9.よしよしってのは良いもんですよ
「……ヒール」
体が青色に光って、少しではあるが、力が湧いてくる。血が止まり、傷も塞がっていくのがわかる。
完全に意識を取り戻した俺は、上半身を起こして目の前に立つカリスを見上げる。
カリスは体中血まみれで、虚な目をして、掠れそうな声で言った。
「彼女を……魔王を、救いなさい」
「は?」
「オーガは、強すぎる。私なしでは服従させられない。私が死んだ瞬間、オーガは暴走し、誰彼構わず殺戮する。……ロベリアもだ」
「……ロベリアでも、魔王でもない。アスターだ」
「黙れ。人間風情が」
「なぜ俺にヒールを? 自分にかけりゃいいじゃねぇか」
「無理だ。ダメージがデカすぎる。私の回復魔法では……この不完全な復活では、消滅は免れないでしょう」
「不完全……?」
「えぇ。どういうわけか、予定よりも早く、不完全な形で復活してしまいました。おそらくは、誰かの仕業によって。でなければ、あなた程度に負けたりしない」
「負け惜しみはなんとでも言えるぜ」
と、強がりを言ってみるが、おそらく事実だろう。
いくらなんでも、あの程度の攻撃に一撃でやられる奴じゃない。
「ロベリアの覚醒も、ずっと早い……!」
それも、兆候はあった。
ダンジョンで気配を読んで正確にその者の位置を探るなんて芸統、魔族じゃなきゃ不可能だ。原作の時系列じゃまだ普通の人間と変わりないはずのアスターが、既に魔王へと近づいている。
その事実に戦慄するが、今は置いておこう。カリスに助けられたのは癪だが、とりあえずは動ける。急いで後を追うのが先決だ。
「礼は言わないからな」
「ふふふっ、必要ないですよ」
そう言って笑うと、カリスは仰ぐように上を見上げた。
「……私達には敵勢力も多い。必ず、守り抜いてください」
「お前に言われるまでもねぇよ」
「……最後に、名前を聞いても?」
「日野アキラだ。よぉく覚えとけ」
「日野……アキラか……。あなたこそ覚えておきなさい。次、完全なら復活を果たした時には……一番最初に殺してやるからな。クソガキィ……!」
「やってみろクソババア」
カリスは、光の粒子となってその身を消す。
変に神秘的なのがムカつく。唾吐いてやろう。ペッペッ!
アスター達が進んだ道へ全速力で駆けていく。
頼むから、誰も死なないでいてくれよ……!
………………
この巨大な迷路で、当てずっぽうで特定の誰かを追うなんて到底不可能に近い行為だが、不幸中の幸いと言うべきか、椿達の血痕が役に立った。かなりの出血量だったしな。
それに、あの巨大オーガに四階層は狭すぎる。四方八方にえぐれた跡が見えるから、それを追うだけで、あとは俺がオーガやアスター達より速く走れるかどうかが重要なわけだが……くそっ。カリスの奴。
カタストロの触手にやられた右半身はまだ傷が浅かったようで、血は完全に止まり傷もほぼ塞がっているので問題ないが、カリスに貫かれた横腹と右の太ももはこの激走で傷が開き始めてる。
めちゃくちゃ痛いし、その上血が止めどなく流れ出ている。
そろそろ出血多量で本当に死んじまうじゃないか?
