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椿姫と黒薔薇の騎士

作者: えきすとら

女として育てられた王子と、剣術馬鹿の貴族の息子が出会って恋に落ちるお話。昔話風

 むかしむかしのお話です。西の彼方の方にある、とある豊かな王国に、たいそう健やかな王子様がお生まれになりました。

 お世継ぎの誕生は、大変喜ばしいことですのに、王子の母君であられるお妃さまは、生まれたばかりの御子を胸に抱いて途方にくれておりました。

と申しますのもご出産の前、王さまにお仕えしている占い師が、不吉な予言をしたからです。


「王妃から生まれるお子がもし男児であれば、凶事。その御子は、王さまと我が国を滅ぼす(わざわい)の種となるでしょう」


 実は王さまには、お妃さまの他にも愛妾が幾人もおりました。その側室の内で、お妃さまにつぐ第二夫人の位を頂いている女がいたのですが、その女は実は、性悪の魔女。自分が産んだ子供を次の王さましたくてたまりません。

  それで、占い師にたくさんの金貨をやって仲間にし、ご正妃が産んだ正統な世継を亡き者にしてしまおうと企んでいたのです。

 占い師の偽の予言を鵜呑みにしてしまった王さまは、王妃様の産んだ子が王子であれば、すぐに取り上げて『禍の種』を断ってしまえと、恐ろしいことを命じました。

 けれども王妃は大変賢い方でしたので、お産が近づいて来た頃、いかにももっともな理由をつけて城から離れ、王さまや占い師の目の届かない離宮にお篭りになりました。信頼できる侍女と召使いだけを共に連れ、出産に臨んだのです。


「産まれたのは男の子。けれどそれを王さまに告げればこの子は殺されてしまいます。王さまには姫が生まれたということにして、吾子(あこ)はどこか、よそへ預けて育てるといたしましょう」


 お妃さまはそう命じ、産まれたばかりの王子を忠実な兵士の一人に預けて、お城から遠いところへお隠しになりました。

 王さまは、産まれたのが男でなければ後はどうでも良いようでした。姫君であれば、王位継承には何の関係もありません。

 姫などいずれどこかの国へ嫁に出す価値しかないとお考えで、お子さまの顔を見なくても別段困らず、預け先へ訪ねて行く事もありませんでした。

 こうして、命を奪われる危機から逃れた王子さまは、女として育てられ、アルトリア姫と名づけられました。姫は山深い場所に建つ古い修道院で育てられることになりました。

 その寺院は、赤い椿の花が大変美しく咲くことで有名な場所で、アルトリア姫は『椿姫』とも呼ばれるようになりました。



 さて、椿姫ことアルトリア姫がお生まれになってから二年ほどたちますと、この国の貴族の家に、これまた大変健やかな若君が誕生いたしました。

 赤子は髪も目も濡れた黒葡萄のようにつやつやとして美しく、笑うと大輪のひまわりのように明るく可愛い、とても元気の良いお子さまとして成長しました。

 ウィリアム・アーサーと名付けられたその男の子は、ブラックローズ伯爵家の跡取り息子でした。成長した彼は、剣術の技量(わざ)に秀でた貴公子となり、いつしか『黒薔薇の騎士(ナイト・オブ・ブラックローズ)』とも呼ばれるようになりました。


 その黒薔薇の騎士ことウィリアム卿が、十七歳になった頃。

 父君の伯爵は「あいつもそろそろ嫁を(めと)ってよい年であろう、どこぞに家柄も見目も良い姫君はおるまいか」と仰って、国中に嫁探しのお触れをお出しになりました。

 宮廷内でも有数の名家の子息が嫁取りをなさるというので、下々の娘から武官、高官、貴族のご令嬢、果ては属国の姫までが「私こそ!」と伯爵の館に押しかけてきましたが、ウィリアムの理想にかなう素敵な花嫁候補は一人もおりませんでした。


「嫁などいらん! 俺は一生を剣に捧げて生きる所存なりィ!」


 ウィリアム卿は、父君の教育の賜物(たまもの)か、はたまた生まれつきの気質なのか、すっかり剣馬鹿――ではなくて、剣術を極めることこそ自分の宿命だと信じて疑わない、無骨な若者に成長しました。


「女はつまらん。ゲンコツ使った喧嘩はできんし、すぐに泣く。はっきり言って、めんどうくせえ生き物だ!」


 そう言って、並み居る美姫たちをみんな振ってしまったあげく、今日も日課の剣術と馬術の修行にせっせとあけくれるのでした。


「お兄様、普通の娘は、男の子と(こぶし)で本気の殴り合いができるようにはできていないのですわ。華奢で壊れやすい硝子(がらす)細工のお人形、すぐに溶けちゃう甘くてふわっふわの砂糖菓子みたいな飾りものなんですから……。優しく可愛がってさしあげなきゃ、ダメなのですわよ?」

ウィリアム卿のすぐ下の妹姫、シャルロットがそう諭しますと、重たい(おもり)のついた棒で素振りしていた黒薔薇の騎士は、苦虫を噛みつぶしたような顔になり、

「おまえを見てると、それこそ女の二面性ってのが嫌になるぜ。可愛い顔をして、腹の奥では陰険な(たくら)みを隠してやがるんだ。会話と言えば、他人の悪口かくだらん噂話しかしない。そういう連中とは話があわん」

「ひどい誤解の上に失敬ですわよ、アーサー!」

 シャルロットは、ぷうっと頬を膨らませて怒ります。

「いずれにしろ、お兄様はこの家の跡継ぎなのですから。奥方を(めと)り、後継者を(もう)けなければ。それが貴族の家に生まれた男子に課せられた義務でしょう?」

「子供ならお前が産めばいい。どっか適当な家の男を養子にでも貰ってこいよ。別に俺は、お前の子に家督や爵位を譲っても構わん」

「お兄様ったら、ほんとに無責任なのだから。あーあ、どこかにお兄様好みの女の子、いないのかしら。ねえイマーム、どこかにアーサーと張り合えるほど怪力自慢で、殴っても死なないようなゴツイ姫君がいるって話を聞いたことはないかしら? そんなもののけ姫、現実にいるわけないと思うけど……」


