表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

悪役/貴族令嬢

ネタバ令嬢 〜誰ですか? 私のことをネタバレ令嬢と仰る不届きものは?〜

完全に勢いだけで書いてます。

少しでも楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。

 

「それは、第33幕[恋情]の7ページのセリフになりますわね」


 周りにいた生徒たちはうへぇ…と言いたそうな表情に顔を歪める。

 そして同じタイミングで、まるで口裏を合わせていたかのように同じセリフを呟いた。



「「「出た…ネタバレ令嬢…」」」



「あら、誰ですか? 私のことを"ネタバレ令嬢"なんて仰る不届きものは?」



 自信に溢れた笑顔を浮かべる少女が一人、生徒たちの丁度中心に立っていた。


 麗しきサファイアの様に光り輝く髪に、スカイブルーの様に澄みきった瞳。

 陶磁器の様に真っ白な肌はほんのりと桃色に色付き、丸々とした大きな瞳を長く繊細なまつげが縁取る。

 歩く姿はブルーローズの様に優雅で、笑う姿は可憐なネモフィラが揺れる様。

 その美しさを讃えて"青薔薇の姫"と呼ばれるのもごく自然なことだろう。


 …ちなみに上記のこれは全て本人が自身を称えて言っていたセリフだ。



 そんな彼女の名前は、レイヤ・ネタバ。

 爵位の序列で上から2番目を誇る侯爵家の令嬢。



 そして先程彼女が言っていた、「第33幕〜以下略。」はこの国では有名な小説家の待望の最新作の内容。

 つまり、ネタバレである。


 歩きながらその最新作について語り合う令嬢たちに、偶々通りかかった彼女が割り込む形で告げたのが、冒頭のセリフだ。


「ちょっと、レイヤ」


 後ろから慌てて駆け寄ってくる美しい女性が一人。


「お姉様」


 ワインの様な深みのある赤紫色の髪は艶やかに輝き、透明感のあるヘーゼルの瞳が渦中の令嬢を見つめる。

 少々キツめの濃い顔立ちだが凛とした美しさがある"お姉様"と呼ばれた令嬢は困った様に眉を顰めた。


「だから、人様の会話に横入りするなどはしたないと言っているでしょう? あなたは仮にもこの国の王子の婚約者なのだから、自身がどう見られるのかもっと意識しないと」


「お姉様、それは違いますわ。私たちはこの国で最も尊い王族の婚約者。逆に話しかけられたことを皆が喜ぶべきですわ! それに私、婚約者なんかに囚われずに自由に生きたいです」


 あまりにも傲岸不遜なセリフに、お姉様と呼ばれた令嬢の美しい顔が間抜けな表情になってゆく。

 それは周囲にいた人間も同じだった。



(((ダメだこりゃ…)))



 皆が同時に思った。


 お気づきの人もいるだろうが、このレイヤ・ネタバ侯爵令嬢は大変プライドと態度の大きいお方。

 そして自らを"青薔薇の姫"と称える様に、彼女は大変な自信家でもあった。


 つまりは、良く言えば貴族としての誇りが高く揺るぎのない自信を持つ芯のある令嬢であり、


 悪く言えば無駄にプライドが高く自身が絶対であると信じて疑わないナルシスト、である。


 周囲の生徒たちが呆れて言葉を発せない中、突然心底愉快そうな笑い声が響いた。


「君はまた、問題を起こしているのか。流石は我が婚約者。悪名高くて結構だ」


 声のする方を向いたレイヤ・ネタバ令嬢は眉を顰める。


「……ブルーノ殿下」


 キラキラとハイライトを背負い、爽やかな笑みを湛えて登場したのはこの国の第二王子でありレイヤ・ネタバ令嬢の婚約者。

 ブルーノ・シット・ジテル殿下。


 太陽の光を反射して輝くブロンドの髪は金糸の様に美しく、王族のみに継承される高貴さを表すロイヤルブルーの瞳。

 まさに王子様そのものといった麗しい(かんばせ)は老若男女を問わずその場にいる者の目を虜にして離さない。


 皆んなが同じように臣下の礼をとった。


 ただ1人ーレイヤ・ネタバ令嬢を除いては。


「…何か御用ですか? ないのであれば即刻この場から去ってもよろしいでしょうか?」

「相変わらず、厚顔無恥だね君は。それに人の気持ちを理解する頭がないと見た。全く君の教育は前途多難だと、教育係が嘆いていたよ」


 爽やかな笑みとは違い、口から出る言葉は刺々しい。

 なのにその口調はとても軽く、あまりにも内容と口調が合わないことに違和感を覚える。


「…私が人の気持ちが理解できないですって? 殿下こそ、見る目がないですね。がっかりですわ」


「よく言うよ。君の良い噂なんて一つも聞いたことないけど? 見る目がないのはどっちかな?」


「良い噂は誰にも知られない様に当人たちだけでこそこそ話すものです。殿下は恐れ多くて仲間に入れてもらえてないだけですわ!」


「ははは、そう来たか」


(((何を、見させられているんだ…?)))


 生徒たちは半ば呆れたような、困惑の色が混じった顔で隣にいた者と顔を見合う。


 お互い(そし)り合っているのに口調が軽すぎて、「実は仲が良いのか?」といった疑問で埋め尽くされる。

 喧嘩をするほど仲がいいとも言うし。


 しかし、ブルーノ殿下の表情はとても楽しそうなのに対してレイヤの顔は嫌なものを見るように歪んでいた。

 ツッコミどころも満載すぎて、どこから手をつけていいのかも分からない会話は周囲の生徒たちを置き去りに、尚も繰り広げられた。


「君、自分のこと"青薔薇の姫"って讃えてるみたいだけど具体的には君のどこら辺が青薔薇なのか教えてくれないか?」


「まあまあ! 殿下の目は節穴でしたのね! 言わなくても私を見れば誰もがそう思いますわよ。それを具体的にだなんて…殿下は情緒が欠落しているのでは?」


「へぇ、そうなんだ。僕は君を見て、青薔薇じゃなくてそこら辺の道に咲いてる可憐な青の花の方がお似合いだと思ったけど。"どこにでも咲く"ってところが何だか君と似てるし」


「…それ、雑草ですわよね? 私を雑草扱いだなんて……、殿下の目は節穴どころか腐っているのでは? 新品と取り替えた方がよろしいかと」


「ひどいなぁ、褒めてるのに」


 ニコニコと嬉しそうに微笑むブルーノ殿下と、苛立たしげに肩を震わせているレイヤ・ネタバ令嬢。

 一触即発?な雰囲気に周囲は固唾を呑んで見守っていたが、


「そこまでですわ、お二人とも。いい加減になさって下さい」


 呆れた様に2人の間に入ったのは"お姉様"と呼ばれた令嬢。


「おや、アクヤ嬢。いたんですね」

「…ええ、ブルーノ殿下が来られる前からここにおりましたわよ。全く、一人のことしか見えていないのですね。…ある意味似た者同士と言うか…」


 悩ましげにため息をつくのは、アクヤ・クレイジュ。

 ブルーノ殿下とレイヤ・ネタバ令嬢の一つ上の学年にして、最も爵位の高い由緒正しき公爵家の令嬢。

 そして、ブルーノ殿下の兄でありこの国の第一王子の婚約者。


「…あなたたち、いい見せ物ですわよ。この春から第二学年となりましたのに、これでは下級生に示しがつきませんわ…」


 キツイ顔立ちも、今は目の前の"問題児たち"のせいで疲れ切った表情になる。


 見た目と違って面倒見の良いアクヤ・クレイジュ令嬢は密かにファンクラブがあるほど男女共に人気の人。

 美しく常識があり交友関係も男女問わず広く、どんな人に対しても貴賎なく接する。その見た目とのギャップに、学園の生徒たちは口を揃えて彼女をこう讃えた。

 "聖母アクヤ"、と。


 ちなみにファンクラブの名前は〈アクヤ様を応援し隊〉といった、…まあ、ファンクラブの様なものだ。


 その活動の内容は、苦労しがちなアクヤが倒れない様に見守ることから始まり、アクヤが"お世話"に専念できるように他の苦労ごとを負担する、といったことまで約10個のルールが設けられている。


 そんな彼女はいままさに"お世話"の最中。

 周囲の生徒たちは息を潜めて見守った。


「ブルーノ殿下に苦言を呈したくはありませんが…、あまりレイヤを挑発するのはやめて下さいまし。クラスメイトたちの胃に穴が空いてしまいますわ」

「ははっ、あなたも中々言うじゃないか!」

「どう意味ですの、お姉様? もしかして、あまりにも美しいものをみたら人は胃に穴が空いてしまうんですの?」

「………はあ」


(((頑張れ…アクヤ様!)))


「レイヤ、あなたまず人の気持ちを考えるところから始めましょう。そしてブルーノ殿下におかれましては、レイヤに会うたび会うたび嫌味を言うのを即刻やめてください。あなたのアプローチのせいで迷惑を被ってるのは私だけではないのです」

「え〜〜〜」

「アプローチをするのであれば正当に! …お願い致しますわ」

「それじゃあ、つまらないじゃないか」

「小さな子供みたいなことを仰らないで下さいませ。全く…レイヤもレイヤですが、ブルーノ殿下もブルーノ殿下ですわ…」


 突然、レイヤの瞳が輝く。


「あら? 殿下にはアプローチしたい女性がおりますの? この麗しい婚約者である私を差し置いて? まあ、なんて素敵! 私恋愛とは本来自由であるべきと思っておりますの! この展開…、まるで昨日から始まったばかりの演劇、身分違いの恋をする『ロメオとジュリエッタ』のお話の様ですわ!」



(((また、ネタバレだ…)))



 その劇は観劇するまでは題名すら分からないトップシークレット、非常にレアケースな演劇だった。

 というのも、この劇の内容は元劇団作家であった他国の王妃様自らが数年ぶりに手がけたものであり、そして演劇団は他国では知らぬものはいないほど名を馳せた有名どころ。

 その噂は国境を越えてこの国まで届き、誰もが一度でいいから観劇してみたいと切望した。


 そしてその願いが数年をかけて叶い、我が国のために他国の王妃自ら書き下ろしてくれた作品が、先程ネタバレされた『ロメオとジュリエッタ』なのだ。

 待望に待望を重ねた劇の観劇を、誰もが胸を弾ませ楽しみにしていたというのに…



「それはもう素晴らしかったですわ…。まるで夢の様な世界…! スピカ劇団が誇る名女優の胸を打つ演技に、大迫力の演出…! 身分差を乗り越えて結ばれるかと思いきや、まさかのタイミングで引き離される二人…あれは見事でしたわ! 最後はロメオとジュリエッタが互いに愛を告げながら心中していく様は、儚くも美しくて…あまりの切なさに私、震えが止まりませんでした…」



 恍惚とした表情で語るレイヤに対し、絶望の表情で項垂れる生徒たち。

 アクヤは天を仰ぎ、ブルーノ殿下は堪える様に笑う。


 まさに、地獄。


 そんな地獄に一際眩しい光が飛び込んできた。


「誰だ? 俺の婚約者殿に天を仰がせているのは」


 みんなが一様に声のする方を向く。


 そこにはブルーノ殿下に良く似た顔立ちをした男性が一人立っていた。


「ケディ様…」


 ケディ・シット・ジテル第一王子。

 アクヤ・クレイジュ令嬢の婚約者にして次期王になられるお方。


 ブルーノの金色より濃く煮詰めた様な金髪に、同じく高貴な光を放つロイヤルブルーの瞳。

 精悍な顔立ちと鍛えられた美しい体躯は王子様というより王様のほうが似合っていて、それに相応しいカリスマ性に溢れている。


 ブルーノが目を奪われる麗しさなら、ケディはついていきたくなる様な逞しさがあった。


「俺の愚弟か? またはそこの愚弟の愚かな婚約者殿か? 俺の愛しのアクヤを悩ませているのは」

「ちょっと、兄上でもレイヤを悪く言うのは許しませんよ」


 どの口が、とみんな揃って同じことを思った。


 貶されたであろう本人レイヤはそのことに全く気づいていない様子で突然のケディの登場に首を傾げている。


 この二人、拗れてるなぁ、と生徒たちは心の中で呟く。


「大丈夫か、アクヤ。顔色が優れないように見えたが…」


 ケディは心配そうにアクヤの頬に手を添える。

 その婚約者を大事に思う王子の光景に誰もが頬を緩めていた時、パンッとその場に似つかわしくない乾いた音が響いた。


 アクヤが頬に添えられたケディの手を振り払ったのだ。

 その場にいたものは息を呑む。


「淑女に許可もなく触れるなんて、礼儀がなっておりませんわ。それに、あなた様に心配されるほど私か弱くなくってよ」


 先程のアクヤと同一人物とは思えない冷めた声に刺々しい言葉。

 ケディから顔を背けるようにツンっとそっぽを向く。



(((アクヤ様、可愛い…)))



