21 ご褒美
『ご褒美』って動物に限らず人間も手懐けるのに手っ取り早い手段だよね〜
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修学旅行3日目の午後3時。
星野家が所有する沖縄の別荘宅にて。
「し……………死んだわ………………」
リビングルームの床で四つん這いになった花蓮が、四肢をピクピクと震わせている。
その隣で倒れ込んでいる環が、ダンスレッスンの最中に花蓮に踏まれまくった足の甲を押さえて悶絶している。
「ぐ……なんという屈辱っ………」
そこから少し離れた場所で、日下部も酷く疲れた様子で片膝をついて項垂れている。
そんな彼らと一緒にダンスの練習をしていた渚は、リビングルームの隅っこで膝を抱えて丸まっている。さらに壁に頭を向け、叱られて拗ねた幼子のように蹲っている。
世界の全てを拒絶しているようだ。
そんなダンスレッスンを終えて瀕死になっている4人を見た理斗が、ニコニコと笑いながらリビングルームにある大きな丸いテーブルにティーポットを置いた。
「お疲れ様でした。皆さん、頑張られたようですね」
「どうしてぇっ!!!どうして沖縄でっ…旅行のために来たのに!!こんなことになるのっ……!?」
「それは日頃のレッスンを怠っていたせいですよ」
半泣きになっている花蓮に、理斗は淡々と告げた。
その直後、リビングルームの扉が開いたと同時に人がバターンッ!と倒れてきた。
それはマナーレッスンを終えた肇だった。
「キャーッ!?肇くん!?大丈夫!?」
花蓮の叫び声にすら反応できないほど疲弊しているのか、肇はうつ伏せに倒れたまま沈黙している。
倒れた肇を、執事たちが丁寧に持ち上げてリビングルームの大きなソファまで運んだ。
その後に、先程まで肇が倒れていた扉から、ホクホクと満足気な顔をした桐生が入って来た。
「あっ、義仁!どこ行ってたの!?」
花蓮が生まれたての小鹿のように四肢をプルプルと震わせている姿に、桐生は驚いた様子で首を傾げる。
「俺は図書館だ。お前たち…どうした?ものすごく疲れているようだが」
「あったりまえでしょ!!あの藤森先生だよ!?」
「藤森先生がどうかしたのか?」
キョトンと目を丸くさせた桐生の顔を見て、花蓮は思い出した。
神楽や祷の能力が異次元すぎて霞んでしまいがちだが、実は桐生も文武両道で何でも容易にこなせる完璧男だということを。
「いや…うん。大丈夫。何でもない」
花蓮はガックリと肩を落とした。
おそらく桐生はダンスにおいても苦労せず習得し、藤森先生から厳しい指導を受けることも無かったのだろう。
静かになった花蓮に桐生が首を傾げていると、その後ろから神楽と祷もリビングルームに入って来た。
「む。皆、レッスンに励んだようだな」
ぐったりとしている花蓮や日下部たちを見た神楽が呟いた。
そんな神楽に、花蓮は震える足で駆け寄って泣き付く。
「そ〜なんだよ神楽さぁ〜〜ん!!藤森先生っ、容赦なくてさぁ〜〜!!」
「そうか。それは大変だったな。踊れるようになったか?」
「まぁ…、明日は逃げなくて済むかも…」
「頑張ったな。えらいぞ、花蓮」
抱きついてきた花蓮の背中を、神楽がぽんぽんと優しく撫でた。
「かっ………神楽さぁ〜〜〜ん!!メロ〜〜〜♡」
花蓮が叫びながら神楽の胸に頬を擦り寄せていると、その背中を理斗が指先でつついた。
「前田先輩。陽向先輩へのスキンシップは、そこまでにしてください」
理斗にそう言われ、花蓮が振り返ると背後にいた祷の瞳が冷え切っていた。
なんという心の狭さだろうか。
祷は神楽と同性である女性であっても神楽に密着するのを良しとしない。
しかし、幼い頃から祷と交流のある花蓮は慣れている。
「おーっとごめんなさーい!」
花蓮は慌てて神楽から離れて祷に微笑んだ。
神楽は花蓮が誰に何の理由があって謝罪の言葉を述べたのかわからず、首を傾げる。
「む?どうした?」
「んーん!何でもないよ!それより神楽さんは今までどこにいたの?何してたの?」
「ドレッシングルームだ。マダム椿に、明日の舞踏会で着るドレスを仕上げてもらっていた」
「え────っ!?梛ちゃんのお母さまに!?いいな〜〜!!」
花蓮が興奮した様子でキョロキョロとリビングルームを見回す。そんな花蓮に、理斗がにっこりと微笑みながら説明する。
「マダム椿はご多忙で、つい先程、斎賀先生や藤森先生と共にお帰りになられました」