 ブラックローズ伯爵家に代々使える執事の息子、イマームは、ウィリアム卿よりも五歳年長で、シャルロット嬢の家庭教師でもあります。相談を受けたイマームは、少し考えてこう答えました。

「それならぴったりな姫がいるかもしれません! これは噂で、僕もしかと目にしたわけではないんですが。ジェリー地方に古くからある修道院に、呪いつきの姫君が住んでいるらしいのです」

「呪われた姫?」

 ウィリアム卿も食いついてきたので、イマームはしめしめ、と思いました。イマームは実は、シャルロット嬢に密かに求婚していたのです。ウィリアムに見事『理想の花嫁』を進呈できれば、もしかしてシャルロットはイマームに義理を感じて、求愛を受け入れてくれるかもしれませんよね。

「なんでも身の丈は六フィートを超える巨体で、筋骨隆々逞しく、赤い長い髪は針金のように刺々しい。眼光厳しく、顔は険しく、常に短槍を持ち歩き、修道院領内にある村を襲う夜盗を成敗したこと、数知れず! 返り血を浴びた姿はまるで野獣そのもので、どうやらその姫は、女らしさを失う呪いをかけられているという話なのです……」

 あな恐ろしや! とイマームは、わざとらしく十字を切ります。

「ついた異名が『獣姫(プリンセス・ビースト)』! どうです、ちょっとすごいでしょう」

「その話、わたしも前に聞いたことあるわ! てっきり冗談だと思ってたけど」

 シャルロット嬢は、噂に聞く『獣姫(プリンセス・ビースト)』の雄姿を想像してぶるっと震え上がりました。まさか、実在する人物だなんて。

 (けだもの)姫とは、椿姫ことアルトリア姫にいつの間にかつけられたあだ名です。まったく、異名の多い王女(王子)さまですねぇ。

 そこで初めて、ウィリアムは(くだん)の人物に興味を示しました。

「へえー! すごい女がいたものだ。里村を荒らす悪いヤツらをやっつけるとは、そいつイイ奴なんじゃないか。ちょっと会って、手合わせしてみたくなるな」

 ウィリアムは、黒い瞳をきらきと輝かせて言いました。

「まあ、そうよね。悪党を退治したなんて話を聞く限り、悪い人じゃなくてむしろ良い人っぽい印象を受けますわ……怖いけど」

 シャルロット嬢もそう答えますが、手で隠した口元は笑ってはいませんでした。そんなおっかない女性がよもや、ウィリアムの奥方になったりしたら、自分とは義理の姉妹ともなるわけです。内心ちょっと遠慮したいかな……と思いました。

「よし、決めた! 俺ちょっといまから『獣姫(プリンセス・ビースト)』のとこへ挨拶にいってくるわ! おいイマーム、面白いこと教えてくれてありがとよ!」

「え、まさかお兄様、本気ですの!? ちょっと待って。待ってくださいったら、お兄様! アーサー!」


 一度こうと決めたなら、人の言うことには聞く耳持たないのが黒薔薇の騎士ウィリアムの信条です。イマームやシャルロットが引き止めるのも聞かず、颯爽(さっそう)と馬を駆って、椿姫ことアルトリア王女が暮らす修道院をめざし、館を飛び出していったのでした。



 ブラックローズ伯の領地からジェリー地方にある修道院まで、馬でおおよそ半日はかかる距離です。さらに修道院があるのは、小高い山の頂上でしたので、ウィリアムが寺院に続く長く険しい山道へと辿りついた時には、太陽が西に沈みかかっておりました。

 山の頂上に向かう石の参道は延々と続き曲がりくねり、両脇を樹齢のある喬木(きょうぼく)に挟まれています。辺りはうす暗く静まり返り、山中の道を他に行き交う者はおりません。

 ウィリアムは平然とした様子で、人気のない鬱蒼とした山道を騎馬で悠々と進んでいきます。

 突然、山林の影からザザザ、と怪しい音がして、複数の人間が現れます。前後の道を塞がれ、ウィリアムは鞍上で身構えました。

 動きやすい乗馬服に覆面をした、見るからに怪しい者たちが、二重三重に『黒薔薇の騎士』を取り囲みました。


「――なんだお前ら? 俺に何か用か?」


 怯えるどころか傲慢(ごうまん)に賊を見据え、ウィリアムは尋ねました。

 その者たちは、実はウィリアムに振られた大勢の娘たちの親が差し向けた刺客でした。賊の中には、令嬢たちに恋する貴公子もいます。令嬢方の意を受けて、意趣返ししようというのでしょう。

 彼らは全員、大事な娘や姫君に恥をかかされたと逆恨みして、隙あらばウィリアムに仕返しをしようと待ち受けていたのです。

 ウィリアムがたった一人で館から出て行くのを見て、今日こそ復讐する絶好の機会だと狙いをつけたのでしょう。

 覆面の賊たちは、口々に叫びました。


「我らは、ベアトリス嬢の!」

「マルグリット姫の!」

「クラレッタ様の!」

「その他大勢の、貴殿に寄せた好意を踏みにじられた貴婦人方の名誉を守るために! 貴殿のお命、頂戴するものなり!」

「いざ、尋常に勝負せん!」


 口上を聞いたウィリアムは、若干気が抜けた様子で嘆息すると、軽く首を振りました。

「やれやれ、何事かと思えば……暇だなお前ら。時間はもっと、有意義に使った方がいいと思うぞ?」

「問答無用」

「お命、頂戴つかまつる!」

 刺客どもは手に剣を構え、弓をつがえ、四方からウィリアムに襲いかかりました。

 ウイリアムはそれよりも一瞬早く、馬から飛び降り、足もとの石ころを勢い良く蹴って、正面の敵の顔面にぶつけました。

「ぎゃっ、痛い!」

 道を塞ぐ男が一人倒れ、包囲網の空いた隙間に、ウィリアムは猛然と突進して行きました。豪快に両腕を振りまわして、次々に敵をぶちのめします。背後から迫る敵には回し蹴りです。

