夜刀神が刀は煙る雨を斬るか【第一話】
その日はずっと、大雨だった。
正確に言うと、その日だけではなく、一週間、雨の日が続いている。
いよいよ異常気象だ。
僕、萩月山茶花は透明なビニール傘を差して、百瀬探偵結社のビルへと戻る。
事務所の事務室に戻った頃はもう、夜の十時を越えていた。
「お帰りぃ、山茶花ぁ。みんな、自室へ戻っとるよぉ」
事務椅子をくるりと回してシャギーボブの髪を揺らしながら振り向いたのは枢木くるるちゃん。
事務椅子にちょこんと人形のように座っていて、湯気が立っている湯飲みから茶をすすっている。
「くるるちゃんも夜遅いし、もう眠りなよ。明日も学校でしょ?」
僕なりに気遣ったつもりなのだけれども、
「いつまでもうちを子供扱いしたらあかんでぇ」
と、頬を膨らませるくるるちゃんである。
コミュ障気味の僕にはどうしていいか、わからない。
「山茶花、びしょ濡れやなぁ。ほら、服脱いで。うちが洗濯機で洗うておくわぁ」
「い、いいよ、自分で出来るさ。それよりも、仕事は終わりにして自室に戻りなよ」
「邪険にすることないやろ。これだから山茶花は猫魔お兄ちゃんの助手が務まらんのよぉ」
「助手じゃないんだけどね、一応」
棚からカップを取って電気ポットでインスタント珈琲をつくって飲む僕。
「暖まるね」
「そんだけびしょ濡れなら当たり前やよぉ。山茶花こそ、部屋に戻りぃな?」
深呼吸をしてから僕は、
「そうするよ。くるるちゃん、根詰めて仕事、しないようにね」
「わかっとるわぁ。おやすみ、山茶花」
「おやすみなさい、くるるちゃん」
枢木くるるちゃんにおやすみを言った僕は、事務室を出る。
廊下を歩く。靴の中も水でぐっしょりだ。
外にいる間は気づかなかったが、こりゃ、ちゃんとしないと風邪を引くぞ、と思った。
閉めた事務室の扉に向けて、
「心配ありがとね、くるるちゃん」
と言い残し、僕はエレベータへ向かう。
角を曲がってエレベータの前に出ると、そこには、右手で酒瓶の口の部分を握って持っている、百瀬探偵結社の総長・百瀬珠がニヤリと笑みながら仁王立ちしていた。
エスニック風味の服装で幼児体型の珠総長が酒瓶を持っている図は、それはそれでその手の団体に訴えられそうな構図だ。
「遅いぞ、山茶花! 我が輩が待っていた、ということは、どういうことか、わかるな?」
酒瓶のラベルを見る。
ワイルドターキーだ。
ワイルドターキー、つまり、バーボンウィスキーだ。
製造は、オースティン・ニコルズ社。
言わずと知れたアメリカ合衆国はケンタッキー州のバーボンである。
ちなみに、カンパリオレンジなどのカクテルをつくるためのカンパリを製造しているイタリアのカンパリ・グループが、ワイルドターキーブランド及びその蒸留所を買収したので、販売元はカンパリ・グループで、製造元がニコルズ社になっているそうだ。
「我が輩、待ちくたびれたわい。なんじゃそのコールドターキーな顔つきは?」
「いえ、珠総長……、ギャグとしてそれは酷いのでは」
「アメリカン過ぎたかの! わっはっはっ!」
呵々大笑してる……。
コールドターキーとは「冷たい七面鳥」と訳すが、要するにドラッグの禁断症状の出ている様を表現した俗語である。
ワイルドターキーと駄洒落にしたのだろうけど……総長らしいと言えば、総長らしいギャグだ。
僕は笑えないけどね。
「さー、飲むぞ! 萩月山茶花、おぬしの部屋で、のぉ!」
「あー、っと、なるとあいつもいるんですよね」
僕がため息を吐くと、
「あいつじゃないよ、山茶花。おれの名前は破魔矢式猫魔。三歩歩くと記憶は忘却の河に流されるからなぁ、困ったもんだよ、山茶花、おまえって奴は」
と、これまた洒落たことを言う人物が現れる。
そいつはネコ科の鋭い目でアッシュグレイの髪をした破魔矢式猫魔。探偵である。
洒落たことを言う、というのは、『忘却の河』が、知る人ぞ知る、福永武彦の文学作品の名前だからだ。
忘却の河なんて単語を交えて喋っても、誰もわかりっこないのに……。
「はいはい、わかりましたよ。僕の部屋で飲みましょう……」
僕が言うと、総長はキャピキャピ喜んだ。
こういうとこだけ、このひとは女の子なんだよなぁ。
そして猫魔は、……どこまでも食えない奴だ。




