4. 本当の戦い
翌朝、リーナが目を覚ますと、すぐ隣にアシュトンの穏やかな寝顔があった。
昨夜、傷の手当てをした後、彼を引き留めたのはリーナだった。「そばにいてください」という、生まれて初めてのわがままだった。彼は驚いたように目を見開いた後、ただこくりと頷き、リーナが眠りにつくまでその手を握っていてくれたのだ。
呪いの苦痛から解放された彼の寝顔は、まるで少年のように無防備で、リーナはその頬にそっと指で触れた。
その時、アシュトンの長い睫毛が震え、蒼い瞳がゆっくりと開く。視線が絡み合い、アシュトンは状況を把握すると、少しだけ耳を赤くして、ぎこちなく笑った。
「……おはよう、リーナ」
低く、優しい声。
戦神でも、呪われた辺境伯でもない、ただ一人の男性としての彼の声に、リーナの胸は温かい幸福感で満たされた。
その日から、灰色の城は少しずつ色を変えていった。
アシュトンは、リーナの刺繍が施されたものを身につけている限り、呪いの痛みを感じることはなくなった。長年の苦しみから解放された主君の変化に、城の誰もが喜んだ。騎士たちは訓練の合間にリーナに感謝を述べ、侍女たちは彼女のためにお茶会を開いた。
「リーナ様のおかげで、閣下は笑うようになられた」
「本当に、まるで春が来たようです」
リーナはもう、居候でも治療道具でもない。この城の、かけがえのない光だった。
アシュトンは公務の合間にもリーナの部屋を訪れ、彼女が刺繍をする姿を飽きずに眺めたり、二人で城の庭を散歩したりした。彼はリーナの手を握り、彼女の髪を撫で、今まで与えられなかった愛情のすべてを、彼女だけに注いだ。リーナもまた、彼の大きな愛に包まれて、本来の明るさと笑顔を取り戻していった。
そんな穏やかな日々が続いていたある日の午後。
王都から一羽の伝書鳥が、一通の手紙を運んできた。
アシュトンが封を切り、手紙に目を通すうちに、その表情がみるみるうちに険しくなっていく。穏やかだった彼の周りに、再び氷のような怒りの空気が立ち込めた。
「アシュトン様……?」
リーナが心配そうに声をかけると、アシュトンは手の中の手紙をくしゃりと握りつぶした。
「……あの虫けらどもが」
彼が吐き捨てた言葉には、殺気すらこもっていた。
しかし、彼はリーナの不安げな顔を見ると、すぐに我に返り、彼女の肩を優しく抱き寄せた。
「心配ない。俺がすべて片付ける」
「一体、何が……」
「お前を追放した、お前の実家と元婚約者からだ」
アシュトンは、リーナをまっすぐに見つめて言った。
「俺がお前を不当に城へ閉じ込めている、と。即刻返還しなければ王家に訴え出ると、そう書いてきた」
その言葉に、リーナの血の気が引いた。あの冷たい応接室の光景が、脳裏に蘇る。あの人たちの元へ、また連れ戻されるのだろうか。
「嫌……」
「ああ、嫌だろうな。俺もだ」
アシュトンは、震えるリーナをさらに強く抱きしめた。
「リーナ、よく聞け。お前は俺のものだ。誰にも、神にさえ渡すつもりはない。だが、お前の気持ちが聞きたい。お前は、どうしたい?」
彼の真剣な問いに、リーナは顔を上げた。恐怖はまだある。けれど、それ以上に、彼と離れたくないという気持ちが強かった。この温かい場所を、失いたくない。
「私は、ここにいたいです。アシュトン様の、おそばに……!」
それは、リーナが生まれて初めて、自分の意志で掴み取ろうとした幸せだった。
その答えを聞いて、アシュトンは満足げに深く頷いた。彼の瞳に、再び「戦神」の鋭い光が宿る。
「よく言った。それでこそ、俺の女だ」
彼はリーナの頬に手を添え、決然と言い放った。
「リーナ。お前を、俺の正式な妻として迎える」
「えっ……?」
「王都へ行くぞ。陛下の御前で、お前が俺の妻となることを宣言し、あの愚か者どもには、二度とその汚い口を開けなくしてやる」
それは、リーナを生涯守り抜くという誓いであり、彼女を虐げた者たちへの、完全な勝利宣言だった。
王都での対決。二人の本当の戦いが、これから始まろうとしていた。