16 肩書き
『肩書き』の由来って、諸説あるけど武士の羽織の肩らへんに家の紋があったからなんだってさ。
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結局のところ、神楽たちの班は月宮家の別荘で修学旅行1日目を過ごした。
午後からは別荘を出て商店街などを巡る予定だったが、皆がはしゃぎすぎて疲れてしまったので中止した。
月宮家の別荘にはゲームや小説などのたくさんの娯楽が詰まっていたのも一因である。
肇と日下部が大型モニターで対戦型のテレビゲームをしていたところに花蓮が乱入し、それから3人でずっとゲームをしていた。
祷と神楽はいろんな2人用のボードゲームをして遊んでいた。
桐生はずっとリクライニングソファで横になりながら読書をして、渚はウクレレを弾いたり波の音を聞きに行ったりしてのんびり過ごしていた。
私立聖蘭学園の修学旅行はほとんどが自由行動だが、宿泊施設は決まっている。
ぶっちゃけこのまま月宮家の別荘に泊まりたかった6人だが、夕方になる前には学園が指定したリゾートホテルへと向かった。
「………………で。どうしてここまで一緒について来ているのかな、祷は」
ウィンディオーシャン・グランドホテルに到着した渚たちは、当たり前のような顔をしてホテルの中にまで一緒に入って来た祷に首を傾げる。
「どうしてって、ここに理斗がいるからですよ」
「先輩方、こんにちは」
豪奢なシャンデリアが吊り下げられたエントランスホールには、既に到着していた他の生徒達でごった返していた。
そんなエントランスの入口に飾られている巨大な花瓶の横から、ひょっこりと星野が顔を出したのだ。
「理斗くんの用事って一体何なの?」
渚が訊ねると、星野はニッコリと営業スマイルを見せた。
「先輩方が快適にご宿泊できるよう、お手伝いをさせて頂くためです」
スーツを着ている理斗が、ジャケットのインサイドポケットから名刺を取り出した。それを手渡された渚が、名刺を見て首を傾げる。
「君、風間グループの関係者なの?でも君の家って確かIT関係の企業だったよね?」
「それは父の会社です。私の母は風間グループの一族なのですよ」
風間グループとは、リゾートホテルやテーマパークといった観光業で有名なグループである。そこの跡取り娘も、聖蘭学園に通っており、現在高等部2年生だ。名前は風間 心恵という。
「じゃあ、心恵ちゃんは君の従姉だったんだ?」
「そうです。彼女もこの施設のどこかで準備の手伝いをしていますよ」
「心恵がいるのかっ!?」
慣れない場所なので緊張して辺りをキョロキョロと見回していた肇が、突然反応した。
「何の準備だっ?」
「先輩方もご存知の通り、4日目の夜はここで舞踏会ですよね。大規模なパーティーの準備に彼女も私も駆り出されているのです」
「そうかー!心恵もお前も偉いなぁーっ!」
「お褒めに預かり光栄です」
肇はさらにキョロキョロと首をまわして心恵を探し始めた。
そんな肇を横目に見つつ、渚はスススと静かに花蓮に近寄る。
「前田さん、チャンスだよ。肇は心恵ちゃんが大好きだから、舞踏会の日はたぶん彼女を探しまくると思う。日下部の隣を狙えるよ」
渚に耳打ちされた花蓮は、グッと親指を立てた。
「ナイス情報。ありがとう渚くん」
「どーいたしまして」
淡白そうに見えて人並みに恋バナが好きな渚は、舞踏会での楽しみが増えたと心の中でひっそりと喜んだ。
一方で、対照的に神楽はしょんぼりと眉根を下げる。
「では、理斗が迎えに来たので俺はここで失礼します」
祷が神楽から離れ、理斗の隣に並んだからだ。
「夕食は共に食べられないのか」
「そうですよ。俺は修学旅行生ではなく、あくまで理斗のお手伝いですから」
「明日は?明日はどうするんだ?」
神楽は珍しく不安げに瞳を揺らしている。
そんな神楽に、祷は溜息を吐いて見せた。
「何を言っているんですか。当たり前でしょう」
そうだそうだ。祷は自分で自分は修学旅行生ではないのだと言った。修学旅行に祷はいないのが当たり前である。
──────しかし。
「明日も貴方と共に行動しますよ」
祷は当たり前だと言わんばかりに、堂々と言い切った。
