22 指名
『指名』された数とは、能力を買われて期待された数である。今まで何回あった?
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ウィンディオーシャン・グランドホテルのバンケットホールは、有名なメジャーリーガーや世界的なアーティストが結婚式場として選ぶほどに豪奢で広大だ。
高い天井は真っ白で、幾つも吊り下げられている立派なシャンデリアが金の光を降り注いでいて煌びやかだ。ダマスク柄の絨毯は上品なワインレッド色で洗練された雰囲気を醸成している。
そんなバンケットホールの隣には踊るためのボールルームがあり、パーティーの際は演奏スペースでピアニストや管弦楽団が生演奏を披露してくれる。
ボールルームの天井にも豪奢なシャンデリアが幾つも吊り下げられており、銀の光を降り注いでいる。その光を眩く反射するほどに、大理石でできたフローリングは真っ白だ。
ボールルームの大きな格子状の窓からは、夜間は清らかな月光とそれを受け取ってゆったりと揺れる夜の大海原が眺望できる。
そんな美しい空間に、美しく着飾った少年少女たちが集まっているのだが。
「な、なんて美しさなのかしら……」
「さすが陽向様ですわ……」
一際、神々しい麗しさで人々の注目を集めている少女がいた。
「やっぱり神楽さん……実は人間じゃなくて天使とか精霊だったりする?」
「人間だが」
セミロングの白銀色の髪はフィッシュボーン状に繊細に編み込まれており、結び目には銀の髪留めが差し込まれている。髪留めは月面を模した模様で、クレーターのような部分に深い色のサファイアが埋め込まれている。
「かっかかかかかか神楽さっ……あガガガァーッ!?」
「ちょっと大丈夫、詩織っ!?」
少し離れたところで神楽のドレス姿を網膜に焼き付けていた春日が、興奮のあまりよろめく。それを梛が慌てて抱き留めた。
本当に、見た者が正気を失うほどに美しいのだ。
神楽は顔立ちだけでなく、等身や身体のラインまでもが人間離れしている。
さすがに胸元の見えるドレスでサラシを巻く訳にはいかず、豊満な乳房が今夜で周知の事実となってしまった。
「瞳の色とドレスの色を合わせたんだね。シンデレラみたいだ…」
渚の呟きに、隣にいた桐生もコクコクと頷く。
神楽の瞳は深い青空のような宙色であるが、ドレスもその色に近いロイヤルブルーだ。
色白な肩や胸元を薔薇の花弁のように巻かれたレースがふんわりと包んでいるが、対照的にウエストはギュッと引き絞られている。
そこから繋がるスカートは膝上まで、女性らしい丸い腰や太腿のラインに沿ってピッタリとしているが、膝から下は花が開いているかのようにフリルやレースが幾重にも重なってふんわりと広がっている。
つまり、神楽の華奢だがしなやかに引き締まった肢体を強調する、マーメイドラインのドレスなのである。
ドレスの生地をよく見ると、数多のダイヤモンドが天の川のように装飾されている。
神楽が動く度に、星が散りばめられたかのように繊細な光が瞬く。
ドレスの裾からチラリと見える銀色のパンプスにも、数多のダイヤモンドが装飾されている上に、髪留めと同じ色のサファイアまで中央に嵌め込まれている。
それはイヤリングも同じなのだが、全身が青や白銀で統一されている中で唯一、色の違う部分がある。
「確か最初は乾杯でしたよね。神楽、グラスはどれにします?」
「麦茶で頼む」
神楽がグラスを受け取ろうと伸ばした右手の薬指で、琥珀がキラリと光る。
花蓮は思わずパッと祷に視線を向けた。
祷の瞳は、指輪の石と同じ色をしていた。
「どうしました?」
「んーん!何でもないっ!」
花蓮は慌てて首を横に振る。
その直後、バンケットホールの照明が暗くなった。
そしてステージが明るく照らし出され、グラスを持った桜雅の姿が確認できた。
