20 レッスン
事前練習をサボって臨むピアノの『レッスン』ほど恐ろしいモノは無い!
神楽の爆弾発言により、一同がポカンと口を開ける。
そんな皆の反応に気が付いていない神楽は、足元に転がった祷のスプーンを拾い上げた。
「スプーン落としたぞ」
「……………。」
無反応の祷に、神楽がキョトンと目を丸くさせて首を傾げる。
そんな神楽の様子に皆がさらに呆然とする中で、肇だけが愉快そうに笑いながら訊ねた。
「なんだ神楽っ!苦しい恋でもしてるのかっ?」
「していない」
「じゃあ初恋かっ?過去の経験か?」
「そもそも恋をしたことは無い。しかし、そういうモノだと思っていた」
「本か映画の影響か?」
「違う。自ずとそう認識していた」
「自ずと?どういうことだ?」
好奇心にかられて質問を重ねる肇に、神楽は真剣な表情で考えながら口を開く。
「恋という概念を知った幼き頃から、恋とはそういうモノだと勝手に思い込んでいた」
「ワハハッ!やっぱり神楽は変わっていて面白いなっ!」
その後、肇だけが楽しそうに笑いながらパフェを食べていた。
神楽はたわいもない自分の発言を忘れ、パフェを頬張ってうっとりと目を細めた。
その他の者は、皆が神妙な面持ちになりながらパフェを食べ進めたのだった。
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パフェを食べ終えた一同は、テーマパーク内にある熱帯果樹園をまわった。
青々とした樹木や立派な果実を見てまわり、日常では味わうことのできない南国の雰囲気を味わった。
園内にはカラフルなインコや大きな蝶々も飛んでおり、餌を持つことで触れ合うこともできた。
そうしてパーク内を遊び尽くした後、夕方になる前にホテルへと戻った。
ホテルのエントランスホールに入ると、昨日と同じく理斗が祷を迎えに来た。
「や。おかえり、祷」
「お迎えありがとうございます」
「疲れてるだろうけど、今晩も手伝いよろしく頼むよ」
「問題ありませんよ。では、神楽と、皆さん。俺はここで失礼します」
ぺこりと頭を下げた祷が、理斗と共に去って行った。
残った班員たちは、立ち去ろうとしない部外者に目を向ける。
「………入出先輩まで、何故ここにいるのですか?」
班員たちを代表して渚が、花蓮の隣にくっ付いている環に訊ねた。
「僕もここの宿を予約したからね」
「そうですか」
渚はそれ以上、質問するのをやめた。
何を聞いたって愚問だから。
「さすがに夕食は一緒に食べられないけど、明日からは祷くんみたいに僕も君たちと一緒に行動するからね〜」
何の躊躇いもなく堂々と言い切った環は、ひらひらと手を振りながら去って行った。
花蓮は盛大な溜息を吐く。
「まぁ、神楽さんの安全のためには環も一緒にいた方がいいと思う」
「同感だ」
日下部も真剣な面持ちで頷く。
「む。心配を掛けてすまない」
「神楽さんが謝る必要ないよ!悪いのは誘拐犯の方だから!」
花蓮の言葉に、一同は納得した様子で頷いたのだった。
***
そうして翌朝。迎えた修学旅行3日目。
神楽たちの班は、理斗の提案で星野家が所有する別荘へ伺うことになっている。
「あれ?修学旅行の班員って6人じゃなかったっけ?」
ホテルのエントランスホールから出たところで、別荘への案内人として神楽たちと合流した理斗が首を傾げた。
「本当だぁ、8人もいるねぇ」
とぼけて見せる環に、理斗は笑みを深める。
「緊急事態ですか?」
「うん。奴が接触してきたんだ」
「陽向先輩の護衛ですか」
「そ。心配で。僕はただの護衛だよ」
「入出先輩なら心強いですね。いいでしょう、歓迎しますよ」
理斗は星野家が用意した送迎車に神楽たちを案内しながら電話をかける。急遽、もてなす人数が1人増えたことを、別荘にいる使用人に伝えたのだ。
「では、出発しますよ」
車体の長いリムジンの後部座席に8人が乗車したのを確認した理斗は、自身も乗車してから運転席に合図を出したのだった。
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ホテルから車で20分ほどの場所に、星野家の別荘があった。
到着した星野家の別荘は、色鮮やかなロイヤルブルーの屋根が印象的な西洋風の城のような大邸宅だった。
大邸宅の真っ白な煉瓦造りの壁に、格子状の窓が規則正しく縦にも横にも幾つも並んでいる。
神楽たちを乗せた送迎車は、まず見上げるほど高い真っ白な縦格子状の鉄門を通った。