 アクヤの態度は冷たいというのに、何故かケディの顔はだらしなく緩み、周囲の生徒たちも可愛いものを見た時の反応のようにホゥ…と息をついた。


 何故なのかはアクヤを見れば一目瞭然だった。


 そっぽを向いたアクヤの耳は赤く染まり、それが何よりもアクヤの心情を語っていた。

 きゅっと引き結んだ唇を時々震わせて「あ…」やら「う…」やら言葉が漏れる。

 顔を背けたままチラチラとケディを窺い見ては、目が合う度に恥ずかしそうに目を逸らした。 



(((ああ、ツンデレだぁ…)))



 彼女は普段世話焼きの苦労しがちな令嬢だが、婚約者の前では典型的なツンデレ属性だった。


 その更なるギャップに堪らず周囲が和む。が、


「お姉様? どうかされたのです?」


 空気を読まない令嬢が一人いた。いや、そもそも読めなかった。


「まあ! お顔が赤いわ! 具合が悪いのですか?」

「……レイヤ、ちょっとだけ黙っててちょうだい」

「いや続けてくれネタバ令嬢。アクヤの顔は今どのくらい赤い?」

「そうですわねぇ…」

「レイヤ、君にどのくらい赤いのかなんて表現できるの?」


 各々が各々、相手の反応なんてお構いなしに好きなことを喋る。


 そんなカオスを引き裂いたのは、朝礼のチャイムだった。



「解散! 解散ですわ! 各自教室に向かいますわよ!」


 強引にレイヤたちを振り切ったアクヤ・クレイジュ令嬢は叫びながら走り出す。


「待ってくれアクヤ! 教室までエスコートさせてくれ!」


 アクヤを追って駆け出すケディ殿下。


「追いかけっこですの? たまには童心に帰ろうと言うことでしょうか? ほほ、なら私のまるで舞っているかのような華麗な走りを披露して差し上げますわ」


 やはりどこかズレたような発言をかましながら走ってるのか歩いてるのか分からない速度で走り(?)出すレイヤ・ネタバ令嬢。


「君の頭の弱さは貴族の中でも群を抜いているよ。しかもなんだい? その爪先で跳ねているような走り方。全然優雅じゃないから今すぐやめたほうがいいよ。君にはお似合いだけどね」


 レイヤに対して嫌味を吐き続けながらその隣を並走するブルーノ殿下。



 まるで嵐のように去っていく一同に、生徒たちは呆れた様に笑いながら自身の教室へと向かうのだった。




 〜〜〜〜数日後



「今日は転入生を紹介します、入って来てください」


 雲一つない晴天の日。


 レイヤとブルーノのクラスに転入生がやってきた。


 先生の掛け声と共に教室の扉が開かれる。


 そこから現れた少女に、少し教室がざわついた。


「初めまして、皆様。私アイラ・シーナと申します。仲良くしていただけると嬉しいです」


 挨拶を終えて、愛らしく笑う。

 一部の男子生徒が思わずと言った様に言葉を漏らした。


「妖精みたいだ…」


 ふわふわと揺れる亜麻色の髪に、人形の様に丸くくりっとした愛らしい新緑の瞳。

 ふっくらとした頬は桃色に色づき、その肌は見るからに柔らかそうで男子生徒の目を惹いた。

 庇護欲が掻き立てられる様な少女は、男子生徒からの視線を一斉に受け恥ずかしそうに微笑んだ。


(((か、可愛い…!!!)))


(((この子危険な匂いがする!)))


 男子生徒と女子生徒で意見が分かれる。


 男子は鼻の下を伸ばし、女子は警戒の色を強める。


 教室に何とも言えない緊張感が漂った時、もう恒例と言っていい人物の発言によりその場の空気が一変した。


「突然の貴族学園の転入に、男性を魅了する可愛らしさ…これはまるで…今巷で流行っている新ジャンル”悪役令嬢モノ”のヒロインそのものですわね! そう! そしてその中でも一際人気を博している新人作家の処女作、『君と誓う愛の花』のヒロインーシャーロット! 挿絵に描かれていた彼女はまるで妖精のような愛らしさ、まあ、私の美しさには敵いませんが…そのシャーロットがまるで生きて出てきたかのようにそっくりですわね、シーナさんは」


 教室が静まり返る。

 一部女子生徒は悔しそうに唇を引き結んでいた。


(((油断した…)))


 レイヤの隣の席であるブルーノ殿下だけが肩を震わせていた。


 お気づきだろうが、レイヤ・ネタバ令嬢は事あるごとに、その時話題の何かのネタバレを(周囲の人間の気持ちなど関係なく)暴露する癖がある。

 彼女の流行を抑えるスピードは尋常じゃなく、並大抵の令嬢ができることではない。


 話題の最新作が出ればその日中には全て把握し、次の日には高らかに歌うように話の内容を撒き散らす。

 ”今年の流行”と呼ばれているものはどんなものでも知り尽くし、その知識を惜しげもなく披露する。


 そうして、大半はそのままの意味で、若干の尊敬と、思いの外掛け合わせのよかったためにすぐに浸透したのが例の呼び名。

 それが”ネタバレ令嬢”の由縁。


「あ、あの…?」


 突然作品の内容を話し出すレイヤに、アイラは戸惑ったような声を出す。

 側から見ればアイラが困っているのは一目瞭然なのに、そんなことお構いなし、いや、気づきいていないレイヤは自信に溢れる笑顔のまま続けた。


「ごきげんよう、私レイヤ・ネタバと申しますわ。ちなみに私この横にいる男…あら失礼、ブルーノ殿下の婚約者なんですの。シーナさんは『君と誓う愛の花』を知っていまして?」

「え、ええと…?」

「ちなみに『君と誓う愛の花』はヒロインで庶子出身のシャーロットと第二王子のイーサンが恋に落ちる、というありきたりな恋物語なのですが、なんと言ってもこの作品の醍醐味は”悪役令嬢”。イーサンの婚約者で二人の恋を過激に邪魔する悪役令嬢ベルリナを、最終幕にイーサンが華麗に成敗して二人は身分を乗り越えて結ばれる…といった痛快恋愛物語なのですが、」


 (((もう、喋らないでくれ…!)))


 そんな悲痛な叫びが聞こえてきたような気がしたが、レイヤは何一つ気づかない様子で喋り続ける。


「シーナさん、挨拶をされた時に淑女の嗜みであるカーテシーをされませんでしたわね? つまり、それに慣れていない状況で育ったと言うことでしょう」

「わ、私何か失礼を…」

「いいわ、大丈夫、全てわかっておりますわ」


 何をだよ、といったツッコミを喉の奥に抑える。


「この物語の最重要人物は悪役令嬢のベルリナ。そしてイーサンは第二王子で、悪役令嬢のベルリナはイーサンの婚約者。奇しくもこの教室には第二王子であるブルーノ殿下と、悔しくもその婚約者である私…」


「………ねえ、何か嫌な予感がするんだけど、レイヤ…」


 ブルーノが待ったをかけようとレイヤに腕を伸ばすも、それを避けるようにするりとレイヤは身を躱した。


「まあ偶然! こんなにも配役にぴったりな人たちが集まっているだなんて、なんだか素敵な予感がしませんこと?」


 パチン^_−☆ パチン^_−☆


 と言った感じで、レイヤは一生懸命にアイラに目配せ(ウインク)をした。


 流石にレイヤの言いたいことを感じ取ったのか、アイラは何かを考え込むように静かになる。


「私()()()()()()()()()()、シーナさんを応援いたしますわ!」


 パチン^_−☆


 止めのウインクがアイラに送られる。


 レイヤの横ではブルーノが頭を抱え込んで唸っていた。


 やがてアイラは顔を上げてレイヤを見ると、花が綻ぶように微笑んだ。


「レイヤさんのお気持ち、とても嬉しいです」

「ええ、援護も全て任せてください。私あの作品は一読者として敬愛しておりますの」

「その…私、マナーやルールにはちょっと疎くて…」

「皆まで言わないでくださいまし。この私に不可能はございませんもの」


 まるで会話が噛み合っていないのに、二人は会話を止めようとしない。


「…私が仲良くしても、ご迷惑ではないですか?」

「ノープロブレム、ですわ。その代わり全力でいかせていただきますことよ」

「嬉しい! レイヤさんと仲良くなれそうで私、とても心強いです」

「なんと言ってもこの私ですもの、当たり前ですわ! それでは同じ作品を愛するもの同士、全力で励みましょう」

「はい! これからよろしくお願いしますね、レイヤさん」


 《交 渉 成 立》


 そんな言葉がクラスメイトたちの脳裏に浮かぶ。


 ついにブルーノの頭は項垂れ、二人の少女の中にはちょっと変わった友情が芽生える。


 今回ばかりは、クラスメイトたちもブルーノに対して憐れみの視線を送った。




 次の日から教室には今までとは違う地獄が待っていた。


「ブルーノ様、私授業のここが分からなくて…よかったら教えてくれませんか…?」

「………僕、君に名を呼ぶ許可出してないと思うんだけど…?」


 第二王子であるブルーノの名を親し気に呼ぶアイラに、笑みを浮かべるものの冷めた声音で諭すブルーノ。


 それだけでも異常な光景なのに、それに加勢する形で異常な行動をする女子生徒が一人。


「お〜ほっほっほ! 元庶民のアイラさんには私たちの授業は難しいでしょうねぇ! 自身の無知を恥ずかしげもなく晒して殿下に教えを請うなんて…まあなんてはしたないんでしょう!」


 なぜか鼻高々、そして意気揚々に悪役に徹底するのは、レイヤ・ネタバ令嬢。


「クラスメイトの皆様もそう思いますわよねぇ!」


 急にきたとばっちりにクラスメイトたちはサッと目をそらす。


「………レイヤ、これはなんの真似かな…?」

「あらぁ? なんのことですの、殿下? 私としたことがまっっったく見当がつきませんわ」

「……レイヤ」

「私今、元庶民であるアイラさんを虐めるのに忙しいんですの。身の程を分からせてあげるのが貴族の務めというものですわ」


 ツーンとそっぽを向いてあくまでも抵抗してみせるレイヤにブルーノは深々とため息をついた。


「……わかったよ」

「?」

「君がその気なら、僕だって好きにやらせてもらうよ」


 今までとは違った凄みのある笑みに自然とレイヤの喉がゴクリと鳴る。


 それはクラスメイトも同じく、これから待ち受ける苦難の未来に心の中で項垂れた。




 そしてまた次の日からさらに異様な地獄が待ち受けていた。


「ははは、アイラ君は面白いことを言うね」

「やだ…なんだか恥ずかしいです…もぅ、笑わないでください!」

「ははは」


 昨日の冷めた態度とは打って変わってアイラに優しく親しげな態度をとるブルーノの姿に、クラスメイトたちは目を見張る。

 そしてこの状況に一番納得しなさそうな生徒の方をチラリと見遣った。


「…これでは…まるで…っ」


 視線の先には怒りからなのか、肩を小刻みに震わせるレイヤがいた。

 流石のレイヤでもこれは許せないのでは…?と、皆んなごくりと唾を飲み込んで次の言葉を待つ。


 やがて下を向いていた顔が勢いよく上がり、目がカッと開らかれる。


 ”来る…!”と皆んなが身構えた時だった。




「まるで…まるで…ッ、そう、まるで!!! 『君あい』の展開通りですわ〜〜〜!!」




 ……???


