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蘭癖高家  作者: 八島唯
第2章 江戸を震わす狐茶屋
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東照大権現の遺言

 統秀は懐より書付を出し、畳に広げる。薄い文字。墨にしてはいやに細く、また小さい文字が所狭しと羅列されていた。

「平左、これを見よ」

 統秀に応じ、一礼した後平左が前へ進む。行灯の光にぼんやりと照らされるその書付は、見たこともない文字によって埋められていた。

「変わった文字でございますな。蘭癖さまの手となれば『阿蘭陀オランダ』の言葉にございますか」

 静かに首をふる統秀。この時代、外国語に触れられる日本人はほとんどいない。長崎の通詞ですらもっぱら耳での語学習得を旨とし、読み書きはさっぱりである。『解体新書』による『ターヘル・アナトミア』がその唯一の例であるが、訳者の前野良沢はその名を伏せていたため、阿蘭陀オランダ語の翻訳は全く持って雲を掴むような話であった。

「文字は同じである。欧羅巴ヨーロッパ人が使う羅馬ローマの文字である。しかし、組み合わせ方が阿蘭陀オランダ語とはちと違う。そうだな、漢文と和文の違いとでも言うべきか――これは欧羅巴ヨーロッパの島国である英吉利イギリスの言葉である」

 先程の国名がまた発せられる。天竺、唐そして朝鮮。それ以外に外国といえば阿蘭陀オランダくらいしか一般人が思いつかないこの時代、統秀ははるか西の同じ島国、イギリスの言葉を理解していた。

「そうそう驚くことでもない」

 平左をなだめるように統秀は説明する。

「東照大権現さまの御代に、お使えした異人がいた。一人は阿蘭陀オランダ人のやん・よーす(ヤン=ヨーステン)。知っておるか。初代家康公は海外との貿易を奨励されておったのだぞ。朱印船貿易と言ってな。此の国の者たちが船に乗り、天竺の東の国々で活躍した。伝説では大名になったもののいるという」

 平左は静かに頷く。国を閉じ、異国への来航を禁じるのは東照大権現様以来の祖法ではなかったのか。そのような話は聞いたこともなかった。

「そうそう不思議がることもない。家康公もわれと同じく蘭癖でな。ほれ、この文字も――」

 書付の文字を指差す統秀。文字に触れると指先が少し汚れる。

「『鉛筆』と呼ばれる向こうの筆記用具で書いたものだ。家康公は好んで使われたと言われる。筆に比べて、色々簡便である――」

 そして統秀は本題を切り出す。それはある英吉利イギリス人の話であった。

「もう一人の異人、それは英吉利イギリス人のうぃりあむ・あだむす(ウィリアム=アダムス)という船乗りだ。幕府に貢献したかどで、扶持をもらうこととなる。名前もな。『三浦按針』という名だ。相模国逸見に知行を持ち、海外との窓口として活躍していたらしい――その『遺産』をわが家が受け継いだのだ。神君家康公の遺言でな――」


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