表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/5

2.人生の岐路。29歳怒涛の年

2−1.両親の離婚


 さて、ここからが本題であるが、時系列が分かりやすいように今回の事件の発端である両親の離婚を1月と仮定して話を進めていく。


 1月の下旬に親の離婚が決定した。というのもこの4ヶ月ほど前にいよいよ父の業績が悪くなった。目先の1番の問題が戸建の家だった。数年前に戸建の家を購入したてであり、父の名義でローンを組んでいた。自営業のため担保として家が取られる可能性があるため、名義を移したいと申し出があったのだ。父は猶予はないと焦っており、私たちもローンなどには疎いためよく調べることなく住宅ローンの名義を移してしまったのだが、1番の後悔はここである。

 まず、母と父は事実婚であった。そして仲介人が言うには父から内縁にあたる母には名義は移せないため、移すなら私たち双子であると話された。父は家賃はこれまで通り父が支払うと話した。私たちは他にローンを組む予定はなかったため、私たち名義でローンを組むこととなった。そして名義変更はトントン拍子で進み、離婚する2ヶ月前に無事変更となった。念の為と思い、姉は名義変更のための手数料分のみの金額、私が土地・家屋のローン分の金額を組んだことが不幸中の幸いであった。

 そして問題の1月。母と父の仲が急速に悪くなった。ここ数年はそこまで仲が良くはなかったことも踏まえると、かなり険悪となった。そして母は「離婚をしようかな……」なんて言葉をこぼすようになった。離婚しようがしまいが当事者達の問題であり、平和に生活ができれば良かった私と姉は両親の関係はどうでも良かった。姉は「嫌なら別れたら?」と軽い気持ちで母に言ったらしい。その言葉を機に母は数日で父と離婚をした。

 私が離婚をしたと話を聞いたのは、ちょうど病院からの帰ってきた時だった。この頃私はたまたました胃の検査で異常が見つかり、大きな病院で精密検査をしていた時だった。そしてその結果が悪性腫瘍であると結果を聞いた日でもあった。悪性腫瘍と言っても癌ほどの悪性でないとのことで、手術をすれば問題はないだろうというものであった。そんな帰りに離婚の話を聞いたため、自分は物語の主人公になったのではないかと一瞬本気で思ったのは蛇足である。

 離婚の話は「そうですか」と、特に思うところはなかったのだがその後の話が良くなかった。母はこれから3人で生計を立てていかなければならないと話した。無論その3人とは母、姉、私である。その言葉を聞いた瞬間に嫌気が差した。

 というのも母は専業主婦であると前に記載したが、厳密には違う。母は古い知り合いであるA氏(年齢は母より上であり、60-70歳くらいの女性)が営んでいる店の事務仕事を少しだけしていた。しかし内容や量はごくわずかなもので、自宅で少しパソコンに向かうものであった。金額的には数万円程もらっていたらしい。

 この話から3人で生計を立てると母は言っていたが、実際ところは姉と私の2大柱にする魂胆は透けて見えていた。また、1-2でも記載したようにそもそも数年前から家を出て行きたかったことや後述するが(2-2に記載)将来的な金銭面の不安もあったため、母から離れるには今しかないと思った。母には3人で生計を立てていくという話は聞いていないこと、これを機に独立することを伝えた。すると母は案の定大激怒。「3人で頑張っていくって話ちゃうんか!」と言い放っていたが、そんな話は母の中だけの話でありこちらは知ったことではない。よくあれだけ傲慢な態度をとっておいて私たちが健気に支えると思えたな、と内心驚いた。

 この日は病院の後はそのまま祖母の家に帰るつもりであったところを、母から帰ってこいとLINEがあったため家に寄っていた状況であった。お互いよく考えてから話し合いをしようということになり、私は何とも言えない心境のまま祖母の家に帰った。



2-2 我が家の経済状況


 親の離婚や母からの独立したい理由の1つに我が家の経済面が大きく関わっている。

 元々父の稼ぎのみで我が家は生計を立てていた。前述したように父は自営業であり、コロナ前までは業績が良かったため父の稼ぎだけでも何ら問題はなかった。目の前の生活は問題なかったが、今思えば貯金はしていたのだろうかと疑問に思う。

