契約
「この『阿片』はこの国では育てることはできません」
腕組をしながら天竺屋が説明を始める。手には見たことのないような宝石のついた指輪を、じゃらじゃらと揺らしながら。
「天竺、すなわちインドで英吉利が栽培を初めています。唐、つまり清国に対する輸出品として」
そういいながら天竺屋はぱちりと指を鳴らす。小姓の一人が壁に大きな紙を貼りだした。
「世界地図でございます。戦国安土桃山の世にあれば、多くの目に晒さされていたこの地図も鎖国の世にありては知るものはわずか。あなたとか――私とか」
すっと、手に持った異様な杖でその地図の一部を指す天竺屋。
「それ、これが英吉利。海軍力でアフリカからアジアにかけて大帝国を築きつつある」
多鶴の不思議そうな顔を察してか、天竺屋はさらに説明する。
「かつて日本に来たのは南蛮、西班牙や葡萄牙であるがそれらの勢力はすでに衰退しつつある。さらに出島にて交易をおこない、欧州人としては唯一交流のある阿蘭陀も英吉利との戦いに敗北し、衰退の一途をたどっていおります」
国際勢のあまりに深い分析。到底、一商人の者とは思えない情報量である。
「私は、この国の生まれではありません」
天竺屋がぼそっと漏らす。
「されど、母の故郷への憧れがたまらずこの国に舞い戻った次第」
「その母国で麻薬を広めるとは、なかなかに悪党とは言えないですかね」
平左の皮肉にも天竺屋は反応しない。
「この国を生まれ変わらせるためです」
生まれ変わらせる、とは大きく出たなと統秀が心の中でつぶやく。どうやら麻薬をさばいて富を得る、程度の悪党ではなさそうだった。
「多くの民が苦しんでおります。農民は年貢に、町人は日々の暮らしに。そういった衆生に極楽浄土の気持ちを味わせることは、菩薩の慈悲に他なりませんでしょう」
「なるほど」
会得のいく平左。
「どうも、こいつの背後には『天竺宗』なる怪しげな教団がいるようですぜ。菩薩の慈悲を説きながら、殺人強盗火付、やりたい放題な連中で」
苦々しく平左が吐き捨てる。あの土左衛門も思えば奴らの仕業に違いないと思いながら。
しかし、天竺屋はそれを意に介するでもなく小姓に酒をせがむ。
手にはギヤマンの盃を掲げ、統秀たちを見下ろしていた。
それまでは柔和な天竺屋がまるで、戦国武将のようないかつい殺気に包まれていくのを感じる。多鶴は思わず刀の柄に手をかけるも、それを平左が制する。
「さて」
テーブルの上に盃を置き、掌で口を拭いながら天竺屋は切り出す。
「ここまで知った以上、もはや後戻りはできますまい――そこで、私と契約を結びませんか――」
意外な一言に統秀はただ、じっと天竺屋の目を見つめる。その目には底知れない赤い淀みを漂わせながら――