そのグラスの中にある液体は深紅で、一見するとワインのように見えるが葡萄ジュースだ。
このバンケットホールにいるのは、ほとんどが未成年だ。
なのでグラスの中は全てソフトドリンクである。
学年代表である桜雅が乾杯の挨拶を始める。
彼が喋るたびに、女子生徒たちの黄色い声援が飛び交う。
まるでアイドルのトークショーだ。
その間に、祷は小さな声で花蓮にもグラスをどれにするか訊ねていたのだが。
「陽向」
マイクを通して、桜雅のよく通る朗々とした声がバンケットホール内に響き渡った。さらにスポットライトが神楽を照らす。
直後、生徒たちの視線が一斉に神楽に集中した。
「何だ」
怖じけることなく神楽が壇上の桜雅を見つめる。
「この後は午後6時まで交流会、それからフルコースディナーが始まる」
「そのようだな」
「そしてディナーを終えた午後9時から、舞踏会が始まるな」
「そうだな」
「我と踊るファーストレディは、お前に決めた。陽向」
バンケットホール内にどよめきが広がる。
しかしその声は、非難ではなく納得の声がほとんどだった。
桜雅のキッチリとオールバックに整えられた鳶色の髪は艶やかで、薄らとファンデーションで血色良く整えられた肌も滑らかだ。
桜雅の瞳は切れ長で、高貴な薔薇のような深紅だ。そんな瞳と同じワインレッドのタキシードで身を包んでいる。すらりと長い四肢と、厚い肩や胸板と細く引き締まった腰にピッタリとサイズの合った特注のタキシードだ。
黒革のハーフグローブに爪先の長い黒の革靴を身に付けており、頭の頂きから爪の先まで美しく整えられている。
何処ぞの王子だと自己紹介されても違和感は無く、誰もが信じ込んでしまうだろう。
そんな完璧なまでに美しい彼の隣に並ぶ女性──いや、並ぶことが可能な女性はこの場に1人しかいない。
南瓜の馬車で現れたような、プリンセスが1人。
「何故、私なんだ?」
「無論、お前が最も美しいからだ」
「それだけか」
「コミュニケーションの方法は言葉だけではない。視線を合わせ、肌を合わせ、共に踊ることもだろう」
桜雅の言葉に、神楽は暫く考え込んだ末に頷いた。
「承知した」
「えっ神楽さん!?」
隣で花蓮が素っ頓狂な声を上げたが、神楽が気にする事はなく。
「逃げるなどという愚行は許されんぞ」
「私がそんなことをするとでも?」
神楽が鋭く睨み上げると、桜雅は声高らかに笑い始めた。
「その言葉、忘れるなよ」
不敵な笑みで神楽を見下ろした桜雅は、カツカツと靴音を鳴らしながらステージを下りた。
その背中を見えなくなるまで見つめ続けていた神楽に、花蓮は首を傾げる。
「なんで断らなかったの?」
「断ったところで無意味だ」
無意味?とさらに首を傾げた花蓮に、神楽は少しだけ口元を緩めた。
「彼奴は他者を思い通りにする能力に長けている。どのみち、今のように囃し立てられて共に踊ることになっていた」
仕方がない、と呆れているようで感心しているような神楽の表情に、花蓮は思わず目を見開く。
「神楽さんって桜雅と…」
「神楽様っ…!」
訊ねようとした花蓮の声を、日下部の声が掻き消す。
広大なバンケットホールで神楽たちとはぐれてしまっていた日下部が慌てた様子で駆け寄って来た。───肇の腕を掴み、引き摺りながら。
勝手にフラフラと歩き回って行方不明になっていた肇を、日下部が探しに行ってくれていたのだ。
どうやら先程のスポットライトのおかげで神楽の居場所を特定できたようだ。
「遅くなり申し訳ございません」
「謝る必要は無い。感謝する」
「ごめんね、日下部。僕からも礼を言うよ」
渚が日下部にペコペコと頭を下げながら肇の首根っこを掴む。
そうして神楽の班は、交流会が始まる前に無事に全員が合流できたのだった。