 というのも、父は高校には進学しておらず中学卒業してすぐに就職をしていた。父も両親が離婚しており、自由な家庭で育った背景が理由の1つだと思われる。そのような育ちであるからか、父は学業について関心がなかった。私が良い成績を取れば褒めてくれるが、悪い成績でも「俺もそんなものだった」と怒ることはなかった。特に進学や就職についても何も言ってこなかったためその時は何も思わなかったが、今思えば関心がなかったため何も言わなかったのだと思う。その例として子どもの学費を貯金していなかったのだ。

 ”子どもの学費を貯金していなかった”ということを子どもの立場である私が発言すれば大層な御身分だと言われてもおかしくはないが、子育てをしていく上で学費は少なからずかかってくる。今のご時世大学に進学することは当たり前の時代であり、少なくとも高校までは必ず進学することは一般的である。私たちの学費は祖父母が大半を出してくれたが、父も出してくれていたことは有り難い。しかしその時に学費に回せるお金があったから出してくれていたのだ。現に長男が高校に進学する際、時系列で言うと離婚する前年の9月には母が私たちが全額出せと言い出した。

 弟の学費については私たちが中学生の時に「おじいちゃんのように学費を弟のために貯めてあげれば何かあっても好きな大学に行けるよね」と話したことがきっかけとなり、高校・大学共にバイトをしていなかった(半分は母がさせなかった意味合いもあるが、自分達も特段する気はなかった)こともあり、現実的な金銭感覚がないまま就職したため母と話し合い生活費を入れない代わりに「月10万を弟の学費として貯金をする」こととなった。しかしこの学費は将来もしもの学費であり、大学費として貯金すると言う話であった。

 しかし、9月に母が言ったのは「弟の高校費を全額払え」だった。これには姉も私も話が違うと母に反発した。母は「父はお金がないから出せないって言ったから」と何の悪びれもなく言い放ったのだ。父は出せないと一言だけ言えば手を引くくせに、私たちには学費をたかるのかと内心腹立たしく思った。そもそも大学費という名で貯金していたが、金額自体は決まっておらず何年貯金をするか期間も決まっていなかった。そのため高校費からとなると膨大な金額となるのは明確で、行きたい学校が私学であったため金額はかなりのものだった。しかし、私たちの話は聞いてはくれず、学費は貯めているだろうと言うのみで埒が開かない。学費は「もしも」であり、学費担当は私たちでない。そのため当てにされては困るからと父には学費を貯金していることは言わないでおこうと決めたのは母であった。そのため父は貯金のことは知らなかったはずであるが、払えないと一蹴したのはそもそも学校には行かなくていいと言う考えがあったからだろう。それに加え父から弟の学費について私たちには何も話してこなかった。父も母も態度や考えることは違えど「自分達が学費をしっかりと払わなければ」と言う思いはなかったのである。これについては親としてどうかと思う。現実をわかってない当時中学生の私たちが夢見がちに言った学費を貯めようと言う言葉だけで私たちに学費の責任を押し付けてきたのは姉共々根に持った。

 その後入学金も払えないと言ってのけた父は、「俺は私学に行けなんて頼んでいない」と長男がいる前で母と喧嘩している。その言葉にはあんぐりした。私は学校は親が決めるのではなく、子どもが自分で将来を考えた上で行きたい学校があるなら行かせてあげるのが親の務めだろうと思った。現実的には経済面で難しいなどあるため理想であるため折り合いは必要ではあるが。

 因みに本当に「学費」は親は一銭も払っておらず、私たちが出すのが当たり前と言う顔を今でもしている。入学金から制服、教科書代、その他勉強合宿など授業料以外にも学校に関わる全てのお金は私たちが支払っている。奨学金について話題を出したこともあるが、「あんたらも学費出してもらってたやろ!奨学金なんて可哀想やろ!(弟が返済に)どんだけ払わないとあかんと思ってんねん」とこれまた激怒された。私たちが奨学金を借りずに学校に通えたのはひとえに祖父母のおかげであり、その時の家庭環境が順風満帆であったためである。しかし、今は経済的に厳しい状況であり母と父の経済状況からは奨学金を借りざるを得ない状況のため、そんな理想論は言えない状況である。それに冷たいと思われるかもしれないが、奨学金を将来返済しなければならないのは知ったことではないのである。少しでも手伝いをしてやるのは姉から弟への慈悲であると思うが、これは母には関係ないことである。それに奨学金も様々な財団が提供しているため、返済型ではなく給付型の奨学金を受けることができるならば、これほど嬉しいことはない。私は後述するがインターネットで経済の勉強をした際に、奨学金について少しであるがどのような奨学金が実際にあるか調べた。しかし、母は奨学金について自身で調べたことはないだろう。全て憶測で決めつけていっているだけで、実際の返済額や形態については何も知らないのである(母や私たちが奨学金に無縁だったため正確な知識は持っていないと思われる)。よくもまぁ、何も調べず憶測だけで物事を考え・決めつけていくものなのかと感心すらした。


