13 偶然
物事には全て原因があって結果は必然だけど、制御できないから『偶然』は起こる。
私立聖蘭学園中等部3年生は、7月の中旬に日本国内の修学旅行へ行く。
学園長の気分で行き先が決まるため、旅行先は毎年違う。
さらに2年連続で同じ場所になることはない。
中等部3年生は、7月1日の旅行先発表の日を緊張と高揚と不安の中で心待ちにする。
神楽たちの行先は、沖縄だった。
「同じ班で良かったね、神楽さんっ!義仁っ!」
にぱーっ!と花蓮が満面の笑みを浮かべながら、神楽と桐生の腕に絡む。
「ああ。楽しみだな」
神楽も嬉しさで目を細める。
「行き先も沖縄とは。今年は大当たりだな」
桐生も嬉しさで微笑みながら頷く。
「発表の時も、盛り上がりが凄かったもんね〜。ライブ会場かと思ったよ」
「皆、力の限り叫んでいたからな…」
花蓮と桐生がグッタリと肩を落とす。
行き先が沖縄だと放送が流れた瞬間、中等部3年生の教室があるフロアで地震が起きたのだ。
皆が喜びのあまり叫び、吠えたからだ。
しばらく拍手や口笛も鳴り止まなかった。
「そうだったのか。私もその場にいたかった」
神楽の眉根が少し下がる。
「いやいや!いなくて正解だったよ。もう、鼓膜が破けるかと思ったもん!すっごくうるさかったんだよ」
「そうなのか?」
うんうんと頷いた花蓮は、ぱっと目を見開いて首を傾げた。
「そういえば。神楽さんは発表の時、どこにいたの?」
「購買部だ」
「購買部?何を買ってたの?」
「体操服だ」
「えっ?なんで?」
花蓮の隣で、桐生も首を傾げた。
そんな2人に、神楽は購買部で体操服を買っていた理由をかくかくしかじか説明をした。
「…………何をやっているんだ」
説明を聞いた桐生が頭を抱えて溜息を吐いてしまった。
「む。駄目だったか?」
神楽の説明を要約すると、以下になる。
休日に月宮家邸宅の敷地内にあるテニスコートで、神楽と祷は日が暮れるまで延々とテニスをしていた。
2人は勝負事になると、周囲も自分達すらも見えなくなって2人の世界に没頭する。
超豪速球のテニスボールの撃ち合いを続け、そのせいで祷と神楽の体操服がビリビリに破けてしまったのだ。
そういうわけで神楽は発表の際、祷と学園購買部で新しい体操服を買っていたのである。以上。
「いやまぁ、さすが神楽さんと祷くんだなぁ…って思うよ」
「とても楽しかった」
神楽は瞳をキラキラと輝かせ、満足気な顔をして頷いている。
「神楽さんが楽しかったならそれでいいと思うよ」
「前田。お前は何でもかんでも肯定しすぎだ」
「いやいやだってぇ〜」
桐生に諌められて困り眉になっていた花蓮の背後から、元気な男子生徒たちの声が響いてきた。
「かぁーぐぅーらぁー!!」
「おい!止まれ!!」
ドドドドと2人分の足音が物凄い勢いで近付いてくる。
神楽と花蓮と桐生の現在地は、中等部3年生の共用フロアだ。その掲示板に貼られた、修学旅行の班員名簿を3人で見ていたのだが。
「いえ───いっ!!」
外側に跳ねた癖のある黒髪が特徴的な、月宮 肇が神楽に飛びかかった。
神楽は片腕だけで肇を受け止めて、平然とした顔のまま首を傾げる。
「どうした」
「同じ班だから嬉しくてな!!」
「貴様っ、神楽様から離れろ!!」
追いついた日下部が肇の背中を掴んで引き剥がす。その後ろで、肇と日下部を追いかけていた月宮 渚が桐生の隣で溜息を吐いた。
「すみません。うちの兄がうるさくて」
「気にするな。お前も大変だな」
桐生に気遣われ、渚は乾いた笑いを漏らした。
「このメンバーで4泊5日だよ。ヤバいよね?」
修学旅行の班はクラス内で3人組となり、別のクラスの3人組と合体して6人組で1班となる。
つまりB組の3人組である神楽たちと、A組の3人組である肇と渚と日下部が合体して同じ班であるということだ。
「男女比おかしくない!?そっちはなんで男だけで3人組作れてるの!?」
花蓮が突っ込むと、渚が黙ったまま後方を親指で指し示した。
後ろにいたのは、学園長の息子である嘉堂 桜雅だ。