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「陽向さんに近付けないな……」
「なんで月宮の弟がいるんだよ」
男子生徒たちが神楽を遠巻きに見つめながら歯噛みする。
交流会とは、他の班の生徒とも会話をすることができる交流の場なのだが。
「神楽、次に行きますよ」
祷が差し伸べた手に、神楽が掴まる。
そうして2人はピッタリと寄り添いながら隣の円卓へと移って行く。
その後ろを、日下部と桐生が護衛のようにピッタリとついて行く。
「せっかくの陽向さんとお近付きになれるチャンスが〜」
「あぁあ……もう行ってしまった……陽向さ〜ん……」
「諦めろ。日下部も桐生も傍にいる時点で無理だ」
交流会は、基本的に班で共に行動することが義務付けられている。
バンケットホール内には、数多の円卓が並んでいる。
シワひとつないシャンパンゴールド色のテーブルクロスが敷かれた卓上には、様々な種類のソフトドリンクが入ったグラスが並んでいる。
そのグラスを手に、6人組で固まりながら隣の円卓へと移り続け、入れ替わりながら様々な班の人達と会話をするという流れだ。
「祷くんのガード硬すぎない?」
「いつものことだろっ!」
苦笑する花蓮の隣で、渚に首根っこを掴まれている肇がワッハッハと笑う。
そんな2人の背後に、突如として理斗が現れた。
「あのまま祷を陽向先輩から引き剥がしたら色々とまずかったので…、仕方がなかったのですよ」
「げっ…」
カエルが潰れたような声を上げて急に大人しくなった肇に、理斗は口元だけで笑みを浮かべる。
「祷の3番目のお兄さん。貴方のおかげで風間先輩が運営側から抜けられたみたいですね。貴方が彼女をダンスに誘ったそうですね?おかげで私は大忙し。大変なんですよ」
「そっ………そそそそうか!大変だな!」
「ええ、ええ。とても大変です。そんな中、陽向先輩を嘉堂学年代表に奪われた祷を思って、私は祷を自由の身にしてあげたのです」
理斗はスーツのようなホテルマンの制服を着ており、同じく祷もホテルマンの制服を着ている。
つまり祷は、本来ならばホテルマンとして理斗と共にグラスを片付けたり運んだりしているはずだったということだ。
今の祷は神楽の隣にべったりと引っ付いていて離れる様子は無い。
そんな祷を見つめながら、花蓮はポンと手を叩いた。
「そうだ!ディナーの途中まで環を手伝わせるのはどう?」
花蓮の提案に、理斗は漆黒の狐目を輝かせる。
「それ、前田先輩から頼んでもらうことはできますか?」
ちなみに環は学園長との交渉の結果、舞踏会のみ参加が許された。交流会とディナーには参加できないので、今はバンケットホールの外にいる。
舞踏会の時間になったら、花蓮と踊るためにタキシードを着てホールに入ってくる予定なのだが。
「いいよ。環に連絡するね!」
花蓮は手に持っていたスマホで環にメッセージを送る。
送信ボタンを押した後、花蓮は顔を上げて理斗を見た。
「そういえば星野くんは踊らないの?」
「私は祷と違って、相手がいませんからね」
「相手…」
つまり祷には踊る相手、神楽がいるということだ。
「祷くんはやっぱり神楽さんと踊るつもりなんだ」
「私がタキシードをプレゼントしましたからね」
「え」
思わず素っ頓狂な声を上げた花蓮に、理斗は首を傾げる。
「どうしました?」
「星野くんって、本当に祷くんのことが大好きだよね」
「大好き…というより、助けたくなるんですよ」
「優しいねぇ」
「その優しさを祷以外にも向けるべきだぞっ!」
花蓮の横から口を挟んだ肇に、理斗はニッコリと笑顔を向けた。
「では、私が優しさを向けたくなるような先輩になってくださいよ」
理斗の辛辣な返しに、2つも歳上であるはずの肇は何も言い返せずに震えることしかできなかったのだった。




