1章 双子の星02―乙女の騎士スピカ―
男と自分の間に割って入ったのは、金色の長い髪を靡かせ、甲冑を身にまとった女性だった。剣を男の喉元へ向け、睨みつけている。
「見つけたぞ、オフィウクスの手先め!」
「おやおや、これは……乙女の騎士殿」
男は一歩下がって切っ先から離れると、落ち着いた声で彼女へと話しかけた。
「貴様は、私が屠る!」
しかし、乙女の騎士と呼ばれた女性は、男に有無も言わさず切りかかった。男もそれがわかっていたのか、すぐに身を翻してその剣を避け、遠くまで飛びのいて距離を取った。
「待て――!」
逃げる男を追いかける乙女の騎士。あっと言う間の出来事に、茫然とするしかなかった。
その時、
『オフィウクスのことを知れば、自ずと私たちが正しいとわかるだろう。待っている、同胞よ』
先ほど男の声と重なった低い声が、耳元で聞こえ、体を冷たい何かが這う。すぐに、夢の中の感触と一緒だとわかり、それがなんなのかを理解した。
感触が去って、俺はその場に崩れ落ちる。震える手が、冷たい汗が、体から恐怖が染み出して……。
「大丈夫か!?」
肩を揺さぶられた。
「…………」
「しっかりしろ! あいつに何をされた!?」
ガンガンと響く高い声に、揺らされる体に、頭がぐるぐると回る。
「……きもちわる……」
手で相手の肩を押して、やめてほしいという意思表示をする。彼女は慌てて俺から手を離して、心配そうに顔を覗き込んできた。青い色の澄んだ瞳はキレイで、いままでの恐怖が和らぐようだった。
「すまない。大丈夫か……?」
「はい……」
頷くと、ほっとしたように息を吐き、乙女の騎士は微笑んで俺の背中をさすってくれた。
「あの、追わなくてよかったんですか?」
「ああ、逃げ足は速いから、最初の一手を読まれた時点で捕まえるのは無理だった」
彼女はよく、あの男のことを知っているようだ。
「それより、何か言われなかったか? あいつはオフィウクスの加護を受けているから、近づくのは危険だ」
「それは……」
幾分平常心を取り戻したものの、彼女の質問にはどう答えるべきか悩んでしまった。オフィウクスの加護を受けていると言っていいものか……。
「一緒に行こうと言われたか?」
的確な言葉に思わず息を呑む。
「やはりか……あいつらはそう言ってオフィウクスの星に人を連れて行くんだ。だが、ついて行って帰って来たものはいない。ついて行かなくて正解だったな」
大丈夫だ。とあやすように頭を撫でられた。子ども扱いに、急に羞恥がわく。
「あの、俺。子どもじゃないんで……」
「ああ、すまない。助ける時はだいたい子どもが多いから、癖で撫でてしまった」
苦笑いをして、彼女は体を起こし俺に手を伸ばした。俺はその手を取って立ち上がる。
「多いって、何度かこういう場面に?」
「あいつとは乙女の星からいくつかの星を渡っている最中に何度か顔を合わせている。子どもの方が誘い出しやすいのだろう、貴方の歳で誘われているのを見たのは初めてだ」
口には出してないけど、「何か特別な訳でもあるのだろうか?」と目が物語っている。たぶん、オフィウクスの加護を受けたせいだ。でも、それは言えない。
「そうだ、名前を名乗っていなかったな。乙女の星ペルセポネの加護を受けたスピカだ」
俺が黙っていれば、彼女はそれ以上聞く事もなく名乗った。俺もそれにのっかって名乗る。加護の部分は伏せて。
「あ、牡羊の星から来たアスクです」
「そうか! ちょうど牡羊の星に行こうと思ってたんだ。案内してくれ」
スピカの申し入れに全力で首を横に振った。俺は、戻れない。
「いや、ムリですっ! 俺、ちょっと諸事情で戻れなくて……!」
「ああ! そうか、すまない。使命を受け取っていたのか。それなら優先はそちらだろうから、仕方ないだろう」
慌てる俺に、スピカは勝手に納得してくれた。使命ってなんだろう。とは思いつつ、聞けば裏目になりかねないので、そこはぐっとこらえる。いつか、聞こう。
「では、アスクはアリエスの加護を受けたのか?」
「いや、それは俺じゃなくて……幼なじみのヘレが……」
正直にしゃべってから、はっとして口を塞いだ。じゃあ、どうして俺がここにいるんだ? って話になってしまう。
「なるほど。先の偵察か。従属の者だな」