 賊をまた一人倒しながら、ウィリアムは楽しそうに笑いました。

「売られた喧嘩は買うぞ。金は払わねェけどな!」

「おのれっ!」

 弓を構えた者が遠くから狙いますが、ウィリアムの動きが早く、すばしっこいので上手く的を捉えることができません。

 適当に放った矢は外れ、逆に味方に刺さりそうな勢いです。

「うわっ! あぶない!」

「馬鹿かお前、こっちに向かって撃つな、おれたちを殺す気か!」

 危なっかしい矢を射った男は仲間にタコ殴りにされてしまいました。しまいには刺客仲間同士で口汚く罵りあい、仲間割れを始めてしまいます。

 ウィリアムはその混乱を巧く利用し、敵をどんどん倒していきます。が、いかんせん、人数が多いので殴っても蹴ってもキリがありません。恨みを買った事情が事情なので、さすがに殺すのは悪い気がして、ウィリアムは今回剣を使いませんでした。正々堂々、拳と蹴りのみで勝負です。

 孤軍奮闘するウィリアムの背後に、剣を構えた男が一人、息をひそめて接近します。

「隙あり! ウィリアム・アーサー卿、討ち取ったりぃ!」

 高らかに宣して剣を振り下ろした刺客の腕に、いずこからか投擲(とうてき)された石のつぶてが命中します。

 男は痛みに呻き、手から剣がすっぽ抜けました。

「誰だ!」

「邪魔だてするならば、容赦せぬぞ!」

 ウィリアムを取り囲む賊が、口々に邪魔者を(ののし)ります。

 石が飛んできた方角を見た全員が、ウィリアムも含め、ハッと息を飲み、その場で立ち尽くしました。

 参道とは別にある、山頂に向かう石の階段をゆっくりと降りてきた人物は、異様に背が高く、全身からぴりぴりと静かな闘気を発しておりました。後ろで一つに結んだ長い髪の色は、深紅です。

 その長身の人物は、黒い脚衣に革のブーツをはいていました。厚い胸板を覆う革の胴着を縛った上に、修道僧が使う黒い外套を着崩して羽織っています。僧侶とも剣士ともつかない、なんだか奇妙な格好ですが、それが不思議と似合っていました。赤い椿の花を一輪、細い腰帯に挿して飾っています。革製の籠手(こて)をはめた右手には、目方のかなり重そうな短槍を軽々と掴んでいました。

 ふてぶてしい態度で一同を睨み下ろす眼差しは、透明感のある翡翠(ひすい)を思わせる、澄んだ緑色をしていました。


「――ここは、神聖な寺院へと通ずる参道」


 凛とよく響く声で、槍使いは言い放ちました。


「神域内で無礼を働く者は、いかなる理由に関わらず、斬る」


 短い言葉に、他者を圧する力がみなぎっているようでした。


「なに……」

「お……」


 何を生意気な。お前こそ、どこかへ引っ込んでろ―――とでも言いたかったのでしょうか。

 剣を構えて口を開きかけた賊の二人は、目にも見えない疾風の動きで短槍を()いだ相手に、あっさりと倒されてしまいました。

 あばらをしたたかに折られた刺客は白目を剥き、声も無く地に伏します。槍使いは、刃の穂先ではなく石突と柄の部分で相手を打ち倒したのでした。

 槍使いが余りにも強いので、強打でも致命傷ぎりぎりの衝撃を食らうと察知し、ウィリアムは目を見張りました。

 しかもこの赤い髪の槍使いには、隙というものがありません。

 他の賊どもは倒れた仲間を引きずって、あっという間に山から逃げ去ってしまいました。

「なんだ、逃げるのか。……チッ、つまらん」

 槍使いは、本当はもっと槍の腕を(ふる)いたかったのでしょうか。運動したりない、という顔で不満そうに呟きました。


「うわぉ! お前すっげ強ェなあ! ひょっとして、お前が噂の獣姫(プリンセス・ビースト)なのか?」

「――どちらさまで?」


 緑の瞳が、ギロリとウィリアムを睨みます。振り向いた時に、深紅色の髪と沈む夕日の輝きが重なって、ウィリアムはなぜだかひどく眩しいと感じました。目がくらみそうです。

「俺はウィリアムだ。噂に名高い姫君と手合わせしたくてここにやってきた。だが、おまえがその獣姫ならばちょうどいい。今の戦いの無双っぷり、気に入ったぞ! 俺の嫁になってくれんか」

「私もいろいろとあだ名をつけられたし、手合わせを求められたこともあるが――こんな間の抜けた求婚をされたのは初めてだ」

「そうか、俺が一番乗りか!」

 嬉しそうなウィリアムを、椿姫は奇妙なものを見る目で見つめ、威圧的な低い声で言いました。

「私の名はアルトリア。椿が見事なこの修道院で育ったゆかりで、椿姫と呼ばれることもある。もののけ姫だの、獣の姫だのと私を呼ぶ者もいるが。まあ、好きなように呼べばいい」

「アルトリアか! よい名だ。とても綺麗な響きだ。おまえにはよく似合う!」

 名を褒められて、アルトリア姫は少し気分を良くしました。

「お前、ウィリアムと言ったな。ブラックローズ伯爵家の跡取り息子か。……黒薔薇の騎士」

「あれ? 俺のこと詳しいっぽいな、お前」

「都の動静については気にかけている。嫁さがしの最中らしいが、私は無理だ。お前の嫁御にはなれん。諦めて帰れ」

「なぜだ? 俺のことが嫌いかい」

 ウィリアムはちょっとシュンとした目つきになりました。そうすると、黒い大きな瞳が捨てられた子犬が見上げてくる様子にも似て、悲しげな表情になります。自分はアルトリアのことが気にいったので、相手にも自分のことを好いて欲しい……そう思えて仕方がないのでした。

「俺は今まで、お前ほど強い女を見たことがない。しかも俺よりでかくてガタイがいい! 華奢でかよわい女はだめだ。俺はな、健康な子供をぼろぼろ産んでくれそうな頑丈な嫁が欲しいのだ。姫こそまさにうってつけ! ――で、姫は俺のこと、どう思う?」

