泰山に北辰尊星の桜吹雪を【第一話】
岱宗 夫れ如何、
齊魯 靑 未だ了らず。
造化は 神秀を鐘め、
陰陽は 昏曉を割つ。
胸を盪かせば 曾雲 生じ、
眥を決すれば 帰鳥 入る。
會ず當に 絶頂を凌ぎて、
一覽すべし 衆山の小なるを。
杜甫『望嶽』
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僕、萩月山茶花が夜の十時頃、事務所の入っているビルのベランダに出てセブンスターを吸っていると隣の部屋のベランダから、
「よぉ、少年。煙草なんて吸っちゃってさ、わりぃ奴だな。うっしっし」
と、声がかかった。隣と隔てる壁を越えて、身を乗り出すように隣室ベランダを見てみる。
そこにはいつも通りキャミソールにショートパンツという格好で、ビール缶片手にラッキーストライクを吸っているお姉さん、更科美弥子さんがうっしっし、と笑っている姿を補足することが出来た。
「下着同然の姿で煙草にアルコールですか。美弥子さんの方が不良なのでは」
「山茶花少年。そんなこと言って、わたしのキャミ姿に欲情してるのは知ってるんだぜ」
「うっ」
「うっしっし。言葉に詰まるな、そんなことくらいで。むしろ至近距離でお姉さんのキャミソールに生足の姿を拝めることを誇りに思えよ」
「そんなこと言っても……」
「頑張れよ、少年。お姉さんは萩月山茶花少年に期待しているのだよ?」
「またまた、そんな。おだててもなにもでてきませんよ」
「おだててるわけじゃないさ。おまえのとこのボス、百瀬珠という〈魔女〉は、一筋縄ではいかないって話をしているのさ。だいたい、ここ常陸で探偵事務所開いて、なにをしたいかといや、平将門と10年前のあの〈厄災〉の関連性について調べているわけだろ?」
そう、僕は〈魔女〉こと百瀬珠総長のもとで、探偵業の雑用係として働いている。
常陸市にある、〈百瀬探偵結社〉の一員として。
そしてこのビルのこの部屋は、社宅代わりの僕の部屋だ。
ビールをぐびっと飲み、煙草を吸ってから、更科美弥子さんは僕に釘を刺す。
「……少年。気を抜くと取って喰われるぜ?」
僕は更科美弥子さんの目を見て、
「肝に銘じておきますよ、美弥子さん」
と言い、煙草の紫煙を吐く。
「取って喰われるなんて、そんな運命に従順でなんて、僕はいられないですから」
「うっしっし。言うじゃん、少年。今度お姉さんが抱いてあげよう」
僕はもう一口セブンスターを吸って、煙を空中に吐き出してから、
「嘘ばっかり」
と、薄く笑った。
すると、ぴーんぽーん、と玄関のチャイムが鳴る。
「美弥子さん。お客さんが来たみたいなんで、失礼します」
「探偵くんかな? うん。おやすみ」
「そんな格好で風邪引かないでくださいね」
「そっちこそ……死ぬなよ。くだらないことでは、ね」
僕はセブンスターを携帯灰皿でもみ消して、ベランダから室内に戻る。
玄関外のモニタで廊下に立っているのが破魔矢式猫魔だと判別すると、僕は扉の鍵を開けて、この〈探偵〉を向かい入れるのだった。