徳兵衛、消える
大路をゆく人々。
その中に二人はいた。
多鶴はいつもの若侍の身なりであるが、統秀はそうではない。地味な羽織に袴。刀も二本差しの黒鞘のものである。
とはいえ、この二人は衆目を集めすぎる。
はたから見れば、どこぞの旗本か大名の若殿と見目麗しい小姓のお忍びとも思われた。
そんな視線を気にしながら多鶴は歩みを進める。
「景気は――」
統秀がそう囁く。
「悪くはない。むしろ、良くなりつつある」
統秀の見立てに多鶴は静かに頷く。
統秀はこの江戸の経済に通じている。諸色の物価を事細かに把握し、またそれを分析していた。『紅毛』の術によって。それによって江戸を平安ならしめんことは東照大権現の遺命の一つであった。
「白河さまのご改革がうまくいき、倹約政策が良い方向に動いている。もっともそれをよく思わないものもたくさんおるだろうが」
例えば、ぜいたくものを作る職人。もしくは珍味を売り物にした料理屋。そういった類の店は、このご一新が始まって後殆どが閉鎖に追い込まれていた。
「天竺屋徳兵衛の『狐茶屋』を除いては――な」
『狐茶屋』。江戸がある意味つまらない街になったことを利用して、はびこり始めた流行りである。
酒や料理を楽しむだけではなく、自分が主役になって『芝居』を楽しむことができる。さらには――
「『阿片』にて、この世を天国と感じることも可能なのだから」
「そのようなことが許されましょうか」
多鶴は厳しい声でそう非難する。
無言の統秀。
二人は扉が閉まったままの大店の前に立ち止まる。
「近所のお話ですと、天竺屋は先日突然店を閉めたとか。奉公人もすべて暇を出されたそうです......そのあたりの詳しいことについては平左どのが――」
なにか悔しそうな多鶴の表情。それをみて統秀がかすかに笑みを浮かべる。
「地下に潜ったということか。『狐茶屋』の黒幕ということが、バレたと思ったか」
店の周りには、下っ引きらしき連中がウロウロしていた。
これみよがしに十手を見せびらかし、行く人々に何やら聞き込みをしている。
「火付盗賊改方も動いているようだ。盗賊ではないが、麻薬の恐ろしさは白河さまもご存知なのだろう」
武家のなりの統秀にも怪訝な顔をする張り込み中の黒羽織。同心であろうか。統秀があの蘭癖高家と知ったら腰を抜かすに違いない。
「......?」
多鶴が下に視線を落とす。袖を引っ張る子どもがいた。
「なにか?」
そう優しく問いかける多鶴にそっと握りこぶしを差し出す。
そしてそれは多鶴の手の中に。
次の瞬間、子供の姿は消えていた。
手の中には小さな和紙が握られていた。
それをそっと開く多鶴。
一瞬驚いた顔をするが、それを統秀に差し出す。
その紙には『天竺屋徳兵衛』の名前が記されていた。