 怒るどころか歓喜していた。


 予想外れの反応に膝から崩れ落ちそうになる。


 これはさすがにブルーノも予想外だったのか、こめかみに怒りマークが浮かび上がったような気がした。


 そんな周りの反応など露知らず、レイヤは「ああ…!」と打ち震える。


「私ったら悪役令嬢さえも見事にモノにしてしまうだなんて…才能が恐ろしい…! まあ、当然の結果ですわよね! ああでも、気を抜いてはいけませんわ。ここからは悪役令嬢による怒涛の虐めが始まる展開。髪の毛の一本、指先つま先さえも原作通り忠実に再現してみせますわ!」


 お〜ほっほっほっ! と悪役令嬢然とした高笑いが教室内に響き渡る。


 ついに歩くネタバレとしても覚醒してしまいそうな勢いに生徒たちは絶望を通り越して呆れてしまう。


 そんな空気を壊すようにガタンッと一際大きな音が教室にしたかと思えば、椅子から勢いよく立ち上がったのであろうブルーノが爽やかな笑みを浮かべながらアイラの隣に座り直した。


「君の亜麻色の髪はとても好ましいな。誰かのような()()()()()()()とは違って、優しくて素敵な色だ」

「えっ、ブ、ブルーノ様…?」


 突然の褒め言葉に、心からアイラは頬を赤く染める。


「それに君の瞳の色も新緑と、とても目に優しくてずっと見ていたくなるよ。僕の近くには青々し過ぎて目がチカチカしてくる人がいるからね」


 ブルーノはずいっと身を乗り出してアイラの瞳を覗き込む。

 必然とブルーノの綺麗な顔が近くに来たことにより、アイラの顔はより赤く染まった。


 甘い雰囲気、かと思いきやカッチーンといったその場にそぐわない間抜けな音がレイヤの居る方向から聞こえた気がした。


 見つめ合う二人を邪魔するようにレイヤは顔を引き攣らせながら殿下に食ってかかる。


「まあまあまあまあ! 殿下には青の良さが分からないんですのね! 青とは海と空の色…つまりは世界の色ですわよ? それを目に悪いだなどと…ほほ、冗談はおよしになって?」


「…なんだか耳元がうるさいけれど、アイラ君は気にしなくていいよ」

「えっ、でも…」

「僕たちを邪魔する無粋な人なんて相手にするだけ無駄だからね、今は二人の時間に集中しよう」

「え…///」


 情熱的とも取れる言葉たちにアイラは首まで赤く染める。

 その二人の横でレイヤは無視されたことに「キィ〜〜〜〜」と奇声を上げていた。


 今まで通りならレイヤの嫌味に嬉々として嫌味を返すブルーノだったが、今は眼中にすら入れずにアイラの頬に手を伸ばした。


「こんなに赤くなって…愛らしいな」

「はわ…♡」


 レイヤにすら向けられたことのない慈愛に満ちた綺麗な微笑みが至近距離でアイラに向けられる。

 アイラはもはや頬を赤く染めることを通り越して、瞳がハートに変わっていた。


 完全に二人きりの世界になってしまったブルーノとアイラに、クラスメイトたちは得体の知れない生物を見たかのように目を瞬かせる。


 だって今まで一度たりともこんなことはなかったのだ。

 確かに言葉だけ聞くと分かりづらいが、ブルーノのレイヤに対しての想いは確実だった。いっそ重いほどに。


 それが目の前のブルーノはどうだ。

 すぐ側にいるレイヤなんかには目もくれず、先ほどから見たことのない慈愛に満ちた表情でアイラを一心に見つめているではないか。

 これを目を疑わずにいられるわけがなく。


 ついに心変わりをしてしまったのだろうか…? と誰もが思った。


 そして先ほどからやけに静かになったレイヤにそっと視線を向ける。



「…………なん、なんですの、これ」



 ポツリと耳を澄ませていないと分からないほど小さな声がレイヤから漏れる。



「そうだ、僕のお気に入りの場所を君に教えてあげよう。…これは、特別だから誰にも内緒だよ」

「はい…♡」


 ブルーノは立ち上がると絵本の王子様のようにアイラに手を差し出す。


 立ち上がったアイラの腰に手を添えてエスコートをするブルーノに、目をハートにしてブルーノに釘付けのアイラ。

 まるで恋人のように寄り添って二人は教室を後にした。


 二人が去った後の教室にはなんとも言えない気まずい空気が流れる。



「…」



 黙り込むレイヤになんと声を掛ければいいのか分からずただ顔を見合わせる。


 やがてレイヤの方がふるふると小刻みに揺れ出した。



「…初めてですわ、こんなの…」



 絞り出したような声にレイヤに対する哀れみの視線が向けられる。



「……胸が…心臓が、こう…ムカムカして、時々きゅ〜ってなるこの感覚…」



 その言葉に生徒たちは親のような感情になった。

 今ここにブルーノがいれば、どれほど喜んだことだろうか…。

 けれど先ほどのブルーノを思い出して、なんとも言えない気持ちになる。



「…そう…これは、まるで…昨日発売された『愛の独白』、その51ページの主人公と全く同じ気持ちですわ…!」



 がっくり。


 こんな時でも”ネタバレ令嬢”は健在であった。


 ある意味通常運転なレイヤに少しだけホッとする。


「いや、でも、胸焼けの可能性も…なくはないですわね…? 昨日ケーキを食べ過ぎてしまいましたし…」


 ボソボソと独り言を呟くレイヤを生徒たちは生暖かい眼差しで見守る。


 彼女が自身の気持ちに気づけるのかといった若干の不安と、先行きの見えない漠然とした不安に生徒たちは皆揃って胃を抑えるのだった。




 ーーーーー***ーーーーー




 それからもブルーノの態度は変わらず、アイラに優しく、レイヤには厳しかった。


 最初は負けじと悪役令嬢を演じていたレイヤだったが、最近では何かを考え込むことが多くおとなしくなってしまった。

 邪魔者が静かになったことでブルーノはさらにアイラに愛にも似たセリフを囁く。


 アイラはブルーノの態度で完全に調子に乗ってしまったらしく、最近ではなんと学年も違うのに第一王子にも手を出し始めたらしい。


 クラスメイトたちはハラハラとした感情と胃のキリキリとした感覚に参っているものが多く、誰もアイラを止めることができなかった。


 それをいいことにアイラの暴走は止まるところを知らなかった。


 毎日足繁くケディのクラスに通っては、注意するアクヤを悪者に仕立てるかのようにわざとらしく泣いてみせたり。

 ブルーノとケディだけでも飽き足らず高位貴族の男子生徒にも手をだす始末。しかも皆婚約者がいるのに、だ。


 流石に見かねた女子生徒が苦言を呈すも、元庶民であることを主張して男子生徒の同情を買うように弱々しく泣く。


 小さい子供に話しかけるように優しく言っても、泣く。言葉遣いに細心の注意を払って丁寧に諭しても、泣く。


 正直お手上げだった。

 正しいことを言っているはずなのに、まるでひどいことをされたと言わんばかりに泣かれるのだ。


 次第に苦言を呈していた女子生徒たちも口を噤んだ。レイヤのように進んで悪役にはなりたくなかった。


 ただ一人だけ、”聖母”と呼ばれるアクヤだけはアイラにずっと行動を改めるよう諭した。


 けれど次第にアクヤとケディの仲もアイラのせいで関係が悪くなっているという悪い噂ばかり聞くようになる。


 誰もが諦めの気持ちでいっぱいになり、アイラによるハーレム状態が着実に形成されていく。


 そんな時、ブルーノとアイラがいないタイミングを見計らってアクヤがレイヤに会いに来た。

 彼女たちが揃っている姿を見るのは約3ヶ月ぶりのことであった。



「レイヤ、少しだけよろしいかしら」


 教室の中を伺うようにして顔をのぞかせるアクヤに、レイヤは小首を傾げる。


「お姉様の方から尋ねてくるなんて、珍しいですわね」

「…そうね…ここでは人の目もあるし、できれば庭園の方で話したいことがあるのだけれど…」


 あまり人に聞かれたくないのかコソコソと喋るアクヤに、同じように声を潜めて頷いた。


「わかりましたわ。参りましょう、お姉様」


 二人は揃って教室を出る。


 その数分後に入れ替わるようにしてブルーノとアイラが戻ってきた。

 ブルーノはチラリとレイヤの席の方を見ると、少しだけ眉を顰めた。


「………彼女は、どこに行ったのかな?」

「え?!」


 突然の質問に、問われた生徒は驚きのあまり声を裏返す。

 あれ以来初めてみせたレイヤに対しての反応に、周囲も耳を疑う。


「……どうやら教室にいないようだけど…?」

「え? ええっと…」

「……僕に言い難いような、ことなのかな?」


 なんとも言えない圧力を感じて冷や汗が垂れる。

 問われた生徒は正直に話すべきか、それとも濁すべきか答えが見つからず、瞳だけが忙しなく動く。


 ブルーノがまた何かを発言しようと口を開いた時、それよりも早くアイラの横槍が入った。


「ブルーノ様、どうかされたんですか?」

「………アイラ」


 いつの間にやら”君”もとれて、親しげに少女の名を口にする。

 それに満足そうに笑ったアイラは軽々しくブルーノの腕に自身の手を添えた。


「あちらでお話ししましょう? 再来週に控えている学園舞踏会のドレスについて相談があって…」


 可愛らしく恥じるように頬を染めるアイラに、にこりと微笑みかけるブルーノ。

 そのままアイラに促されるまま二人は教室を後にした。


 去っていった恐怖に問われた生徒はホッとため息をつく。


 そして次の瞬間には不安が胸の内を襲った。


 ”まさかドレスを婚約者以外の女性に贈るなんてこと、しないよな”


 馬鹿げた思考に笑いを溢すものの、完全に馬鹿にできない状況に今度はため息を溢すのだった。




 一方、アクヤとレイヤは。


「お話とはなんでしょうか、お姉様?」


 庭園の中でも人が集まりにくい少し葉の生い茂った場所にて二人は向かい合う。


 レイヤに問われたアクヤは少し言いにくそうにして、やがてゆっくりと口を開いた。


「…あなたのクラスに、アイラ・シーナって子がいるわよね?」

「ええ、おりますわよ」

「…その、あなた、あの子のことどう思っているの…?」


 いつもはズバズバと自分に対して言葉を言うアクヤが非常に言いにくそうにしている姿に、レイヤは小首を傾げる。


「どうって…、お姉さまこそ、どうされましたの? なんだか様子が違うように感じますが?」

「…あなた、もしかしてあの子の噂知らないの?」


 逆にアクヤはレイヤのなんとも思っていなさそうな態度に驚きを表す。


「知っていましてよ」

「じゃあ、どう思っているの? レイヤだって、その、ブルーノ様を…取られそうなのではないの…?」


 弱々しく尋ねてくるアクヤにレイヤは黙り込む。

 数分の間を空けてレイヤは口をひらく。


「正直、最初は殿下と合法的に婚約破棄できるのでは? と思って彼女に積極的に加担しておりましたわ。それに彼女、『君あい』のファンでしたし、あの作品を再現できるのであれば一石二鳥だと…」

「………レイヤ、あなた、あの子に加担していたのね……全く……」


 呆れたような声がアクヤから漏れる。そんなことを気にかける様子なくレイヤは言葉を続けた。


「けれど、だんだんと、こう…胸の辺りがモヤモヤしてきて…。だって、私の方が美しく可愛らしいはずですのに、殿下ときたら彼女の方がまるで愛らしいとでも言いたげに褒めそやすのですよ? 腹がたったのか、なんだか胸の辺りもムカムカして参りまして…」

「…レイヤ」


 思いの外成長していた気持ちにアクヤは思わず笑みを溢す。

 しかし、「これでアイラさえいなければ万事順調だったのに…」といった気持ちが浮かんで、その笑みもすぐに消えてしまう。


 最近のアクヤの悩みは専らこれだった。

 考えたくもないのに、醜い気持ちがどんどんと溢れ出てくる。


 アイラにケディが笑いかけているところを見てしまうと、瞬く間に暗い気持ちで心が覆われる。


 本人を前にするとどうしてもツンツンとした態度をとってしまうが、アクヤはケディのことが大好きだ。

 誰にも負けない自信があるくらい。


 齢7歳の時に決まった婚約。

 初めて顔合わせをした時からアクヤはケディのことを愛していた。

 そしてそれは近くにいられるようになってからは増すばかり。


 しかし元々小さい頃から責任感も強く、誰よりも淑女足らんとする姿勢からケディに甘えることができなかった。

 自分自身が甘えるといったことにも恥ずかしさが勝ってしまい、ケディに対してもつっけんどんな態度ばかりになってしまう。


 以前からの悩みでもあった愛想のない態度に、それと正反対の存在が目の前に現れた。

 それがアイラだ。


 自分とは違い可愛らしく甘えるその姿は、アクヤの目から見ても庇護欲をそそられて…。


 ひどく羨ましかった。


 そして自分と比較してひどく落ち込んだ。


 最初、ケディはアイラのことを相手にもしていなかった。

 そのことに安心感を覚えつつアクヤも気にしないようにしていたのだが、アイラがブルーノを引き連れて教室に訪れるようになってからは打って変わってアイラに対して優しく話しかけるようになったのだ。


 今までと全く違う態度にひどく動揺して理由を尋ねても、「君が心配するようなことは決して起こらないから安心して」とだけ言ってあとは濁すばかり。

 次第に不安が募っていった。


 しかも彼女の行動や言動は目に余るものが多すぎて流石に見逃せなかったアクヤは、今までレイヤにもしてきた通りに注意をした。


 それをどう間違って受け取ったのか、アイラは”いじめないで” と泣き出してしまったのだ。


 必死に諭そうとするもさらに泣いてしまうアイラにアクヤは何も言えなくなってしまった。

 そこにケディが騒ぎを聞いて駆けつけてきてくれた時、助かったと思った。


 ケディは自分を庇ってくれると思っていたから。


 けれどケディがまず口にしたのはアイラの心配だった。


 頭を鈍器で殴られたような感覚だった。

 必死に自身に”下級生を心配するのは当たり前だ”と言い聞かせても鼓動は早くなるばかり。


 そして目の前では可愛らしく涙をこぼしてケディに甘えるアイラと、優しく諭すように話しかけるケディ。


 なんで、と心が叫んだ。



 ”私だって優しく話しかけていたのになんで”

 ”ただ彼女の今後を思って指摘をしただけなのになんで”

 ”目の前に婚約者がいるのにその子(アイラ)を優先するのはなんで”



 涙が溢れそうになるのを歯を食いしばることでなんとか持ち堪える。

 淑女たるもの、人前で涙を流すなんて…そう思っていたのに、


「シーナ嬢が落ち着くまで側に着いているから、アクヤは先に戻っていて」


 そんなことを言ったのだ。



 ー…ねえ、私の、心配は? (婚約者)よりも、その子が大事なの…? 謂れなき疑いをかけられて困っている私を助けにきてくれたのではなく、泣いているその子が心配で駆けつけてきたの…?