「どうもなにも、会ったばかりでお前のことは名前と家柄以外は知らない。好きも嫌いもない」

「嫌いじゃないなら、好きになってもらえる可能性はまだあるな。――姫、俺はお前に会うために、はるばるここまで来たんだ」

「ふん、暇なことで……。時間はもっと、有意義に使ったほうが良いのではないか?」

 どこかで聞いたようなセリフです。ウィリアムは反論しました。

「生涯の伴侶を探すことは、人生で最も有意義なことだ!」

「私が好きなのは、槍だ。槍の鍛錬で日々忙しい。お(ぼっ)ちゃまの遊び相手など、していられない」


 そういうと、アルトリアは『獣姫』の異名にふさわしい俊敏な身ごなしで、山の斜面に(しつら)えてある石の階段を駆け上っていきました。

 山林の狭間にある旧道は、ところどころ崩れてまともな道ではありません。馬に乗って上がっていくのは到底無理です。しかし、修道院にもっとも近い直線経路(ルート)ではあります。

「むっ! ならば俺はこっちの道から行くぞ。負けるものか!」

 ウィリアムは騎馬で参道を駆けのぼり、追いつこうとします。

 アルトリアが通い慣れた旧道は、山をぐるりと回りながら登る参道よりも距離はかなり短いのですが、脚力の弱い人間にはまず踏破できない、ほぼ崖に近い難路です。

 一方ウィリアムが選んだ参道は、石畳で舗装された参詣者用の正規の通路で馬も馬車も通れますが、距離ははるかに長くその分余計に時間がかかります。その道を、ウィリアムは得意の馬術で突風のように一気に駆け上っていきました。

 山頂にある修道院の門前にたどり着いたのは、ほぼ同時でした。

 アルトリアは自分が勝つと思っていたので、遅れるどころか、同着の速度で乗馬を駆ってきたウィリアムを少し見直しました。

 乗馬とは、馬を操る側もそれなりに体力を消耗するものです。疾駆させるときには、馬に負担をかけないよう鞍上で姿勢を保ち続ける必要があります。これが結構、乗り手の体力を奪うのです。


(――こいつは、ただのひ弱で甘ったれな貴族の子息(ボンボン)じゃない)


 荒くれな刺客相手にも怯まずに応戦していたところを見ると、腕っぷしも弱くはなさそうです。アルトリアよりずっと小柄で、面立ちも十七歳のわりに童顔ですが、なかなか見所のある奴だと思いました。

「ふむ。足腰は、それなりに鍛えておられるらしいな」

「おうとも! しかし姫の足はもっと早い。たいしたものだ! そんな重たそうな槍を背負ってるのに、息も切らさずに走りきるとは。お見事なり!」

「槍は、私の友であり身体の一部だ。常にそばから離さない」

「姫の得手は槍か……。俺は剣か、組手が好きだな。姫は柔術を(たしな)まれるか?」

「槍をきわめるのが第一だが、武術も嫌いではない。身体を作る鍛錬は、槍を振りまわすだけが全てではないからな」

「ならば、俺と素手で稽古してくれんか?」

 ウィリアムは両の拳を握りしめ、拳闘士の構えでアルトリアを見上げました。近くに並んで立つと、ウィリアムのほうが頭一つぶんぐらい背が低いので、自然に顔を上向けることになります。

 楽しげに上目使いで見つめてくる黒い眼差しは、夜空に大きな星を浮かべたようにきらきらと輝いていて、アルトリアはなぜかこの時、トクンと心臓が高鳴るのを感じました。


(なんだ? この、胸が奇妙にうずうずとする感覚は……)


 詩人ならば『ときめき』と表現するかもしれません。それは、アルトリアが生まれて初めて体験した『他人への好意』でした。

 アルトリアも、この元気の良い若君と組み手の稽古をするのはさぞやりがいがあるだろうと思いかけましたが、山はとっぷりと日が暮れて、辺りは松明の火を頼りにせねばならぬ暗がりでした。

 なので今日の稽古は、ひとまずやめておくことに致しました。


「汗をたくさんかいたし、腹も減ったろう。湯を使って、夕餉を食って行け。なんなら宿坊に泊まるか? 明日の早朝、組み手の稽古をするのがよかろう」

「それは良い考えだな! 実を言うと、ものすごく腹が減ってる。先に飯を食わせてくれ!」


 ウィリアムは大喜びで、遠慮せず素直にアルトリアの申し出を受けました。

「では、さっそく食堂に案内してもらおうかな。いや、その前に厩舎(きゅうしゃ)へ連れて行ってくれ。俺の馬にも餌を!」

 まるで幼い頃からの親友のように、ウィリアムはアルトリアの逞しい背中を手のひらで叩きました。ウィリアムは締まった体躯、しなやかな手足の持ち主で、黒髪からは汗でなく、ほのかに甘い花のような香りが漂ってきます。健康で爽やかな若者の体臭です。

「承知した」

 不愛想に応じながら、アルトリアの胸はさらに『うずうず』と奇妙な疼きを覚えるのでした。



 寺院の敷地内の奥にある、修道士が暮らす僧房からは独立した離れがアルトリアの住まいでした。かつて赤子の姫を連れてきた忠実な兵士は、いまでは老修道士となって姫の世話をしています。

 この修道士が用意してくれた、質素ながらも温かく栄養豊富な夕食を取ったあと、ウィリアムは湯殿に案内されました。

 木製の大きな浴槽には、熱い湯がたっぷりと張られています。白い湯気には、清々しい香草の匂いがまじっていました。

 ウィリアムが脱衣所で服を脱いでおりますと、ドアが勢い良く開いて、アルトリアが中に入って来ました。


「私もひと風呂浴びる。別々に入ると湯がもったいないからな」   

 そう言うと、ためらいもなくするすると上衣を脱いでいきます。

「おい、待て姫! いくらなんでも、結婚する前からまずい!」


 ウィリアムは慌てて姫を止めようとしましたが、すでに姫は、上半身をさらけ出しておりました。 

 ウィリアムはアルトリアの筋肉で引き締まった、脂肪がまるで見当たらない体格を見て、気の毒そうに眉を下げ、言いました。

「なんということだ……、それが呪いか。姫には女らしさを失う呪いがかかっていると聞いたが。それでこの有様か。まるっきり男の体じゃないか。本当に、女にしておくのはもったいない」

