2 気絶
『気絶』ってのは俗な言い方で医学的に言うと失神なんだって〜どうでもいいか〜
***
「や。おはよう祷」
軽い調子で片手を上げながら俺の親友が笑う。
「おはようございます」
私立聖蘭学園中等部1年A組の教室で、窓際かつ後ろから2番目の席が俺の座席だ。親友である星野 理斗は俺の真後ろの席だ。
「今日の課題って数学しかなかったよね?」
「ええ。板書するのは数学の42ページだけですよ」
「だよね。ありがとう」
漆黒の髪に漆黒の狐目をした理斗は飄々としていて掴みどころが無いが、要領が良くていざと言う時に頼れる男だ。前世で俺の近侍をしていた頃も非常に優秀な男だった。
「ね、その机の中」
理斗はニマニマと笑いながら俺の机を指した。
「今日もラブレター入ってたのかい?」
「ええ。23通でした」
「下駄箱は?」
「54通です」
俺が通学バッグを開いて見せると、理斗が苦笑した。
「モテ男も大変だねぇ」
「お気持ちは嬉しいですよ」
俺の言葉に、周囲から黄色い歓声が上がる。理斗は驚いたのか、普段は細い狐目を大きく見開いた。
「ちょっとちょっと。誤解させるような発言は迂闊だよ」
「誤解?」
「君に喜んでもらえると思って手紙を書く人が増えるだろう?」
「事実、俺は喜んでいますよ」
「えっ」
さらに周囲から黄色い歓声が上がる。
「それだけ俺はたくさんの方に好いてもらえている、ということでしょう?……俺は、とても幸せ者です」
ニッコリと俺は完璧な微笑みを浮かべた。
すると女子生徒のみならず男子生徒までもが顔を真っ赤に染めた。たまたま廊下から覗き見ていた副担任まで頬を染めてうっとりと目を細めている。
「はぁ…♡」
目の前で困惑していたはずの理斗まで俺に魅了され、頬を染めて我を忘れている。
「理斗」
俺が名を呼ぶと、理斗はハッと目の焦点を合わせた。
「いけないいけない。もー、イキナリやめてよ。何を企んでいるんだい?」
「……別に。確認しただけです」
自分で言うのもアレだが、俺は絶世の美男子だ。
琥珀色の大きな猫目、細くて高い鼻梁、柔らかな無花果色の薄い唇。短く切り揃えた漆黒の髪と同じ、漆黒の眉は瞳に近くて柳の葉のように整った一文字だ。漆黒の睫毛は長く、くっきりと深く刻まれた二重瞼を等間隔に覆っている。健康的なライトオークルの肌は滑らかでシミ1つ無い。
さらに俺は文武両道だ。初等部1年生の頃から常にテストは学年1位をキープし続け、年に2回ある体力テストでも1位を取り続けている。
つまり、俺は才色兼備かつ運動神経抜群な完璧人間なのだ。
これは前世から変わらない。
生まれ持った才能もあるが、俺は容姿にも勉学にも運動にも、全てに対する努力を常に怠らないのだから。
だから当然、俺と関わった人間は必ず俺に魅了される。
それはたとえ、どんなに俺を嫌っていても。
(どんなに俺を『憎んで』、『恨んで』いたとしても。)
─────この世でたった1人を除いて。
「祷」
廊下から聞き馴染みのある声がした。
その声は、どんな騒音の中でも必ず俺の耳に届いてしまう。
その声は俺の優先順位の最も上で、他の何もかもを掻き消す程の引力がある。
「どうして貴方がここへ?」
廊下と教室内は絶叫の嵐と化した。
学園の神様みたいな憧れの2人が同じ場所に同時に存在しているのである。美と美の共演。美が飽和して発光し、その眩さのあまり気絶する生徒もいた。その気絶して倒れかける生徒を、神楽は俊敏な動きで次々と抱き留めては頭を打たないようにそっと床に下ろしていく。
そのあまりの優しさに、号泣し始める生徒まで現れた。
「ちょっと人のいないところへ出てきます」
「うん。その方がいいね」
行ってら〜と軽く手を振る理斗に小さく頭を下げて、俺は神楽の腕を掴んだ。
「場所を変えますよ」
号泣していた生徒たちに次々とハンカチを手渡していた神楽の腕を強引に引っ張って教室から出た。
廊下にも人だかりができていたが、階段横の非常口へと駆け込むとさすがに人はいなかった。
「わざわざ1年の教室にまで来て、何の用です?」
「忘れ物のハンカチだ」
神楽が差し出したのは、俺がいつも愛用しているロイヤルブルーのシルク製ハンカチだった。
「………。」
替えのハンカチなど、ロッカーの中に何枚も置いているので忘れても問題無いのだが。
「………。」
めちゃくちゃ期待の眼差しを向けられている。
