4章 天秤の星13―天秤の神の座―
「では、捕まった体で行きましょう」
エスカマリさんの提案で俺とマルフィクは罪人、山羊の神――カプリコルヌス様殺しの罪人として捕らえられる形になった。エスカマリさんが興奮しつついろいろ用意してくれた。どっから持ってきたんだろうという疑問は頭の片隅に追いやって、彼女の指示に従った。
何故かみすぼらしい服に着替えて、腕に拘束具をつけ、その拘束具に紐がついていてエスカマリさんに引っ張られる。周りからはじろじろと見られるけど、エスカマリさんが先導しているおかげか止められることはなかった。
図書館とは反対側の奥、警備兵が扉の前に立っている。相手の声が聞こえないところでエスカマリさんは足を止めた。
「いいですか。天秤の神リーブラ様は、天秤にてすべてを決めます。言動、心の揺らぎ、裁きを行うリーブラ様の視点、加護を持つ私からの視点、それらすべてが天秤の傾きを左右します。白き皿は無罪に近しいほど深く沈み、黒き皿は有罪に近しいほど沈みます。地面に皿が触れると有罪か無罪かが確定します」
白い皿が沈めば、無実となって天秤の神リーブラ様と話ができるわけか。ちゃんとカプリコルヌス様のことを話さなきゃな。
俺が頷くとエスカマリさんは門番の前まで歩く。彼女が挨拶すると、警備兵は扉を開けてから一歩下がり、頭を下げた。エスカマリさんが俺たちを連れて中へと入る。扉はすぐに閉まった。
中は思ったよりも広い、奥に長い部屋だ。一番奥は他のところより数段高い。その上に、テーブルがあり、背もたれがある椅子が並んでいる。ひときわ背もたれが豪華な真ん中の椅子に誰かが座っている。中央には人ひとりが立てるような台が設置されている。台の上には小さなテーブルが置いてある。左右は同じ造りで、長いテーブルと椅子が設置されている。入口の方はいくつもの椅子が置いてあり、真ん中の台を見るように位置どられていた。
さらに天井を見ると、小さな台の真上には大きな天秤が釣り下がっていて、白い皿と黒い皿が並行に浮かんでいた。
見たことがない情景だ。あの大きな天秤はどうやって上から吊り下げられてるのかな?
「リーブラ様、罪人を連れて参りました」
一番奥、豪華な椅子に座っている人物にエスカマリさんは頭を下げて挨拶をした。この人が天秤の神ってことか。白いフード付きの装束で表情が見えないけど、エスカマリさんの言葉にも何も反応しない……?
「ではアスクさんは中央の台まで、マルフィクさんはその後ろについてください」
エスカマリさんはリーブラ様が反応しないのを気にも留めずに俺たちの縄を外して、中央まで行くように促してくる。
どういうこと? 戸惑いながらも中央の台へと進む。マルフィクは俺の後ろにつき、エスカマリさんは足取り軽くリーブラ様の隣へと立った。
「さて、リーブラ様。彼の判決をお願いできますか?」
にこにこと笑って問いかけるエスカマリさんの言葉に、リーブラ様は答えない。それどころからやっぱり微動だにもしない。おかしい。
エスカマリさんがこちらを見てさらに口端を釣り上げた。そして、リーブラ様の白いフードを後ろへとずらす。
「えっ?」
現れたのは頬がこけ、皺が刻み込まれ、目がうつろの老人だった。けど、胸が上下していて生きているのは確かだ。
いままで見た神たちはこんな精気の感じられない姿なんかじゃなかった。みんな強さに自信を持ち、それがにじみ出てるような、そんな神だった。
初めて見る異様さに、心臓が縮こまって、ひゅっと喉が鳴る。
「ほら、お答えになるのは難しいでしょう?」
この場に似つかわしくない、心底楽しそうな浮かれ声。でも待って、エスカマリさんは確か天秤の神に世代交代を迫っている革命軍とかいうリーダーだって話してたじゃないか。でも、その天秤の神はしゃべることも動くこともできない状態じゃん。交代する意思も示せない状態じゃないかっ。
「天秤の神の世代交代をしたかったんじゃ……?」
「アスクさん、覚えてくれてたんですね。ふふっ、ご覧の通り、実権はすでに握っているんです。ですがまだ民には公表してなくて、言ったことが嘘ではないんですよ?」
心底愉しそうだ。どうして? 嘘じゃないって、でも聞いた時の印象と違う。
「オマエ、師匠――レーピオスと会ッてンな?」
マルフィクの言葉にイヤな汗が額に滲む。レーピオスだって? どうしてそんな話になるの?
