落とされて、自力で山の上まで戻って来たこともある』
『ちょっと待て。貴様、それでよく生きていたな』
鶴千代の出身は日輪国だ。
夜永国のすぐ隣で、そんなに厳しい教育が行われていたなど信じられない。
ましてや、鶴千代は大名家の跡取りだ。
場所が少し違うだけで、教育方針がそんなに大きく異なるものなのだろうか。
『怠惰や不正も罰を受ける。だから私は努力を怠らず、正しい行動を常に心掛けている。……死にたくないからな』
『貴様の家の教育は度が超えているのではないか?』
『そのおかげで武術においても座学においても首席を取れた』
今度は烏丸がムッと眉根を寄せた。
『俺に喧嘩を売っているのか?』
『事実を言ったまでだ』
淡々と言った鶴千代は、烏丸に掴まれている手を押し返した。
『話は終わりだ、放せ』
『終わっていない。俺を避ける理由を聞いてないぞ』
烏丸が鶴千代の腕を掴む力を強めると、鶴千代は観念したのか溜息を吐いてから言った。
『家の者にお前と仲良くならないように忠告を受けた。お前は夜永国の者だからな』
『夜永国がどうした。日輪国とは協力関係にあるのに、何が問題だ?』
『近頃は謀反が増えている。家臣ですら信用できなくなっている状況だ。だから他人に深入りするなと言われた』
親切であれ、と教わってきた烏丸とは真逆の教えを受けている。
家族やたくさんの家臣たちに思いやりの心を持って接し、支え合ってきた烏丸とは何もかもが正反対だ。
おそらく鶴千代は、日輪城の奥に隠されていたように、この天巡寺でも孤高の存在であれと家の者に言われているのだろう。
『そうだな。その考えはわかる。だから俺は他人の言葉を信用しない』
『意外だな。皆と仲良くしているお前が』
『親切にしているからな。友好的な姿勢を見せれば、相手もまた同じように返してくれるものだ』
しかし、と烏丸は眉を顰める。
『心の内まではわからない。表面は笑って取り繕っていても、心の底では鬼の形相をしているかもしれん』
烏丸は突然、人差し指でピッと鶴千代を指した。
『そこで、だ。これから貴様を俺の伝達係にする』
『伝達係?』
『ああ。他の門下生が俺に話がある時は、必ず貴様を介して言ってもらうことにする』
『何故そのような手間を』
『罰を恐れて嘘を吐けない貴様の言葉であれば、信用できそうだからな』
『無茶苦茶だぞ』
困惑して片眉を上げる鶴千代に烏丸は微笑み、監視の死角になる方向に顔を向けた。
『家の者に、俺のせいだと言え』
『む?』
『貴様は俺の言うことを聞くために、俺や他の門下生と話すだけだ。全て俺のせいだと言え』
鶴千代は首を横に振る。
『そんなことを言えば、お前が罰を受ける』
『日輪国の者が俺に?無理だろう。俺に毒を飲ませば戦になるぞ。俺は月詠家の嫡弟だ。俺に手出ししようものなら、夜永国を敵に回すということだが』
烏丸は鼻先で笑い、チラと生垣の奥に隠れる監視に視線を向けた。
『忠告というのはどこで受けた?あの監視にか?』
『厠に行った際だ』
『なるほどな。貴様が1人になる機会か』
『忠告を無視すれば、私だけではなくお前にも毒を飲ますと言われた』
烏丸は顎に手を当てて考え込んだ後、突然パッと表情を明るくさせた。
『それならば、貴様が1人にならなければ解決できる訳だ。これから厠でも湯煎でも、俺と共に行動すれば良い』
『む。それは無理だ』
『何故だ?』
『絶対に、他人に肌を見せてはいけない事情がある』
確かに、寺にある湯煎で鶴千代の姿を見かけた事が無い。
夕餉の後、就寝前に湯煎へ行くのが門下生たちの習慣なのだが。
『だから貴様は湯煎にいなかったのか。それも家の教えか?』
『それも理由の1つだ。隙を見せてはいけないと教わった。裸体を見せることなど言語道断だと』
『それならば、いつ身を清めている?』
『峙先生に許可を得て、未明の時間帯に湯煎に入っている』
皆が寝静まって入浴禁止となっている時間帯に、鶴千代は1人で湯煎に入っていたということだ。
『だったら俺は顔に布でも巻く。要は貴様の肌を見なければ良いのだろう?』