どういう訳なのかは知らないが、神楽は異様に俺の世話を焼きたがる。そして俺が感謝する姿を見たくて、瞳をキラキラと輝かせて見つめてくるのだ。これは前世では見られなかった挙動だ。本当に謎である。
(ここまで期待されては仕方あるまい。)
でもただ感謝をするだけでは癪に障る。ここは一発、かましてやろうと思う。
俺は小さく深呼吸をしてから、クッと口角に力を入れた。
「……ありがとうございます。とても助かりました」
先程、周囲の人間をイチコロにした完璧な笑顔を神楽にも見せてやったのだ。俺の背後に薔薇が咲き誇っている幻覚が見えていることだろう。
しかし。
「む、今日はとりわけ機嫌が良いな。何か良い事でもあったのか?」
これである。前世から変わらない。
貴様にだけは俺の魅了が効かないのだ。
何だか無性に腹が立ってきた。
「ええ。今日はたくさんの方からラブレターを頂いたので」
俺はこちらを見下ろす宙色の瞳をチラリと見やった。
その瞳に燃えるであろう炎を期待したというのに、神楽はとても誇らしげな顔で何度も頷いていた。
「そうか。そうか。さすが祷だ、私も誇らしい」
なぜ貴様がドヤ顔をしている。別に俺の身内でも何でもない、ただのお隣さんで幼馴染なだけの赤の他人である貴様が。
本当に腹が立ってきた。
俺の心の中で怒りの炎が燃え上がってきたというのに、神楽はそこに油を投下する。
「実は私もラブレターを78通も頂いてしまった」
負けたっ!?
この俺が1通も負けただと…!?いいや、それより誰だ!神楽にラブレターを贈った不届き者どもは!!……後で全ての手紙を回収して筆跡鑑定を行わなくては。
「そのラブレター、後で全て寄越しなさい」
「む。私が頂いたものだぞ」
「俺も77通のラブレターを頂いたのです。貴方に1通も負けてしまった。だから貴方のどんなところにその者たちが惚れたのか確認して、今後の参考にさせて頂きたいのです。」
ペラペラと我ながらよく即興でそれっぽい理由を並べられたもんだと感心する。まぁ、完全に嘘を言った訳では無い。本当の目的を隠しただけだ。
「そうか、…そうか!」
神楽の瞳が高純度のサファイアのようにキラッキラと輝く。
「お前の成長、楽しみにしているぞ」
俺とラブレターの枚数で競い合えることが心底嬉しくて堪らないといったところか。まぁ、俺としても貴様と競い合えるのは、他のどんな事象と比べ物にならないほど楽しくて嬉しい。
嬉しいのだが。
「ええ。……でも、楽しみだけですか?」
「む?」
神楽は雛鳥のように目をまん丸にさせて首を傾げる。
可愛い。いやいや、そうではなく。
「俺がモテても、貴方は困らないのですか?」
「それを上回る程、私もモテて見せるぞ」
「そうではなく」
俺は神楽の白い手を取った。
キョトンと呆けた顔をしている貴様が憎らしい。その顔を歪めてやりたい。万能な神のように滅多に崩れることのない、その涼しげな顔を。
「貴方は、貴方以外で俺に夢中になる者がいても構わないのですか?」
俺は白くて細い神楽の指に自分の指を絡めた。そのままゆっくりと握り込む。俺の手のひらと神楽の手のひらが重なってぴったりとくっつく。
「俺は嫌です。貴方に向けられる好意も敵意も憎悪も全て全て、俺以外の者から与えられているのは耐え難いのです」
俺は絡んだ手をしばらく見つめ、そして視線だけを上向けて神楽を見つめる。
「貴方は同じではないのですか?」
俺の身体に染み付いている、緻密に計算された完璧な入射角度だ。琥珀色の目が最も大きく見える角度。そして最も瞳に光が入って潤んでいるように錯覚させる角度。まさにパーフェクトな上目遣い。通常の人間であれば、心臓を撃ち抜かれて全財産を差し出すレベルの破壊力である。
神楽は目を見開いている。
魅了されてはいないが、視線が囚われている。俺に。
俺、だけに。
今だけは、貴様の目は俺だけのものだ。
「祷、私は…」
神楽が何かを言いかけたと同時に、少し離れた場所からカシャッとスマートフォンのカメラで撮影した時のような音が聞こえた。
次いで微かな足音が瞬時に遠ざかっていくのも聞こえた。
さらに朝のHRの予鈴まで鳴り響いた。
「…………すまない、戻る」
突然、神楽が走り出す。
呼び止めようとしたが、既に階段を駆け下りて神楽の姿は見えなくなっていた。
「祷さーんっ!」
