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3章 山羊の星26―アスクの想い―

 目が覚めた時、”私”の腕は真っ赤な血に染まっていた。

『こうなることは、わかっていたのである』

 ”私”の腕で身体を貫いているのは山羊の神カプリコルヌス様で、息も絶え絶えな声が耳へ届く。

『……すべてをお主に託すのである。吾輩の友たちを……よろしく頼むのである。……加護の声を聞け……』

 話すのも辛そうで、言葉は短く、ゆっくりと紡がれた。言い切ったのか、表情は安らかなものに変わる。

『ああ……やはり、死にたくはなかったのである』

 最後の言葉は消え入りそうな声で、悲しさが伝わってきて胸を締め付けた。山羊の神カプリコルヌス様の目は光を失い、それまでよりもずっしりと重さが腕にかかる。

 目の前が真っ赤になって、色を失う。

 身体は意思に反してカプリコルヌス様を地面に投げ捨てた。そこに居たのは”私”。

「アスク……?」

 名前を呼ばれて、”俺”はアスクだってことを思い出した。そうだ、そうだ。”俺”はいままでヘレの記憶を見ていた。見ていたなんて生半可なものじゃない、経験していた。その一挙一動、感情までもが鮮明に脳に刻み込まれてる。自分がヘレだと思い込むほどに。

 思い出したことで、感情が支離滅裂なほど頭が混乱する。アスクと、ヘレの感情がごちゃ混ぜになって、どれが本当の気持ちかわからない。

 別の人間の人生が頭の中にあるなんて、想像以上に頭は処理してくれない。情報量もそう、知りたくなかったことも知ったのもそう、勝手に知ってしまったことへの罪悪感も、とめどなく押し寄せてくる。

 俺は知ってしまった。牡羊の星でのヘレはいつも俺に期待を押し付けていた一方、俺があのまま成長せずにいたことに安堵していたことを。それと同時に、俺が山羊の星でヘレにしたことは同じだった。ヘレに期待だけを押し付けた一方、彼女が成長しないから追いつけることに安堵していた。怒りたい一方で、怒られて当然だと思う。

 いっそ消えてしまえば、後は楽だろうか?

「牡羊のアリエス 矢のヴロヒ・トン・ヴェロン

 自分の発する声で、目の前の光景に意識を戻された。俺は、ヘレを攻撃していた。なんで、ヤメロ! そう大声をあげたいのに、声も身体もまったく俺の言うことを聞いてくれない。

 なんで、どうして……! どうしてこんなことになってるんだっ! 俺はただ、強くなってみんなと、ヘレと同じ場所に立ちたかっただけなんだ。

 手に入らない力が手に入ったと思った。ヘレとの喧嘩だって、時間が経てば上手くいくと思った。それなのに、なんでどれもこれもが上手くいかない……っ。

『わかっているのであろう?』

 耳にかすかな声が届く。

 わかってるか。って、わかってる。わかってしまったから、激しく後悔してるんだっ。

 俺は、自分の力を過信した。

 俺は、オフィウクスの力を侮った。

 俺は、ヘレに彼女と同じ過ちを犯した。

 その結果がコレだ。

『ならば、耳を澄まし、心の望むままに応えよ』

 耳を澄ます……。

「身体の主が健在していればそれに従うのが加護だよ? 今動いているのは”私の加護”だ。牡羊の迷い子は特別な体質をしてはいるけど、いままでに加護がその身体を使ったことはある? ないでしょ? それはね、主導権を握る”彼”がいないからさ」

 マルフィクの師匠が、ヘレに説明している声が聞こえる。

 俺はここにいる。いるけど、主導権は奪われたままなんだ。どうしたそれを取り返せる?

「解からせてあげよう。相手してあげて」

 いつの間にか握っていた黒い剣でヘレに襲い掛かる――ダメだ!

 スピカに剣を止められてほっとした。と同時に、攻撃できなかったいら立ちを覚える。

 なんで……? 俺はヘレに対して、なんでこんなにいら立ちを覚えているんだ……?

『わかっているのであろう?』

 さっきも聞いた声だ。そうだ、わかってる。忘れたかったんだ。でも、俺はヘレに怒ってるんだ。彼女の記憶を見て、彼女が俺にしたことに怒ってる。彼女が俺に怒っていたように。

 だから、俺の身体はヘレに攻撃ができるんだ。

 すべての主導権を取られてるんじゃない。俺の不安定な感情の一部を身勝手に使われてるんだ。

 この気持ちが整理できれば、きっと――

「アスク!」

 時間がほしいのに、ヘレが俺の前に立ちはだかる。

 俺は再び剣を構えてヘレに向かう。

 やめて、早く、どうにかヘレへの怒りを鎮めないと!

 ヘレが両手を広げて俺に微笑んだ。逃げる気はない。避ける気もない。俺の腕は心臓めがけて突き進んでる。

 ――ヘレを殺したくなんかないっ!

 めいっぱい心で叫んだ。手に身体を突き刺す感触が響く。角度が少しだけズレて、腹部へ突き刺さったのだけはわかったけど、ヘレを刺したことに手が震えた。

 ヘレの腕が背中に回って、優しく撫でてきた。慰められてるようで涙が出そうだ。

「アスク、わたし……貴方に言いたいことがいっぱいあるの。ごめんね」

 俺だって、いっぱい謝らなきゃいけないことがある。

「私が弱くて、アスクに当たっちゃって、ごめんね」

 俺だって、弱くて、何も知らなかったからヘレを傷つけた。

「私、ちゃんとアスクから話を聞きたい。アスクと話したい」

 ヘレに話したら情けない自分にさらに嫌気がさしそうで……でも、話しておけばよかった。話してあの時に喧嘩しとけばよかったんだ。そしたら同じことを君にしなかった。

「このまま話せないことがいっぱいなんてヤダ……」

 俺だってちゃんとヘレに話がしたい。ずっとずっと言いたいことがいっぱいある。

「オフィウクスの星に行くんでしょ? それで、一緒に牡羊の星に帰るんだよね」

 そう。そう約束した。ヘレと一緒に――

「私、アスクと一緒にいたい」

「俺も、ヘレと一緒にいたい」

 気持ちが溢れるままに、俺はヘレに応えた。応えられた。真っ赤だった景色が色を取り戻す。

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