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衆生済土の欠けたる望月【第一話及び第二話】

まことに主はあなたを救い出してくださる。

鳥を捕る者の網から

死に至る疫病から。

主は羽であるあなたを覆う。

あなたはその翼のもとに逃れる。

主のまことは大盾、小盾。

夜、脅かすものも

昼、飛び来る矢も

あなたは恐れることはない。

闇に忍び寄る疫病も

真昼に襲う病魔も。


【『旧約聖書』新共同訳「詩篇」91章3~6節】









 その僧は、西口門という名の大学受験生にこう言ったらしい。

「『聖道門しょうどうもん』を捨て、汝は『浄土門』へと入られよ。見たところ、汝の手は汚れている。長年罪を作り続けた者であれども、南無阿弥陀仏と唱えれば必ず浄土へ阿弥陀仏と申す仏さまは汝を極楽浄土へと迎えてくださる。めでたき御浄土へ生まれ変わり、仏になることも出来よう」

 大学受験生、西口門は腕っ節の強さに自信があり、またリーダー肌であったが、そのぶん、仲間と共に暴力的に物事を解決するところがあった。

「おれは……地獄に落ちないのか?」

 僧は声を上げて笑う。

「面白いことを言う。ここ常陸国は浄土門の僧、親鸞が20年間に渡り住み続けた場所なり。の僧が提唱するは〈悪人正機〉。煩悩多き悪人こそ救われるべきと説いた僧ぞ」

「哀れみ……と言ったところか。おお、良いぜ、在俗であろうが、おれは浄土門へ向かおう。具体的にはどうすれば良い?」

「合格発表後、〈三ツ矢学生宿舎〉へ入りなさい」

「そこに住むとなんかあるのか?」

「汝は、音楽家であろう?」

「まぁ、バンドはやってたわな」

「阿弥陀仏を唱える融通念仏から、良忍という僧は日本音楽の源流がひとつ、〈魚山流声明ぎょざんりゅうしょうみょう〉を大成させた。その研究をしている者が、毎年集う修行の場であり居住の場所が、〈三ツ矢学生宿舎〉である」

「じゃあ、おれは頭を剃ろう。ちょうどラップの修行の場……いわゆる〈サイファー〉が出来るような環境が欲しかったんだ。乗るぜ、その話!」

「落ちぬようにな、受験にも、そして八大地獄へも」

「ハハ! 今日から南無南無唱えてやるよ。おれにはいつも亡者が群がるからな。蹴散らすおまじないが必要だってわけさ。あんた、名前は?」

「拙僧のことをしてひとは、泡斎と呼ぶ。泡斎と呼ばれる僧は幾人もいるが、拙僧も、その一人である」

「また会おうな! ひとまずさらば」


 そんなやりとりがあって、MC西口門というラッパーはスキンヘッドになり、ここ、三ツ矢学生宿舎のリーダー格になったらしい。




「なに、その話? 三ツ矢学生宿舎の〈三ツ矢〉って、近くの神社の名前から取ってるのに、神道じゃなくて仏教説話っぽい装いの話なの? で、そんな逸話があの西口門にはあるっていうのかい。眉唾物だなぁ」

「まじなんすよ、その話。実話なんですって。信じてくださいよ、山茶花さん」

「ふぅん。少なくとも、蔵人くらとくんはそのエピソードを信じてるわけだね」

「まったく、ひとの言うことを疑ってかかるんだから、山茶花さんはぁ」

「ごめんごめん」


 僕、萩月山茶花は希代のベーシスト・蔵人くんに謝ると、夕食後の歯磨きに、宿舎の共同洗面所へと向かった。

 僕はあくびを一つして、鏡で自分の冴えない顔を見ながら歯を磨く。

 今日も一日、大学の講義お疲れ様だよ。

 まさかまた講義を受ける立場に戻るとは思ってもいなかったけれども。

 そして、夜の自由時間が始まる。





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