『いや明日もついてくるんかーい!』という神楽以外の班員たちのツッコミは、口から飛び出すことはなかった。
──────何故なら。
「…………何か文句でもあるのかい?」
ニッコリと、星野が笑っていたからである。
星野は淡白そうに見えて、祷に対してだけは違う。
どんな事があっても祷だけを信じ、祷だけを敬い慕う重い男である。
自分以外が祷を貶すことを、決して許さない。
元気ハツラツでたまに空気が読めないところがある肇ですら、恐怖で口を閉ざしている。昔、無自覚に星野の地雷を踏んでボコボコにされたことがあるからだ。
「う、ううんっ!なんでも無いよ〜っ!大丈夫〜!」
「そうですか。では、私と祷はこれで失礼します」
班員たちを代表して花蓮が首を横に振りながら明るく言うと、星野は笑顔のまま祷と共に去って行った。
その背中を神楽だけが嬉しそうに頬を染めて見送り、他の班員たちは何事もなく星野が去った安堵と釈然としない心境で盛大な溜息を吐いたのだった。
***
私立聖蘭学園の修学旅行生全員がホテル内にあるレストランでの夕食を終えて、男女別に割り当てられた客室へと向かった。
客室は班ごとに1つのクアッドルームとなっている。
通常、1つの班に3人ずついる筈の女子生徒が、神楽の班には2人しかいない。
つまり、3人でも広々と利用できる客室を、神楽と花蓮は2人きりでさらに広々と利用できるのだ。
エキゾチックな色合いの天蓋付きのキングサイズベッドが、だだっ広い部屋の奥にドンと2つも置かれている。
部屋の中央にはガラスでできたローテーブルがあり、そのサイドにはアジアンテイストな天然木で作られたブラウンのソファが置かれている。
そして壁には大型スクリーンと巨大なスピーカーが備え付けられている。
神楽と花蓮は客室に着くなり、ベッドに腰掛けた。
時刻は午後8時。
あとは風呂に入るだけだ。
しかし神楽も花蓮もベッドの上から動けずにいた。
「神楽さんが珍しいね。疲れてるところ、初めて見たかも」
「疲れてはいない。気が抜けたのかもしれん」
首を傾げる花蓮に、神楽は少しだけ表情を緩めながら口を開いた。
「私はずっと、祷の隣にいるためには祷にとっての『姉』でないといけないと思っていた。でも、そうではなくていいと祷は言った」
神楽の宙色の瞳に、近くにある照明の柔らかな曙色が差し込む。
「私が女であろうと関係なく、隣にいて良いと言ってくれた」
「えぇ〜〜熱烈じゃ〜〜ん!いいなぁ〜〜〜」
花蓮が両頬に手を添えて、ベッドに倒れ込む。
「もうそれ告白通り越してプロポーズじゃんっ?」
「む?私と祷は恋仲ではない。それは違う」
「あれで付き合ってないとか嘘でしょ!?」
「私は嘘を吐かない」
「いや知ってるけどぉ〜〜!」
花蓮は枕に顔を突っ込み、しばらく黙り込んだ。
そしてバッと急に顔を上げた。
「私も忠と親密になりたいよ…」
切なげな花蓮の呟きに、神楽は眉根を下げた。
「すまない。今すぐにでも叶えてやりたいが、恋愛については私にはよくわからん」
月宮家の別荘で、神楽は花蓮に同じことを言った。
花蓮が露天風呂で全裸の神楽に迫る全裸の祷を目撃した後、神楽を女性用の洗い場へと引っ張り込んだ時だ。
『私は恋愛が何たるかを知らない。だから協力したいのは山々だが、期待に添えるとは思えない』と。
神楽はキッパリと断っていた。
「いーのいーの!でも神楽さんが背中を押してくれたおかげで、肇くんもいたけど、忠と一緒にゲームできたから!」
「楽しかったか?」
「うんっ!忠と協力プレイとかもできて楽しかったよ、ありがとねっ!」
花蓮の笑顔を見て、神楽はほっと安堵する。
「そうか。それなら良かった。このまま横になっては眠ってしまう。私は後でいい、先に風呂に入れ」
「えっ!?いやいや私の方が絶対に遅いもん!神楽さんが先に入って」
「む。良いのか?」
「私は最後にゆっくりと入りたいからお先にどうぞ〜」
「ありがとう。ではお先に失礼する」
神楽はバスタオルと着替えを持って、客室内にある浴槽付きのバスルームへと向かった。
花蓮はその背中を見送った後、起き上がって大型スクリーンのリモコンを手に取った。