 気づけば全力でケディの頬を叩いていた。



「ケディ様なんて、大っ嫌いですわ!」



 先ほどの誓いも虚しく流れる涙もそのままに、逃げるようにその場を後にした。

 背後からケディが必死に自分の名前を叫んでいる声が聞こえたが、もう限界だった。



 それからは一方的にケディのことを無視した。

 ケディもケディで、毎日せっせと尋ねてくるアイラを無視することができないのか、アクヤに話しかける暇もあまりなかった。


 そうして時間が経つにつれ関係は拗れていき、今に至る、と。



「お姉様も、ケディ様と仲が悪くなられたと噂されておりますが…」

「……そう、ね。もしかしたら、婚約破棄、されるかもしれないわね…」


 力なく笑うアクヤにレイヤは目を見張る。


「まさか! ケディ様に限ってそのようなことないですわ! されるとするならば、私の方かと」

「それこそありえないわよ」

「あら? なぜです?」


 心底不思議そうに尋ねてくるレイヤに、困ったものを見たようにアクヤは笑う。


「だってブルーノ様、レイヤのこと大好きではないですか」




「…………………なんて仰って?」




 レイヤは自身の耳を疑った。

 もう一度アクヤから聞こうとするも、言った本人は首を横に振る。


「次は殿下の口から直接聞きなさい。その方が、あなたも信じられるでしょう?」

「…………………………信じるかどうかは、殿下次第ですわね……」


 淑女らしくない難しい顔をして見せるレイヤに、アクヤはたまらず微笑む。

 そしてふと思い返す。


 ”私は、果たしてケディ様に「大好き」を伝えたことはあっただろうか”と。



「まあ私は婚約破棄していただいても全然ノープロブレム、ですけれど」


 レイヤのそんなセリフに現実に引き戻されたアクヤは慌てて待ったをかける。


「その行動は、あなたの気持ちを無視しているのではなくて? 先ほどレイヤが言っていたモヤモヤだったりムカムカした気持ちが何なのか、ちゃんと考えたことはある?」

「…それがわからなくて、最近ずっと考えているのですが…お姉様は知っていまして?」


 ()()()()()()()のか、それとも()()()()()()()()のか、定かではないが確かな前進にアクヤは慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「あなたはきっとその気持ちの”正体”を知っているわよ。…だってそれは、あなたの敬愛する小説や舞台の中にもあるんですもの」

「小説や舞台の中に…?」

「そうよ。思い出して。あなたと一緒に観にいった『ロメオとジュリエッタ』、ヒロインのジュリエッタは他の令嬢と仲良くするロメオを見て何を思ったかしら?」

「……………胸の辺りがモヤモヤして苦しいと、嘆いていたわ…」


 それは奇しくもレイヤと同じ状況だった。

 アクヤは「正解」と言ってにこりと笑うと続ける。


「ジュリエッタがロメオと引き離されてしまった時は?」

「…胸が張り裂けそうなほど辛くて…」

「その時、彼女は引き離そうとしてくる人たちになんて叫んだかしら?」



「………………ロメオを愛している、()()と…」



 胸にストンと落ちてくるように、その言葉はしっくりときた。


 初めて気づいた感情にしばらく瞳を瞬かせる。


 やがて迷子のような表情でポツリと呟いた。



「…………私、ブルーノ様に”恋”しているの…?」



 いつもは自信に満ち溢れている瞳が、今は頼りなさげに揺れている。


「…あなたは、どう思うの?」

「私は……」


 少しの間考え込む。

 やがてぽつりぽつりと言葉を紡いだ。


「…私、アイラさんに、”嫉妬”、していました…。それは、私がブルーノ様を”好き”だから…」

「…そうね、私の目にもそう見えたわ」


 今のレイヤの言葉を聞いたら、ブルーノはどれだけ喜ぶだろうか。

 なんだか惜しい気持ちを感じてしまう。

 きっとブルーノは歓喜で言葉をなくすことだろう。


 レイヤは変なところで鈍感だし、ブルーノは愛を拗らせているから、ここまでくるのに約10年もかかってしまった。


 記念すべき日にいるのが自身であることにアクヤは若干の罪悪感を感じる。


「そう…そういうことでしたのね…」


 しかし自身の気持ちに気づけたはずなのに、ブツブツと呟くレイヤに良いしれぬ不安を感じる。


「レイヤ…あなた…」


 ”何を考えているの?”と尋ねる間もなくレイヤは晴れやかな笑みを浮かべて答えた。


「これで堂々と”悪役令嬢”に精を出せますわ!」

「なぜそうなるの」


 痛む頭を抑えてため息をこぼす。

 レイヤは自信満々に胸を張って謳うようにしゃべる。


「確かに、ブルーノ様は私のことを <だ い す き> かもしれませんが…」

「…強調がすごいわね…」

「人の気持ちというのは移ろいゆくものですわ。私への気持ちが消えてアイラさんを好きでも何らおかしくありませんもの。それに、今の私の状況は『君あい』の悪役令嬢ベルリナと全く同じ状況。むしろ彼女と同じ気持ちで”悪役令嬢”を演じられるなんて手を抜けるはずがありませんもの! これで、より正々堂々アイラさんに挑むことができますわね!」

「…」


 堂々と胸を張って高らかにそんなことを言うレイヤ。

 本当の自分の妹のように可愛く思っているものの、こういった無鉄砲なところは少々キズだ。


 …いや、むしろ彼女のこう言うところに私は救われているのかもしれない。


 そんなことを心の中で思ったアクヤはレイヤをみてクスリと笑う。


「淑女としては不合格だけれど…あなたらしいわね、レイヤ」

「私はどこまでも自由を求める淑女ですもの」


 ほほ、とお嬢様らしく笑うものの言っていることはめちゃくちゃだ。


 まあでも、それが彼女、レイヤ・ネタバ侯爵令嬢だ。


 どこまでも自信家で、好奇心旺盛。令嬢らしくないところもあるし、すぐネタバレをしては周りを絶望させるが…。

 誰よりも芸術と自由を愛し、自身の気持ちに正直に生きている少女。


「…羨ましいわ」


 ポツリと呟かれた言葉にレイヤは首を傾げながらアクヤを見た。


「どうされましたの? お姉様」

「…私は、あなたみたいにすぐ前を向けないから…」


 アクヤは自身の手のひらを見つめる。

 その手はケディの頬を叩いたもの。今でもあの時のことを思い返せば、叩いた手のひらがじくじくと痛み始めるようだった。


「殿下の頬を引っ叩くようなはしたない女は、婚約破棄されてとうぜ「お姉様っていくじなしですわ」


 被せて言われたセリフに驚いてレイヤの方を向くと、彼女は少し怒っているようにムッと口をへの字に曲げていた。


「私、お姉様のこと大好きですの。だから”お姉様”って呼んでおりますのよ」

「………? あなた何の話を…」

「だってお姉様は私の次に美しいのですもの」


 ……どんなことを言われるのかと思ったら自慢、話…か???


「あなたって…時々とんでもなく失礼よね……」

「ふんっ、お姉様に言われたくありませんわ。私がお姉様に失礼ならば、お姉様はケディ様に失礼です」

「!」


 目を見開いて目の前で怒る少女を見る。


 彼女は自身にしか興味がないように見えて、意外とよく周りを見ていたりする。

 淑女として次期王太子妃として常に気を張り周囲を見ているアクヤよりも、時々確信を突いたことを言うのだ。


「何も行動しておりませんのに後悔したり嘆いたり…少々早計すぎるのではなくて? お姉様は全力でケディ様にぶつかりましたの? 正々堂々アイラさんに立ち向かいましたの?」

「それは…」

「そう言った方のことを”意気地なし”と言うんですのよ! 愛も語れぬ意気地なしなど、物語にも登場しませんわよ!」


「………何よ」


 突然アクヤの様子が変わる。

 ふるふると肩を揺らし、悔しそうに唇を引き結んだ彼女はキッとレイヤを睨み見ると淑女らしくなく声を荒げて叫んだ。


「じゃあ! あなたは私に人の目も憚らず愛を語れと仰るの!? 次期王太子妃としての資質を常に問われている私に、そんなはしたない真似をしろと?!」

「まあまあまあまあ! 話にもなりませんわね! 愛を語ることのどこがはしたないと言うのですか?!」

「だってそうじゃない! そんなのは娼婦のやることだわ! まさか私に娼婦の真似事をしろと?!」

「キィ〜〜〜!!! 話のわからないお姉様ですわね!! 伝え方などいくらでもあるでしょうに!!!」


 お互い鼻息荒く、肩で呼吸する。


 シンと静まり返った空気を最初に壊したのはレイヤだった。


「……私はただ、お姉様にも自己主張をして欲しいだけですわ…」

「…!」

「愛の語り方など、この世にどれだけ溢れていると思っているのですか。そんなことも知らない浅学なあなたではございませんでしょう?」

「けど…」


 それでも渋るアクヤに痺れを切らしたレイヤはぺチン…と、その頬を叩くとも言えない強さで叩いた。


「お姉様はこのまま戦いもせずにアイラさんにケディ様をとられてもいいのですか?」

「っ、いやよ! あっ…」


 ほぼ反射的に口から出た言葉に蓋をするように手のひらで口元を隠す。

 それでもそれがアクヤ・クレイジュの間違いなく本音であった。


「後悔するのは、行動をしてからにしましょう? 私は逃げも隠れもせず正々堂々挑むと決めました。それは私がブルーノ様を不本意ながら好きだからですわ。お姉様はどうなのです?」

「………私だって…私だってっ!」


 気づけばアクヤの瞳にはいっぱいの雫が溜まり、とうとう受け切れなくなった目尻から流れ落ちる。


「私だって…ケディ様をお慕いしているわ…。誰にも負けない自信だってある…! 私がここまで頑張れたのだって、全部、彼の方の隣に胸を張って並んでいたかったから…」


 ポロポロと涙を溢すアクヤはまるで幼い少女のようだった。


「ただ見目の良い殿方を侍らせたいだけの娘なんかにケディ様を取られたくなんてないわよ…」

「…私、時々口が悪くなってしまうお姉様のことも大好きですわ」

「でも、私いつも強がって可愛げがない態度ばかりだし…今さら私が愛を告げたって受け入れてもらえないかも…」

「それならばそれまでの器だったと言うことですわ、ケディ様が」


 王族相手でも不敬とも取られないことを堂々と言ってみせるのがレイヤ・ネタバ侯爵令嬢。


 彼女は尚も臆することなく不敬を述べる。


「そんな器の小さい男だったならば王様にも相応しくありませんもの。そうなれば早々に見切りをつけましょう。お姉さまがもったいないですわ」


 どこまでも偉そうな態度に驚きで口が塞がらなかったアクヤもたまらず笑みが溢れる。


「…………ふ、ふふ。…私、あなたのそう言ったところ、大好きよ」

「知っておりますわ」


 また笑みが溢れる。目尻にたまった雫を拭き取ると、アクヤはすっきりとして笑顔でレイヤを見据えた。


「私、頑張ってみるわ」


 レイヤの顔にも満足そうな笑みが浮かぶ。


「勝負は再来週に控えている舞踏会までの期間ですわ。『君あい』では舞踏会の時に主人公たちによる断罪劇が繰り広げられます。きっとアイラさんもそこを狙ってくるでしょう」