「え〜!会いたかったなぁ…」
「明日、舞踏会を見に来てくれるそうだ」
「えっ!?ホント!?嬉しい〜っ!!」
花蓮は足の震えが治ったのか、ぴょんぴょんと跳んで喜んだ。しかし突然、ピタリと飛ぶのを止めて首を傾げた。
「ん?そういえば神楽さん、ドレスの仕上げってことは、ついさっきドレスが完成したってこと?」
「ああ」
「えっ、準備してなかったの!?」
「初等部の卒業パーティで着たドレスを使用するつもりだった」
花蓮が愕然と、顎が外れそうな程に口をポッカリと開ける。
「えっ嘘でしょ!?いやぁ本当によかったね、梛ちゃんのお母さまが新しく作ってくれて!!」
「私の父上が手配してくれていたようだ」
「えっ、神楽さんのお父様が!?」
花蓮は再び驚愕し、今度は目を見開く。
「えーっ!良かったね、神楽さんっ!やっぱりお父様は神楽さんのことが大好きなんだよ〜!」
「そうだろうか。……そうだと良いのだが」
珍しく神楽が頬を桃色に染めて面映ゆい感情を顔に出している。
再び祷の瞳が冷えていくのを、花蓮は鋭く察知した。
祷は本当に心の狭い男である。
祷は、神楽と血の繋がった父親であっても、神楽の心を奪うのを良しとしない。
花蓮は、そんな祷と幼い頃から交流があるため慣れている。
花蓮は慌てて別の話題を神楽に振った。
「そういえば、小物の準備は大丈夫?」
「小物?」
「髪飾りとかパンプスだよ。ドレスが変わったならそっちも色とか変えないといけないよね?」
「心配要りませんよ」
神楽ではなく、祷が答えた。
「俺が用意しましたので」
祷が胸に手を当てながら得意気な顔で微笑む。
「ちゃんとこの目で神楽のドレスを見て、そのドレスに合うものを俺が選びました」
「そ、そうなんだ〜!よかったね、神楽さん」
「ああ」
神楽がほんの少しだけ口元を綻ばせながら頷く。
その純粋な喜びの表情を見て、花蓮は瞼を閉じた。
(いやぁ祷くん、めちゃくちゃ重いなぁ〜!)
昔。神楽がまだ初等部1年生だった頃。
保護者の授業参観日に行われた、発表会で。
将来の夢と憧れの人を聞かれた神楽は、迷わずにどちらも『父上』と答えたのだ。
その参観の場に、なぜか神楽の母親と共に幼稚舎の年中組であった祷も一緒に付いてきており、神楽の発表を見ていたのだ。
それから祷は、神楽の父親を敵対視している。
神楽が父親に褒められた話をする度に、祷は分かりやす過ぎるほどに不機嫌が顔に出るのだ。
きっと神楽の父親が手配したドレスのことも、祷は気に入らないのだろう。
だから祷は、アクセサリーやパンプスを神楽に贈った。
────神楽の全身が、父親に染められてしまわないように。
(まぁ神楽さんが嬉しそうだから良いか…)
四肢の震えなどすっかり忘れてしまった花蓮は、幸せそうな親友を見つめた。
何も言わずに。
当事者である神楽と祷が幸せなら、余所者が口を出す必要なんて無いのだから。
こうしてリビングルームに全員が集まり、皆で理斗が淹れた紅茶を飲んで一息ついた。
そして夕方になる前に、宿泊先であるホテルへと送迎車で戻ったのであった。
***
迎えた、修学旅行4日目。
舞踏会当日の朝。
私立聖蘭学園の修学旅行生が宿泊する、ウィンディオーシャン・グランドホテルは朝から大騒ぎである。
舞踏会に向けて、修学旅行生全員がドレスやタキシードを着用したり髪型をセットしたりして大忙しだからだ。
それは神楽や花蓮も例外ではない。
2人の宿泊部屋にも、学園から依頼を受けたヘアメイクアーティストとメイクアップアーティストが入って来た。
アーティストたちは2人とも女性なのだが、神楽と花蓮を見るなり顔を真っ赤にさせて大喜びした。
「待って待って待って。美少女すぎない?」
「美人系と可愛い系が揃ってる〜最高〜!!」
神楽も花蓮も容姿が整っているが、系統が違う。
神楽は真っ白な胡蝶蘭が似合う凛とした美少女だが、花蓮は桃色のマーガレットが良く似合う愛らしい美少女だ。
「腕が鳴るねぇ〜!」
「楽しみぃ〜っ!」
何だかものすごく気合いが入っていそうなアーティストたちの迫力に、神楽と花蓮はまん丸にした目をぱちくりと瞬かせたのだった。
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ウィンディオーシャン・グランドホテルを所有する、風間グループの本家跡取り娘の名は、風間 心恵。
