玉川上水
羽村の陣屋は静まり返っていた。
地面の上には数名の役人がめった刺しにされて横たわる。
相手は二〇〇名からなる武装した集団である。
一〇人にも満たない町役人では、声を出す間もなく首をかかれてしまったのだ。
江戸の市中よりおよそ一〇里。
多摩の外れに位置する寒村にしか過ぎないこの場所に陣屋がおかれていたのは意味があった。
天竺屋を先頭に天竺教の一党が陣屋を後にして、目的の場所へと向かう。
皆血走った眼をしており、しかしなぜかうつろさも感じさせた。
背には大きな櫃を背負い、全力で走っていく。
「ここだ!」
天竺屋が息を整えながらそう、叫ぶ。
目の前には大きな堀が見える。
明らかに人の手による人工物であった。
その堀は闇の向こうにずっと一直線に伸びているようだった。
「荷物を下ろせ」
冽海大師がそう命じると、教徒たちは背の櫃をドスンと地面に置く。
その重さは一〇貫をゆうに越していた。
それを背に背負い十数里の道を全力で駆けてきたのである。
「まさか、牛馬も使わず『阿片』を運ぶとは思わないでしょう」
天竺屋は誇るようにつぶやく。
役人の目につかない裏道を全力で駆けてきた天竺教徒たち。しかしあまり疲れは見えない。
「奥の手を使わせていただきました。『阿片』よりも強力な麻薬を。気持ちは高揚し、疲れも感じない。一〇貫の荷物であろうが、軽々背負って走ることができる。もっともこれを使えば――もう、まともな体には戻れませんが」
ずらりと櫃が並べられる。中には阿片の粉と酒の樽が入っていた。
「これは?」
冽海大師がそう問う。
「酒樽に入っているのは焼酎です。かなり濃度の高い。これに阿片を溶かします。水には溶けにくいが酒には溶けやすいのが阿片の特徴。そして、これを――」
そういいながら、堀を指さす。
「この堀に流す」
この堀――それは玉川上水の水源であった。
一〇里も離れた江戸の町に上水を供給する役目を果たす。
それは三代将軍家光がなくなった後、幕府が膨れ上がる江戸の人口を支えるために建設を命じたものだった。
それより一五〇年たった今も、江戸の民の生活を支えているのがこの玉川上水であった。
「これはあくまでも仏の慈悲である。この地獄の世に与楽抜苦を本となし、すべてが天竺教徒となりて極楽浄土の世界へと――」
ろれつの回らない口調で冽海大師は信徒たちに説教する。
それを冷ややかに見つめる天竺屋。
彼自身、天竺教どころか仏は信じていない。
それもこれもただ、自分の目的のため『利用』したに過ぎなかったのだ。
そして、この『阿片』を流せばその目的がかなう。
教徒たちが一斉に樽を堀に傾けようとした瞬間――大きな音が鳴り響いた――