「…2週間、思っていたよりも短いわね…」

「安心なさってお姉様。彼女が野に咲く可憐な花なら、私達は手入れの行き届いた優雅な薔薇ですわよ? そもそも土俵が違いますもの。負ける気がしませんわ!」


 そう言って高らかに笑うレイヤに安心感を覚える。


「まあ、ブルーノ様の好みが野に咲く花タイプであれば致し方ありませんが」

「…どんなタイプなの、それ」


 呆れたようにため息を溢すアクヤは、もういつも通りの調子を取り戻しているようだった。


「さあさあ参りますわよお姉様! 打倒ヒロインですわ〜!」

「…もう少し声量を落とせないのかしら、この子は全く…」







 学年が違うため途中でアクヤと別れたレイヤは堂々たる勢いで教室へと舞い戻った。


 そこには何とも言えない空気に包まれたクラスメイト達。

 その視線の先には今にも肩が触れ合いそうなほど近づいて座るアイラとブルーノがいた。


「…上等ですわ」


 教室に入ってきたレイヤに気づいたクラスメイト達は慌てた様子の表情を浮かべるも、レイヤが浮かべる表情が不敵な笑みであるのに気づいて言葉を呑み込む。

 緊張感を増した空気など蹴散らすように堂々と歩み寄ったレイヤは胸を張って二人の前に立つ。


「レイヤさん? どうかされたんですか?」


 アイラが不思議そうに首を傾げ、その態度はとてもブルーノの婚約者を前にしたものとは思えないほど軽い。


「ほほ、私も舐められたものですわね…。でも、私譲らないことに決めましたの」


 尚も不思議そうな表情でレイヤを見遣るアイラにビシッと人差し指を突きつけると、レイヤは高らかに宣言した。


「これからは、悪役令嬢ベルリナとして、そして何よりも私として、正々堂々あなたに挑みますわ! 覚悟なさって!」


 自信満々に浮かべられた笑みにアイラは小さく息を呑み、その横にいたブルーノは目を見張る。


「そしてブルーノ様」

「えっ」


 しっかりと見据えられた瞳に一瞬ブルーノがたじろぐ。


「大変不本意ではありますが…私、あなた様を私の次に、愛しておりますわ」


「…………………は……?」


 ブルーノは綺麗な顔が崩れるのも気にせず大きな口を開く。

 それはクラスメイト達も同じで、突然の愛の告白に教室は静まり返りみんな同じように目と口を開いた。


「私の愛は偉大ですわよ。しっかりと受け止める覚悟をなさって下さいましね」


 ふわりと微笑んだその表情は今まで一度も見たことないくらい柔らかく、そして息を呑むほど美しい笑顔だった。



「…………レイ「情けは無用!!!」



 ブルーノの言葉を遮るように叫ばれた声に、放心していたクラスメイト達もハッと意識を取り戻す。


 と、同時にそのセリフは確かにあっているのか…? と疑問を浮かべる。


「この勝負の行方は舞踏会の時に、白黒はっきりつけましょう。ねえ、アイラさん」


 打って変わって挑戦的な笑みに、それを向けられたアイラは若干怖気付いたように、けれど可愛らしく微笑んだ。


「……わかりました。舞踏会の時に、ですね」

「ええ、舞踏会の時に、ですわ」


 まるで何かの合言葉のように同じ言葉を繰り返す二人の間には、見えない火花が散っているようだった。




 レイヤの教室での出来事は瞬く間に広まり学園を騒然とさせた。



 ついにアイラを止めることができるのかと言った淡い期待から始まり、舞踏会の時に一体何が起こるのかと言った不穏なものまで、色々な憶測や噂は後を尽きることを知らず。

 誰もが彼女達の行動を息を潜めて見守った。


 レイヤは宣言通り次の日からアイラに立ち向かった。


 アイラとブルーノが二人一緒にいれば空気など読まずにガンガンと邪魔しに行き、臆することなくレイヤの持論のもと苦言を呈す。


 それは、”ヒロインのシャーロットはもっと奥ゆかしいですわ”だったり、”野に咲く可憐な花を目指すならもっと身だしなみに気を遣ったら如何?”だったり…。

 大半が共感できるものではなかったが、彼女の怒涛の邁進にはみんな一様に心の中で応援した。


 アイラもレイヤの持論すぎる苦言には流石に涙を浮かべられなかったのか、どう反応すればいいのか困ったような笑みを作りながらそれでもかろうじて悲劇のヒロインのように振る舞っていた。


 変化があったのはブルーノも同じで、今まではレイヤに対して無視を決め込んでいたのだがことあるごとに自尊心高めの告白をされるせいかとうとう無視することができず、以前のように嫌味を返すようになった。

 怒りマークを浮かべる時もあるけれど、見るからに楽しそうに生き生きとしたブルーノの表情にクラスメイト達は胸を撫で下ろす。


 これは早々に決着が着くのかと思いきや、それでもアイラとブルーノは行動を共にするのが大半だった。


 そのことに自信を浮かばせたアイラは次第に大胆な行動に出た。

 なんとレイヤの前でもブルーノと腕を絡ませるようになったのだ。


 流石にこれはレイヤにもくるものがあったようでその時ばかりは二人を邪魔しに行くことができなかった。


 味を占めたアイラがさらにブルーノとくっつこうとするも、ここで初めてブルーノによって拒否される。


「それは流石に近すぎるかな、僕たち、恋人でもないしね」


 このことはアイラだけでなくクラスメイト達にも衝撃を与えた。

 そして確信する。”確かにいい流れは来ているのかもしれない”と。


 ブルーノに拒否されたのがショックだったのか、アイラは教室を飛び出して今度はケディのクラスへと向かった。


 レイヤにライバル宣言されて以降、ブルーノを取られまいとケディに会いに行けてなかったが、彼ならきっと拒否しないだろうと。

 だってアクヤに苦言を呈されて泣いた時だって、自身の婚約者ではなく私を優先してくれたんだから、と。


 そんな下心を隠して涙を浮かべながらケディの教室へ赴くと、案の定ケディは心配そうに歩み寄ってくれる。


 教室に婚約者がいるのに、だ。


(当然よね。だって私の方が可愛いもの)


 心の中でアイラがほくそ笑んでいる時だった。


 ぐいっとケディの体が後方へ引き寄せられる。もちろん引き寄せたのはアイラではない。


 そして引き寄せた人物はアイラをキッと睨みつけると、見せつけるようにケディの腕に自身の腕を絡めた。


「…ア、アクヤ?」


 ケディが頬を赤らめながら戸惑ったように自身を引き寄せた人物の名を呼ぶ。


 アクヤはそんなケディを無視してアイラから視線を外すことなく静かに告げた。


「私の愛しい人は、譲れませんわ。どうか諦めになって」

「…!」


 ケディが目を見開き、顔を真っ赤にさせたまま硬直する。


 アクヤは慣れていない愛の言葉に若干頬を赤くさせるも、ケディの腕を離そうとしなかった。


 アイラは咄嗟に涙を浮かべる。


「そんな…! 諦めてだなんて…まるで私が悪者みたいに…! あんまりですわ!」


 わあっと泣けば心配そうな顔をしてケディが優しく声をかけて……こなかった。



「も、もう一回…もう一回、言って? ねえ、アクヤ、お願い」

「……いやですわっ。私、怒っておりますのよ?」



 目の前で繰り広げられるのはバカップルの会話。


「………何よ、これ」


 ボソリと呟いたアイラは逃げるようにアクヤの教室を飛び出す。


(何よ、何よ何よ何よ!! こんなの…物語のシナリオと違うじゃない…!)


 心の中で取り乱す。舞踏会まではもう1週間を切ったと言うのにこれでは話が違うと子供のように喚く。


 自分のクラスに戻ればブルーノが相手をしてくれるものの、その瞳には嬉しそうにレイヤを写す。

 ケディも顔を真っ赤にしながら遠回しに告白をしてくるアクヤばかりに構うし、他の高位貴族の男子も次々と自身の婚約者の元へと戻っていった。


(何よ…! 今まではみんな私のことをちやほやしてたくせに…!!)


 決して表情には出さないものの、その心の顔は怒りと悔しさで歪み切っていた。


(…落ち着いて、アイラ。大丈夫、私には()()があるでしょ…)


 アイラは平静を保つように自身にそう言い聞かせると、いつものようにブルーノに言い寄るのだった。


 明日は、舞踏会当日。





 そして決着の時がきた。





 煌びやかなシャンデリアが照らし出す絢爛豪華な会場。

 心地の良い音楽が会場へと誘い、入れば色とりどりのドレスが優雅に揺れる舞踏会。


 学園の生徒達は固唾を飲んである人物達を待っていた。


 その面持ちは緊張で強張り、およそ楽しい舞踏会には似つかわしくない。

 少しでも緊張をほぐそうと会話を試みるも、ぎこちない笑顔を繰り返すだけ。

 もはや諦めて会場の扉を見つめることしかできなかった。



 そして、その扉は開かれる。


「わあ〜素敵〜! 夢を、見てるみたいです…!」


 純真無垢な少女のように顔を輝かせて入場したのは、アイラ・シーナ。


「あまりはしゃぎすぎると転ぶよ」


 その後ろからやってきたのはこの国の第二王子、ブルーノ・シット・ジテル殿下。


 生徒達は気づかれないように息を呑む。


 ブルーノがレイヤをエスコートしていないのもそうだが、何よりもアイラが着ているドレスから目が離せなかった。


 チェリーピンクの可愛らしい布地に煌びやかなスパンコールと柔らかなレース。

 アイラのイメージとぴったりなプリンセスラインのふわふわとした愛らしいドレスは、一目見てとても上質なものだとわかった。


 あれは下級貴族であるアイラがとても手にできるようなものではない。


 まさか、と誰もが嫌な予感を覚えた。


「私はとっても幸せ者です! こんな素敵なドレスも贈っていただけるなんて…」


 アイラが可愛らしく頬を赤らめる姿を見て思わず会場の生徒達は卒倒しそうになる。



(((まじか…この王子…)))



 みんなの声が重なった瞬間だった。



「お〜ほっほっほ! 私の華麗なる登場ですわよ、皆様、目が美しさで焼かれないようにご注意くださいましね〜!」



 誰よりも賑やかかつ大胆に入場してみせたのは、言わずもがな、レイヤ・ネタバ侯爵令嬢。

 その人だった。


 最悪のタイミングだぁ…と生徒達は心の中で嘆き、彼女の悲しむ姿を見たくなくて咄嗟に目を背ける。


 けれど耳に入ってきたのはレイヤが嘆く声ではなく、アイラの戸惑ったように震えた声だった。


「そ…そのドレス…だれから……?」

「誰とは? 私の婚約者は一人しかおりませんから、このドレスを贈る人物も一人だけでしてよ?」


 今にも泣き出しそうな震える声に、レイヤの全く質問の意図がわからないと言ったような不思議そうな声。

 生徒達は揃ってレイヤの方を見た。


 そしてホッと息を吐く。


 レイヤの着用するドレスは、誰でも一目でわかるほど()()()()()()で溢れていた。


 ロイヤルブルーの生地に丁寧に織り込まれた金糸はシャンデリアの光を浴びて細かく輝き。

 その首元や耳にはブルーの宝石が埋め込まれた金の装飾品たちがレイヤを飾る。


 アイラのふわふわとしたドレスとは違い、スラリとしたシックな雰囲気のドレスはレイヤの高貴さと美しさをより一層増していた。


 それは誰がどう見ても、レイヤは僕のものだと主張しまくっている、独占欲丸出しのドレスだった。


 当の本人は全くその意図に気づいていないが、アイラは流石に気づいたようで口をわなわなと震わせている。


 レイヤのクレスメイトの面々は安心を通り越してニヨニヨとはしたない笑みを浮かべた。



「それにしても変ですわね。いつだったか()()()()()()()()()()()()()()などと仰っておりましたのに、こんな青々としたドレスを贈るだなんて…自分を窮地に追い込みたい変態ですの?」



 全くもって的外れな発言に、ズコーッと転びたくなる現象をグッと堪える。


 流石と言わざるを得ない鈍感さにクラスメイト達の和んでいた心は一気に呆れ一変となった。


「………あなたの鈍感さはいっそ才能かもしれないわね」


 呆れ切った声と共に入場するのは、アクヤ・クレイジュ公爵令嬢。

 そしてその隣でアクヤをエスコートするケディ・シット・ジテル第一王子殿下。


 アクヤの身に纏っているドレスもレイヤ同様、ケディの独占欲丸出しのドレスとなっていた。


 この会場の誰よりも華美な金糸のドレスにはロイヤルブルーの宝石が散りばめられ、普段は印象がキツイ顔立ちをしたアクヤも化粧のおかげでキツさが緩和され、まさに”聖母”に相応しい輝きを放っていた。


 ケディはアクヤから目が逸らせないのか、うっとりと自身の色を纏って輝くアクヤに見惚れていた。

 まるでアイラのことなど視界に収める余地もないと言ったかのように。


「…ちょっと見過ぎですわよ…」


 耳を真っ赤に染めてもごもごと苦言を呈すアクヤに、より一層ケディの視線は柔らかく細まり熱を増す。


 その様子に生徒達までも頬を赤らめてうっとりと見つめた。

 しばらくその微笑ましい様子から目を離せない。




「……………………ねえ、レイヤさん…?」



 周りがアクヤたちの様子に和みレイヤが二人の様子に満足げに頷いていた時、静かな声で名前を呼ばれる。

 振り向くとアイラがいた。少女のようなあどけない笑みを浮かべて。


「どうされましたの?」

「………私たち、お友達、ですよね?」

「? ええ、戦友(お友達)ですわ!」

「……それじゃあ、これからレイヤさんが何をするべきなのか、分かりますよね??」


 そう言って葡萄ジュースの入ったグラスをレイヤに差し出す。

 レイヤはすぐに理解した。


「『君あい』の356ページ…」

「やっぱりレイヤさんって話が早いですね! とっても素敵な予感がして私ドキドキしてきちゃった!」


 少しの狂気を孕んだ笑みを一瞬浮かべたアイラは腕を広げ無防備にレイヤの前に立つ。


「さあ、かけて?」


 なんてことないように無邪気に微笑む。

 それは、レイヤの持つグラスの中身を自身のドレスにかけろと言うお願いだった。


「…そう、あのシーンを再現しようと言うのね…」

「同じ作品を愛する私たちですもの。最後まで手を抜いちゃ、めっ、ですよ?」


 うふふと可愛らしく微笑んでいるのにまるで可愛いと思えない。

 周囲の生徒達は仲睦まじいアクヤ達を目に収めるのに必死で、様子のおかしいアイラに一向に気づく気配はなかった。


「…」


 レイヤは手に持つグラスを見つめながら逡巡する。その様子にアイラは苛々とした。


「ねえ、なんで躊躇ってるの? 悪役令嬢として、手を抜かないんでしょ? じゃあ遠慮なくやってよ。それともやっぱりできない? じゃあベルリナ失格ね、残念。あ〜あ、これで社交界にはレイヤさんは悪役令嬢にもなりきれない半端者だって笑われちゃうね?」