彼女は権力を笠に着てふんぞり返ることは決して無く、自らリゾートホテルに赴いてホテルマン達と共にもてなしの準備をする。
何故なら。
彼女は母性が強く世話焼きな性格であり、自らの手で『おもてなし』をするのが好きだからである。
「そのグラスは3番テーブルにお願い。それと、中央の花瓶の水の量も確認お願い」
「かしこまりました」
今夜は私立聖蘭学園中等部3年生の舞踏会が、このホテルのバンケットホールで行われる。
現在の時刻は午後4時。
舞踏会の開催時刻まであと1時間だ。
心恵は会場の最終チェックのため、バンケットホールに立ってホテルマンたちに指示を出していた。
その時。
「心恵ーっ!!」
忙しい彼女の元に、タキシードを着た肇が駆け寄ったのだ。
心恵はとても忙しいというのに全く嫌な顔はせず、肇に嫋やかな微笑みを向ける。
「あら、肇くん。まだ舞踏会は始まっていないよ?」
「お前は舞踏会に参加しないのかっ?」
肇は心恵の身なりを見て首を傾げる。
ウェーブがかかった深緑の髪は三つ編みにしてひとつに束ねており、そこに装飾は付いていない。メイクも必要最低限で、何より、黒いスーツのようなホテルの制服を着ている。
完全に舞踏会に参加するような格好をしていない。
「そうなの。私は主催者側だから踊らないの」
「オレ、お前と踊りたい。」
「たぶんできないかなぁ」
「忙しいのか?」
「うん。舞踏会の間はバタバタ走り回ってると思うし、終わっても片付けがあるから」
心恵が困ったように眉根を下げた。しかし、肇は楽しげな笑みを崩すことなく心恵を見つめる。
「じゃあオレもお前を手伝う」
「肇くんはお客様だから、お手伝いさせる訳にはいかないわ」
「オレはお前としか踊りたくないからなっ」
肇は白い歯を出して笑いながら、優しく心恵の手を取る。
「それに、この4日間。オレたちのためにずっと準備をしてくれたんだろ?だったらお前に『ご褒美』ってモノがあってもいいんじゃないかっ?」
「ご褒美…?」
首を傾げる心恵に、肇は頷いて見せる。
「お前のドレスも、アクセサリーもオレが全部用意した。メイクさんもオレに協力してくれるそうだっ!」
肇は野生児だ。
自分の好きなように、自由に行動する。
それはもう、真っ直ぐに。
思ったことをそのまま言ってしまうせいで、たまにデリカシーの無い発言や空気の読めない発言をしてしまうのだが。
「どうだ?オレと踊らないか?」
好きな女の子への気持ちも隠さないし、アプローチも真っ直ぐだ。
絶対に意地悪もしないし、駆け引きもしない。
ただし、絶対に負け戦はしない。
囲い込むように、逃げられない状況を作ってから真っ直ぐに仕掛ける。
「うーん。気持ちは嬉しいけど……でも……私は…」
「お嬢様。お嬢様は寝る間も惜しんで頑張られたのです」
躊躇う心恵の後ろから、ホテルマンたちが声を掛ける。
「そうですよ!お嬢様は4日間も準備のために頑張られたのです!」
「少しだけでも、お嬢様自身が楽しむ時間があったって良いと思いますよ!」
「後は我々に任せてください!」
心恵の頑張りを見ていたホテルマンたちが、みんな揃って頷く。
「ほらっ、皆もこう言ってるんだ。一緒に踊ろう!」
最後のひと押しに、肇が握っている心恵の手を引きながら誘った。手を引かれた勢いで、肇の胸に飛び込む体勢になった心恵が驚いて目を見開く。
「肇くん…」
肇の腕の中に閉じ込められた心恵が慌てて見上げると、肇は優しい眼差しで見下ろしていた。
その蜂蜜色の瞳は、真っ直ぐに心恵だけを見つめていた。
「もう…、いつも強引ね」
困ったように心恵は溜息を吐いた。
しかしその口元は嬉しそうに綻んでいた。
「じゃあ折角だから…、お言葉に甘えさせてもらおうかしら」
ニカッと明るく笑った肇は、心恵の手を引いて駆け出した。
作戦の成功を祝って、ホテルマンたちが2人の背中に拍手を送る。
作戦。そう、肇はあらかじめホテルマンたちに、心恵と舞踏会で踊りたいと相談していたのだ。
心恵の頑張りを見て、彼女を労いたいと思っていたホテルマンたちが快く協力してくれたのだ。
肇は野生児だ。
しかし。
「さっすが月宮家本家のご子息様ですよね。ドレスも何もかもを用意して、あんなにスマートにダンスに誘うんですから。格が違いすぎますね」
ホテルマンの1人が呟いた通り、肇は紛うことなき月宮家本家の三男であり、祷の兄なのである。