 話は戻り前年9月。高校費を出せと言われてから一気に経済面に不安を抱いた。今まで経済的に困ったことがなく、祖父母と暮らしていた時も祖父の稼ぎのみで生活はできており、ある程度欲しいものは買ってもらっていた。母と暮らすようになってからも生活費を深く考えたことがなかった。そして、社会の経済に全く興味がなかった私は全くといって良いほど経済のことを知らなかったし、分からなかった。

 これは大変だと思い少しでも知識をつけなければと思った。ちょうど前にオタクの方が描いた経済の無料漫画があったなと思い調べた。そこにはNISAについての話題があり、紹介されていたYouTubeの動画を視聴した。お金にまつわることを調べていくにつれ、やはり私たちが学費を出すことはおかしいと感じた。人生の3大資金には住宅資金、教育資金、老後資金があると言われているらしい。その事柄を知らなくても学費は膨大な資金が必要であるとわかるが、それを何の努力もなしに私たちに丸投げしてくるのはやはり間違っていると感じた。

 この知識をもっと早く持っていれば住宅ローンの名義を私たちに移すこともなかったが、残念ながら時はすでに遅く、すでに住宅ローンの名義変更の手続きを銀行側が進めている段階であったため引き返すことができなかったのである。

 

 住宅ローンの名義変更がもうすぐ終わろうとしていた前年の11月頃。恐れていたことが起こった。父が家賃を払えないと言ったのである。そして母は私たちに家賃を払うように言ってきた。学費に加え家賃も私たちが払うとなるとかなり負担である。なぜ家賃も折半ではなく全額私たちが払わなければならないのか、少しでも払うことはできないのかと聞くと「払えへんわ。じゃ私が働きに行かないと行かへんのか!」と所謂逆ギレをされた。全くその通りで母はちゃんとした働き口を探せば良いし、父は少しでも家賃を出したら良いのである。しかし、その話が全くもって通らない。挙句の果てには「あんたらが払うからといって、大きな顔をするな!この家はあんたらのではないからな!」とのたまうのである。これには開いた口が塞がらなかった。そして、母に勝てるはずもなく家賃は私たちが全額払うことになったのである。


 このように我が家の経済面はあっという間に悪化しており、その皺寄せが全て私たちに来たのである。母が働きに出ない理由としては50代であり今更普通の会社に勤められるような経歴ではないということ、そしてパートで働きに出たとしても税金で手元に残る金額は微々たるものであるため、現在手伝っている知人のところでお金をもらう方が良いという。尚、知人のところとは別で働きに出たら良いのではとも言ったのだが、それは向こうの店の関係上できないとのことだった。税金で手元の金がないというのは母に限ったことではなく、私も含めて労働者は皆税金を引かれるため、何を当たり前のことを言ってるのかと思った。欲しい金額がもらえるように働き口を増やすなりすれば良いものを、現実を見ずに言うのだからこの人の考えることは理解ができないと本当に思った。

 そのため、母は何としてでも私たちを手放すつもりはなかったのだろうと思う。手塩にかけて育て上げたため恩を返すのは当たり前だろうと思っていたのだろう。一般的にはそうだろうが、日々の私たちの言動を6-7割否定し、束縛をして自分の思うがままにしようとしている親を健気に支えようと思う程私もお人好しではなかった。そのような母の堕落的な考えに呆れ、もうこの家には居たくないと思った。



2-3 母との攻防


 父との離婚が決まった後は2週間後には父は荷物をまとめて追い出されていた。私は最後まで顔を合わせることはなかったが、姉がたまたま父とあった際に話をしたらしい。だいぶ父も考えが理想的であったらしく話が合わないと姉は嫌な顔をしていた。

