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蘭癖高家  作者: 八島唯
第2章 江戸を震わす狐茶屋
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尾行

 天竺屋徳兵衛の出生は誰も知らないところである。

 私生活も謎じみており、奥や子どもの有無すら使用人は知っていない。一番の奥番頭ですら、彼の本宅を知らない有り様である。

 毎朝、天竺屋の本店に顔を出し夕方には籠で一人で帰っていく。

 短い時間しか店にはいないのだが、しかしその仕事ぶりはただ感嘆するばかりであった。

 徳兵衛の指示する通りに荷物を動かすとあっという間に大金が廻船問屋天竺屋に舞い込んでくる。

 酒が不足している、米が余っている――そういった情報をまるで掌にのせるがごとくに把握して、最善の取引を番頭たちに命ずるのであった。

「旦那さまは、きっと神様かなんかの使いに違いない」

 信心深い使用人はそのようなことを言う始末である。

 若い風貌に似合わずに、物腰穏やかで丁寧なその態度はおなじ商人仲間からも評判が良い。

 もはや徳兵衛が何者であろうが、使用人にとっては些細なことであった。

 今日も徳兵衛は湊を周り、事細かに商売の指示を出していく。

 その日は深川の木場に徳兵衛はいた。

 樽廻船を新たに作るということで、木材から直接目利きに来ていたのだった。

 木場の商人と少し会話を交わすと、いつものように帰り支度をする徳兵衛。

 今日は籠ではなく、船をあつらえて帰路につく。

 ゆっくりと川を進む船。

 隅田川を北上し、その船は町外れ千住の川岸へとつく。

 千住大橋が遠くに見える、人もまばらな草原。

 その一角に小さな寺へと徳兵衛はすっと姿を消していった。

「旦那さま、なんでこんなところに」

 好奇心の旺盛なものとは、いくらでもいるものである。

 天竺屋に奉公して十年、年の頃は二十五という男がいた。

 名前を由吉という。

 仕事のできる男だっただけに、徳兵衛に目をかけられてよくされていたものだった。

 そんな由吉は、主人の不可解な行動を見過ごすことができなかった。

「旦那さまは、どこで寝起きしているのだろう。どんな生活をしているのだろう」

 そんなことを考え始めるともう止まらない。

 結果、この日船で帰る徳兵衛の後を小舟で追いかけて、この千住に至ったのだった。

 もともと、船頭の経験もある由吉にとっては造作もないことである。

 船を降りて後をついて行った先が、その叢の中の寺というわけだった。

 もしかしたら、主人は狸か狐なのかもしれぬ、と由吉はつぶやく。

 草生して現在では使われていない荒れ寺のようにも見えた。

 徳兵衛の姿はあたりにはない。

 ゆっくりと、慎重に寺に分け入る由吉。

 玄関を避け、縁側の方からそっと寺に上がる。

 奥の襖。その襖だけがいやに立派であった。

 一息、呼吸を整えてからそっとその襖を開ける。

 けっして徳兵衛には見つからぬように――

  

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