 きっと、体が男のようになる魔法をかけられてしまったのだと、ウィリアムは勘違いしたのです。

「気の毒に。俺がどうにか、呪いを解く方法を見つけてやるから、それまで待っていてくれ」

 アルトリアはウィリアムの無知に呆れ半分になりつつも、彼の朴訥(ぼくとつ)な優しさには、さらに好感の念を高めるのでした。

「お前、莫迦(ばか)か。まだわからんのか? 私は男だ。だからこそ、お前の嫁にはなれんと言っている」

 アルトリアは下帯をほどき、腰に幅広の布を巻きつける前に、ちらりと足の間のものを見せました。

 そこに見なれた、たいそう立派な男性の(あかし)があるのを見て、ウィリアムは目を丸くします。驚きながらも、納得しました。

「そうか……。姫は男だったのか。どうりで強いはずだよ!」

 ウィリアムは豪快に笑い、同性に求婚してしまった非礼を詫びました。

 アルトリアは謝罪を受けいれました。ウィリアムはあらためて友人になろうと申し出、その提案もアルトリアは快諾しました。

 ウィリアムと一緒に風呂に浸かりながら、アルトリアは自分の出生の秘密を語りました。この国の王の正当な後継ぎであること、生まれる前から悪辣(あくらつ)な第二夫人の一派に命を狙われたために、性別を偽って外部で育てられたことなど、全てを打ち明けました。

「ふうん……お前、たくさん苦労をしているんだなぁ……。だが、俺にそんな大事なことをバラしちまっていいのか?」

「友人だろう。信用している」

「今日会ったばかりなのに?」

「それに素性を明かしておかないと、お前いつまでも私に『嫁になれ』と言い張って、うるさいだろうが」

「ははは、それはたしかに! 姫が男で、ちょっと残念かな……。 でも俺は、ますますお前のこと好きになったような気がするよ」

「変わった奴だ」

「なあ、お前いつまでここで隠れて暮らしてるんだ? このままずっと『姫』のままでいたら、王位を継げないだろう?」

「王の地位に興味は無い。私はこのまま王家から離れ、槍の道を究めるために生きていきたい。――だが、いつまでも姫と呼ばれ、元服もできず、幼名を名乗り続けるのは、少し不服ではある」

「アルトリアという名は、おまえにあってると思うが」

「女の名だぞ」

「でも、いい響きだろう。知ってるか? 俺にはもう一つ名前があって、アーサーというんだが。アルトリアとアーサーは語源が同じなんだ」

「”熊のように雄々しい者”」

「そうだよ。知ってるじゃないか」

 ウィリアムはアルトリアのまさに『熊のごとき』立派な体格を褒めるように、広い肩と背を何度もぴしゃぴしゃと叩きました。

「まさにお前にぴったりだ! できれば俺も、お前ぐらいごつい体形に生まれたかったんだよなぁ。このごつごつの肩に太い腕! 羨ましいぞ」

「――そうか。私とおまえは、同じ名か」

「うん。友人と名前が同じだなんて、なかなか良いと思わんか」

 嘘ではなく、ウィリアムは自分のことのように嬉しがり、ニコニコと笑いながら何度も頷くのでした。

「まあ……確かに。悪い名ではない」


 アルトリアは、初めてウィリアムに向けて笑顔を見せました。

 その屈託ない笑顔に、ウィリアムは内心ドキリとしたのでした。

こうして二人は、無二の親友になったのです。

 でもそれは、二人の間だけの秘密。

 事情を知らない者たちは相変わらず、アルトリア王子のことを椿姫と呼び、呪われた『獣姫(プリンセス・ビースト)』と呼んで恐れるのでした。



 この日を境にすっかり打ち解けたアルトリアとウィリアムは、毎日のように二人で組手や乗馬をして汗を流し、剣と槍の修練を一緒にするようになりました。

 ウィリアムは、日が昇ると同時にそそくさと修道院を訪ねては、日が暮れるまで槍を構えていくつもの型をなぞるアルトリアの姿を傍で見つめたり、稽古の合間に美しく咲き誇る椿の花を彼と並んで眺め歩くことが、楽しくてたまらないのでした。

 名門伯爵家の若君が、修道院に捨てられた幸薄い姫君のもとへ足しげく通っているという噂は、瞬く間に都中に広がりました。

 噂を聞いたイマームと妹君シャルロット嬢は、お互い複雑な、しょっぱいものを食べ過ぎたような顔を見合わせて言いました。


「まさか、本当にウィリアム卿と例の『獣姫(プリンセス)』がわりない仲になってしまうとは……これはひょっとすると、ひょっとするかもしれないですよ、シャルロット様」

「噂の姫は、元もとの出自は王室の出。身分、血統は申し分無いお相手だから。当家の嫁として別に問題はないのだけれど……」

 シャルロット嬢は、そう言いつつも首を横に振ります。

「一体どんなお顔してらっしゃるのかしら。すごく気になるわ」

「ウィリアムが惚れるぐらいですから。ゲンコツでぶん殴っても死ななそうで、ものすごく強くて、体力モリモリなタイプかと」

「アーサーは案外面食いだから、お顔はそれなりに綺麗なのかもしれなくてよ? だけど、アーサーが気に入るぐらい気が強くて、腕っ節も強い人ってことよね。アーサーより大柄な人なのかしら。歳は私よりも上らしいけど……」

  シャルロットとイマームは、二人同時に「はぁーぁ」と大きくため息をつきました。

 想像してるだけじゃわからない、コワイ、だけど見てみたい、噂の『椿姫』に会ってみたい! 

 二人は同じことを考えていましたが、実際に会うのはおっかなびっくり、腰が引けるような……。その半面、怖いモノ見たさな欲求がない交ぜになり、頭の中がモヤモヤ、イライラするのです。

 シャルロットは少々乱暴な手つきでお茶菓子のマカロンを摘み、桜色の小さな口に入れ、さっくりとした感触を味わってから言いました。

「イマーム。ちょっと例の修道院に行ってきて。どんな様子だか、確かめてきてちょうだいよ」

 言われて、イマームは口から熱い紅茶を吹きそうになりました。

「無茶言わないでくださいシャルロット様。――僕、怖いです」

「なによ意気地ないわね。だいたい、噂なんてモノはいい加減であてになりゃしないんだから! 実は『椿姫』が小柄で可愛い、おしとやかな女性だって可能性もあるわけじゃないの!」


(――ま、そんな『普通の姫』にアーサーが(なび)くとは、思わないけどね)