鳶色の短髪が絹のように艶めき、見た者を畏怖させるワインレッドの大きな瞳は、尊大な性格の通り眦がつり上がっている。髪色と同じ色の眉も一文字で眉根がつり上がっており、細くて高い鼻梁の下の薄い唇も片端だけが不遜につり上がっている。
祷は白いタキシードが似合う王子様系美少年だとしたら、桜雅は黒いタキシードが似合うヴィラン系美少年といったところだろう。
桜雅は中等部3年A組の学級委員長をしており、中等部3年生の学年代表も務めている。
常に王様のような傲慢で不遜な態度だが、顔もスタイルも良く、さらに金払いも良いので女にすごくモテるのだ。
そんな彼の周りには、目をハートにした5人の女子生徒がいた。それも、クラスカーストの上位にいるような美少女ばかりだ。
花蓮はパッと掲示板に視線を向け、嘉堂と同じ修学旅行の班員を見た。
「アンタが犯人かい!!」
桜雅の周りにいる女子生徒5人こそが、嘉堂と同じ班の生徒たちだった。
花蓮の叫び声で、桜雅と5人の女子生徒たちの視線がこちらを向いてしまった。桜雅は神楽を見つけると、不敵な笑みを浮かべて軽く手を上げた。
「陽向、久しぶりだな」
桜雅は他所に目を向けることなく、まっすぐに神楽を見つめながら歩み寄る。
「ああ、久しぶりだな」
神楽がこくりと頷くと、桜雅は満足気にフンと鼻を鳴らした。
「お前を我の班に引き込むつもりだったのだがな」
桜雅の手が神楽の耳元に伸びる。
「相変わらず美しい女だ。その稀有な血脈も、全て我の隣に並ぶに相応しい」
神楽が耳朶に触れた桜雅の手をそっと払い除けた。
「すまんな。お前を私の隣に立たせるつもりはない」
「戸惑いも恥じらいも見せぬ、その冷淡さ。実に愛いな」
桜雅が払い除けられた手で神楽の手を掴んだ。
そして笑みを深めて神楽に接近する。
「どんな手段を使っても、手中に収めたくなる」
「おやめください」
桐生が神楽と桜雅の間に割り込み、神楽を背後に隠した。
「失礼致します」
そして神楽の腕を引いて走り出す。
「あっ、待ってよ義仁ぉ〜!」
花蓮も慌てて2人の後を追い掛け、面白がった肇も一緒になって走り出した。
「ちょっと待て肇っ!!」
渚も慌てて肇を追い掛けたが、日下部だけは違和感に眉を顰めて立ち止まっていた。
「どうした。貴様は行かないのか」
背の高い桜雅が含みのある笑みを浮かべて日下部を見下ろす。
日下部は桜雅を睨み上げ、しばらく考え込んだ後に口を開いた。
「……貴殿に言われずともそうさせてもらう」
日下部は眉を顰めたまま、神楽が桐生に引っ張られていった方向へ走って行った。
「なぁにアイツ。嘉堂様に向かって不敬だわ」
桜雅のお取り巻きである女子生徒たちが、日下部の背中を嫌悪で睨む。
そんな彼女たちに、桜雅は鼻先で笑ってみせる。
「不遜な奴だが、阿呆ではない。我に答えてやるつもりがないことを悟って、何も言わずに立ち去った」
桜雅はクツクツと喉奥で笑い、神楽の耳朶に触れた右手の指先を見つめる。
「あの従僕がいつ真実を知り得るのか、見物だな」
首を傾げる女子生徒たちの真ん中で、桜雅は愉快そうに笑い続けていたのだった。
***
「お〜い。生きてる?」
中等部1年A組の教室で、理斗は親友の顔の前で手を振る。
理斗の親友こと月宮 祷は、自席に座ったまま石のように固まっていた。
なぜなら。
祷と常に行動を共にしている神楽が、修学旅行で5日間も沖縄へ行ってしまうからである。
「そんなに陽向先輩のことが心配かい?」
理斗の言葉に、祷はハッと我に返る。
「いいえそんなことはありませんよ大丈夫です」
祷は動揺すると息継ぎをせずに話す癖があるのでバレバレである。
「まぁ、君と陽向先輩って君が生まれた時からずっと一緒だったんだもんね」
神楽が月宮家の邸宅で居候を始めたのは5年前だが、それより前から、祷と神楽はほぼ毎日のように顔を合わせていた。
神楽の両親は、陽向家の邸宅に居ないことがほとんどだった。
父親は仕事人間で、母親は神楽が幼い頃から病気がちで入退院を繰り返していたからだ。