 母と今後の話をしていくにあたって姉を私は運命共同体であるため今後の方針について夜な夜な話し合っていた。姉は弟のことも大好きであるため弟をどうにかまともに育つようにと、こんな状況でも家に居たがった。このまま一緒に住むとなると弟たちが大学を卒業する頃には母が還暦を迎えてしまい私たちが家を出る機会を逃してしまう。そうなると学費だけでなく母の老後の資金まで全額面倒を見ることになるのは明らかであった。家を出るのは今しかない、そう思った私は姉を説得するべく人生の3大資金について話をし、今後予測される学費と母の老後資金、そして私たちの老後に必要な資金について具体的に説明をした。そして私と姉の2人暮らしにかかる生活費、弟を連れての4人暮らしの生活費について算出し、何とか最低限であるが弟も引き取って生活ができそうであることを姉に伝えた。

 姉は私の話を聞いた上で一旦母と生活費について話をした。姉はこれまでの学費を生活費として入れて1人月10万円でどうかと打診した。しかし母はその金額に納得しなかった。母は知人の雇い主と話し合い月12万円の給料をもらえるようになったらしい。そして最初は私たちは1人月15万円を支払うよう伝えてきた。月15万円は給料の半分以上を生活費に入れろというのである。(ちなにみ学費についてはこの時点で1人500万円の貯金が貯まっていたため一旦学費はそれで賄うこととなっている。)これには金額が高いと抗議をした。そして後日母と話をしていると生活費について再度見直しをした結果私たちにそれぞれ月18万円支払って欲しいと言ってきたのである。これにはすぐさま反論したが、母は「私は給料全額入れる計算なんやからそれくらいは入れてや!」とキレられた。母の生活費についてのメモ書きを見てみると今までの生活を送るための金額だったようで、何とか削れないか指摘をしたがこれが精一杯だと譲らなかった。我が家はジュースは必ず冷蔵庫にあり、夜に必ず食べるプリンやヨーグルトなどのデザートもあった。それを買わなくなったら可哀想だと母は言うのである。この状況下で生活が掛かっているのだから可哀想などと言っている場合ではない。金がないのだから贅沢品は買わない、量を減らすなど必要な努力であると思うが母は今の生活を変えるような努力はしたくないようだった。それも私たちが金額を出せばいいと思っているからだろう。(ちなみに姉は母に同様のこと言ったら「見えないところを削ってる。アンタは見えるところを削らな納得せえへんのやろうな!」と言われたらいし。しかし、姉も見える見えない関係なくまだ削れるところがあるのであれば、まだ苦しい現状を考えたら削るべきではないのかと思ったらしい。)

 その母の考えに私は腹が立った。やはり母はなんだかんだで自分が一番可愛いのである。私たちのことを考えていると口では言っているが、もしちゃんと先のことまで考えているならば、私たちがもし結婚をしたら?子どもを産み育てるなら?私たち自身の人生の3大資金はこれから発生するのである。私の年齢は29歳で結婚適齢期である。現在独身を貫く覚悟をしているが、結婚・出産・育児を絶対しないとは言い切れない。それを少しでも考えるならばこの18万円の生活費や生活体系は現実的ではないのだ。私たちの将来の金銭面など一切考えていないことに腹が立った。

 このことを姉に報告・相談し自分の人生を棒にふるか、家を出て自分たちの人生をしっかり歩むか話し合った。さすがに姉も月18万円には我慢できず母を見限った。姉がようやく母を見限ったので私は2人暮らしの将来計画を立てていった。

 母には再度一緒に住まないことを伝えた。母もぶっきらぼうに「そうか」と言ったので私は一安心した。また母の給料では戸建には住めないとのことで、母が弟を連れてマンションに住み私たちが戸建に住む方針となった。


2-4 怒涛の5ヶ月


 そこからの行動は早かった。二人とも独身を貫く覚悟を決めていたので、老後は(給付されるかわからないが)年金と貯金だけでの生活となるため、家賃はかなりネックになるだろうと考えた。このまま戸建に住むことも考えていたが、職場の先輩から老後のことを考えると階段がある戸建よりもワンフロアで身動きできるマンションの方が生活しやすいのではとアドバイスをもらった。ちなみに職場の先輩たちにはこれまでの話を逐一報告・相談していたため私たちの家庭状況を把握済みである。

