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南方に配されし荼枳尼の法【第五話】




 昨日の夜、酒の席で破魔矢式猫魔は僕、萩月山茶花に、ニーチェからの引用をそらんじてみせた。



「非論理的なものが人間には必要であり、また非論理的なものから多くの善きものが出てくるという認識は、ひとりの思想家を絶望させるに足るもののひとつである。非論理的なものは、情念や言語や芸術や宗教や、そして一般に生に価値を与えるすべてのなかのもののなかに、極めて密着して潜んでいるので、ひとは、これらの美しいものを致命的に傷つけてしまうことなしには、それを取り出すことは出来ない。人間の性質が、ある純粋に論理的な性質に変えられ得る、と信じることが出来るのは、ただあまりに素朴な人々だけである。しかしもしこの目標に近づく程度の多少というものがあるとすれば、この道をゆけば一切はかならず破滅する、とは限らぬではないか。最も理性的なひとにとってもまた、時には、自然が、すなわちすべてのものに対する非論理的な根本態度が、必要である。【ニーチェ『あまりに人間的』第一部・三十三】」


「どういう意味だい?」

 と、僕。

「つまり、〈世界〉はでたらめである、ってことさ」

 猫魔が言う。

理性ロゴス中心主義が世界を覆ったことは、本当は一度だってないってことを、考えた方がいいよな、っておれは思っていてね。ニーチェの超人の理論は結果として理性的国家を標榜した民族主義に利用されてしまったのは事実だが、〈社会〉の外側に広がる〈世界〉っていう理不尽さに触れたときこそ、ひとは変わるって話への評価はそれで下がることはないな」

「ふーん。よくわからないや」

「現実が理性で動いていると思ったら大間違いだ。オトナって奴はどうも自分は理性的で、社会は理性で回る、組み合わせると〈俺様の理性的な思考で社会は回るべき〉ってなってしまいがちだ、ってことさ。でも、そんなわけがないんだ。喧嘩のもとのひとつに、自分は正義だ、って両方が思っている、っていうのがあるだろ。それはこのニーチェの言葉で言えば、理性的な論理で世界は回るって考える、素朴な人々だ、ってことさ。ただし、その場合、自分と論理的がイコールで結ばれて考えてしまっているわけだけれども」

「なるほどねぇ」



 非論理的。

 ロゴス中心主義に対する、脱中心化。または……脱構築、か。


 で、だ。今のベンチに座っている僕の状況下は、ちょっとヤバい。

 夜刀神うわばみ姫。

 蛇の着ぐるみパジャマを着た少女が、僕の肩に頭を乗せて眠っている。

 不条理感が半端じゃない。非論理的だ、と言い換えられる。

「う、うーん、むにゃむにゃ」

 肩に頭を乗せたままであくびをして、目をこする夜刀神。

「おはようごぜぇます?」

 と、夜刀神。

「お、……おはよう」

 返事する僕。

「今日は暖かいでごぜぇますね」

「そうだね」

「ぐーぐー」

「うぉい! また眠るなって」

「うるさいでごぜぇますねぇ、人間。神の枕になれるのを光栄に思え、でごぜぇますよ?」

「えー」

「ぐーぐー」

「いや、だから眠らないで、ってば」

「人間よ、わたしは今、眠いんでごぜぇますゆえ」

「それはわかるけどさ」

「まんざらでもないクセに」

「そう言われるとちょっぴりツラい」

「ぐーぐー」

 夜刀神、また眠ってしまった。

 僕はどうすりゃいいんだ……。

 もう一度考える。

 猫魔が引用したニーチェじゃないが、非論理的だ、この状態こそが。

 不条理、とも言う。

 サミュエル・ベケットっぽさもあるな。





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