 こんな分かりやすい挑発に乗らないと思いきや…


 簡単に乗せられてしまうのが、レイヤ・ネタバ侯爵令嬢。


「あ〜ら私に不可能はありませんのよ! 悪役令嬢魂見せてやりますわよ!」


 アイラは一瞬にやりと微笑む。

 そんな些細な変化にも気づかないレイヤは、まんまと挑発に乗せられるがままに渡されたグラスを勢いよく振りかぶった。


 アイラがきゃあっと悲鳴をあげたことにより、生徒達の視線がアクヤたちからアイラたちへと移る。


 自分の思い通りにことが進んでいることに内心ほくそ笑んだアイラは、瞳に涙を溜めるとわあっと叫んで手のひらを顔で覆い、悲劇のヒロインよろしく泣いてみせた。



「ひっ、ひどい、です…っ! 私が気に入らないからって…ジュースをかけるだなんて…うぅ…。せっかくブルーノ様に頂いたドレスなのに…こんな…真っ赤に……………………、え?」



 アイラは驚きに目を見開いた。先ほどまでポロポロと流れていた涙も止まる。


 だって、自身を見れば、何にも変わっていないのだ。


 葡萄ジュースのせいで汚い赤色に染まるはずだったドレスは依然綺麗なまま。

 シワもシミもひとつもなく、当然毛玉やこほりすら付いていない。


(おかしい…こんなはずじゃあ…これじゃあまるで私が仕向けたみたいに見えちゃうじゃない…っ)


 背中に冷や汗が伝う。

 今顔を上げたら観衆の冷たい視線に晒されるのではないかと考えると、アイラは顔を上げられなかった。



「……君は何をしているんだ」



 前方から聞き馴染んだ不機嫌な声がしてバッと顔を上げる。


 そこにはレイヤとブルーノ。


 グラスを振りかぶるレイヤの腕をブルーノが横から止めている状態だった。


「お邪魔をしないでくださいまし! 私は今、悪役令嬢としての矜持を試されているんですの!」

「…はあ…単純すぎるよ、レイヤ…。あんな簡単な挑発に乗せられて…君が彼女の思い通りにジュースをぶち撒けてたら、流石に庇いきれないところだったんだよ?」


 ドキリと人一倍大きな鼓動が鳴った気がした。

 そろそろとブルーノの顔を窺い見たアイラは顔を青ざめさせる。


「…………君も、ちょっと、やりすぎたみたいだね」


 笑っているようで、笑っていない笑顔。

 底がない穴を覗くような感覚を思わせる笑顔に、アイラは小さく悲鳴を上げた。


「わ…、わたしは…なに、も…」


 周りを見遣れば誰もがアイラをみていた。

 その向けられる眼差しに、味方は誰もいないことを悟る。


「…それじゃあ、ここからは僕の番ということでいいかな?」

「……ぶ、ぶるーのさ」

「ああ、その名前はもう呼ばないでくれないかな? 君にその呼び方は相応しくないと、たった今判断した」

「えっ?」


 凄みのある笑みにアイラだけではなく周囲の生徒達も顔を青くさせた。


 誰が、どう見ても、ブルーノは確かに怒っていた。


「君には、いくつかの嫌疑がかけられている」

「けっ嫌疑!? 私そんなっ」

「発言は許可してないよ?」

「ひっ」


 こつり、こつり、と一歩ずつゆっくり近づいてくるブルーノに、腰が抜けてしまったアイラは座ったまま後ずさる。


「これは原作にはない展開ですわね? どう言うことかしら?」

「………」


 場を壊す人物が一人いた。

 誰もが心の中で祈る。頼むから今だけは黙っててくれ…! と。


「…………君にかけられた嫌疑は4つ。まずひとつ目は婚約者のいる男子生徒を見境なく誑かし、学園の混乱を招こうとしたこと」


「そんなっ誑かすだなんて…! ただ仲良くしてただけです! それなのに…っ」



「ヒロインというのは誰からも好かれてしまう性質の持ち主と『君あい』でも書かれておりましたわ。罪というなら、相手がいるのに心を揺らしてしまった男子生徒を浮気心の罪に処するべきかと」



「……………、二つ目は数ある女子生徒達に対して嘘をついたこと。そして大袈裟に騒ぎ立て、生徒達の不安を悪戯に煽ったことかな」


「うっ、嘘なんて…私吐いてません!」


「そうかな? 僕の目には良心から君の行いを正そうとしてくれていたものに対して君が()()()被害者のように騒ぎ立てていたようにしか見えなかったけど?」


「そんな言い方…ひどい…っ、あんまりです! 確かに少し…大袈裟すぎたかもしれませんが…だって、怖かったし…」



「元庶民出身のアイラさんからしたら私達貴族が怖いのは当然ですわ。『君あい』の189ページにもそのような描写がございました。ブルーノ様もこちらを読んで勉強なされては? 私いつでもお貸ししますわよ」



「……………………………コホンッ。…そして君の最後の罪は、僕の婚約者に対する教唆(きょうさ)罪と脅迫罪」


「脅迫!? 私レイヤさんに脅迫なんてしてません!!」


「そうですわそうですわ! 私別に脅迫なんてされておりま「ちょっと黙っていてくれるかな???」


 流石に堪忍袋の緒がきれたのか、得意の凄みのある笑みでレイヤを黙らせる。


 レイヤが口を噤むのを確認すると深い深いため息を吐き出して再びアイラに向き合った。


「話が逸れたけど…それは君の価値観での話だろう? 君は確かにレイヤに対して脅迫していたよ。”社交界に悪役令嬢にもなりきれない半端者だと笑われてもいいのか”ってね」


「なんでそれ……」


 まさか聞かれていると思っていなかったのかつぶらな瞳をさらに丸くして目を見開く。


 もうここまでバレてしまっているなら隠す必要はないと思ったのか、今度はきつく咎めるような眼差しでブルーノを睨み見た。


「私が仮にそれを言ったとして、それのどこが脅迫になるんですか?」

「これがレイヤにとってどれほど名誉を傷つけられることなのか、君はちゃんと理解した上で発言していたよね? 脅迫って、命を脅かす発言だけが脅迫罪になるとは限らないんだよ?」

「そ、そうだとしても、たったそれだけの発言だけで脅迫罪にかけるなんて、ちょっとレイヤさんに対して甘すぎるんじゃないですか?」

「これはあくまで嫌疑だからね。別に脅迫罪が成立しなくても、君を罪に問う材料なんていくらでもある」

「そこまでして私を罪人にしたいんですか…? 私になんの恨みがあるっていうんですか! この間までデレデレ鼻の下伸ばしてたくせに…!!」


 可愛らしい顔は崩れ、悪鬼のような顔でブルーノを鋭く睨みつける。

 その形相に生徒達は一歩後退るも、ブルーノは飄々とした表情でアイラを冷えた目で見つめ返した。


「可愛い顔が台無しだぞ?」

「…よくもそんなこと…どうせ初めから思っていなかったんでしょ…!? 全部私を嵌めるための罠だったのね!!」

「罠? そんなものはかけた覚えはないな」

「じゃあなんで! なんで私に気を持たせるようなことをしたの…?! あの態度も言葉も…、このドレスだって…!!!! 初めから全部嘘…。こんな惨めな結果になるなら…、こんなもの贈られても嬉しくなんてなかった…!!」


 耐えきれなかったのか、悲痛な叫びと共にアイラの瞳からは本物の涙が溢れる。


 その様子に周りの生徒達はたまらず同情の気持ちを抱いてしまう。


 だって、確かにブルーノの行動はそう思われても仕方ないものだったから。


「別に君に嘘はついていない」


 それでも飄々とそんなことを言ってのけるブルーノにアイラは目尻を吊り上げた。


「じゃあ、私に”愛らしい”とか”好ましい”とか言っていたのも嘘じゃないっていうんですか…?!」

「ああ、嘘ではない」


「はっ、じゃあブルーノ様はとんだ裏切り者ですね? これこそレイヤさんの名誉を傷つけていると思うんですが?」

「僕が愛しているのはレイヤ、ただ一人だ。心変わりをしたつもりはない。それに君に言った言葉は全て容姿に対してのもので君に対するものではないのでな。君に愛を囁いたつもりはないが、誤解を与えるような発言をしたことについては確かに僕にも落ち度がある」


「落ち度があるって…なんですかその言い方? じゃあ私にドレスを贈ってくれたことはどう言い訳するつもりですか?」

「それは王族としての義務だ。君は貴族社会に慣れていないから知らなかったかもしれないが、王族は年に一度学園に対してドレスを寄付する制度がある。言い方は悪いが、君のような財が乏しい貴族達に対して施しを行えるように。君に贈られたそのドレスも、制度に則って、王族から寄付されたドレスが学園から支給されただけにすぎない」


「…………はあ? 何よ…それ…」


 アイラの声が弱々しく震えて顔は下を向く。


 そんな制度が確かにあったな、と誰もが忘れていたことを思い出す。


 だからアイラ嬢のドレスはあんなに上等だったのか、と納得して、けれどそれを知らされたアイラの砕かれて心を想像しては今回ばかりは心から同情せざる終えなかった。


 流石にこれにはブルーノも心を傷ませたのか、若干視線を落とすと静かに語りかけるように話し始める。


「…悪いことをしたと思っている。君の行動と言動にはどこか裏があるような感じがしたから動向を窺うためにと君と行動を一緒にしたし、確かに君に勘違いをさせる言葉も吐いた。けど罪を犯したの君の判断だ。こればかりは処罰しなくては周りのものに示しがつかない」

「……………」


 アイラは黙ったまま動こうとしなかった。


 その場が静寂に包まれる。



「……………………………ケディ様も……?」



 ゆっくりと顔を上げたアイラが涙で顔を濡らしながら後方にいたケディに視線を向けた。

 一縷の望みに縋り付くような眼差しだった。しかし、



「……すまないな。私が愛しているのは、他の誰でもない、アクヤだけだ。君が望んでいるような展開にしてあげることはできない」



 グッと力強くアクヤの肩を抱き寄せたケディは真剣な眼差しでアイラにそう言った。


 アイラの瞳から希望が消え絶望に染まるかと思いきや、彼女は弱々しい動きで今度はレイヤを見た。



「…レイヤさんは、お友達、ですもんね? 私のこと悪く言ったり、しないですよね………?」



 藁にもすがる思いなのだろう。


 レイヤは何て答えるのだろうとみんなの視線がレイヤへと移る。


 しかし、



「………………………________」



 レイヤは()()()()()()()()()


 何秒待てど、何分待てど、瞬き一つどころか、呼吸しているのかも怪しいほど。


 流石に違和感を感じた生徒達は互いに顔を見合わせ、アイラは首を傾げた。


「……レイヤ、さん?」


 アイラが戸惑ったように声をかける。すると、ボンッという爆発音と共に、レイヤの顔が()()()()()()()()



「……………あ」



 その唇がわなわなと震え、言葉を紡ぐ。




「………あ、あああ、ああ、あ、愛している………ですって???!!!!?!」




「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、そこか〜……」」」



 少し考えた後、思わず言葉が揃う。


 なんと彼女だけ時が進んでいなかったようだ。


 きっと初めて言われたんであろう、愛の言葉に、今まで囚われて動けないでいた彼女の顔は今まで見たことないくらい赤く染まっている。


 アイラは何が起きたのか理解できていないような表情を浮かべ、ブルーノは相も変わらず空気を読まない婚約者に嘆息した。



「………僕、君に言ったことなかったけ?」

「な、ないっ、なななないですわよ! 一度も!!」

「そう? それはごめんね。でも僕わかりやすいように態度や行動で愛を示していたと思うんだけど」

「わ、分かるわけないですわよ?! 言葉で伝えていただきませんと、動物ならまだしも人間ですもの! 人間の特権を存分に使ってくださいまし!!」

「そっか、じゃあこれからはいっぱい伝えるね? ああそれと、僕の君に対する嫌味も愛情表現だから、覚えておいてね?」

「傍迷惑ですわね?!」



 一件落着? な雰囲気を醸し出すも、全然落着していないのが現実。

 ほのぼのしてしまった空気を持ち直すように、ブルーノは大きな咳払いを一つしてみせた。



「それじゃあ、アイラ・シーナ嬢には近衛兵と共に同行してもらおう。これから詰問を行うことになるが、あまり嘘をつくと君の立場がもっと悪くなるからね。正直に話した方がいいよ」