 話は戻り、戸建とマンションの家賃はそれほど変わらないため、それなら面積が広い戸建が良いのではと姉と話ていたのだが、先輩の話を聞き独居もしくは高齢の姉妹で生活をするとなればワンフロアの方が良いのではと姉と話し合った。そしてネットでマンションを探して1週間、ちょうど家のすぐ近くに新築分譲マンションができるという情報を知った。現在住んでいる地域は治安も良く、母も家を出ていくためこの辺りには住まないだろうと思い早速マンションの説明会を申し込み数日後話を聞きに行った。マンションの設備も良かったためマンション購入したい旨を伝えるとちょうど2日後にマンション購入の抽選会があるとのことだった。そしてマンションの抽選会の当日。希望していたタイプの部屋が1つキャンセルで空きがあるとのことで運よく購入することができた。これが2月下旬の話であるため、両親の離婚からちょうど1ヶ月後の出来事である。もちろん母にはこのことは話していない。祖母には母とのことについては話ているため内緒でマンション購入については話した。


 そして3月は私の手術があり1ヶ月ほどは仕事も休ませてもらった。1週間ほど入院したのちに休養は祖母自宅で過ごした。実家はごめんである。何とも心穏やかに過ごすことができた。


 4月。母が急に戸建の家に自分が住むと言い放った。理由としては2つ。1つ目はマンションと戸建てでは家賃が2-3万円の違いしかないこと。2つ目は次男が中学生のため転校は可哀想であり、また学区内での引っ越しは周りの保護者から離婚したからではと噂されて母の人付き合いの居心地が悪くなることが嫌とのことだった。

 1つ目の理由である2-3万円の違いについては、経済が逼迫している今2-3万円の違い”しか”ないと言っていることがまず頭がおかしいと思った。2-3万円”も”違うのである。2つ目の理由についてはそんなこと知ったことではないし、中学校の保護者の付き合いはほぼないに等しいので何を言っているんだこの人は、と思った。

 私たちは内密にマンション購入をしているが建築予定は12月である。それまでは戸建に住みその後戸建は売りに出す計画であったため、これでは計画が崩れてしまう。母と話し合いをしたが母はやはり頑なに譲らず、私たちが家を出ることとなった。姉とは12月までのらりくらりとかわしていき、12月に引っ越しをしようと決めた。

 この月は母から再度一緒に住まないかと話してきている。すでに将来の計画を立て実行に移している私たちからすれば「今更何を言ってくるんだ?」と呆れた。2月中旬にはあっさりと私たちとの別居を承諾したにも関わらず、母はこのままでは生活ができないと言ってきたのである。先のことも考えずに承諾したのかと頭が痛くなったが、その割には家賃の2-3万円の件についてはあの認識であることがますます母への嫌悪感・不信感を募らせた。更には「私の老後はどうしたらいいの?」とまで言ってくるのである。これまで老後についてはっきりと母から聞いたことはなかったが、母の性格上私たちに頼ってくると思っていた。しかし、家が嫌になって出ていく私たちに対して、親が責務を放棄した弟の学費を私たちに支払わらせておきながら、自分の身の心配をしていることには怒りどころではなく、吐き気すらも覚えた。これから12月まで一緒に住まなければいけないため、母の機嫌をすごく悪くすることはダメだと思い、全て言葉にはしなかったが「老後のことは知らない」とだけ伝えておいた。


 しかし5月に母は「家を出て行け!!」とこれまた突然に言ってきた。原因は姉の態度であった。これまでの29年間は姉が家族の潤滑剤となっていた。私たちの性格は姉は自我が強く、私は我儘だと認識している。基本的には私が自由にすることが多かったため、母との対立も多かったが、その間を取り持っていたのが姉であった。しかしその姉が2月に完璧に母を見限ったため、母への態度が変わったのである。まさに今までの姉と私の役割が反転したのである。姉曰く「どうでもよい人に何で優しくしないといけないのか。家族といえど優しくするのも限度がある」とのことである。姉は自分のテリトリーに入れた人にはとことん甘いが、それ以外の人には厳しいのである。今までは母もテリトリーに入れていたが、2月で除外されたらしく姉の態度は非常に冷たいものであった。母にとっては、今まで私が冷たくしても”そういうもん”で認識していたのが、潤滑剤となっていた姉にはそう思えなかったようで、母が我慢しきれなくなったのである。ちなみに2月に姉が見限ってからは、私が潤滑剤となっていたため、非常に疲れた。母の機嫌が悪くなると生活しずらいという理由と、母との関わりが面倒であるためなるべく穏便に済ませたいという理由から潤滑剤となり、少しでも平和な日々を獲得するようにしていたが、本当に疲れたし懲り懲りである。