陽向家の両親が邸宅に居ない時は、月宮家の両親が善意で神楽を月宮家の邸宅で預かっていたようだ。
陽向家の邸宅にもメイドや執事たちはいるが、教育の観点から親代わりになれる者が面倒を見た方が良いという考えだったらしい。
「……今まで、顔を合わせない日は無かったですね」
5年前に陽向家の事業がアメリカで本格的に始動した際に、父親と共に母親もアメリカへ行ったのだと神楽は言っていたが。
神楽は一緒にアメリカへ行かなかった。
『祷と、片時も離れ難いからな』
理斗が神楽に理由を訊ねた際に、神楽は平然とした顔でそう答えたのだ。
全く。祷にそれを言えばいいものを。
「陽向先輩の修学旅行で、生まれて初めて5日間も離れ離れになってしまうんだよね。あ、でも行きと帰りの日は顔を合わせられるから、正確には3日間だね」
理斗が言うと、祷がぐっと言葉を詰まらせた。
全く。本当にわかりやすい。
「班員表を見たら、桐生先輩も前田先輩も一緒だったね。それに、君のお兄さん達に加えて日下部先輩まで同じ班なら心配することは無いんじゃないかな?」
理斗の言葉に、祷はギギギと眉根を寄せて険しい表情になった。どういう感情なのだろうか。
全く。素直になって、なりふり構わずに追い掛ければ良いものを。
理斗は溜息を吐き、スクールバッグから空港券を取り出した。
「ねぇ祷。偶然、たまたま私も沖縄に行く用事があってね」
祷がバッと顔を上げる。
先程まで夜闇の中にいるような暗さだったのに、今は琥珀色の瞳に星のような光が宿っている。全く。本当にわかりやすい。
「1人じゃあつまらないから、一緒に行かない?」
「行きます」
「貸し1つだよ?いいのかい?」
即答した祷に、理斗はニッと狐のように笑って見せた。
祷はそんな理斗の含み笑いを見て溜息を吐き、やれやれといった感じで微笑んだ。
「仕方ありませんね。俺に出来ることであればいいですよ」
「本当かい?ありがとう、頼りにしてるよ」
祷の中で最優先は神楽だ。
断る選択肢など無い。
そんな祷に、理斗はスクールバッグから取り出したA4紙を手渡した。
「陽向先輩に、自由行動はここを回るように頼んでくれないかな?」
理斗が手渡してきた紙の内容は、沖縄旅行の計画案だった。
***
昼休憩に、神楽は1人で高等部の校舎に訪れていた。
「環!」
偶然にも廊下で目的の人物を見つけることができて、神楽は心の内で安堵する。
神楽の呼び声に振り返った環が、驚いた様子で目を見開いた。
「あれっ、神楽くん。こんなところに珍しいね、どうしたの?」
「これを返しに来た」
神楽は手に持っていた小型カメラを環に差し出す。
それは以前、祷の夢遊病が毎晩続いていた時に環から睡眠薬と共に渡された小型カメラと同じ製品だ。
環から貰ったカメラは、記録した映像を消去するために神楽が握り潰して破壊した。
なので今、神楽が環に手渡しているのは神楽が新しく買ったカメラである。
「先日は助かった。礼を言う。お前から貰ったカメラは破壊したから、これは新しいカメラだ」
「え〜っ、気にしなくていいのに」
「それとこれは、睡眠薬の礼だ」
神楽は蜂蜜漬けのスライスレモンが入ったタッパーを環に手渡す。
「ん?もしかしてこれ、神楽くんの手作り?」
「ああ」
「祷くんから許可はもらった?」
「む。なぜ祷の許可が必要なんだ?」
環は額を押さえた。
「祷くんにはこれ、あげた?」
「これはお前への礼だ。祷にやる必要は無い」
「それはそうなんだけどーッ!」
環は叫んだ。
そして神楽の肩を掴んだ。
「蜂蜜レモンを僕に渡したことは、絶対に祷くんには秘密にするんだよ」
「む?何故だ?」
「祷くんが口を聞いてくれなくなるからだよ」
「何故?」
「何故も何もそうなの!だから秘密!!ねっ!!」
環の迫力に押されて、神楽は戸惑いながらもコクコクと頷いた。嘘を吐かないことを信念にしている真面目な神楽である。約束も絶対に違えない。秘密保持においても安心安全な神楽なのである。
ほっと胸を撫で下ろした環は笑顔で蜂蜜レモンを受け取った。
「ありがとう。頂くよ」
