南方に配されし荼枳尼の法【第六話】
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僕が『ヴァリス』を読んでいると、僕の肩に頭を乗せている夜刀神が不意に、
「ダキニはひとを選ばない」
と呟いた。
「ダキニはひとを選ばない?」
オウム返しする僕。
夜刀神は身体を動かし、そっと自分のくちびるを僕の耳元に寄せて、囁く。
「平清盛も後醍醐天皇も、ダキニ法を修法し、使った。ダキニ法はひとを選ばないが、それ故に外法であり……永続しない」
凍るような冷たい声で、夜刀神は僕に囁き続ける。
「その外法の最たるは房中術」
「房中術?」
「性交を使った法。それが房中術。わたしと房中術をしてみないか、萩月山茶花?」
僕はぎょっとして自分の肩を見た。
直後、夜刀神うわばみ姫の姿は消えた。
そこに最初からいなかったかのように。
「ダキニ? ダキニ法? どういうことだ、そりゃ」
でも、肩にぬくもりが残っている。
「消えた……」
でも、やっぱりここにいたのだ、夜刀神は。
僕は『ヴァリス』にしおりを挟んで閉じ、ベンチから起き上がる。
汗だくになっていた。蝉が鳴いている。
公園には、野良猫たちと鳩とカラスがうろうろしている。
腕時計を見る。〈本町銀行〉に向かう時間は近づいていた。
「やべっ、遅れる」
ナップザックに文庫本を入れ、鍵を取り出した僕は、公園の駐輪所に置いたスクーターへと向かう。
川沿いだってのに気づかなかった。
今頃、川の流れの音が聞こえるようになる。
虫除けスプレーとコールドスプレーを身体にかけてから、スクーターに、僕はまたがった。




