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庚申御遊の宴【第二話】

********************



 都内。

 世田谷区にある、屋敷と呼べるような敷地面積の家の中。

 依頼人に呼ばれて来た屋敷の奥座敷の中で、僕と探偵は、敷かれた布団の中でうめく老人の姿を見る。

 僕、萩月山茶花はぎつきさざんかの目の前にいる探偵・破魔矢式猫魔はまやしきびょうまは、鋭い目をさらに鋭くして、老人を見ている。

 老人は、老人ではない。まだ20代だ。それが、身体はしわくちゃ、白髮で、寝たきりになっている。

 じいさんになってしまった家の旦那さんを、元に戻してくれ、という依頼だった。


「〈見ざる、言わざる、聞かざる〉だよな」


 猫魔は、僕にそう言った。


 すらっとした身体を包む黒いワイシャツの上にはビジネススーツ。手には特製の黒いドライバーグローブ。

 それが破魔矢式猫魔の探偵としての正装だ。


 一方の僕はパーカーを着ていて、ズボンはジーンズだ。アッシュグレイに染めた猫魔の髪は短めだけど、僕は前髪を垂らしているくらいには、髪の手入れを行っていない。一般的な日本人男性の体型。格好つけても仕方がないので、こんな出で立ちだ。



 今いるこの場所は和風のつくりの大きな屋敷。

 その奥座敷の畳の上に布団を敷いて、よぼよぼの老人が、うめきをもらしている。本当は老人ではない、老人が。



 それにしても。

 見ざる、言わざる、聞かざるとは?

 僕は探偵・猫魔に聞き返してしまう。


「見ざる、言わざる、聞かざるって、三猿って呼ばれている奴だよね。日光の猿軍団がやる奴。でも、いきなりなにを言うのさ」

 僕は破魔矢式猫魔に、尋ねてしまう。


庚申信仰こうしんしんこうでは猿が庚申の使いとされ、青面金剛像しょうめんこんごうぞう庚申塔こうしんとうには、その三猿が添え描かれることが多かったんだよ。山茶花。おまえ、なにも知らないのな」


 ケラケラと笑う猫魔。


「庚申……信仰?」


「『かのえさる』とも言うね。干支の60通りある、そのひとつがかのえさるで、庚申、と書くのさ。日にちを指す言葉だぜ」


「猿とはどう繋がるのさ」


「猿は庚申サマの使いさ。〈縁起〉が良いんだぜ? だから、猿軍団のひとは猿に〈演技〉を教えているのかもしれないな」


「ややこしいけどさ、猫魔。うちの百瀬探偵結社ももせたんていけっしゃへの依頼は、いきなり依頼人の旦那さんが老け込んじゃって、まだ20代前半なのに頭が白髪で真っ白けになってしわしわの顔になって部屋で寝たきりになっている、助けてくれ、というものだったよね。それが〈猿〉の仕業だって言うのかい? 海外の古典ミステリにそんなのあったぞ。まさか、それなのか、猫魔?」


「はぁ。山茶花。おまえって奴は。古典どころか推理小説の元祖のネタだろ。そんな話をしている場合じゃないだろう」


「だって……」


「これは〈三尸さんし〉という〈三匹の虫〉の仕業だ。三猿と同様、庚申サマの〈使い〉さ」


「三尸?」


「まあ、この前にあった『庚申待こうしんまち』の時に禁忌を犯したんだろうね」


「禁忌って、しちゃいけないこと、ってことだよね」


「その通り。庚申待の日は眠らず、慎ましく過ごす。そのときは男女同衾してはいけない。なんとも、破りやすそうじゃないか、この白髮爺」



「いや、白髮爺さんとは言うけど旦那さん、20代だよ、白髮で顔も身体もしわしわだけど。でも同衾……辞書的な意味で言うと、一つの寝具の中で寝て、特に性的な関係を持つこと……を、したのか。でも、庚申信仰なんて、聞いたことないけどなぁ」


