4章 天秤の星15―闘技場―
「ヘレ、準備はいいか?」
スピカさんが私に問いかける。アスクたちと別れて、私たちは陽動作戦を開始する。高い場所、目立つことを目的に屋根の上に登り、市街地を見渡す。
ふうっと息を吐いた。少し緊張はしてるけど、大丈夫、目的もはっきりしてるし、スピカさんもいる。シャウラの蠍は帰ってしまったので心細いけど、スピカさんだけに頼らないようにしないと。私たちならできる。
目指すのは民家が密集した場所よりも奥、大きな円形の建物がある場所。警備兵たちを惹きつけながらも捕まらないように移動しなくちゃ。
「うん、大丈夫。このまま屋根を伝って向こうまで駆け抜ける」
すでに警備兵が私たちを見つけて、下から「降りてくるように」とか言ってる。私は屋根を駆ける。時々、幅が広いところは加護のメ―メ―に助けてもらって、円形の建物を目指した。
屋根を上って追ってくる衛兵は、スピカさんが剣で制してくれる。
「しかし、あの円形の建物は劇場か何かなのだろうか?」
「やけに熱気がありますね」
遠くからでも歓声のような声が聞こえてくる。いったい何の施設なのか、予想もできない。
「……妙だな、追手に真剣さがない」
スピカさんは衛兵を軽くいなしながら、訝し気な声色で呟く。たしかに、追手は数えられるほど、しかも屋根に上ってくるのは数人だけだ。まるで私たちを捕まえる気がないみたい。
だからか、円形の建物の近くまではすぐだった。大きな歓声、そして怒号や野次が響き渡ってる。
「なに、これ……」
円形の建物の天井はなく、客席が敷き詰められ、中央が大きく開いている。そこで、人と人が戦っているのだ。観客は円形に敷き詰められた客席から眺め、様々な感情をまき散らしている。
「賭け事をしているようだな」
スピカさんも私の横に来て上から円形の建物の内側を眺める。私の星では賭け事といえばサイコロやカードを使った質素な遊びでしかなかった。こんな大規模な場所でどんな賭け事をしてるの?
「でも、真ん中で戦ってるのは人だよ? 何か賭け事をするような施設には思えないけど……」
「あの真ん中で戦ってる奴らの勝敗を賭けているようだ」
「戦いの勝敗!?」
わざわざ戦わせて、勝敗を賭け事にしてるってこと!?
「でも、あの真ん中の人たち、ボロボロで片方は武器も持ってないよ?」
「……武器を持ってない方の足に焼き印が見えるな。……天秤の星で裁かれた罪人だ」
罪人が戦ってる?
「え、でもあんな武器ある人と戦っちゃったら死んじゃう、よ……?」
「…………幾人も死んでいるのだろうな。中央の台の上で戦っている人間にばかり目が行っていたが、台を降りると死体がいくつかある」
ひゅっと喉が鳴った。理解ができなかった。見たくなくない。でも、目の端でちらちらしているのが気になってしまう。
吐き気、がする。見てられなくて身体ごと外へと向けた。
「大丈夫か?」
「ごめんなさい……あんまりこういうのは見たことなくて……」
背中を撫でてくれるスピカさんに、少し気分が楽になる。
実際人があんな風に死んでいるところを見たのは初めてかもしれない。人として、どれだけ自分が恵まれているのか、痛感する。
「私も初めてだ。あそこまで残酷なのは」
でもスピカさんは動揺してなくてすごい。やっぱり牡羊の星の世界は狭すぎた。世間知らずだと、自覚してしまう。
「どうしよう。こんなところで捕まったら……」
「下手すると私たちもあの真ん中の場内に駆り出されるな」
「うぅ……」
やっぱりそうだよね。罪人ってことは、追われてる私たちもその部類に入るわけで。なんでエスカマリさんはここを目指せって言ったのかしら。
「わかってるじゃなーい!」
可愛らしい声が聞こえたと思ったら、首に圧力を感じる。首に腕を回されて、落下の浮遊感に襲われていることだけがわかった。なにこれ!?
「ヘレ!」
視界に、建物のヘリから私に腕を伸ばすスピカさんが見える。けど、ダメ、遠い。スピカさんは驚いてた表情を一瞬にして切り替えると、私の方に向かって飛んだ。どうして……!?
スピカさんが落下するのを見ながら、私はそのまま落っこちていく。このままじゃ二人とも衝撃で動けなくなっちゃう。
「メ―メ―!」
加護の名前を呼ぶ。大きな空飛ぶ羊――メ―メ―が出てきて、必死に捕まる。衝撃で首に絡んだ腕が外れる。私はスピカさんに手を伸ばし、反対の手で掴んだ。
すでに中央付近まで落っこちてきていた私たちは、メ―メ―に捕まって、ゆっくりと中央の四角い台へと降りた。
仁王立ちをして腕を組む小さな女の子が、こちらを睨みつけている。オレンジの髪を二つに結び、可愛いフリフリの服を着ている。彼女はたしか、アルディさんを探してた女の子……なんでここに?
「もう、大人しく案内されなさいよ!!」
ぷんぷん怒って地団太を踏む様子は、言葉と同じ感情そのまま。
「案内って、私たちここに用事はないんだけど?」
困ってしまう。アルディさんの知り合いなんだろうけど、こんなところに引きずり出されてしまうと周りの視線が痛い。
「どうした!? 早く始めないのか!?」「なんだ、今度は女の対決かぁ!?」など野次が飛んでるのは聞こえないふりをする。
「用事は作ってあげるから大丈夫なの」
ころっと表情を変えて、にこにこと笑う少女。周りの大人たちに両手を上げて、注目するようアピールする。
「みんなー! 次走はこの二人が何回戦まで残れるかですのー! ちゃんと賭けなさいね~!」
何故か場内に大きく彼女の声が拡声された。とっても厄介なことを言ってるぅ。
「ちょっと、私たち出ないって言ってるじゃない! アルディさんの知り合いだろうけど、勝手なことしないで!」
「うるさいのっ! アルディお姉さまの時間たっぷりもらったくせに、くせに! 絶対酷い目に合わせてやるんだから!」
会話がかみ合わない。本当にアルディさんの知り合いなの!?
少女は言いたいことだけいって、台の上を降りていく。慌てて追いかけようとしたら、上から柵が降って来た。いや、それは檻だ。四角い台を囲むように大きな檻が降ってきて、私とスピカさんを閉じ込めたのだ。