そこから庭園の中にある車両用の大通りに入るのだが。
「美しく手入れされた庭園ですね」
車窓から庭園を眺めた祷が、思わず感嘆の吐息を漏らす。
大通りの両脇から、等間隔に立ち並ぶ立派なヤシの木々が見下ろし、その足元では真っ赤なハイビスカスたちが咲き誇って上向いている。
どこまでも広がっている青い芝生は美しく切りそろえられており、大邸宅の正面では大きな噴水がドンと構えている。
聖杯を縦に積み上げたようなデザインの白い噴水から弾けた水飛沫が、太陽の光を受けてキラキラと虹を散りばめさせている。
大邸宅の正面玄関前には、横に長い真っ白な階段がある。
その前に停車した送迎車から、神楽たちは順番に降車した。
階段の中央には赤い絨毯が敷かれており、その先には、大邸宅の大きな観音開きの玄関扉があった。
燕尾服を着た執事たちが恭しく頭を下げながら、重厚な木や鉄骨でできた玄関扉をゆっくりと押し開いていく。
ゆっくりと、ゆっくりと。
そして徐々に開いていった、扉の先にいたのは。
「……………………ゲッッッ」
嗅覚の鋭い肇が、1番初めにカエルの潰れたような声を上げた。
「ゥエッ」
次いで渚が嫌そうに唇を突き出す。
「ヒュッ」
今度は花蓮が声にならない声を上げた。
なんと扉の向こうにいたのは、厳しくて有名なマナー講師とストイックで有名なダンス講師がいたのだ。
「ごきげんよう、皆様」
きっちりと黒髪をオールバックで後ろに纏め上げ、シワひとつ無いスーツを着こなしたマナー講師、斎賀先生がにっこりと微笑む。
「ほらっ!斎賀先生がご挨拶してるよ!ちゃんと挨拶しなさ〜いっ!!」
ウェーブがかかったブロンドの長髪を靡かせ、タイトな黒いドレスを纏ったダンス講師、藤森先生がパンパンと手を叩く。
2人とも、アカデミー賞の授賞式でレッドカーペットの上を歩いていそうな絶世の美女だ。
2人が名家御用達のスパルタ大先生であることを知らない者であれば、その美しさに陶酔してしまうのだが。
「どういうつもりだっ!!星野っ!!」
珍しく混乱している肇に、理斗はニコニコと楽しげに笑いながら説明を始める。
「先輩方のご両親に頼まれたのですよ」
「頼まれたっ!?」
「子供たちに明日の舞踏会で恥をかかせたくない…、と」
理斗はゆっくりと階段を上がって、斎賀先生と藤森先生の間に立った。そしてワナワナと震える肇たちを見下ろし、サディストらしい不敵な笑顔を浮かべた。
「日頃から渚先輩は、運動が嫌だと言ってダンスレッスンをサボっているようですね?」
「僕は楽器の演奏を頑張るからいいんだよ」
「何を言ってるのかしら渚く〜〜ん?月宮財閥の四男であるアナタが!!レディをスマートにエスコートするのがアナタの役目よ!!」
ダンスの藤森先生からの叱責に、渚が不機嫌になって眉間をクシャクシャにさせる。
そんな渚の顔を見て笑った理斗は、次に花蓮と日下部を見下ろす。
「前田先輩と、日下部先輩も。ご両親が心配しておられましたよ。ダンスはまともに出来た姿を見たことがない…と」
花蓮と日下部もギクリと肩を跳ねさせる。
そんな2人のリアクションを見て、マナーの斎賀先生が意外そうに目を丸くさせる。
「あら。お二人共、そうなの?マナーはいつも模範的ですのに」
「え〜っ!ダンスでも模範的なお姿を見たいわっ!忠く〜ん♡花蓮ちゃ〜ん♡」
真っ赤な唇で投げキッスをしたダンスの藤森先生から、日下部と花蓮は思い切り目を逸らす。その顔は青ざめており、額には汗が滲んでいる。
そんな2人を見てさらに笑みを深めた理斗が、今度は肇を見下ろした。
「肇先輩はマナーが全くなってないそうですね?良かったですね、斎賀先生のマンツーマンレッスンですよ」
「よろしくお願いしますね、肇さん」
「嫌だァアアアアア!!!」
肇は慌てて逃げ出そうとした、しかし屈強な星野家専属のボディーガード達に取り囲まれて四肢を拘束される。
うふふふふっ!と上品に笑うマナーの斎賀先生と共に、肇はズルズルとボディーガードたちに引き摺られながら別荘の奥へと入って行った。
その背中を笑顔で見送った理斗は、くるりと振り返ってダンスの藤森先生に声を掛ける。
「それでは、藤森先生もよろしくお願いしますね」
「もっちろんよ!」
先生が頷いたと同時に、屈強なボディーガードたちが別荘の中からわらわらと出てきた。
そして不機嫌そうに唇を尖らせている渚と、怯えて震えている日下部と花蓮を取り囲む。
