それが似合う
今年はさらに、
猛暑の年になりそうだ。
雨もさほど無く、
節水、節電を考える。
なるべくなら、
水や電気を使わない、
そんな暮らしを
どこまでできるか。
電気はともかく、
水は難しい。
流すためなら、
溜まった水を使う。
それくらいしか
浮かばないが、
それでも、
しないよりはいい。
疲れてはいるけれど、
倒れてはいないから。
こうして人は、
生きてきて、生きてゆく。
しないよりはいい、
そう思って動けるとき、
何故か気持ちが楽と
気がつく。
意味を感じられず、
諦めたような気持ちは
余計にしんどい。
不安が膨らんで。
諦めるのが
悪いわけではない。
ただ、諦めるときには
覚悟がいる。
もっとも覚悟だけを
そうそうはできない。
諦めと混在していると
感じている。
子供の頃をまた話す。
水道ではなく、
山から引いた水を
使っていた。
町の水にはない
輝く冷たさがあった。
井戸の水もそうで、
夏は西瓜が浮いていた。
自然が人を助けて
くれていた。
それがわかりやすくて、
美しい香りがしていた。
今年はさらに、
そして、来年も、
再来年も、ずっと、
猛暑は続くだろう。
もう決まっている
その未来に向けて、
人が何を選択して、
しないよりはするのか。
山や川に世話になり、
流れを止めずに、
溜まった水を
使いきる暮らしへ。
ロシアの資源を
使わなくて済むように、
日の入りで眠り、
日の出で起きる。
それくらいの世界を
覚悟することも
必要に感じるのは
自分だけだろうか。
馬鹿げたことと
笑う人がいるだろう。
この猛暑には、
それが似合ってしまう。