廊下の方から俺を呼ぶ同級生の声が聞こえてきた。おそらくこの声は、黒田 直輝のものだ。
俺が非常口から顔を出すと、直輝がパッと表情を明るくさせてこちらに駆け寄ってきた。
「あっいた!祷さん、先生がHRで配る資料を運ぶの手伝って欲しいらしいです!」
俺は学級委員長を務めているため、こうした雑用を担任から任せられることが多々ある。
「わかりました。職員室ですか?」
「はいっ!」
直輝は書記としていつも俺の手伝いをしてくれる。前世では、俺が第一部隊の大将として戦っていた頃の部下であった。少し抜けているところはあるが、真面目で明るくて愛嬌のある良い男だ。それは今世でも変わらない。
「あと5分でHR始まるんで、急いだ方がいいかと!」
「そうですね。急ぎましょう」
HRの開始時刻が近付いているため、生徒のほとんどが教室の中に入っている。普段は走ることを禁止されている廊下だが、ぶつかる人もいないので直輝と一緒に走る。
1段飛ばしで階段を駆け上って、ひたすら長い廊下を走り続ける。そしてようやく、曲がり角を曲がればあと少しで職員室というところにまでたどり着いた。
しかし曲がり角とは常に事故が起きやすい場所である。
一瞬の判断で立ち止まった俺とは対照的に、直輝はそのまま曲がり角に突っ込んで行った。
案の定、事故が起きた。
「うひゃあっ!?」
曲がり角の向こうでドンッと鈍い音が響いた直後、ドサッと誰かが床に倒れた音とバサバサッと本のような物が落ちた音が聞こえた。
「ごめん!!大丈夫!?」
直輝の慌てた声も聞こえた。俺も急いで曲がり角の向こう側へと足を踏み入れた。
その、次の瞬間。
俺は信じられないものを見てしまった。
薄い本の山だった。
薄い本、すなわち同人誌のことだ。
直輝とぶつかって尻餅をついてしまった少女の足元に散らばる、たくさんの同人誌。
その表紙に描かれていたのは。
「これ……祷さんと陽向先ぱ」
「キャ────ッ!!」
言いかけた直輝はビクッと身体を跳ねさせる。
「忘れて忘れて忘れてぇええ!!!」
分厚い瓶底メガネを掛けた少女が忙しなく顔を赤くも青くもさせながら絶叫した。
さらに。
「ちちんぷいぷいバカになーれぇッ!!!」
少女が急に飛び上がって腕を振りかぶり、拳で直輝の頭を強打した。魔法の呪文を唱えていたが魔法ではなく物理だ。ゴンッと鈍い音が響き、直輝は気絶して床に倒れてしまった。
直輝が心配だが、俺の中の最優先は神楽だ。
だから神楽が描かれている本が気になって仕方がない。
俺は視界に入った中で、最も俺と神楽が親密そうに密着している表紙の本を拾い上げた。
そんな俺を少女は軽い身のこなしで踵落としやラリアットなどを繰り出して襲いかかってくるが、それをひょいひょいとノールックで躱しながら本を読み進める。
本の中で神楽は男だった。
陽向家本家の跡取りである神楽と、月宮家本家の跡取りである俺の禁断の恋を描いた漫画だった。
「イヤ────ッ!!やめてぇええええ!!!」
少女の絶叫を無視し、次々と繰り出される攻撃も余裕で躱し続けた俺は手に取った本を読破した。
簡単に内容をまとめると、兄弟がおらず唯一の跡取り息子であるのに男同士という禁断の恋に悩む神楽に、五男坊である俺が積極的にアプローチをして結ばれるという内容だった。
「『祷、私はお前を心から愛している。』…か」
本の中の神楽は白磁の頬を林檎のように赤く染め、ダイヤモンドを散りばめさせたかのように宙色の瞳を輝かせている。まさに恋する乙女のような顔だ。
「解釈違いですね」
神楽は俺にこんな顔をしない。
だって。いつも俺を目の前にしても貴様が表情を崩すことなんて、生まれる前から一度だって無かった。
「神楽は絶対に、俺に恋することなど有り得ませんよ」
俺が淡々と言い放つと、少女は頭に雷が落ちたかのようにガタガタと震えた後に硬直した。
「あ………あ………」
そしてそのまま泡を吹いて意識を失った。
少女の絶叫を聞き付けた先生たちが職員室から現場に駆けつけたタイミングとHR開始のチャイムが鳴ったタイミングは、少女が床に倒れた瞬間とほぼ同時であった。
登場人物
・星野 理斗 (ほしの りと)
聖蘭学園中等部1年生。大手IT企業の次男坊。祷とは幼稚舎の頃から大の仲良し。祷の幸せを1番に願っているが、自分の知的好奇心が最優先なので祷が困るようなことを平気ですることがある。