 シャルロットは内心でそう評しますが、イマームの反応は少し違いました。

「なるほど。そういう可能性は、無きにしもあらずですよね!」

「何よあんたってば、本当にいやらしいわね!」


 実は女好きなイマームの頬を、シャルロットは思いっきり扇で引っぱたいてやりました。



 妹たちの心配をよそに、ウィリアムはアルトリア王子の元へ、毎日欠かさず通い詰めておりました。

 近ごろではご実家の屋敷に帰ることすら面倒くさくなり、アルトリアの住まう離れに泊まり込むことも、しばしばでした。

「さあ、アルトリア! 今日は何の勝負をする? 拳か、弓か!」

 そう言って上がり込んでは、ウィリアムは伯爵家の館に戻らず泊まり込み、今日で三日目の夜を迎えていました。

 早朝から昼すぎまではアルトリアと共に武術の鍛錬に時間を費やし、午後から夕方までは山を散策したり、近くの町へ遊びに行ったりして過ごします。

 そうして夜には、熱い湯を浴びてぽかぽかになった体で離れの部屋に戻り、酒を飲んだり、夕餉を共にして楽しく過ごすのです。

 アルトリアもすでに心得たもの、どうせ今夜も泊まっていくのだろうと、ウィリアムのために寝間着まで用意してありました。

 夜になると、二人は揃いの寝間着姿で盃を交すのが習慣になりました。ウィリアムは酒に弱く、少し飲んだだけですぐひっくり返って寝てしまうので、二人はいつもベッドがある部屋で酒盛りするのでした。

 蒸留酒を数杯飲んで、すでに酔い心地なのか、ウィリアムは、とろんとした目つきで言いました。

「実にいい酒だ。いい夜だ。毎日が楽しいし、俺はアルトリアとこんな風にして、ずっと一緒にいたいなぁ……」

 火酒の酔いに頬を火照らせ、とろんと甘ったれた目つきで呟くウィリアムの戯言に、アルトリアは真面目な口調で答えました。

「そんなら、ずっとここで暮らせばよい」

 そう言って手もとの盃をくっと飲み干します。こちらは全くの素面(しらふ)の表情でいましたが、心なしか、声音にいつもより熱っぽい響きがこもっているようにも聞こえました。

 その声音に惹かれて、ウィリアムはつい本音を吐露しました。

「なあアルトリア。親友よ、俺のこと、ちょっとは好きになってくれたかな……?」

「うん?」

「オレはなあ、前よりずっとお前の事が好きになったよ。初めて会った時から、カッコイイなあ、ぜってえ仲良くなりてぇ、って思ったけど。今はな、なんていうか、最初の時みたいに浮かれた感じではないんだけどさ。アルトリアと一緒にいると、胸のこの辺りがドキドキ弾む……。それがすごく嬉しい。そんでちょっと、照れくさいような感じがする。お前といると、体の中が変に熱くなったり、くすぐったくなって、ウズウズするんだ。なんでかな。たとえばさ、お前の手とか、じっと見ていると……」

「私の手が、どうかしたか?」

 武道家には常の、胼胝(たこ)のある骨太の大きな手。長くしなやかで、筋肉の張った腕。男から見ても、惚れ惚れするほど立派な体躯。

 短槍の柄を握り、隙無く構える時の手つき。穂鞘(ほさや)に収めて刃を抜かずにいる時にも、無意識に槍を愛しむアルトリアの手つきを見ていると、ウィリアムは少し羨ましくなるのでした。その手に俺も触れて欲しい、うんと優しく、いいや、ちょっとぐらいなら乱暴にされてもいいから、いっぱい触っていじくり倒してほしい。そんな風に強く感じるときがあるのです。アルトリアの手が髪を撫でてくれたり、この肌に直接触れてくれたなら、それはどんな心地がするのだろう……。いやいっそのこと、その太く(たくま)しい両腕で、胸の中に抱き寄せてくれたなら。

 そんな甘い願いごとが胸に溢れて、止まらなくなるのでした。

「アルトリアの手が、槍とひとつになって動くのを見ていると、時々な、ちょっとだけ()ける……。俺もお前のこと好きなのにさ、ずるいよなって思う。槍ばっかりじゃなくて俺にも構え、もっと近くで、いつでも傍にいて欲しいんだって、お前に言いたくなる。……こんな風に思う俺って、おかしいのかな?」

 アルトリアはそっと盃を置き、姿勢を正して言いました。


「ウィリアム・アーサー。ブラックローズ家の総領息子」

「ん? なんだ、急に改まって」

「私も、お前のことが好きだ」


 ぽつんと一言。けれど真剣な調子でアルトリアはウィリアムに、自分の正直な想いを打ち明けました。

 びっくり眼で固まった後、ぱちぱちと忙しく(まばた)きを繰り返すウィリアムの体を、アルトリア王子はその逞しい両腕でとらえ、近くへと抱き寄せました。

「お前に触ったら、どうな感じだろうとずっと考えていた……。お前は強い男だから、私が力いっぱい抱きしめてもきっと壊れやしないだろうが。もし抱きしめたら、今の関係が壊れてしまうと怖くて手が出せなかった。本当はずっと、こんなふうにおまえに触れてみたかったんだ」

「そうか。おまえも俺が好きか。……いま、どんな気分だ?」

「そうだな……とてもあたたかい。あんなにたくさん食うくせに、こうしていると見た目よりもずっと細いな、お前の身体は」

「アルトリアは、見たまんまだな! ごついけど、あったかいぞ」

軽く笑い声を立てながら、ウィリアムはアルトリア王子の胸に鼻先をこすりつけ、子犬のようにべったりと甘えました。

「ウィリアム」

「なんだ、アルトリア」

「抱いてもいいのか」

 アルトリアはウィリアムの身体を軽々と抱き上げ、横の寝台へそっと運んで行きました。

 ベッドの上に寝かされ、自分の上にアルトリアが覆い被さってくるのを見て、ウィリアムは言いました。

「ええと、この体勢だと……。俺が、お前に抱かれるのかな?」

「――お前、まさかとは思うが、この私を抱く気でいたのか?」

なんとまあ、無謀と言いましょうか、無鉄砲と言いましょうか。

「最初はおまえを、本気で嫁さんにするつもりだったからなぁ。アルトリアが男だと教わってからは無理だと思って諦めたけど」

「いやか? 悪いが、嫌だと言われても、このまま抱くぞ」

「ははは、すげぇ強気じゃん?」

「そうしたいからな……。私はお前が好きで、抱きたいから抱く。それでいいか?」

「うん、いいよ。アルトリア、好きだ……」


 目を細めて笑うと、ウィリアムは両手を差し伸べアルトリアに強く抱きつきました。

 アルトリアもウィリアムを抱きしめ、唇を重ねて吸い、互いの濡れた熱い舌を激しく舐めあいました。

 それから後は、時折聞こえる密やかに愛を囁く恋人たちの声。段々と意味をなさなくなるうわ言のようなウィリアムの喘ぎ声、二人分の乱れた呼吸に、ベッドの上で素肌が擦れあう微かな音が響き、明かりの落ちた部屋の中には、甘く激しい嵐が吹き荒れるばかりとなりました。