 家を出ていくように言われて腹がたった私はすぐにネットで不動産屋を探した。そしてその3日後に不動産屋でことの経緯を話し、半年だけ住めるマンションを数件ピックアップした。その1週間後に姉と一緒にマンションの内覧に行き、無事仮住まいのマンションの契約をすることができたのである。契約したその日に母へマンションが決まったことを報告すると、自分が出ていけと言った身であるのに、そんなすぐに出ていくなんて聞いてないとこれまた激怒した。母はすぐに話をすり変えるため自分は出て行けなんて言っていないと怒っていたが、決めてきたものは仕方がない。来月の下旬に出ていくことを伝え引っ越し準備に勤しんだ。


 6月も怒涛であった。6月下旬に新しいマンションの鍵をもらうこととなったが、急遽2人暮らしをすることとなったため、シフトがすでに決まっていた私たちは引っ越し日の選定に頭を抱えた。最終的には7月の頭に引っ越し業者に依頼をすることとなったが、鍵をもらってからは休みの日には買い物に行き、地道にキッチン用品から日用品などの生活用品を買い集めた。

 母からは今後の生活が母の給料だけではできないと散々言われ(そんなこと1月から分かっていただろうと思うのだが)、母からこれからの生活費等についての提案(と言う名の決定事項)を言い渡してきた。その内容は1人800万円を母に支払うと言うことであった。この数字を聞いた時はフリーズをした。この話を持ちかけてきたということはもうお金をむしり取る気でいるのは目に見えているので絶望した。

 母の言い分としては、弟の学費を支払うのは精神的にしんどいため、私たちの大学費が1人800万円ほどかかっているためそれを返済するという名目はどうかというのである。私たちの学費は母ではなくほとんどが祖父母が出してくれており、母は学費については関与していない。そのため学費を支払ってもいない母に返済しろというのはおかしい話である。そして”精神的にしんどい”と思うならまず私たちに金銭の脅迫をするなということが根本的な話である。そのため、母にも支払ってもいない母に学費を返済するというのはいかがなものかと反論し、それはおかしいと申し出た。すると弟の学費や生活費としてお金がほしいと訂正した。

 800万円の内訳としては学費500万円に生活費300万円とのことだった。生活費がなぜ300万円という計算になったか理由は忘れたが、母曰く際限なくお金を要求されるのも嫌だろうから目安を決めたとのこと。そもそもお金を求められる時点で嫌というのは不問らしい。生活費は弟も食べ盛りであるため食費や服などに回すという。これらを聞いて金額が高すぎないかと反発したが、いつも通り母は折れなかった。何も一気に800万円を用意しなくてもよい、引っ越しにもお金がかかるだろう、そのため少しずつでいいから払ってほしいと話す母。結局何を言っても聞く耳を持たないため、結局こちらが話を飲まざるを得なかったのである。それでも少しでもこちらに有利になるようにと、これらの取り決めを明確化するために書類を作成際に”上限800万円を支払う”と悪あがきをしたが、母はこの’上限’という言葉は深く考えていない様子であったため胸を撫で下ろした。しかし、子どもから合計1600万円も巻き上げようとする親は如何なものかと思う。これをATM呼ばわりせず何と言おうか。私たちを金づるとして扱っていることが明確であるはずなのに、母はそれを否定しているところが本当に腹が立つし、この金額についても何故か“私たちと同意の上で考えた“と脳内で書き換えている母の記憶にも腹が立った。

