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泰山に北辰尊星の桜吹雪を【第二話】

**********




 ネコ科の動物のような鋭い目。アッシュグレイの髪の毛に、スーツと黒いドライバーグローブ。

 これが破魔矢式猫魔、……探偵だ。

 百瀬探偵結社・総長の百瀬珠のお気に入りでもある。


「美弥子さんとでも話していたのかな、山茶花」

 扉を開けてすぐに、探偵はそう言った。

「なんでそのことを。聞こえてた?」

「いや。山茶花が嬉しそうな顔をしているからさ。もちろん、嬉しそうなのはおれが来たからじゃないだろうし、ひとり部屋で嬉しそうにしているのも変だ。そして、煙草のにおいがする。ベランダで煙草を吸っているときに、隣室の更科美弥子さんとしゃべってたのかな、と予測しただけさ。なにせ山茶花は美弥子さんの〈お気に入り〉だからな」

「お気に入りじゃないよ、猫魔。それを言ったら猫魔は」

「珠総長はおれの〈飼い主〉なだけだぜ。魔女には猫がつきものってことさ」

「ふーん」

「スコッチ・ウィスキー持ってきたぜ。一緒に飲もう」

 酒瓶を持った手を上げて、ウィスキーを見せる猫魔。

「シーバスリーガルの18年ものか。いいね。飲もう」

 僕は猫魔を部屋に招き入れる。



 ダイニングテーブルに氷とミネラルウォーター、それからマドラーとコップを用意する僕。

 猫魔は椅子に座り、それを眺めている。

「あいにく酒の肴がなくてね。モッツァレラチーズならばあるにはあるよ。どうする」

「持ってきてくれるとありがたいな」

「はいよ」

 ウィスキーの水割りを二人分つくる猫魔の向かい側に座った僕は、モッツァレラチーズをスライスしたものを置く。


 酒を飲み交わしていると猫魔は僕の本棚を眺め、シャルル・ボードレールの『悪の華』の翻訳本を見つけ、本棚から取り出して、パラパラとページをめくった。

「山茶花、明日は女子校にお邪魔することになるんだよな。おまえのことだからどうせ〈秘密の花園〉って思ってるんだろうなぁ」

「現実はそうじゃないってことくらいわかるよ」

「だが、百合は憧憬のまなざしで見る者は昔からいるよな。その中でも有名なのが、このボードレール様だよ」

 シーバスリーガルのピリリとした刺激を舌で感じながら、僕は、

「そうなのか?」

 と、猫魔に訊いた。

「そうだよ」

 即答だった。

「『禁断詩編』の、『レスボス』と『地獄に落ちた女たち~デルフィーヌとイポリート~』が、それに該当する。デルフィーヌとイポリート。ギリシア風の名前で、ギリシアと言えば古典悲劇だろうよ。その古典悲劇を抽出して当世風にボードレールは読み替えた。レズビアンを近代のヒロインだ、と組み替えたんだな。ただ、ボードレールがその〈モチーフ〉の先駆者ではなく、先行する作品を書いたり描いた者たちがいる。それを踏まえての、ボードレールだ」

「先達がいたのか」

「ああ。バルザック『黄金の眼の娘』、ゴーティエ『マドモアゼル・ド・モーパン』、デラトゥーシュ『フラゴレッタ』だ。絵画ではドラクロアで百合にボードレールはお目にかかっている。ボードレールが美術批評をやっていたことを忘れちゃダメだぜ。ボードレールはドラクロアの絵の批評の中で〈地獄的なものへの方向にある近代女性のヒロイックな顕示〉について語っている。このモチーフはサン・シモンズに淵源を持っている。シモンズはしばしば両性具有の観念に価値を見いだしていた。シモンズのサークルに、ボードレールもいたことがあるからな」

「でも、『レスボス』と『デルフィーヌとイポリート』じゃ、だいぶ違う印象を受けるな」

「このふたつの詩は、対極的な傾向があるな。『レスボス』はレズビアン賛歌なのに対し、『デルフィーヌとイポリート』は情熱への〈断罪〉なんだ」

「賛歌と悲劇……か」

 ウィスキーをやや多めに口に含む僕。

 猫魔はチーズを囓ってスコッチで流し込んだ。

「ボードレールは、〈芸術の中の百合〉という〈幻想〉を見ていて、現実の百合は見ていなかったんだぜ。ボードレールは近代のイメージの中に彼女らのための場所を置いた。けど、現実の中に彼女らを再認することはなかった、という」


 一呼吸置いてから、猫魔は言った。


「〈堕ちていけ、堕ちていけ、憐れな犠牲者どもよ〉というのが、ボードレールがレスボスの女たちに手向ける最後の言葉だったのさ」



 僕は酔っ払いはじめていた。

 なので、混濁する頭で、

「なるほどねぇ」

 と、頷いただけだった。


「百合賛歌と、百合の悲劇、か……」





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