「山茶花。おまえは阿呆か。この爺の家系は代々、そういう風に、カレンダーで〈庚申の日〉になったら〈庚申待〉を過ごして来たのさ。それが、伝統やしきたりから離れた現代だから、忘れ去られていて、思わずこの旦那は、〈禁忌〉を犯してしまったのさ。あの〈魔女〉からもらったデータには、庚申待の日に性交渉をした、という記録が残っている。庚申信仰と関わりがないならなにも起きやしないが、家系が代々関わりがある場合には、現代でも禁忌は……発動するだろうなぁ」


「データってどこに? 張り込みでもしてたわけじゃないだろ」


「いや、三ヶ月前の庚申の夜、ラブホテルに入ってる、奥さんではなく、愛人と、な。その記録が、ホテル内のデータに残っていたんだよ。監視カメラにも、映ってる。正直この爺は今、息絶えようとしてしているし、このままでもいいような気もしてくるな。だが。助けてやるよ。うちの探偵結社の総長である〈魔女〉が、助けろって言うからなぁ?」


「あの。うちの百瀬探偵結社の総長である百瀬珠総長を魔女って呼ぶのはよくないよ、猫魔」


「まさか、本人の前では言えないさ」




「それよりも。……まとめよう。代々庚申信仰を持った家の人たちは、庚申待の日に、眠らないで慎ましく過ごすのが、〈しきたり〉なんだね。その庚申待の禁忌のひとつ、〈同衾〉をしたことによって、この旦那さんは白髮にしわしわのじいさんになってしまった、と」




「そういうことだよ、山茶花。眠らないどころか、愛人と〈寝ていた〉んだから。庚申サマの使いである〈三尸〉も、怒り狂ったことだろうさ」


「三尸ってのは虫なんだろ。どこにいるんだ?」


「ここさ!」


 言うが早いか、猫魔はそのドライバーグローブの左手の方で、寝たきりの旦那の顎をわしづかみにした。

 旦那の口が開き、旦那は嗚咽を漏らす。


 掴んでいる左手をそのままにして、猫魔は右手を旦那の口の中に勢いをつけて突っ込んだ。

 僕は思わず目をそらす。

 うひー、と声を出す僕。


 それから視線を戻し、布団の方を見ると、三匹の緑色の芋虫みたいな生物が、旦那の口の中から猫魔の手によって引っこ抜かれた。


「さぁて。ぶっ殺すか。南無八幡大菩薩ってな!」


 ぐちゃり。


 手で握り潰された三尸を畳に投げ捨てる猫魔。

 その緑色の血だまりの中で、うにうに動く芋虫が一匹。

 ここで言う芋虫とは、三尸のことである。芋虫にしか見えないのだ、僕には。

 三尸は三匹いた。

 三匹同時に潰したと思いきや、そのうちの一匹の三尸は、生きていたのだ。


 芋虫のようなかたちの三尸は突然すごいスピードで跳びはね、僕のおなかに飛びつき、僕の身体を突き刺した。

 ヤマヒルの噛みつきを凶暴にしたような、獰猛な唇の歯の刃が、僕を刺したのだ。

 もしくは、巨大アニサキスか。

 こいつを払い落とそうとするが、僕に吸い付いて、引き剥がせない。


「うぎゃっ!」


 この芋虫……三尸が突き刺さり囓られ血を吸われると、僕の身体から力は抜けた。


 白昼夢が見える。悪夢が全身を悪寒に包み込む。


「逃がすかよっ!」


 気を失う寸前、猫魔は僕のおなかから三尸を引き抜き、それから〈特製〉であるその黒いドライバーグローブで握りつぶす。

 引き抜かれた僕のおなかの箇所から、血が吹き出る。

 三尸の緑の血だまりに、僕の鮮血が混じる。

 その血液の量の多さに、血の気が引く。


「あ。死ぬのかな。僕……」



 倒れた僕は、そう呟いていた。

 腸のあたりって、出血も多くなるんだっけ。

 血が。吹き出る。

 最後まで情けない、僕らしいと言えば、僕らしい台詞だった。

 そして視界はブラックアウトした。





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