4章 天秤の星23―ヘレ、選び取る―
スピカさんの檻と女の子がいる小さな檻を交互に見る。二匹の獣が唸って檻に体当たりをしていて、女の子の顔は恐怖で引きつっていた。
「牡羊の女、選びなよぉ。早く、乙女の女か、なんの罪もない女の子、どっちが獣の餌になるかをさあ」
オレンジ色の髪をした少女が、催促してくる。
簡単に考えたら、戦えるスピカさんの方を開ける。でも、私には選べない。少女が私にだけ聞こえる声で言うのだ。
「檻を開けた瞬間にあの女の動きは奪ってやるからさ、安心して選びなよぉ」
「ヘレ! 迷うことは何もない、私の檻を開けろ!」
スピカさんは戦う気だ。それじゃあ相手の思うつぼなの。
私がいじいじしている間に、頭上が暗くなった。見上げれば巨大な天秤が空に浮いていた。
「うぉおお! エスカマリ様ぁあああ!」
周りがいきなり大きな歓声を上げた。よく見れば巨大な天秤の上にエスカマリさんが乗っている。どういうこと……?
「あれ? 来たの~?」
少女がエスカマリさんに話しかけた。どうして? エスカマリさんは私たちと仲良く話してた。それなのに、こんな境地に陥らせた張本人と仲良く話してるの?
「ええ、面白そうなので私も協力しますね」
エスカマリさんはにこっと笑って、私の方を見た。灰色の瞳とかち合うと、口端がにぃっとあがった。気持ち悪い。
「ふふふ、ヘレさんとスピカさんにも、アスクさん同様に、天秤へとかけてあげますね」
「どういうこと……?」
アスク同様って、アスク何かされたの!?
わけがわからなくて、私はエスカマリさんに説明を求める。
「簡単なことですよ。選択するんです。その選択が間違っていたら、みなさんの加護を私がもらえる。そういう能力ですよ」
エスカマリさんの言葉は信じられなかった。加護をもらうって、そんなことができるの?
「そうですね、矢の雨」
おもむろに発せられた言葉がなんなのか、一瞬わからなかった。聞き覚えがあるのに、別人の口から発せられたから。
エスカマリさんの目の前に複数の矢が姿を現す。そして指先の指示で矢は私たちに降り注いだ。
「――っ! 羊毛の盾!」
手を前に翳せば、腕輪からクリーム色の仔羊が飛び出す。仔羊が大きなって矢を毛で受け止めてくれた。スピカさんが剣で矢をはたき落す金属音が耳に届く。同時に――
「ひぃ!!」
叫び声がした。女の子が矢に足を射抜かれていた。血で獣たちが興奮する。獣たちもいくつもの矢で怪我を負い、さらに気が立って吠えていた。
どうしよう。女の子を助けなきゃ。でも、でも、さっきのはアスクの牡羊の加護の技だった。エスカマリさんが使えるわけがない。どうして? もしかして、アスクの牡羊の加護を奪ったの?
「ほら、これで証明できたでしょう?」
にこにこ笑う。やっぱりそうなんだ。背中に冷たい汗が伝う。
「さあ、ヘレさん。どちらの檻を開けるのか、選択してください。正しい方を選択できなければ、貴方の加護は私のものです」
怖い。選んでもし失敗したら、私のこの加護が相手にとられてしまう。怖い。
「ヘレ、早く!」
スピカさんの声で、自分のことしか考えてないことにはっとした。嫌気がさす。
私のことより、女の子を助けなきゃ。でも、少女がスピカさんに何かしたら? もし、その選択が間違っていたら? 怖くて、ボタンを押さなきゃいけない手が震える。
もう、どうしていいかわからない。目の前がまっくらだ。このまま押したくない。
「ヘレ!」
声が、聞こえた。一番聞きなれた声。私を呼び慣れている声。アスクが、空を飛んでいた。エスカマリさんに向かって落っこちていく形で。
アスクと目が合う。大丈夫だと、すとんと何かがお腹に落ちた。そして、私はスピカさんの檻を開けるボタンを押していた。
「はは、やっぱりそっちだよねぇ? 牛の御者!」
少女が叫べば複数の縄が、スピカさんに絡みつく。足には土が盛り上がって絡みつき、スピカさんの動きを拘束した。
「っ!」
スピカさんが息を飲む。必死に身体を捻って拘束を解こうとするけど、紐は思ったよりも頑丈みたいだ。
でも、私は焦っていなかった。心臓は強く波打ってるけど、アスクが来たなら大丈夫だと。そう思えたから。
二体の獣がスピカさんに向かって迫る。
大丈夫、大丈夫だから。
言い聞かせたら、二体の獣の後ろからさらに巨大な影が姿を現した。普通の動物とは桁が違う。ひっと喉が鳴る。
大きな前足は鋭い爪が生え、牙は爛々と輝いている。オレンジを帯びた毛並み、顔の周りだけは太陽の光を反射してきらきらしている金色の毛並み。獅子だ。
「そんな……」
こんな怪物。動けないスピカさんが勝てるわけない。
「いいね」
満足そうな少女の声が耳をかすめた。獅子が大きな口を開けて吠えた。
「やっちゃえー!」
少女の声とともに、大きな前足が薙ぎ払うように緩慢に動いた。砂煙が舞う。
「へっ?」
間抜けな声が少女から出た。私も目を瞬く。獅子は獣二体を前足で薙ぎ払ったのである。
「レグルス! 来てくれたのか」
スピカさんが嬉しそうに声をあげた。はっとした。そうだ、レグルスさんは獅子になれるんだった。この大きさも獅子の加護を持つレグルスさんなら納得も行く。
足の力が抜けてへなへなとその場に座り込んでしまった。
「よかった……」
少女の思い通りになんなくて本当に良かった。