『何故そこまでする』
『貴様への罰の執行を阻止するためだ』
烏丸は鶴千代の細い左手首を見て、溜息を吐いた。
その内側には、見たことの無い紋様の焼印が残っている。
『このような傷を見られないために、「肌を見せるな」と言い付けられているのではないか』
鶴千代は唇を引き結んだ。
あからさますぎる反応に、烏丸は思わず眉根を寄せる。
『貴様の身体が細いのは毒のせいか?きっと腕だけではなく身体中が傷跡だらけなんだろう?崖から突き落とされたり、山の中を彷徨ったり無傷な訳がないからな』
む、と鶴千代が小さく声を上げた。
あまりのわかりやすさに、烏丸は呆れるどころか心配になってきた。
『罰なんぞのせいで、貴様と勝負ができなくなるのは許せん。貴様が毒を飲まされたり、怪我を負わされたりするのは阻止したい』
『罰は、私が悪い行いをしたことへの戒めだ。私が受けるべきものだ』
『受けるべきではない。どう考えても罪と罰が釣り合っていない』
烏丸は鶴千代の腕を持ち上げた。
その下がった袖の隙間から、白い肌に浮かんでいる無数の傷跡が見えた。
『こんな不当な罰を受け続けていたら、いずれ死ぬぞ』
『そうなれば私がただ弱かっただけの話だろう』
『そうやって何でも簡単に受け入れるな。疑問を持たずに従うのは怠惰と同義だぞ』
烏丸は鶴千代の腕を掴んだまま歩き出す。
再び大人しく引っ張られた鶴千代が首を傾げる。
『何処へ行く?』
『峙先生のところへ行く』
『何故だ』
『湯煎の時間も寝所も貴様と同じにしてもらうためだ』
一瞬だけ、鶴千代は途方に暮れたような顔をしたが、すぐにいつもの無表情に戻った。
『お前の好きにするがいい』
鶴千代の了承も得たので、烏丸は遠慮なくそのまま鶴千代を引っ張って峙先生の元へ向かった。
そうして峙先生への直談判の結果、烏丸は条件付きで鶴千代と同じ寝所で寝ることと、同じく未明に湯煎に入ることが許可された。
峙先生は鶴千代の入門前から鶴千代の『罰』について知っており、それを考慮して鶴千代だけ寝所も個別で湯煎の時間もずらしていたようだ。
鶴千代が1人で使っていた寝所には烏丸と鶴千代の布団の間に屏風を置くことと、湯煎では必ず烏丸が目隠しをすることを条件にして許可されたのである。
家の者からの言い付けとは関係なく、傷だらけの肌を見せたくないと言う鶴千代の意見を考慮した結果だ。
そうして烏丸は、鶴千代と片時も離れることは無くなった。
座学の際は必ず鶴千代の隣に座り、剣術稽古の際は必ず鶴千代と組んで手合わせをした。
烏丸と鶴千代は常に肩を並べて歩き、共に飯を食べ、共に眠った。そして座学でも武術でも競い合った。
『次は負けんぞ』
『ああ。楽しみにしている』
互いに打ち負かし合い、切磋琢磨する日々はとても楽しかった。
烏丸と鶴千代は2人でいることが多かったが、他の門下生たちとの交流もしていた。
相変わらず烏丸はニコニコと柔和な笑みで対応し、鶴千代は無表情で淡々と対応していた。
烏丸が周囲の門下生たちに、自分に報告がある際は鶴千代を介するようにと言い付けたため、門下生たちが鶴千代に声を掛けることが多くなった。
『頼むよ、鶴千代。お前から烏丸に言ってくれないか』
『鶴千代!烏丸に伝えてくれてありがとな!』
『ああ。礼には及ばん』
鶴千代は無表情だったが、他の門下生たちと交流できることを心の内では喜んでいた。
そのひっそりとした鶴千代の喜びを、烏丸だけがわかっていた。
そうして季節を何度も巡り、烏丸にも鶴千代にも成人を迎える時期が近付いてきた。
成人を迎えるということは、天巡寺を卒業することと同義である。
鶴千代と共に居られる幸福な日々が続いて欲しい。
烏丸は刻一刻と過ぎる日々の中で、その想いを募らせていった。
『天巡寺を卒業したら、貴様はやはり日出家を継ぐのか』
将来に思いを馳せた烏丸は、ある晩、同じ寝所で衝立の向こうにいる鶴千代に訊ねた。
『そうだな。しかし私は、自由の身で在りたいと願う』
『自由の身?』