「……そんな…、私、ただ、主人公に憧れただけなのに…なんで…」


 亡霊のようにぶつぶつと呟くだけとなったアイラは、抵抗することなく近衛兵達に連れて行かれる。


 皆が後味の悪い気持ちを抱えてその背中を見送っていた時だった。



「ちょっとお待ちになって」



 よく通る声で、レイヤが待ったをかける。



「レイヤ、何を…」



「アイラさんだけ連れて行くなんて不公平ですわね。連れて行くのなら私も連れて行ってくださいまし」



 ツカツカと近衛兵達に近づくとその両手と突き出す。



「彼女が私に対して罪を犯したならば、私だって彼女に罪を犯しましたわ。だって、彼女を最初に唆したのは私ですもの。ならば私だって教唆罪になるはずですわよね?」



 ここに来て初めてまともなことを言ったレイヤに皆が驚きで目を見開く。


 いつも的外れな発言とネタバレばかりするあのレイヤ・ネタバ令嬢が、と。



「それに別に私彼女に迷惑をかけられた記憶がございませんわ。手のかかる妹…ぐらいにしか思っておりませんでしたし。皆様もそうですわよね?」



 突然話をかけられた生徒達は慌てて首を縦にする。


 咄嗟の判断ではなく、ちゃんとレイヤの気持ちを理解した上での首肯だ。


 その行動にブルーノだけでなくアイラまでもが大きく目を見開いた。



 普段ネタバレばかりをして周りに疎まれがちだと思っていたレイヤだったが、実はそうでもなかったのだと知る。


 彼女は確かに極度のナルシストだし、傲岸不遜だし、ネタバレするし、空気も読めないが、でも生徒達はみんな彼女が嫌いではなかった。

 むしろ、愛らしいキャラとさえ思っていた。

 だって彼女は”聖母”と呼ばれるアクヤとはまた違って、誰にも差別することなく平等に接してくれる心根が優しい人だと知っているから。


 多少キズはあれど、そこもまた彼女の愛すべきところだと誰もが口を揃えて肯定するだろう。



「さあ、早く縛ってくださいまし。私は私の芸術を愛する心に誓って、嘘はつかないと約束しますわ!」



 それは堂々たる出頭だった。


 もはや神々しいくらいに堂々とした背中に誰もが結末を案じた。




「…………………………………………………………はああ…わかった、わかったよ…降参。僕の負けだ」




 折れたのはブルーノだった。



「っていうか、レイヤと生徒のみんなが揃って彼女の罪を否定するなら連れていけるはずないでしょ。よって、この件は僕の勘違い。けど、誤解を与えるような行動をしたアイラ嬢にも責任はあるから、それは忘れないように」


 ブルーノの命令でアイラの拘束が解ける。


「よかったですわね。これからは私のこと、”お姉様”と呼んでも宜しくてよ?」


 訳のわからないことを言っているレイヤに、いまだに理解が追いついていないような表情のアイラはぽつりと言葉を漏らす。


「…なんで、助けたんですか…?」


 ぱちくりと一つ瞬きをしたレイヤはその表情に自信たっぷりの笑顔を浮かべてこう言った。



「同じ作品を愛するもの同士、だからですわ。芸術を愛する人に悪い方なんておりませんもの」



 アイラはじっとそのままレイヤの顔を見つめる。



「それに私『君あい』の悪役令嬢ベルリナも好きですが、それよりも『悪役は真に咲く』の悪役令嬢エイヴリンの方が好きなんですの。彼女は悪役といわれながらその実誰も見捨てず救うという真のヒロインでして、自身の敵であったはずの偽ヒロインのことも救うその姿はまさに! 真の悪役とはこう言ったことかと、ひどく感銘を受けましたわ! それに…」



 尚も気持ちようさそうにネタバレを語り続けるレイヤを食い入るように見つめたアイラは、しばらくしてふにゃりと心のそこからの笑顔で笑った。


「私も、『悪役は真に咲く』は大好きです。けど、それ以上はダメですよ? 私もまだ最後まで見てないんですからね、()()()

「!」



 レイヤは目を見開くと、今度はにんまりと微笑む。



「まあ不出来な妹ができましたこと! これからはこの()()()が社交界とはなんなのか、びしばし鍛えて差し上げますわ!」

「はい、よろしくお願いします!」


 お〜ほっほっほと高らかな笑い声が木霊し、二人は嵐のように会場の奥へと去ってゆく。


 皆は気まずそうにブルーノとアクヤたちを見遣る。


 当然ブルーノもアクヤも悩ましげにこめかみを抑えていた。



「……ああ、ほんと、嫌な予感しかしない…。彼女はなぜこうも…問題を次々起こせるんだ……」

「ええ、全く同意ですわ。…その、こんなことを申し上げるのもおかしいですが、ブルーノ殿下は本当に()()でよろしいの?」


 遠い目をしたアクヤがブルーノに尋ねる。


 同じく遠い目をしたブルーノは、ははは、と乾いた笑みを浮かべた。


「……………愛とは、恐ろしいな…」


 後にこのセリフは、一連の事件と同じように学園に語り継がれるようになるのだが…


 それはまだ数年後の話。


 ブルーノが羞恥で頭を抱えるのもまた、数年後の話___。


 〜〜〜Fin.







 ー番外編ー


 例の事件から3年後。


 今日は記念すべき日として街は若干浮かれている。


 街のあらゆるところがいろいろな飾り付けや花々で彩られ、街頭には屋台が並び賑やかさを増していた。



「今日は誰の結婚式なのー? もしかして、アクヤ様? 僕アクヤ様優しいから大好き!」



 子供の幼い声が嬉しそうにはしゃぐ。

 隣で並んで歩いていた母親も嬉しそうに微笑んだ。


「アクヤ様達は2年前に結婚式を挙げたでしょう? だから今日は違うの」

「え〜じゃあ誰?」

「今日はね、レイヤ様とブルーノ様の結婚式なのよ」


「! ネタバレ令嬢!!」


 子供の瞳が一際輝き、嬉しそうにその名を口にする。


「ちょっと、こら! その名でお呼びしちゃダメよ!」

「僕ネタバレ令嬢様も大好きだよ! だってあの人面白いんだもん!」



 そう、今日は待ちに待った、レイヤとブルーノの結婚式。


 例の事件から3年。学園を卒業してから約2年。


 20歳となった二人が夫婦となる、記念すべき日だった。





「ついに二人も結婚か、早いな」


 控え室にてケディが感慨深そうに姿見の前に立つ自身の弟に語りかける。


 振り返ったブルーノは髪をきっちりと整え、白のタキシードに身を包む。その姿はまさに、絵本の中から飛び出してきた王子様のようだった。


「僕はそんな気がしないんだよね、すっごく長かった気さえする」

「…まあ、婚約者が()()だったらなぁ…」


 脳裏に浮かぶのは高笑いをするある一人の令嬢の姿。


 少しだけ顔をムッと顰めたブルーノは自身の兄にキツイ口調で返した。


「だから、レイヤを貶していいのは僕だけだっていつも言ってるよね? 兄上が王太子になられたからってそこは変わらないよ」


 この数年でケディは立太子の儀式を終え、無事に次期王としての道を歩み始めていた。

 さらには2年前に愛しの婚約者アクヤ・クレイジュ公爵令嬢と結婚。

 まさに順風満帆の人生を送っている。


「張り合うところがそこでいいのか…弟よ…」


 なんだか婚約者につられて弟まで残念な性格になっているような気がして、兄であるケディは内心ため息をつく。


「しかし…………遅いな」


 ケディは思っていたことをぽつりと漏らす。

 それには同意だったのかブルーノは小さく頷くと肩を上げてみせた。


「女には時間が必要なんだと、僕の婚約者様が言っていたよ。世界一美しい自分を着飾るのは並大抵のことではないらしい」


 レイヤを待つことおよそ3時間。

 こんなこともあろうかと朝6時から準備を始めた。今の時刻が午前9時なので、午後11時から開かれる式の開始時間まではまだ余裕があるがそれにしても遅かった。


「相変わらずの自信家だな」

「全くね」


 沈黙になり、やけに時計の秒針の音が部屋に響く。


 自身の結婚式の時にはこんな時間もそわそわしてたまらなかったが、一切微動だにしない弟に思わず声をかけた。


「そういえば聞いたことなかったが、ブルーノはなぜレイヤ嬢を婚約者に選んだんだ?」

「ん? ああ…彼女だけが僕に靡かなかったからかな?」

「はあ?」


 素っ頓狂な声が漏れる。


「ははは、兄上のそんな声初めて聞いたかも! そうだな…時間もまだありそうだし、僕とレイヤの馴れ初め、聞く?」


 にんまりと悪戯げな笑顔を浮かべたブルーノに、ケディは好奇心に勝てなかったのか静かに頷いた。



 〜〜〜〜


 時は14年前。


 この国の王位継承権を持つ男子は皆6歳で婚約者を選定する。


 それまでの間にお茶会という名のお見合いパーティーを幾度となく開くのだが…、


 そんな見え透いた催しと擦り寄ってくる数多の令嬢にブルーノは一人辟易としていた。



「また”お茶会”ね…。どうせみんな目的を知っているなら回りくどく”お茶会”なんていわず、堂々と言えばいいのに」


 自室のバルコニーから見渡せるお茶会の会場に目を向ける。


 そこには数多の貴族令嬢となけなしの貴族令息。


 婚約者に相応しいのは自身の娘だ! とも言いたげな笑顔で睨み合う貴族達に、扇子で顔を隠しながら周りの貴族達を見極める自身の母上。


 正直もう飽き飽きしていた。


 兄であるケディにはすでに一目惚れをした婚約者がおり、今日の主役はブルーノのたった一人。


 助け舟を出してくれる人もいなければ、気持ちを理解してくれる味方も誰一人いない。

 その会場はまさにブルーノにとっては敵地のようなものだった。


「どうせティータイムの時間になれば強制的にお見合いが始まるんだから、それまでここにいても文句は言わないでほしいよね」


 そんなことを一人呟きながらバルコニーから興味のない目で会場を見つめる。


 友と親しげに話している風を装いながらその目はきょろきょろと周囲を見渡している令嬢達。

 どうせ僕を探しているんだろう、と投げやりな気持ちでため息をつく。


 子供のくせに妙に色気付いた表情で擦り寄ってくるのも気に入らなかったし、何よりブルーノの地位や容姿に見せる異様なこだわりや、その先の利益にしか目を向けてない彼女達が何よりもくだらなかった。


「誰が、婚約者になってやるものか」


 ケッとブルーノが醜態をついた時、たまたま顔を向けた方向にお菓子やフルーツの並んだグレージングテーブルを囲む集団が目に入った。


 楽しそうに談笑している、と思いきや、どうも楽しそうに話しているのはたった一人の令嬢だけのようで思わず興味が湧き耳をすませる。



「皆様はもうダウィーデの個展は見に行かれまして? ちなみに昨日からやっておりまして、私は一番乗りで見に行きましたわ! それはもうすごかったですわよ!」



 自信たっぷりの笑みを浮かべながら、自慢げに語る少女は空色の瞳はキラキラと輝かせながら尚も語る。


「特にこの個展のためだけに描いた作品『ルッチの少女』はまさに傑作でしたわ! その美しさはまさにそう! 私のようで…」


 恍惚と表情をする少女に周囲の令嬢達はたじろぐ。互いに顔を見合わせて困惑した表情を浮かべていることに、目の前にいる少女が気づいている様子はない。


(嘘だろ。ここにいる僕でも彼女達の気持ちが察せられるっていうのに、全く気づいてないのか?)


「ああ! そうそう、あと昨日発売された『淑女の嗜み』は皆さん当然読まれておりますわよね?」


 流れるような決めつけに令嬢達はひくりと顔を引き攣らせる。


「突然できた義妹に淑女とは何かを主人公が叩き込んでいくハートフル作品ですが…突然の両親の離婚! そして早すぎる再婚に待ち構えていたのは手のかかる義妹達! 主人公を襲う数々の不幸! さらに全然自身を敬おうとしない義妹達に一度は心が折れかけるも愛すべき婚約者のおかげで奮い立ち淑女とは何かをみっちり叩き込むと決意するのですが…、義妹の一人がまさかの主人公の婚約者に恋をしてしまうのです! もう、私ハラハラドキドキ…止まりませんでしたわぁ〜…。今でも目を閉じればその光景が鮮明に描かれるよう…。それでも諦めずに自分たちに向き合おうとしてくれる主人公に次第に心が緩んでいくシーンは涙なしでは読めませんわ…!」


(う、嘘だろ…)


 ブルーノの頬は思いっきり引き攣った。令嬢達も同様の顔をしている。

 きっと思ったことも同じだろう。


(流れるようにネタバレしている…!!!)


 ブルーノでさえまだ読めてない最新作だ。当然令嬢達が読んでいるとは思っていない。

 それなのにそんなこと考えもしないのか、彼女のネタバレが止まることはない。


(なんて傍迷惑な…。()()がタブーだって、彼女は知らないのか? それともわざと?)