 長くて一瞬のような、からだを一つにとろかす喜びの時を共に過ごし、初めての結びつきが終わった後。

 汗と体液で濡れそぼった身体をきつく絡めあい、ウィリアムは体内に注ぎ込まれたアルトリアの熱い精のぬめりを感じながら、喘ぎに掠れきった声で言いました。

「おまえを、親父に紹介しないと、な……」

「なに?」

「だって、そうだろ。俺たちこれで、結婚したようなわけだし」

「……この場合、私が伯爵家の御曹司の『嫁』になるわけか」

「仕方ねえだろ、おまえ、世間では『姫』で通ってるんだから!」


 二人は大声で笑いました。愛し合う二人にとって、どちらが『夫』で『妻』だろうが、細かいことはどうでもいいのです。

 アルトリア王子は目許をなごませてウィリアムの黒い前髪を撫で、汗に湿った額や頬を舌先で何度も舐めては、深い愛の印を生涯の『伴侶』の身体に色濃く刻み続けるのでした。



 若者たちが柔らかく温かな情愛を育む一方、王国では、次の王位を巡って、見えないところでいやらしい陰謀が着々と進んでいるようでした。

 廷臣達を味方につけた王の側室、あの性悪の魔女は、遅効性の毒を少しずつ王さまに飲ませ、時間をかけてゆっくりと、自分の都合の良い時に王さまを殺してしまおうと画策していました。

 徐々に体に毒が回った王さまは、一見すると普通の病のように緩やかに体力を失い、今では末期の病人のように弱り、寝台から起き上がれない状態になっていました。

 王さまの危機を察した王妃さまは、悪い側室と占い師の陰謀に対抗しようとしましたが、逆に囚われて、お城の奥に幽閉されてしまいました。

 しかしこのお妃さま、ただ黙って閉じ込められたりはしません。幽閉される前に、王さま暗殺と王位簒奪を狙う悪党たちの陰謀の証拠をいくつも抑え、それらの証拠品に一通の命令書を添えて、ブラックローズ伯爵の元へ密かに届けさせていたのです。

 命令書には、正式な玉璽と王のご署名付きで、「国家に反乱を企てるものこれあり。この書状をもって討伐(とうばつ)の指令となす。即刻挙兵し、反乱の徒を武力をもって制圧せよ」との勅命が書かれておりました。

 この命令書を持って行動する限り、伯爵の挙兵は私戦ではなく、お城に向かって攻め入ることも謀反とはなりません。

 だって、王国の危機なのですから。慎んで御意に従うのみです。


「よろしい、ならば戦争だ! (こころざし)ある諸侯は我が軍に続け!――久々の戦じゃのう、腕が鳴るわ! ふははははッ!」


 豪快さとノリの良さ、ついでに勝負勘の鋭さは息子と同様か、それ以上に飛び抜けているのがブラックローズ家の当主でした。

 実は伯爵、以前からずっと王妃様の影の側近で、王様が危機の時にはすぐに挙兵して城を攻めよと命じられておりましたので、すでに出陣の仕度は完璧に整えてありました。

 危急の知らせを受けたウィリアムとアルトリアも、すぐ山から降りてきて伯爵の軍に合流しました。

 アルトリアにとっては実の父上と母上の命の危機です。狡猾な側室や廷臣の言葉に惑わされ、我が子を捨てたつれない父王ではありましたが……。それでも、血をわけた息子として実の父親を見捨てるわけにはいきません。 


「ほほう、あなたがアルトリア王女。いや、我が王国の第一王子殿下であらせられまするな。お初にお目にかかりまする。以後、我が愚息ともども、よろしゅうに……」


 ことの初めから事情を全て知っていた伯爵は、ニヤリと笑ってアルトリア王子を本陣に招き、武装させました。

 王子と一緒にいたウィリアムは唖然とします。

「なんだよ親父どの! アルトリアが王子だってこと、最初から知ってたのか!」

 ウィリアムは、目を吊り上げて父親をなじります。

「息子よ、わしは当初から王妃様一派の筆頭ぞ? ま、宮廷では露見せぬよう演技しておったわけだが。殿下の事情はお生まれになった直後から、ぜんぶ承知しておるわい」

 それなら最初から教えてくれれば……と、歯軋りして悔しがるウィリアムでした。

「今はそれどころではない。文句はこの戦が終わってからにせい。陣形が整ったら、一気に城を落としにかかるぞ! 陛下と王妃を救出し、宮廷に巣食う悪人共を全員ひっ捕らえるのじゃ! 後のことは、それからのことよ!」

 仰る通りでした。アルトリアと同じくウィリアムも武装して、愛馬に跨りました。

 ウィリアムは長剣を抜くと、胸を張ってアルトリア王子の隣に乗馬を寄せました。今までもこれから先も、そこがウィリアムにとって所定の位置になるのですから。

 黒いマントと甲冑を身に着け、勇ましい騎士姿のアルトリアは、ウィリアムを頼もしげに見つめ、手を伸ばして恋人の肩をそっと撫でました。

 以前から準備万端に戦の仕度を整えて出陣した伯爵軍に対し、城を守る兵隊のほうは、指揮官もまとまりを欠いた状態でした。

 まさか国内の貴族から直接城を攻められるとは夢にも思っておらず、全体の守りが手薄でした。


「突撃せよ!」

 総大将であるブラックローズ伯の号令に応じ、真っ先に騎馬で突っ込んできたのは、赤い長髪と黒髪の騎士の二人組でした。

 最初からまともな勝負にならないところへ、桁外れの戦闘力を誇る剣士と槍使いが連携を組んで襲いかかってきたのですから、防戦する兵士はひとたまりもありません。

 アルトリア王子の槍さばきは、味方もゾッと色を失うほど鋭く、容赦無く、それは凄まじいものでした。

 ウィリアムの剣の威力は、岩を割り鉄を砕くような破壊力で、斬り倒された者はみな、骨までバラバラに砕かれておりました。

「死にたくない奴は、とっとと逃げろ!」

 返り血を浴びたウィリアムが恫喝しますと、敵の兵隊はみんな、尻尾を巻いて逃げ出しました。それで、伯爵軍はほとんど損害を受けぬまま勝利し、城も焼け落とされることなく、たった一晩で勝敗は決しました。