そんなボディーガードたちの輪の外にいた環が、慌てた様子で手を上げた。
「待って待って!僕も花蓮ちゃんのダンスレッスンに参加したい!お手伝いするよ!」
「あ〜ら環くんがいるなら心強いわね花蓮ちゃん?良いわよ環くんっ、アナタもおいで!!」
藤森先生がカツカツとヒールを鳴らしながら別荘の奥へと進む。
そしてボディーガードたちに誘導されるまま、渚と日下部と花蓮の3人と、環も一緒に別荘の中へと入って行った。
そんな嵐のような一部始終を見届けて、別荘の玄関前に残されたのは神楽と祷と桐生だった。
理斗は階段を下りて、そんな3人に人懐っこい笑顔を見せた。
「貴方たちはマナーもダンスも完璧で優秀な方々だ。貴方たちにはレッスンではなく、ご褒美を振る舞う予定だよ」
「ご褒美?」
桐生が訊ねると、理斗は微笑みながら頷いた。
「桐生先輩には、ここの図書館を貸切にします。お好きな本を、お好きなだけお読みください」
「本当か?それはありがたい」
満足気に頷いた桐生をメイドたちが迎えに来た。そのままメイドに誘導されながら、桐生は別荘の中へと入って行った。
理斗は手を振りながら桐生の背中を見送った後、くるりと振り返って神楽と祷を見た。
「さて。陽向先輩なんだけど…」
「神楽ちゃぁ〜〜〜んっ♡」
突然、別荘の中から飛び出してきた女性が階段を飛び降りて、神楽に向かってきた。
すかさず祷が神楽の前に出て、飛び付いてきた女性の腰に片手を添えて受け止める。
「……お久しぶりですね、マダム椿」
「あらぁ〜♡祷くんっ、久しぶりぃ♡見ないうちにまた大きくなったわね〜♡」
祷にゆっくりと下ろされた女性が、紫紺の巻き髪を揺らして微笑む。
彼女は加賀美 梛の母親である、服飾デザイナーの加賀美 椿だ。彼女のアーティスト名が『マダム椿』なのである。
睫毛が長くておっとりとした垂れ目だが、意志の強さを表すように眉尻は上がっている。平和主義で穏やかな性格のとおり、朱鷺色の瞳には優しい光が宿っている。
息子である梛とは性別が異なるだけで、容姿も性格もそのまま遺伝しており瓜二つなのだ。
「聞いたわよ神楽ちゃん!!パパに新しいドレスなんて要らないって言ったんですって!?」
マダム椿が興奮した様子で神楽に問い詰め始めた。
「その通り、不要だからだ。私は初等部6年生の時から体格がほとんど変わっていないからな」
「それで、初等部の卒業パーティーの時に着たドレスを、明日の舞踏会で着るつもりだったの!?」
「ああ」
「ナ〜〜〜ンセンスッ!!ナンセンスよ神楽ちゃんっ!!」
額を押さえて叫んだマダム椿の隣で、祷も呆れ返って額を押さえている。
「いい!?神楽ちゃんっ!!オンナはねっ、歳を重ねる毎に変化しているモノなのよ!」
「変化?成長ではなく?」
「成長だけじゃないわ!オンナは受け取った愛でも纏う空気を変えるものなのよっ♡」
そう言って、マダム椿はちらりと祷を見る。
祷は瞼を閉じてゴホンと咳払いをすると、理斗に視線を向けた。
「つまり、神楽への『ご褒美』は明日の舞踏会で着用するドレスということですか」
「ご名答!君のお父様が、陽向先輩のお父様から相談を受けたらしくてね」
「む?私の父が、祷の父に相談?」
キョトンと目を丸くさせた神楽に、理斗はにっこりと微笑んだ。
「そうですよ。貴方のお父様が、『娘からドレスを拒否された、反抗期だろうか?』と悩んでおられたそうですよ」
「む。そんなつもりは無かったのだが…」
あまり感情を顔に出さない神楽が、珍しくハッキリと落ち込んだ表情になった。そんな眉根を下げた神楽の肩を、マダム椿が優しく撫でる。
「んもぉ、不器用なところは父娘そっくりね。貴方のパパはね、内緒で神楽ちゃんのドレスを10着も私に作るようにご依頼されたのよ」
「父が、か?」
神楽の瞳に朝焼けのような光が灯る。
思わず祷は片眉をピクリと上げた。
そんな祷の苛立ちには気付かず、神楽は瞳を輝かせたままマダム椿に訊ねる。
「父が、私のためにドレスを?」
「ええ、そうよ。さぁ、早く試着しましょ。貴方に1番ピッタリな色とデザインのドレスを選んで、最後に最高の仕上げをしてあげるわっ!」
神楽がマダム椿と共に階段を上がり、別荘の中へと向かって行く。
その背中を冷たい瞳で黙って見上げる祷の肩を、理斗がチョンチョンとつついた。
「もちろん、君へのご褒美もちゃんと用意してるよ」
「はい?」
訝しげな顔をする祷に、理斗は狐のような切れ長の瞳と薄い唇で三日月のような弧を描いたのだった。