 同意する声が聞こえてこないことに今やっと気づいたのかピタリと少女のネタバレが止み、次にきょとんとした表情を浮かべる。


「あら? どうかされまして、皆様? ひどいお顔ですわよ?」


 クッと思わず喉の奥が鳴る。


()()、天然か。どうしようこれは…)


 にんまりと顔が笑うのを止められなかった。


(彼女、面白いな)


 この会場にいるということは確実にティータイムの時間にも彼女は現れるだろう。


 今まで億劫でしかなかったその時間が今初めて楽しみだと感じたブルーノは、堪えきれない笑みをこぼしながら深い青の髪と空色の瞳を持つ美しい少女を眺めるのだった。



 〜数時間後〜


 30分ごとに入れ替わり一人ずつやってくる令嬢たちに表面上笑顔を貼り付けながら当たり障りなく対応する。


 そんな息子に、隣に座っていた王妃は自身も笑顔を浮かべながらもこっそりと嘆息した。


(やっぱりくだらないな…母上もいい加減諦めてくれればいいのに)


 ブルーノは心の中でそんなことを毒づく。


 王妃には再三きつく王族の恒例というものを語られたが、ブルーノに響いている様子はこれっぽちもなく。

 そのことにもう十分気づいている王妃は息子の将来を案じて嘆いた。


 ー早く、この際身分なんてなんでもいいから、息子の運命の人が現れてくれないものか…


 なんて、そんなことを考えている時。


「次の方〜」


 扉が開いて次の令嬢がやってきたのだが、その令嬢の表情に王妃は目をぱちくりと瞬かせる。


 隣に同伴している父親はあたふたと焦っているが、親の心子知らず。


 少女はその美しい顔にむすっとした表情を浮かべ、口をへの字に曲げていた。


 流石のブルーノもこれには気分を悪くして笑顔を崩してしまうのでは…と不安に思った王妃がちらりと横目で息子を見遣ると、


(あら? これは…)


 さらに笑みを深め、その瞳に興味を宿したブルーノがそこにはいた。


「御令嬢、お名前をお伺いしても?」


 なんと自身から名前まで尋ねるとは。これはお茶会開始して以来初めての出来事だった。


「………………………レイヤ・ネタバ……ですわ」


 時間をたっぷりかけて少女は大変不服そうに名前を呟くように告げる。


 少女の父親は床に額をつきそうなほど頭を下げており、なんだか同情してしまう。


 今までとは全く違う少女の反応に、王妃もたまらず目を見開いた。


「僕はブルーノ・シット・ジテルと言います。よろしくお願いしますね」


 今まで当たり障りない返事しかしてこなかったブルーノが自ら話しかけている。

 これは何が起きているのだ? と、混乱から王妃は瞬きも忘れる。


 ブルーノはすっとレイヤに対して手を差し伸べるが、その手をレイヤが取ることはなく。


 不敬の何ものでもない態度に父親の顔はもはや真っ白に染まり、小声で娘をせっついた。


 それでもレイヤは態度を改めることはなく、



「………私、殿下の婚約者にはなりたくないですわ!」



 そんなことを言ってのけたのだ。


 王妃の手から扇子がポロリと落ち、レイヤの父親は膝から崩れ落ちる。


 レイヤはフンっとそっぽを向き、部屋の中は何とも言えない空気に包まれた。


 ブルーノはというと、その顔にさらに笑顔を浮かべ冷静にレイヤに尋ねる。


「…何で僕の婚約者になりたくないの?」


 ちらりと横目でブルーノの顔を見た後、レイヤは向き直って自身の人差し指をビシッとブルーノに突きつけた。



「自身よりも優れた容姿の婚約者に、誰がなりたいというのですか?!」



 その声は、部屋の中によく響いた。


 王妃の口はポッカリと開き、レイヤの父親は土下座の姿勢を取る。


 レイヤは自身が言ったことの重大さなど微塵も知らないのか、なぜか威張っている。


 王妃とレイヤの父親は怖くてブルーノの方を見れなかった。


 ハラハラとしながらブルーノの言葉を待ったが、たっぷり数分を開けて聞こえてきたのは、とても楽しそうな笑い声だった。



「ぷっ、ははっ、はははははは! そっか、自身よりも優れた…ね。ぷふっ、ククク…」



 久しぶりに聞いた心の底から楽しそうな笑い声に、王妃はあらあらあら? と首を傾げる。


「キィ〜〜!! バカにしてるわね、あなた!!」


 笑われたことが気に食わなかったのか、地団駄を踏みながらブルーノに噛み付くレイヤ。

 それでもブルーノの笑い声は止まない。


 そうしてひとしきり笑い終わり、目尻に溜まった涙を拭ったブルーノはレイヤに対してにっこりと微笑んだ。



「決めた。僕は君が婚約者がいい」



 息子の言葉に王妃は驚きのあまり息を呑み固まってしまう。


 まさか、まさかこんな形で婚約者が決まるとは…ー



「あなた、話聞いていませんでしたの?」



 大変名誉なことのはずなのに、大変迷惑そうな顔をして小さな令嬢は言い放つ。


 もはや隣の父親は白目をむいていた。


 彼もまた、自身の娘が婚約者になれるとは思っていなかった。


 こんな不敬極まりない発言、本来なら首が飛んでもおかしくないはずなのにまさか婚約者に選ばれるなんて。


 白目を剥かずにはいられない。

 何よりも自身の娘が王子の婚約者が務まるはずがないと思っているレイヤの父親は、将来を案じて胃を押さえた。



「話ならちゃんと聞いてたよ? 自分より容姿が優れてる婚約者なんて、僕なら周りに自慢するけどなぁ」

「殿下は分かっていませんわね」

「へぇ、どこが分かってないの? 具体的に教えて?」

「まずは人の気持ちが全くもって理解できておりませんわね! 婚約者失格ですわ!」

「ははは! 君にそんなことを言われるなんて思いもよらなかったよ。君は人の気持ちの何が分かるの?」

「まあまあまあ! 最初から答えを人に求めては何も得られませんでしてよ! 自身で考えて発言してからにしてくださいまし!」



 …これが、これから婚約者になろうとする者たちの会話なのだろうか?


 王妃は首を傾げ、レイヤの父親は前傾姿勢でお腹を押さえる。


 けれど、こんなにも瞳を輝かせて笑う息子は久しぶりだと、王妃は安堵に頬を緩ませた。


 ーどんな形であれ、これが彼の幸せならば暖かく見守ろうではないか。


 王妃は静かに立ち上がり、レイヤの父親の側へと歩み寄るとその肩にそっと手を置いた。


 レイヤの父親は恐る恐る顔を上げる。王妃はにこりと笑い、小さな声で告げた。


 "諦めなさい"


 そうして、ブルーノとレイヤの婚約は()()()受理されたのだった。



 〜〜〜〜



「と、いうわけだ」

「………………まあ、お前たち、らしいか」


 ケディは深くため息を吐く。


 ブルーノは久しぶりにレイヤに出会った時のことを思い出したからか、にこにこと嬉しそうに微笑んでいた。


「……おまえ、物好きだな」

「まあね」


 上機嫌で答える弟になんとも言えない表情を浮かべる。


 まあ、幸せなら、それでいいか。


 と、心の中でため息を吐いて。


 そして、扉がノックされた。


「レイヤ様のご準備が整いました。申し訳ございませんが、もうお時間があまりありませんのでこのまま式に移りますがよろしいでしょうか?」


 時計を見やれば時計は午前10時30分を差していた。


「もうこんな時間だったのか。僕の婚約者が迷惑をかけて申し訳ないね。僕は問題ないからこのまま式に移ろう」


 最終準備のために新郎であるブルーノはケディと分かれて式の控え室へと向かう。



 式場はこの国で一番大きく街の中心にある大聖堂で執り行われる。


 式場の外にはすでに多くの市民が集まっており熱気で溢れていた。


 中では貴族たちが静かに談笑し、新郎新婦の到着を待っている。


 誰もが期待で瞳を輝かせていた。



(ついにこの日が来たのか)



 ブルーノが入場すると貴族たちは一斉に拍手をした。


 赤いカーペットが引かれたバージンロードをゆっくりと歩む。


 バージンロードは階段になっており、バルコニーにある主祭壇まで続いていた。


 この国の大聖堂は昔から王族の結婚式場でもあったため、主祭壇が式場の外からでも見れるようにバルコニーに設置されている。


 ブルーノが主祭壇の前にたつと、市民たちからの歓声が上がった。


 市民たちに手を振りながら、レイヤの準備が長かったためにドレス姿のお預けを食らってしまったブルーノは密かに緊張する。


 ()()な令嬢と言われても、ブルーノにとっては何よりも愛しい婚約者だ。



「新婦、レイヤ・ネタバ侯爵令嬢の入場です」



 扉が開かれる音と、貴族たちが息を呑む気配。


 コツリ、コツリとゆっくり近づいてくる足音に、ブルーノはごくりと唾を飲み込んだ。


 やがて目の前にブルーローズをふんだんに散りばめた純白のドレスに身を包んだレイヤが現れた。


 いつも美しいがより一層美しさに磨きがかかったそのドレス姿は、お世辞抜きで絵画に描かれる美しい天使のようだった。


 ブルーノは息を呑み、市民たちの歓声は増した。



「あら? 私が美し過ぎて言葉も出ませんの?」



 挑発的にレイヤが笑う。


 瞬きも忘れて魅入っていたブルーノは、はっと目を覚ますと悔しそうに呟いた。


「…君にしてやられるなんてね」

「おほほ! 殿下もお可愛らしいところがあったのですね」


 嬉しそうに笑うレイヤにブルーノが文句を言おうとした時、その表情が途端に恍惚としたものに変わる。



「ああ…! この日をどれだけ待ち侘びたことか…!!」

「……え?」


 思わず期待をしたブルーノの心は次の言葉で砕かれる。



「美しい大聖堂に美しい新婦。何もかもが完璧なこの舞台はまるで、お姉様たちの結婚式を元にした最新作『ツンデ令嬢の華麗なる結婚』の再現のようで、私、歓喜に胸が震えますわ…!!!」



 辺りが静まり返り、レイヤの声が大聖堂によく響く。



「バルコニーにある主祭壇に上がる様を、空に昇る天使のようと表したのはまさに秀逸の一言。まあ私は天使というより天女の方が正しいですが…。お姉様を元にした主人公アークア・ツンデ令嬢が結婚式を行う最終章は瞳を閉じれば情景が浮かんできそうなほど綿密な文章。そしてアークア様の天使のような美しさを文章の間に余白を入れることで一つの絵として表現する最新の文章法には、斬新さのあまり寝られないほどでしたわ! ストーリーの内容も最愛の婚約者ケーディー様に主人公がツンデレをかましながら愛を深める純愛小説と、あったようでなかった作品となっていて、特に14章"素直になれない"のアークア様の「ただケーディー様を愛してるだけなのに…」のセリフはまさに!! お姉様の心情をぴったりと当て嵌めたかのような言葉で感激致しました! それに57ページのあの…」



 止まらないレイヤに、みんなが思うことは一つだった。




(((((((こんな時でも、ネタバレかよ!!!!!)))))))




 相も変わらずの彼女に、呆れを通り越して笑いが込み上げる。



 最初に耐えられなかったのはもちろん、ブルーノだった。



 突然目の前で笑い出した婚約者に、レイヤはぱちくりと目を瞬かせる。



「何ですの突然。気が触れまして?」

「いやぁ…、こんな時でも、君は君なんだね」

「???」


 訳がわからないといった表情で首を傾げるレイヤを、目を細めて愛おしそうに見る。



「レイヤ、愛してるよ」



 ブルーノの言葉に、数回目を瞬かせたレイヤはボンッという爆発音と共に顔を真っ赤に染め上げる。


 自分に絶対の自信があるくせに、好きな人からの愛の言葉には今だに慣れない婚約者が堪らなく愛おしい。



「君を死ぬまで愛し抜くと、僕はこの国の民に誓う」



 その手を取り、指に口付け、薬指に指輪を通す。



「あ、わ、な、え、なな、」と意味不明な言葉を繰り返すレイヤに軽く微笑んで、今度は挑発的に笑ってみせる。



「レイヤは誓ってくれないの?」



 今度は顔をムッとさせて怒りを表現する彼女に、やっぱり笑みが溢れる。



「私に不可能はございませんことよ! 私の方が空よりも高くて海よりも深く殿下のことを愛しておりますわ!!」



 その誓いの言葉は何よりも大きく大聖堂に響きわたった。


 2人の誓いの言葉を見届けた牧師は微笑ましそうに笑う。


「それでは誓いのキスを」


 その言葉にレイヤが噛みついた。


「まあ! そんなのハレンチですわ! 私するだなんて言ってませんわよ!」


 キャンキャン、キャンキャン。


 頬を赤く染めながら必死に抵抗するレイヤの唇を、強引にブルーノが塞ぐ。


 その瞬間を見届けた者たちの歓声が湧き上がる。



 その後、レイヤとブルーノの結婚祝いのお祭りは3日間続き、貴族、市民問わず誰もが愛すべきネタバレ令嬢を祝福したのだった。



 後にレイヤたちの結婚式を元にした小説が描かれる。


 その作品の名は『ネタバレに口付けを』と、なんとも恥ずかしい題名になったとか。



 〜〜〜〜Fin.



欲張って無理矢理、番外編をねじ込みました。お恥ずかしい限りですが、ここまでお付き合い下さりありがとうございます。


最後にご評価いただけますと、幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