『狐茶屋』の控え
襖を開け、礼をするのは女中。
しかしそれにしては造作が良い。
「この店のものか」
察した統秀がそう問う。
ほほほ、と軽い笑い。
「この時間からは、別な世界にありますればどうかお着替えの程を」
きた、と平左がほくそ笑む。
平左は先ほど主人に申し込んでおいたのだ。『狐茶屋』を所望すると。その手にはいくばくかの銭を握らせて。
「うまくいったようでありますな」
廊下を歩きながら平左がそう統秀につぶやく。
左に曲がり、階段を登り――奥まった部屋へ女中は二人をいざなっていく。
「本日のお客様はお二人のみにて――失礼ではありますが前金でいくらかをお預かりしております」
統秀が懐から小判をニ枚、羽織の裾でつまみ畳の上にそっと置く。
うなずく女中。
多くも少なくもない。これが『狐茶屋』の『流儀』である。
全ては平左と多鶴の調べの通り。
自分は常連であり、秘密は他に漏らさないという暗号でもあった。
狭い一室に通される。
そこには行灯が一つ。
そして、老婆が一人机の前の帳面に視線を落としながら口を開く。
「ご所望の『舞台』と『衣装』を。今用意できるものは――そこにございます」
行灯の光に照らされて、畳の上に一枚の書状がぼんやりと浮かび上がる。
そこには
『仮名手本忠臣蔵、祇園一力茶屋』
『城持ち大名、大奥の日常』
『国姓爺合戦、唐の武将』
などなど、戯作などから想像されるような『舞台』と『衣装』が並んでいた。好みのものを選択するらしい。
「これなどいかがでしょうか、殿」
平左がニヤけながら、その一つを扇子で示す。
『蘭癖高家、悪旗本を成敗』
無言のままうなずく統秀。意地の悪そうに平左がまたうなずく。
「了解いたしました。準備がありますもので、隣の控えでしばしお待ちを」
小さな控室に入る二人。
小さな膳が運ばれてくる。
香の物と茶碗が一つ。
準備できるまで、かるく茶漬けにてお待ち下さい、ということらしい。
酒もわずかながらついていた。
本番の飲み食いは、このあとの趣向でということらしい。
どのくらい待っただろうか。
すっと顔を隠した女中が両手に衣装を抱えながら現れる。
『蘭癖高家』とその『家老』の衣装らしい。
女中がテキパキと着付けの手伝いをする。
「よろしければこちらも」
赤熊のような金色のつけ毛。統秀は頭にそのつけ毛をつける。
「なかなか、ご立派ですな」
普段の衣装も奇抜であるが、これもまたなかなかである。
南蛮風――なのだろうか。むしろ歌舞伎役者が来ていそうな『衣装』である。
一方平左の方も、ばさら大名の高師直のような出で立ちであった。
普段このように見られているのか、と思うと統秀も少し複雑な気持ちとなった。
「でははじめさせていただきます――」
そう言いながら次の間の襖に手をかける女中。
幕、ならぬ襖が開かれ『狐茶屋』のお遊びが始まるのであった――