「最近、暑い日が続いているから熱中症対策だ」
「助かるよ〜。僕、体力無いからすぐ夏バテするんだよねぇ」
環がタッパーを開いてレモンを1枚、口に入れた。
そしてレモンイエローの瞳をパッと輝かせた。
「え!蜂蜜が濃くて美味し〜!皮なしだと食べやすいね!」
「お前は甘いものを好むと祷が言っていたからな」
「わざわざ僕好みにしてくれたんだ〜!ありがとう!」
神楽が嬉しそうに少し頬を染めて頷く。その瞬間、周囲にいた生徒たちがざわめき始めた。
環は失念していた。自分自身の容姿がパリコレモデル並みに美しいことを。そして神楽も同じく、学年を越えて有名な美少女であることを。
そんな2人が廊下で並んで話し、しかも神楽が手作りの蜂蜜レモンを環に食べさせているのだ。
噂は、爆発的に広がる。
神楽を口止めしたところで意味が無いのだ。
周囲にいた生徒たちの視線が自分と神楽に集中していることに気付いた環は、瞬時に腰ポケットからスマホを取り出して祷にメッセージを送った。
環の慌てように、神楽が首を傾げる。
「どうした?」
「ん〜ん!何でもないよ〜」
そうは言いつつ環の形相は必死だ。
神楽が心配して見つめていると、環がメッセージを送り終えたのかほっと安堵した。
環の表情が和らいだのを見て、神楽も安心した。
「そういえば神楽くんはもう少しで修学旅行だよね。君たちの学年は沖縄なんだってね。いいなぁ」
「ああ。2週間後だ」
「くれぐれも1人にならないように気を付けるんだよ」
「班員と一緒に行動が原則だ。私は規則を破らない」
超が10個付いても足りないくらい真面目な神楽である。
規則厳守においても安心安全な神楽なのである。
「そうだね。さすが義の武将だ」
「む?上杉謙信に準えて私を賞賛してくれたのか。感謝する」
「ん〜そうだね。そういうことにしておこう」
ニコニコと笑う環に、神楽は首を傾げる。
「違うのか?」
「いや、大体合ってるよ。大丈夫。それよりも、君が祷くんと離れ離れになってしまうのが、僕的にも不安だなぁ」
環の脳裏に、転生した雛菊姫と思わしき人物が描いた絵画が浮かぶ。
雛菊姫は真澄を諦めてはいない。
どこでどのように神楽に接触してくるのか分からない今、祷が神楽を守れない状況は非常にまずい。
「……そうだな。私には不安は無いが、少し寂しく思う」
神楽が珍しくしょんぼりと眉根を下げて視線を落とす。
環がその顔を見て驚いていると、背後から聞き慣れた声がした。
「大丈夫ですよ、神楽」
環からのメッセージを受けて、祷が星野と共に、高等部の校舎であるこの場所に駆け付けたのだ。
「俺と理斗も、同じ日に沖縄に行きますから」
堂々と、祷はニッコリと笑いながらそう告げた。
神楽は驚きよりも喜びの感情でパッと瞳を明るくさせた。
「それは本当か?何故?」
「理斗が偶然、同じタイミングで沖縄に用事があるそうです。俺はただ、お手伝いとして付き添うだけですよ」
「そうか。……そうか!」
パァーッと神楽の瞳がさらに光り、非常に純度の高いサファイアのように輝く。
何の疑いも持たず、何の違和感も抱くことなく素直に純粋に喜ぶ。それが神楽なのである。
環は思った。
確かに、神楽が1人で沖縄に行くのはまずいと。
しかし。まさか本当に祷がついて行くとは思わなかった。
いや、祷がついて行ってくれた方が安心できる。
確かに、安心できるのだが。
環は廊下の窓際にあるソファに蜂蜜レモンと小型カメラを置くと、スススと祷の背後に回り、祷の耳元に口元を寄せて囁いた。
「ねぇ。君の方がよっぽどストーカーなんじゃ…」
囁き始めたと同時に星野が環の襟元を掴んで祷から引き剥がし、ドゴッと環の鳩尾に拳を入れた。
なので環の囁きは1音も祷の耳には入らなかった。
鳩尾の痛みに膝をついた環を、星野はニコニコと笑いながら見下ろす。
「すみません、入出先輩。私の親友を貶すのは私以外、許せないので」
「ええぇえ……」
一緒に沖縄に行けることを喜び合う祷と神楽の隣で、環は床に力無く倒れ込んだのだった。




