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気韻生動の法術士【第四話】




 埃でむせそうな古ぼけた平屋建てで、猫魔さんは墨画を描いている。

 なにをするでもなく、わたしは猫魔さんのアトリエに毎日、お邪魔するようになった。

 ほとんど会話もなく、絵を描く猫魔さんの姿を見るだけの日々。



 ある日、さすがになにか会話をしなくちゃ、と思い、わたしは口を開いた。

「そのさらさらと描いた墨画、まるで仙境の山水を描いているみたいですね」

 猫魔は筆を置いて、わたしとの会話モードに入る。

「〈境〉というより、その先の〈冥幽会めいゆうかい〉だね、おれが描いているのは。そう、舞鶴めるとさんは仙境で修行をした、天狗少女なんだってね。ここの院長が言っていたよ」

「…………」

「なぁに、法術が使えるなら、それはそれで便利だろう。迫害が怖い?」

「は、迫害は怖いです。ここにだって、入院させられてしまったし」

「理解が及ばないことがあると、ひとは〈異常〉だと感じて〈隔離〉するものさ」

「猫魔さんも、迫害を?」

「ああ。でも、おれは〈魔女〉に拾われて〈飼い猫〉になったからね。運が良かったよ」

「魔女……ですか。それで、猫魔さんは、なにを描いてらっしゃるのか、知りたいと思って。今日はそれを聞こうと伺ったのです」

 破魔矢式猫魔は、ケラケラと乾いた笑い声を出してから、

「おれが描いているのは『南画』と呼ばれるものだ。フェノロサが非難した美術、と言った方が、ここ茨城ではしっくりくる表現での説明になるな」

「フェノロサ。どこかで聞いたような」

「岡倉天心に美術を教えた東洋美術史家が、フェノロサで、岡倉天心といえば、北茨城市に六角堂をつくったから、今はその近くに記念の美術館があるじゃないか」

「ああ、そういえば」

「明治38年に茨城県・五浦海岸へ別荘である六角堂を建設した岡倉は、翌明治39年に〈日本美術院〉の第一部である〈絵画〉をそこへ移転させたんだ。洋画と日本画をわけたのは、なにを隠そうこのひと、岡倉天心さ。フェノロサの講義を受けたのが岡倉天心で、つまりフェノロサは岡倉天心の師匠にあたる人物でね。フェノロサは狩野派絵画に心酔していて、江戸時代に狩野派絵画に飽き飽きした画家たちが始めたとされる南画を非難したのさ」

「そんなものをどうしてまた猫魔さんは描いてらっしゃるのですか」

「南画には、伝統的に〈気韻生動きいんせいどう〉と呼ばれる考えがあって、その具現が南画であるといわれているんだ。その思想に触れてみたくてね」

「気韻生動?」

「大自然の生命力を自己の精神に取り入れて活き活きと描写すること、となるかな。気韻生動を一言で説明すると。北宋ほくそう南宋なんそうという分け方があって、職人画家の描いたごっつい墨画を北宗画ほくしゅうがと呼び、やわらかな筆遣いで山水を主な対象に描いたのを、南宗画なんしゅうがと呼ぶようになった。それが中国の話で、日本に渡ってきて、流行ったときは狩野派のアンチとして始まったとされる。一部の画家たちの間では、狩野派の保守的な傾向じゃ飽き足らなくなっていったんだね。それで描き出されるようになって、南画は江戸時代に流行っていったんだ。上手い具合に、読書人口が著しく拡大して、南画は知識人の教養のひとつとして愛好されたんだ。与謝蕪村も、俳人であるだけでなく、南画家としても有名だよ」

「へぇ……そうなんですか。与謝蕪村なら、教科書で見たこと、あります」

「おれが南画を描くのはささやかな、この土地の歴史に対する反抗さ。言い換えればフェノロサ、強いては岡倉天心に対しての反抗だ。違うか……、そうだなぁ、そう、皮肉みたいなものさ。茨城にいるからね、おれも、舞鶴めるとさん、あなたも。この土地に特有の息苦しさだって、あるのはわかるだろう。おれは、そのことへの批判の実践をしているんだよ。……でも」

「でも? なんです?」

「君はここにいながらにして、ここにはいない。〈冥幽会〉こそが、君が入り込んでしまった道なんだ」

 ああ、わたしは、なんてひとと出会ってしまったのだろう、と思った。

 仙境や冥幽会は、目の前にいるこのひと、破魔矢式さんにも、お馴染みの場所なのだ。

 そうじゃなきゃ、こんなにわたしが見てきた風景と同じものを、このひとが描けるわけがないのだ。

 それ以前に〈この空間〉を現出させられるわけがない。

 これは猫魔さんの法術だ。

 今、わたしがいるのは猫魔さんの結界の中だ。

「舞鶴めるとさん。あなたはおれが人払いの結界を張った中に入ってきた。入ってこれたのは〈仙術〉とか〈法術〉って呼ばれる類いのものを、君が〈背負ってしまった〉からだろう。君は……病気じゃないよ」

「…………」

 言い返す言葉が浮かばなかったわたし。

「君はこれから、〈君〉に会うだろう」

「意味がわかりませんが」

「嫌でもわかるよ」





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