 城の奥で隠れていた反乱一派、あくどい側室や、占い師とその仲間達は、縄でぐるぐるに縛られて牢獄に押し込められました。

 閉じ込められていた王さまやお妃さまは無事に救い出されて、病の王さまには何人もの医師が治療を行い、どうにかお命は取りとめられました。

 お妃さまは、見事な若武者に成人したアルトリア王子を一目で我が子と見分けると、頬を涙で濡らしながら歩み寄られました。


「わたくしの可愛い息子……こんなにも、立派になって」

「お久しゅうございます、母上」

「よかったわ。無事に会えて。本当に、おまえが今日まで元気に生きていてくれて、母は嬉しい……」


 嬉し涙をこぼされる王妃さまの姿を見て、伯爵も他の武将達も、皆がもらい泣きをするのでした。


「これにて、王国も安泰。陛下があの様ですから、王子はすぐに宮殿へお戻りになり、お世継ぎとして正式にご宣言あそばしますように」

 ブラックローズ伯爵が、アルトリアに臣下の礼を取りつつ言上します。

「おお、それがよい。父上から、ただちに王位を引き継ぎなさい」

 王妃様もそう促され、この場に司祭を呼ぶようにと命じました。

 そうでした。国家転覆の陰謀を阻んだ今、アルトリアは本来の身分に戻るべきなのです。

 彼は国王になり、やがて美しい女性を正妃に迎えるでしょう。

 自分がその宿命を変えることは許されない――ウィリアムは、唇を噛み締めて俯きました。

「いいえ、母上。私は一度は姫として、城外に捨てられた身です。今さら王太子として立つつもりも、即位する義理もありません」

 きっぱりと、アルトリアは揺るがぬ自分の意志を告げました。

「今後もこれまで通り、市井(しせい)の者として剣客の技を研いて生きる所存です。私のことは、すでに死んだ者と思って、どうぞお捨て置き下さいますよう――。それに、」

 アルトリアは振り返り、驚いて立ち尽くしているウィリアムを、誇らしげに見つめました。

「どうやら私は、嫁に行かねばならぬようでして。王の位を継ぐことはできません」

 それはそれは幸福そうに、アルトリアは微笑みました。

 ウィリアムはその言葉を聞くと、アルトリアの腕をぐっと掴み、自信を持って言いました。

「親父どの! 突然ですが、わが妻アルトリアを紹介します!」

不束(ふつつか)者ですが、どうぞよろしく」

 さすがのブラックローズ伯爵も、これには腰が抜けそうなほど驚きました。

「妻って、おい、おまえたち……」

「あら――。あらまあ、そういうことなの」

 聡明な王妃様は、息子と『黒薔薇の騎士』ウィリアムの二人を見つめ、すべての事情を察しました。

 母としては、一瞬悲しそうな眼で息子の顔を見つめましたが、

「……そうですか。そなたがそれを望むなら、わたくしも無理に引きとめはしますまい。せいぜい、嫁ぎ先でお頑張りなさいませ」

 賢明な王妃は息子を無理に引きとめて王位につけてもどうせ無駄だということを、よくよく承知しておいででした。

「しかし世継ぎはどうなさいます。陛下の余命は、おそれながらさほど残ってはおりますまいぞ」

 かなり無礼かつ深刻な事実をはっきり述べた伯爵に、王妃様はホホホ、と笑って、

「国の政治など、その地位に相応(ふさわ)しく賢い者が上に立てばよいのです。血筋にこだわり、愚かな者や強欲な者、また、その地位を望まぬ者が王位を継いでも、この国の民にとって良い事は一つもありません。――いずれ、最も我が国の統治者に相応しい者を、皆で話し合って選ぶとしましょう」


 それまでは王妃様が『代理王』の座につくことになり、政治の運営はブラックローズ伯爵を筆頭に、貴族と平民の中から優秀な人材を呼び集め、新たに任命された閣僚が行う事となりました。

そういうわけで、この国の王は、代々世襲とすることをやめてしまいました。

 いつしか「王」という地位を名乗る人もいなくなり、後の世で「首相」とか「大統領」とか呼ばれるようになるお役目の人を、皆で仲良く、公平に選挙で決めることになりました。


 捕らえられた第二夫人は、両足を足首の先から切り落とされ、二度と歩けないようにされた状態で、牢獄に一生繋がれました。

 同じく牢屋に押し込められた例の占い師は、後に政治の体制が変わったことを知らされますと、「わしの占いは、正しかった。やはりあの王子は、『王政の国』を滅ぼす禍の種であったわ」と、口惜しさに苦い涙を飲んだということです。



 さて、その後のアルトリア王子とウィリアムについてですが。椿の花が美しく咲くあの修道院で、二人は末永く(むつ)まじく一緒に暮らしたのでありました。

殿方同士が睦みあっても、残念ながら子供は授かりませんが、修道院には「おれもウィリアムみたいな剣士になりたい!」とか、「アルトリアみたいに強くなりたぁい!」という子供たちが大勢国中から集まって弟子になり、皆が、お師匠さまのことを本当の親のように慕ってくれるので、ちっとも淋しくはないのでした。

 ちなみに、ブラックローズ伯家は、シャルロット嬢が婿を取り、立派な跡継ぎを産みましたよ。

 アルトリアとウィリアムが暮らす修道院は、子供たちの元気な笑い声が毎日絶えることなく、二人はいつまでも幸せに暮らしたそうです。


―――めでたし、めでたし。


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