「何か面白い番組でもやってるかなぁ〜?」と呟きながら、花蓮は次々とチャンネルを切り替えていた。
その時だった。
コンコン、と扉をノックされて花蓮は立ち上がる。
「はぁ〜いっ」
同級生が遊びに来たのかな?と首を傾げながら、花蓮はインターホンのカメラを起動させた。
そこにいたのは祷だった。
「どうしたの祷くん」
花蓮が扉を開けるなり、祷が紙袋を差し出してきた。
「すみません。こちらを神楽に渡してもらってもいいですか」
「なぁに、これ?」
「美容液と乳液と全身用のクリームです。あとこれはアウトバストリートメントです」
「おぉ…すごいお手入れセットの数だね」
「ええ。神楽が面倒がるのでいつも俺が塗ってあげているのですが……。前田さんからも声掛けよろしくお願いします」
そう言って祷はさらにもう1つ持っていた紙袋を花蓮に手渡す。
そこには花蓮の好きな洋菓子店のマカロンが24個も入っていた。
「ええーっ!ありがとう!私からも言っておくね〜!」
「ありがとうございます」
ペコリと礼儀正しくお辞儀した祷は、神楽に会うことなく静かに立ち去って行った。
その背中を見送ってから扉を閉めた花蓮は、ムムムと顔を顰めながら首を傾げる。
「彼氏くんというより、旦那さまというより……、お母さん?いや男の子だからお父さん……かな?」
まぁ肩書きが何であれ、神楽が深く深く愛されていることには変わりはない。
人類は皆兄弟の精神で、社会的な地位や名誉に全く興味のない神楽が。この世でたった1人、祷にとっての立ち位置で思い悩んでいたのだ。
(その悩みこそが、愛なんだよねぇ)
だってそれは、祷だけを特別視しているということだ。
つまり神楽だって祷を深く深く愛しているのだ。
そこまで考え至って、花蓮は大きく息を吐いた。
全くもって羨ましい。
「恋愛ドラマとかやらないかなぁ〜」
花蓮は再びスクリーンのリモコンを手に取って、番組表の表示ボタンを押したのだった。
***
そして翌日、修学旅行2日目。
神楽たちの班は、水族館とフルーツのテーマパークを巡る予定だ。これは花蓮の強い要望である。
神楽たちの班と祷は、さっそくホテルから水族館へ直行してくれる送迎車に乗り込もうとしていた。
また肇が、送迎車の中でも日下部の隣席を陣取るのかと思われたが。
「月宮三男。俺の隣に座らないか」
なんと桐生が動いたのだ。
「なんだっ?オレの隣に座りたいのか?」
「ああ。人脈は大事だろう。同じ班になったよしみだ、お前とも話しておきたい」
桐生らしくない発言に日下部や花蓮だけでなく、祷も怪訝な顔をしている。
それはそうだ。桐生は読書を好む物静かな男だ。
面倒見は良いが面倒事を避けたがる。
困惑する花蓮の手元で、スマホの通知音が鳴った。
桐生からのメッセージが入った知らせだ。
【別荘で読みたい本は読破した。こっちは任せろ】
つまり、桐生が肇を受け持つので、花蓮は日下部の隣に座れというメッセージだろう。
(よ、義仁ぉ〜〜〜!!!)
花蓮はすぐにメッセージ画面を開いて感謝のスタンプを桐生に送った。
そして顔を上げる。
先に送迎車に乗り込んだ祷が、神楽の手を引いている。
そんな2人を、悔しそうに見つめる日下部を花蓮は見つめた。
(いつもみたいに)
そう。いつもみたいに呼べばいいのだ。
呼べばいいのに。
心臓がドキドキと逸る。耳たぶが震えるほど、鼓動が全身の末端まで響き渡る。指先が震えて血の気が引く。どうして。どうしてこんなに緊張するの。
口が乾く。でも口を開かなくちゃ。声を出さなくちゃ!
「忠っ…!」
花蓮の声に、日下部は振り返った。
日下部にとっては何気ない動作なのに、花蓮の目にはスローモーションのようにゆっくり映った。
それは、何かが変わる運命の瞬間のように。
「どうした?」
「隣っ、座ってもいいっ?」
「もちろんだ」
日下部は当然のように頷いてから首を傾げた。
「どうした。そんな改まって」
「えっ!そうかな…?普通に聞いたつもりだったんだけど…」
「乗るぞ」
「うんっ!」
花蓮は笑顔で頷いて、先に車に乗り込んだ日下部の後を追い掛けた。その一部始終を見ていた渚が、静かに親指を上げていたのだった。