「はい。オフィウクスのことや思想のことをお聞きしました」
本当に会ってるってこと? じゃあ、エスカマリさんはレーピオスの言葉に賛同した? 天秤の神を殺す算段がついてる?
「天秤の神にオフィウクスの詳細をお聞きしましたので、彼が言うことは間違いないでしょう。それであれば、天秤の星に利益があります」
「天秤の星? テメェに利益があるの間違いだろ?」
「否定はしません」
肯定。エスカマリさんはレーピオスさんに賛同している。俺たちとは違う考え、立場。
「もしかして――”敵”なの?」
呟いた後、ガコン。という何かが動く音が耳に届いた。音の方に目をやれば、真上にある天秤の黒い皿が一段沈んで、白い皿が上に上がり、天秤が傾いていた。
「なんで天秤が?」
「天秤の神は死んではいませんので。力は健在なんですよ」
「カプリコルヌス様を俺が殺したから、黒い皿が……?」
傾いたの……? 押し込めていた黒い感情が腹からせり上がってくる。口の中が苦い。
「ああ、すみません。そちらで計ってるわけではなくて、天秤の星の利益になるかどうかを計ってるんです」
「はっ?」
感情の切り替えがうまくできない。吐き気がする。この人は何を言っているんだ? 意味がわからない。天秤の神の力は裁きの力じゃないのか? どうして、エスカマリさんの利益になるかどうかで天秤が動くんだ?
「言ったじゃないですか、”実権はすでに握っている”と。力は残っていますが天秤の神自身が力を使えない状態なんです。ですから、加護を持つ私が代わりに神の力を行使してるのですよ。ルールはいくらだって変えられるんです、私に逆らうのは罪。とかね?」
じゃあ、使う人によってルールを変更できるってこと? だから、エスカマリさんに利益があるかどうかで天秤が動くってこと? でも敵なら、そんなまどろこっしいことしてなんになるんだ?
「エスカマリさんが有利な条件にもできるはずじゃ……」
「先ほどの問いに応えましょう。誤解をしているようですが、私はまだ”敵”ではありません。レーピオスさんにつくのか、アスクさんにつくのか、私は現段階でまだ決めていませんので」
敵じゃない……? 感情の起伏が激しすぎて、頭が追いつかない。
代わりにマルフィクが後ろから言葉を投げてくれる。
「品定めしてるッてことか?」
「そうです。貴方たちが味方に相応しいかどうかずっと観察していました。貴方たちの仲良しごっこは好きですよ。見ていてとてもいい。でも、貴方たちは私を信用しなかった。秘密を話そうとしなかった」
「それは会ったばっかりだから」
率直な答えは、口をついて出た。
「ええ、すぐに信用するのは愚策です。ねえ、双子の星の過去は愉しかったですか?」
「なんで、俺たちが過去を視たことを知ってるの?」
「天秤の神と同じですよ。加護の目を通して視ただけです。もちろん制限がありますから、全部ではないですよ」
会った時から、エスカマリさんは俺たちを見ていた。俺たちも天秤の加護を持ってるからと言って、それまでのことを話せるほど信用してなかった。お互い、相手を計りかねていたということだ。そこはわかる。
でも――