 前述にも記載したが、金銭面の取り決めを行う際に言った言っていないがのちに必ず出てくるため、私が書面に書き起こした。その内容としては母が家賃を支払うことや上限800万円私たちが支払うこと以外に住居についても明記している。”家を売り払う際の過不足分について私たちは関与しない”という項目がある。この話は母が「家を売ったお金は全部私がもらう」と欲深く言ってきたので、それでも良いがそれならマイナスになった場合も全額母持ちでと話をした。プラス分だけ1人でもらい、マイナスの場合はみんなで負担などという美味しい話は断固拒否である。住む続けていくことも含めてそれなりのリスクの覚悟は必要だ。マイナスになれば何とかして母が自分で支払うようにしてと話したら、何も考えずに了承したのである。しかし、取り決めが終わり少ししてから「不足分が私の貯金で賄えなかったらどうしたいいの」と聞いてきた。「それは知らん、出せるものはないし自分で言うたんやろう」と一蹴したが、そもそも不足分が出る前に売れば良いだけの話である。大地震など震災が起こる前に早々と売った方が築浅も相まってプラス分は大きい。それを考えない母に苛立ちを覚えるのであるが、私たちが何と言おうが聞き入れてもらえないため、ずるずると現在も母は戸建てに住み続けいている。一応母のプランとしては、早ければ末っ子が中学卒業か遅ければ大学卒業で戸建を出ていくと言っている。しかし、それまでに家が何事もなくローン分が賄えるだけの金額で売買できるかは分からない。書面には不足分は母が支払うとなっているが、住宅の名義上は私であり、社会的に名前に傷がつくのは私であるため、私は日々住宅ローンの残高に怯えているが、母はそんなことは思ったことはないだろう。全くもって羨ましい限りである。

 家を出るにあたってもう一つ口頭での母からの指示がある。それが弟たちに連絡を取らないこと・会わないことである。母曰く「好き勝手している自由なあんたたちを見る弟が可哀想やろ」とのことである。まず、弟たちが可哀想である環境を作っていること自体が良くないのであるが、元凶の母は気づいていないことが滑稽である。さらに学費や生活費を出している私たちは弟に会う権利は当然あるように思う。それをいうなら学校に行かせることを放棄した父や母は育児放棄として弟を育てる権利はないだろうと思う。それなら私たちが弟を引き取りたいのであるが、「あんたらには育てられない」と言われたので現実にはならなかった。家を出て半年後に実家に必要な書類を取りに行った際は、わざわざ弟がいないときに来るようにと連絡してきたのには意地の悪さに腹が立った。家を出る際に、弟たちにはいつでも夜逃げをして私たちのところに来ても良いことを伝えておいたが、弟たちは能天気であるため本当にわかっているのか不安である。また、気にかけていることを弟へアピールするために、弟の誕生日はプレゼントを段ボールで送っている。(お祝いしてあげたい気持ちもある)。その意図は弟たちには伝わっていないと思われるが、少しでも私たちの思いが伝わっていればひとまずはそれで良いのである。


 話は戻り、(一方的な)金銭面の取り決めも終わり7月に引っ越しをおこなった。私も姉も全く生活能力がなく、特に料理については母には一切台所を使わせてもらえなかったため、からっきしであったが現代社会は冷凍弁当やインスタント、電子レンジレシピなど便利なもので溢れており、祖母も家に行くと作り置きのおかずを持たせてくれたため不自由なく生活できた。特に母と顔を付き合わせない環境がとてもリラックスして過ごすことができた。それまでは母の顔色を窺ったり、母の行動に合わせて自分の行動を制限していたが、好き勝手できる環境がとても居心地が良く、これだけでも家を出て良かったと心から思えた。

 それ以降母からの連絡はほとんどなく、連絡があるときはお金を振り込んでほしい時だけである。実際に引っ越ししてすぐに100万円を入金してほしいと連絡があった。この話をすると職場の先輩は悲鳴をあげていたが、それよりも引っ越しで思った以上にお金が飛んでいってしまい800万円どころか自分達の貯金ですら底をつきそうであるため私たちは悲鳴をあげている。


 現在は2月下旬に購入したマンションに無事に引っ越すことができ、ひとまず大方のイベントが終了した。前述したように貯蓄が底をつきそうであるため貯金をしていきたいのであるが、800万円も残りの300万円が準備できていないため、日々お金に悩まされている。雲隠れをしたい気持ちもあるが、如何せん生活範囲が被っているため、ばったり出会ってしまった暁には拳が飛んでくるだろう。何とか早く母が家を出ていてくれることを祈るばかりである。とりあえずは自分たちの貯金を目標額に戻すことが直近のミッションである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