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手折れ、六道に至りしその徒花を【第五話】




 もう、暗くなっていた。

 雨が、降りつけている。

 傘を差しながら、僕は階段をのぼる。

 井上は健脚で、平地のように階段を進んでいった。

 そのあとを、かなり遅れて僕が追うかたちとなった。

 建て直されたという古寺・護獄堂は、急な階段をのぼったその先にあった。

 もう日が暮れて、あたりは静かだ。

 雨の音だけがする。

 冬の雨。

 薄ぼんやりとしたあかりが灯る護獄堂の本堂から階段側を観ると、太平洋が見渡せた。

 ここは漁業の村。船のあかりが点々と海に浮かんでいる。




 護獄堂に入る。

 まっすぐお堂に通された。

 そこには護摩壇と、護摩壇の奥に、文字だらけの大きな掛け軸がかかっていた。

「この掛け軸は? 〈妙〉と大きく書かれていて、その周りを囲むように文字がびっしり刻まれていますが」

 圧倒されるような、筆の文字が躍る掛け軸を指さし、僕は井上に尋ねた。

 井上はははは、と笑った。

 すると、お堂に集まっていた井上の弟子たち三人のうちの一人が、口をついた。

「この掛け軸は、曼荼羅本尊と呼ぶのですよ、萩月山茶花さん」

 獣脂のろうそくのあかりの中、目をこらして今、答えてくれた井上の弟子を見ると、それは、今日、ここに着いたときに釣りをしていた、麦わら帽子の男に違いなかった。

「あなたは。孤島さんですね」

「孤島、と呼び捨ててもらって結構ですよ、山茶花さん」

 孤島はすらりとした身体に、少し伏し目がちの姿で、しかし堂々と喋るという、やはり変わった男だった。

「曼荼羅と言っても、この宗派は文字で曼荼羅を表わすんですね」

 僕が言うと、唾を飛ばしながら、僕をにらみつける井上の弟子がいた。

「ほかの宗派だぁ? おめぇは念仏往生派の人間かぁ? すべては〈五字七字〉の〈お題目〉だぞ! お題目がすべてだ! この末法の世は、〈妙法〉のお題目が救うんだ! 殴るぞ、てめぇ」

「やめとけ、沼地」

「だけどよぉ、孤島ぁ」

「失礼致しました、山茶花さん。この沼地は血気盛んでしてね。信仰には熱心なのですが。代わってこの孤島が謝ります」

「謝る必要はねーって! なぁ、琢磨小路たくまこうじもよぉ、そう思うだろ?」

「お、お、おでは、井上様に従うだけだべよ」

「はっ! 腰抜けめ。琢磨小路。おめぇはそうやっていつもキョドってっからよ、一殺多生の精神が身につかねぇんだ!」

「やめなさい!」

 井上が一喝する。

 お堂が静まりかえる。

 井上が口を開くと、三人の弟子たちが、井上に注目する。

「いつも言っておるじゃろう。念仏は業因、禅は天魔の外法だ、と。だが、乱れたこの末法の世にはそれらがはびこり、我らには三災七難さんさいしちなんがつきまとう。常寂光土じょうじゃくこうどは、我らの〈一殺多生〉の主義テネットが可能にする。その人柱たる我らを、この末法の世は必要としておるのじゃ」


 ……カルト集団、なのか。たった四人だけの。

 僕は小栗判官を殺した井上という怪僧を見やる。


 井上が、ろうそくの燃える中で、僕に向けて言う。

「山茶花さん。あなたが今日という日にいらしたのは、まさに奇縁でしょうのぉ。この護獄堂には、『血盟連通史』という書物が伝わっており、この三人の新青年たちは、昭和の血盟のご一新を成そうとした、この土地の人間の血を受け継いでおりますじゃ。この『血盟連通史』は、〈一殺多生〉主義の神髄と歴史を交錯させた書物でしての。その本懐は〈一人一殺〉。革命のため、御国の是正と繁栄のために、一人ずつが一国賊を討ち、果てて国の柱となることを説いております」

 ……血盟……ああ、そうだ。そうなのか。

 そうだった、この土地は、昭和モダンを終わらし軍国の道に走らせた事件の発端に位置する事件を起こした者たちの、故郷でもあるのだ。

 井上は言う。

「今、この護獄村には、政財界の要人が来ておりますじゃ。もう、おわかりですな?」

 獣脂のろうそくが揺れる。

 ここにあるのは〈折伏〉の方法論。

 僕は、カリスマでありカルトの教祖でもあろう井上の手の中で転がされている。

 雨音が強さを増す。

 蟻地獄のように僕を引き込む怪僧・井上の砂の穴は、僕の足下に大きく口を開けていたのだ……。





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