烏丸が訊ねると、衝立の向こうから衣擦れの音が聞こえた。
『父上の従兄弟が当主を務めている、日下部家の長男が優秀なんだ』
『日出家の分家か。つまり、貴様はその長男に大名の資格を譲りたい、ということか?』
『ああ』
『貴様はどうするつもりだ?』
突然、衝立の横から鶴千代がひょっこりと顔を出した。
『実は、私には夢がある』
燭台の灯火が、鶴千代の白磁の顔をぼんやりと照らし出す。そのまん中で、宙色の瞳が爛々と輝いている。
『今まで、誰にも言ったことが無いのだが』
『俺が聞いても良いのか』
『いいぞ。お前にだけ特別だ』
鶴千代に手招きされ、烏丸は衝立に近付いた。
烏丸が衝立の横に腰を下ろすと、鶴千代はその向かいに腰を下ろした。そして照れ臭そうにポリポリと頬を人差し指の先で掻きながら口を開いた。
『私は、旅人になりたいんだ』
『えっ?』
鶴千代からの予想外すぎる返答に、烏丸は素っ頓狂な声を上げてしまった。
『旅人…?』
『ああ。様々な国を渡り歩き、万事屋としていろんな困り事を解決して回りたい』
烏丸は想像した。
鶴千代が万事屋として各国を転々とする姿を。
(きっと上手く出来るだろう)
鶴千代は聡明で運動神経が良く、体力もある。器用で何でも容易にこなす上に心優しくて誠実だ。
きっと万事屋として上手くやっていけるに違いない。
その姿を、ずっと傍で見ていたい。
ずっと鶴千代の隣にいたい。
『俺も一緒に行きたい!』
烏丸の口から思わず飛び出した一言に、鶴千代が目を丸くさせて驚いた。
『本当か?』
『嘘など言うものか。俺は貴様と共に旅に出たい』
『お前は聡明で運動神経も良い。体力もあるし器用で、何より心優しくて誠実だ。きっと夜永国の繁栄に貢献する名将になることだろう』
『俺には優秀な兄上が4人もいる。俺が居なくても夜永国は大丈夫だ』
烏丸は鶴千代の左手を取り、そして大切な宝物に触れるように両手で優しく包んだ。
『だから、鶴千代。俺と共にいろんな国を巡ろう』
言葉の最後は、緊張で震えていた。
まるで求婚をするような気持ちだった。
烏丸の手や唇は震えていた。
『この寺を出ても、貴様と肩を並べて競い合う日々を過ごしたい』
バクバクと逸る鼓動が胸から耳にせり上がり、火が付いたように首元から額まで熱くなる。
『ああ』
烏丸の真向かいで、鶴千代が頷いた。
『私も同じ気持ちだ、烏丸』
『同じ…?』
きゅう、と胸が甘く締められたような感覚だった。
その直後、じんわりと腹の底に熱が広がって、足元がふわふわと浮遊するような高揚感が湧き上がってきた。
『貴様も、俺と、共に居たいと……思っているのか?』
鶴千代が白磁の頬を桃色に染めて微笑んだ。
『ああ。だから、父上と話し合ってみる』
烏丸は思わず、鶴千代の額に自分の額を当てた。
勢い余ってゴツンッと鈍い音が頭蓋骨に響き、鶴千代は不服そうに目を細めた。
『痛いぞ烏丸』
『俺も、父上に相談する』
烏丸の言葉に、鶴千代は頷いた。
『ああ。良い返事を期待している』
『貴様の方こそだ』
烏丸と鶴千代は鼻先を擦り合わせると、くふくふと静かに笑い合った。
そして話を終えた鶴千代は、衝立の向こうへ姿を消した。
烏丸は静かに立ち上がると燭台の火を消し、布団の中へと入った。
『おやすみ、鶴千代』
『ああ。おやすみ、烏丸』
『また明日』
『ああ、明日も共にいよう』
烏丸と鶴千代は衝立に隔たれながらも、就寝の挨拶を交わした。
そしていつも通り未明に起きて、2人で湯煎へ向かう筈だった。
しかし。
『鶴千代?』
鶴千代がいつも湯煎の準備をしている筈の時間に、全く物音がしなかった。
不審に思った烏丸は、衝立の向こうを覗き込んで衝撃の光景を目にした。
──────忽然と、鶴千代が消えていたのだ。
しかも、布団や箪笥など鶴千代の私物も全て消えていたのである。
『……………は?』
がらんとした空虚な空間に、烏丸の掠れた声だけが響いた。
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