夜刀神が刀は煙る雨を斬るか【第三話】
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百瀬珠総長がロックグラスの中のワイルドターキーをぐいっと飲み干す。
「常陸は江戸時代に見てすら〈異境〉だったのじゃ。じゃから、平田篤胤が拾った常陸から来た子供が〈冥幽界から来た〉ことに説得力がある。ここは遙か昔、異国、または異国との境界にある最前線基地じゃったのじゃよ。さて。ここは常陸市なのじゃが。もとはヒタチは『常道』と書いて『ヒタチ』と読んでおったのじゃ。それは『みちのく』である東北地方の『陸奥』と関係しておる。東北もまた『道奥』と書いて『みちのく』と読んだ。それが陸奥国となった。〈道〉の〈奥〉と対応して〈常〉の〈道〉と呼ばれていたのが、〈陸〉の〈奥〉と対応する言葉として〈常〉の〈陸〉となったのじゃよ。茨城と福島の間にある関所の名前は〈勿来の関〉じゃろ。〈勿来〉とは、〈来ること勿れ〉……すなわち、これ以上先へは進むな、という言葉から出来た地名なのじゃ」
珠総長は酔っ払いはじめている。
うぃー、と座った身体をふらふらさせる珠総長の言葉の続きを、破魔矢式猫魔は紡ぐ。
「常陸国にいて朝廷に〈調伏〉された〈国栖〉とは、この土地の言葉では〈土蜘蛛〉とも呼ばれるな。〈まつろわぬもの〉がいたってことだ。まつろわぬ……すなわち、逆らう者たち。それは〈蝦夷〉と、深い関係がある。つまりここは、さっき総長が言った通り〈異国〉である〈蝦夷〉との境目だったんだ。外国との境目。いや、〈土蜘蛛〉がいる、異国と混じり合った土地というべきかな」
「ふぅん。その〈まつろわぬもの〉を〈調伏〉したのが〈黒坂命〉だった、ということか。それが、〈茨城〉の地名に繋がる、と」
僕はなんとなく話を聞きながら、バーボンに口をつける。氷は溶け始めていた。
猫魔は片目を瞑って気取ってみせる。
「江戸に住んでいた国学者である平田篤胤は晩年、道教に接近し、それを自らの学問体系に取り入れることになる。そのきっかけは、常陸から仙境を渡ってきた童子が関係してるんだ。さっき話した子供さ。仙境といや道教だからね。常陸国……茨城のイメージってのは、そんなもんさ。おれたちが調査している平将門だって、常陸らしく〈まつろわぬもの〉の筆頭だろう?」
僕はある女の子を思い出す。
「仙境? 猫魔、それは確か……」
「ああ。山茶花にしては記憶から引っ張り出すのが速かったね。やはり女性の話だからかな。女に飢えた山茶花は女性の話ならすぐに思い出すからなぁ。……でも、そう、あの〈彼女〉のことだ。珠総長とおれが迎入れた、百瀬探偵結社の東京支部で働いてもらっている、仙境からこっちに戻ってきた天狗少女・舞鶴めると、のことだ。彼女もまた、仙境から舞い戻ってきた少女だ」
僕は唸る。
「うちの探偵結社は〈強いカード〉を持っているもんだね」
「まあ、そういうことだ。舞鶴めるとは、法術使いだ」
「しかしさ、猫魔。冥幽界とか仙境とか、本当にあるのかなぁ。世界観設定がめちゃくちゃだよ。だって道教だって日本のいろんなところに取り込まれてはいるけど、外来思想だろ、もとは」
「ああ。だが、おれが知っている限り、冥幽界や仙境なんていう〈ドメイン〉を日本に〈構築〉するようなバカでかい〈術式〉を使った人物はいるには、いるよ。って言っても、思い当たるのは徐福の爺さんをおいてほかにはいないが、な」
「徐福? って、あの数々の〈徐福伝説〉が残ってる、あの徐福か、猫魔。まさか、知り合いだ、とか言い出すんじゃないだろうなぁ」
「ああ。おれの知り合いだ。日本に渡って住み着いた道教の八仙のひとり。冥幽界なんてもんを日本にも構築させたのはこいつ以外、あり得ないだろう。本人に尋ねたことはないが」
「……………………」
僕は黙った。話が大きくてついていけないのだ。
普通だったらこんなのただの与太話だ。
八仙て、仙人の中でも縁起の良いカミサマみたいなもんだからだ。
だが、与太話じゃないのを、僕は知っている。
それを、いつだったか、百瀬探偵結社に所属する女子高生探偵・小鳥遊ふぐりの言葉を借りて説明するのならば。
――本当の世界は、超能力もあれば超常現象もある。
――凶悪な犯罪を起こすシリアルキラーも聖者のような人間もいれば、怪異だって存在する。
――それらを全部取り扱う〈探偵結社〉に入るってことが、百瀬珠総長の下で探偵として働くってこと。
……と、なるだろう。
「雨音が弱まってきたようじゃのぉ」
「おっと。酒のつまみがないことに気づいたよ」
総長と猫魔が、なにか言いたそうにこっちを見ている。
僕はため息を吐いた。
「わかったよ。雨が弱まっている間に買ってくればいいんでしょ、酒のつまみ。でも、仕方ないから、つくれと言われればつくるけど」
「山茶花よ。我が輩は今夜は油ぎっしりなお菓子が食べたいと思うのじゃよ。購買してきてくれるな? うまい棒もここ茨城の名産品じゃぞ」
「わかりましたよー、もう」
僕は立ち上がって玄関に向かう。
「じゃあ、行ってきます」
「山茶花が帰ってくる前に、部屋に隠したエロ本を見つけて読んでいるよ。えろげオタクの山茶花のエロ本コレクションだ。さぞかしマニアックなものを取りそろえていることだろう」
「やめろよな、猫魔」
「知ってるって。さ、行ってこいよ、山茶花」
「はいはい」
僕はビニール傘を持って部屋の外へ出る。