カリスめ。治すならちゃんと治しやがれ。
飛び飛びになる意識と、激痛に悲鳴を上がる身体に鞭を打ち、右へ左へと走って三階層半ばまで到達したときだった。
血痕の先で少女達の悲鳴とオーガの唸り声が聞こえた。
ついに追いついた。
そのまま声がした方へ走る。
「アスター!!」
………………
暴れ狂うオーガ。困惑しながらも、必死に制御しようとするレミア。そして、オーガに怯え肩を抱き合う二人の少女。一人は茶髪のボブで中肉中背、二十センチ程の杖を握っていて、もう一人は背が高く長い黒髪の女性。こちらはナイフを持っている。
ほんの一瞬混乱したが、すぐに状況を理解し、俺はオーガの鼻を斬りつけた。
二人の少女を殺そうとしていたオーガは突然の乱入者に怒号を飛ばし、俺は二人を背中に隠すように立つ。
俺の推測では、カリスが死んだ時点でオーガの制御が効かなくなり、オーガはアスター達を追うのをそっちのけで彼方此方で暴れ回っていたのだろう。
そんなとき、たまたま二人の少女を見つけたので襲っていた、というところだろうか。
つまり、アスター達は無事に逃げ切れたわけだ。
あとは俺もとんずらこいて逃げればめでたしめでたしで終われるわけだが……そうもいかないだろう。一度助けた以上──というか、見ちまった以上見殺しにできるわけもない。
ふっ、全く笑っちまう。
アスターやブーケのメインヒロインならともかく、俺はいつから見ず知らずの女を助けるような聖人になったんだ?
くそったれが……!
「おいあんたら」
目線はオーガに向けたまま、涙を流してガタガタ震える彼女達になるべく優しく声をかける。
「ここは俺がなんとかするから、早く逃げろ」
「え?」
オーガが耳をつんざくほどの雄叫びを上げ、斧を振り下ろす。
咄嗟に二人を横に押して、体をひねる。が──
「ぐっ……!」
「「きゃああああ!!」」
左肩数センチを持っていかれた。おかげで骨が「こんにちは」だ。痛みによるものかアドレナリンが出ているのか、もはや痛みすら感じない。
そんな俺を見て、二人は完全に腰を抜かし、言葉を失ってしまっている。
この腕じゃもう庇う余裕も、優しくする余裕もない。
「何してる! 早く逃げろッ!」
半分やけくそ気味に叫んだが、それが返って良かったのか。二人はビクッと体を震わせて「は、はい……!」と返事をすると、大慌てで逃げて行く。
二人の遠ざかって行く背中を見て、オーガ再び雄叫びを上がるが、
「待てオーガ!!」
それを遮るように、レミアが叫んだ。まだ多少なら制御することも可能なのか、オーガは唸り声を上げながらも、何かと戦うように振り上げた斧を止めている。
レミアは息を荒らしながら、俺を睨みつける。
「なぜあなたがここに……!? カリス様はどうした!」
「そのオーガが答えだろ」
「……まさか。あなたごときが、カリス様を倒したって言うの!?」
「俺ごときで悪かったな。あんたも同じ目に会いたくねーなら、そいつ連れてとっとと消えろよ」
レミアは怯えた目でオーガを見上げる。
「……たしかにそうね。カリス様がいないんじゃ、魔王も殺しちゃいそうだし。それに──」
オーガは俺から目線を外しレミアを睨む。
早く拘束を解け。これ以上貴様らに従ったりはしない、とでも言うかのように。
「私まで殺されてしまうわ。……ふふっ、ここに来たのは間違いだったわね。もしくは、あの二人を見捨てておけば……」
「あ?」
レミアがカンッと杖で地面を叩いた。
すると、彼女の背後に黒く渦巻いた何かが出現する。彼女はその中へと入って行き──
「精々喰われないように気をつけることね」
「待てッ!」
レミアは渦の中へ完全に消え、その渦もパッと消えた。
その瞬間。
「ぐおおおおおおおおお!!!!」
オーガが叫ぶ。
その衝撃だけで壁がえぐれ、俺も後ろへ押される。
赤く血走った目をこちらに向け、よだれを垂らしている。
「……ちっ、まさか一日で。しかもこんな短時間の間に二度も使うことになるとはな」
さっきの魔力はほとんど切れ、体もボロボロ。
正直何分……いや、何秒持つかもわからない。
せめて、こいつを倒すまで持ってくれよ。俺の体……!