また知らない言葉だ。どうやら、本当に俺は無知らしい。知ってることが少なすぎる。とりあえず今はスピカの盛大な勘違いに乗るしかない。
「ま、まあ。ソンナトコロ」
「ふむ。やはり、オフィウクスについてか? あいつが加護を受けてから、どこの神も星の人間に調査させているという噂だ」
オフィウクスの名前が出て、さっきの男の言葉を思い出す。蛇遣いの星に行くには「すべての星の加護を集めれば行ける。だから、人手を集めているんだ」と言ってた。
騙すのは申し訳ないが、星の加護の集め方について教えてもらえるチャンスだ。
「そうです。蛇遣いの星へ行くために、他の加護を集めるように……言われています」
「なるほど。私と同じというわけか。ならば、加護を持つ人間と帰属の契りを交わすのがいいだろう」
「帰属、ですか?」
「そうだ。属するには、従うか、共に同志としてお互いを認め合うかの二択だ。従属か帰属をちぎる事で、加護の影響を受けることができる。ほんの少しだがな」
なるほど、自分が加護を受けずとも、従属か帰属になればその力に属することができる。すべての加護の力を集めるにはそれが簡単そうだ。
「だが、残念ながら会う確率は非常に低い。私もいくつかの星を渡っているが、出会ったことがあるのは水瓶の星で一人だけだ」
「そうなんですか……」
「獅子の星にも加護を受けた者がいるという噂は聞いたことがあるが、会えなかった。他にもいろいろな噂はあるが……どうもあいつが情報を操作しているようで確実性が薄い」
「じゃあ、だいぶ難しいんですね……」
はなからわかってはいたけど、やっぱり加護を全部集めるとか、無理難題以外の何物でもないんじゃないか? 疑問と脱力感に襲われる。
「そうだな。神に会えたなら、直接加護を授かった方が早いかもしれない」
「加護はいくつも貰えるんですか?」
「わからない。私はまだ一つだけだ。会った事ある人にも一つだけだった。そもそも、神々も己の星の民に加護を与える事が普通らしいから、他の星で加護を授かれるかどうかもわからん」
「そうですよね……」
星を守っている神が与える加護なのだから、それが自然だ。
「いや……この星ならあるいは授かれるかもしれん」
彼女の言葉にはっとした。
双子の星の神は残酷だ。自分の星の民を竜巻で困らせて、それを愉しむ。そして、他の世界から来た人間には”遊び”を請う。遊びの勝者には望む物を与え、敗者は未来永劫この星に囚われる。だから、いくら民が苦しもうが構わない。いなくなるのであれば、他から補充するのだから。
「双子の星……」
「ああ。牡羊の星の後に、私もこの星の神に挑戦してみよう」
彼女は俺の背中を軽くたたく。意図が読めずに、俺は聞き返した。
「え、でも、もう乙女の加護をもらってるんですよね?」
「ああ。だが、可能性は多い方がいい。だから私は――すべての加護を一人で手に入れようと思っている」
力強く言い切る彼女の言葉は、本当にそれができてしまうような響きを持っていて。でも、俺は信じられないと、目を見開いてさらに食い下がってしまった。
「そんなこと、できるんですか?」
「やってみなければ、わからないだろう?」
風が吹くように爽やかに笑う彼女は、自信に満ちていて、綺麗で、そして格好良かった。ドキっとして心臓がうるさく鳴り響く。
「何もしなければ、良くも悪くも先に進めないからな」
「……そう、ですね」
後ろを振り向かないで、前だけを向いて進んでいる。そんな彼女が眩しくて、俺は目を伏せた。羨ましかった。自分も、同じように歩んでみたいと思った。できることなら……。
「だから、ちょうど星に顔を出している牡羊の神、アリエスに話を聞きたい。あの人は温厚と情を持つ神だ。もしかしたら2つ以上の加護を手に入れる方法を教えてくれるかもしれないからな」
そう言って、スピカは俺の背後の洞窟へと視線を向ける。
「アスク。貴方が先に双子の神の加護を受け取ってくれることを願っている。可能性は高い方がいいのだから」
スピカは俺の頭を軽くポンっと撫でると、洞窟へと歩み始めた。俺は、彼女が洞窟の青い光の中へ消えるまで、何も言えず見送った。
「……子どもじゃないって言ったのに……」
遅いスピカへの言葉を、俺はこぼした。