「目覚めろ! カタストロオオオ!!」
………………
「はぁ、はぁ……!」
おぼつかない足取りで必死にダンジョンを走る。と言っても、普段の歩きの方が速いくらいの速度だが。
ここがどこなのかすら、もう定かじゃない。
右半身は完全に感覚がなく、視界は血で汚れ、呼吸するのがやっとだ。
そしてついには、小さな足につまずいて倒れてしまう。
すぐに体を起こして後ろを向けば、ゆっくりと近づいてくるオーガが見える。
あの化け物め。
えぐれた右半身。斬り取られた左肩。潰れた左足。ここまでしてようやく、奴の右腕を奪うことに成功し、更なる追撃を仕掛けたときだった。触手が全身を喰らうより早く、俺の魔力が切れた。
後数秒あれば相討ちまでは持っていけただろうに。
結局、俺はこうしてなんとかその場から逃げ出したわけだが、とうとう追いつかれてしまった。
正真正銘、これで本当に死ぬな……と思ったが、どうやらまだ早いらしい。
俺はオーガに顔を向けたまま、後ろに立つ彼女に笑いながら声をかけた。
「ふんっ……二度と近づかないんじゃなかったのかよ」
「うん。だからこれが最後」
全く。俺の推しはどうしてこう、かっこいいのだろうか。可愛い上にかっこいい。無敵じゃないですかアスターさん。
「驚いたよ。まさかここまでオーガを追い詰めるなんて。レミアとXは?」
「カリ──Xは倒したけど、レミアは逃しちまった」
「ふーん」
アスターは俺の正面に回り込んでしゃがみ、そっと俺の頭に手を伸ばすと。
「よく一人で頑張ったね。よしよし」
「アズダアアアアアアアア!!」
「うるさいよ」
アスターが……! アスターが! 俺の頭を撫で撫でしれた……!
「グルルルルアア゛!」
ちっ。せっかくいいムードだっていうのに。
空気の読めないオーガが唸ると、未だ号泣している俺を庇うようにアスターが立つ。
「これだけ瀕死の状態じゃ倒しても面白みがないけど……アキラ君。美味しいところは貰って行くよ?」
「もち──」
──ろん、と言い終わるより早く。アスターは剣を抜いて飛び上がり、一瞬でオーガの左腕を斬り飛ばす。
天井を見上げ悲鳴を上げるオーガ。その目の前にジャンプし──斬ッ!
左右真っ二つに両断した。
静かに、ゆっくりと立ち上がり、アスターはこちらを振り向いて言った。
「帰ろっか。おぶるよ」
………………
ヒールと応急処置を施して貰った俺は、アスターの背中で揺られていた。
「……回復魔法覚えたんだな」
「まあね。あった方が便利だし」
「みんなは無事か?」
「問題ないよ。出口を抜けた途端、椿って人も倒れて寝ちゃったから、全員まとめて転がしといた」
「そうか……。無事なら良かった」
おそらく俺の体に気を遣って、アスターは走りもせずただゆっくりと歩いている。そのせいでモンスターとも多く遭遇するが、それすらほとんど体を動かさないように戦い、かつ瞬殺してくれている。
いくら弱っていたとはいえ、あのオーガを瞬殺したり、大きすぎるハンデを文字通り背負いながらモンスターを蹴散らしたりと、相変わらずすごいやつだ。
それに比べて俺は……。
「……ごめんな」
「なにが?」
「偉そうなこと言って、結局全部お前に頼りきりだった」
「何言ってるの? みんなを助けたのは君でしょ」
「心にもないこと言うなよ」
いや。今回の敵はアスターに危害を加えないよう攻撃を抑えていたから助かったが、普通ならおそらくやられていた。
アスターが魔王として覚醒するのを防ぐ、という目的もあったとはいえ、あそこで俺が椿達を助ける選択をしたがために、全員が殺されてもおかしくない状況を作ってしまった。
見捨てた方が良かったとは思わない。だが、それをするには力が足りてなかった。
「……アスター」
「なに?」
「俺に失望したか?」
「したね」
「近づかないって言ってたよな」
「うん。撤回するつもりはないよ。足手まといは嫌いだし、私は君みたいに親切じゃない」
「ああ、いいさ。撤回してくれとも、待っててくれとも言わない。必ず、俺が追いつくから。強くなって、お前の横に立てるように、お前を支えられるようになるから。そんときゃ、受け入れてくれ」
「……いいよ。楽しみに待ってる」
ほんの少しアスターが笑った気がした。
そんな幻想を瞼に映しながら、俺は意識を失った。




