2章 蠍の星20ー蠍の神の強談ー
顔をあげれば、蠍の神が目の前に立っていた。
「あっ……」
思わず下がろうとして、バランスを崩してしりもちをつく。
いったいどこからきて、いつからここにいたんだ?
「そう怯えんでもよい。わしは、提案をしに来たんじゃ」
蠍の神の言葉を順繰りと頭で復唱する。提案ってなんだ……?
「我が元に来い。さすれば、すべての人間の無事を保証しよう。どうじゃ?」
「俺が頷けば、スピカも、ヘレも助かるってこと……?」
「そうじゃ、いい話じゃろう?」
どうしようもないところに、助かるという道しるべ、藁にもすがる思いだった。
でも、その時、いつの間にかうっすらと目を開けていたスピカと目があった。
途端、スピカにアリエス様の伝言を聞いたときの会話が頭に浮かぶ。
「アスクは、牡羊の星に戻る気はあるのか?」
「……戻りたい。このオフィクスの加護が解けたら……!」
――そうだ、俺はヘレと一緒に牡羊の星に帰らなきゃいけない。でも、それにはヘレを助けなきゃ……。
「どうしたのじゃ? お主はそこのオナゴを見殺しにできはしないじゃろう?」
そうだ、俺には選択肢がない。
どうしようとスピカをもう一度見るも、彼女はまた意識を失っているようだった。
選択肢はなかった……。
「……わかった」
俺の返答に蠍の神は嬉しそうに頬を緩めた。だけど、俺は言葉を続ける。
「でも、俺は牡羊の星に帰りたい。貴方の元に行っても、その気持ちは変わらない」
「ほう、じゃが約束は約束じゃ。いくら望もうとも、わしの元から一生帰すことはないぞ?」
「……わかってる。だから、伝えとくよ。こんな形で約束しても……俺は、きっと貴方をずっと許せない」
こんな方法で無理やり蠍の星にいたら、俺はずっと気にし続ける。そして、彼女を憎んでしまうだろう。そんな人間を傍においておきたいのだろうか?
「くふふふ……本懐じゃ」
俺の心配をよそに、蠍の神は笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「ずっと待っておった。どんな感情でもよいのじゃ。わしのことを永久に見てくれる者が傍にい続けてさえくれれば」
「…………」
目に宿る光は、ひどく強い執着。そして、本当に喜びを含んでいた。思っていた返答とは違ったことに愕然とする。
声も出ない俺に対して、蠍の神は小さく聞こえるか聞こえないくらいの声で
「……もう独りではなくなる」
と呟いた。その言葉を吐いた時だけは、はかなげで寂しさを含んでいて、目の前の変わりように俺の心がかき乱される。
どうして、そんな声を出すのか。どうして、あの声――”待っておる”とつぶやいたピラミッドに入った時の声とそっくりなのか。
混乱している俺をよそに、蠍の神はにこっとあどけなく笑った。
「さて、話は終わりかのぅ小童……名前を聞いておらんかったな。名をなんというのじゃ?」
「……アスク」
「アスクか。ふむ。アスク」
嬉しそうな彼女は、先ほどまでの意地悪な雰囲気はない。上機嫌のまま、スピカに近寄ると解毒剤を飲ませた。
彼女の行動に緊張が走ったが、スピカの顔に血色が戻っていき、俺はほっとした。蠍の神は、さらにその解毒剤をスピカの荷物に入れ込むと蠍を使ってスピカを運ばせていった。
「わしは今、加護を通してお前と話しておる。じゃから、お主は本物のわしのところまでその足で来るのじゃ」
蠍の神はまっすぐと太陽とは反対の方向指を差す。目をやると、砂が下に流れ続けて大きく凹んでいた。大きな蟻地獄のようだ。
「その砂の中央から下の階に繋がっておる。下の階も同じ場所を探し、さらに下の階まで降りてくるのじゃ。そこで、わしは”待っておる”」
スピカのことでいったん落ち着いたはずなのに、またあの声と同じように言われて、混乱した。
傲慢な目の前の蠍の神が、あの時の声だなんて思えない。なのに、寂しげにつぶやかれた声と言葉は、あの時の声にそっくりだと思う。
「……わかった」
ごちゃごちゃになった思考をいったん頭の隅に置いて、俺は返答を待っている蠍の神に頷いた。
返答への選択肢はない。俺はスピカの回復を目にしているから、従うしかないんだ。途中でスピカを放り出されてはかなわないし、ヘレの無事も確認しないといけないから。
「うむ、良い返事じゃ。では、待っておるぞ」
蠍の神はそういうと加護の蠍の姿へと戻った。
誰もいない砂漠に立ち……俺は意を決して砂の中に飛び込む。
あっという間だった。砂が目に入ると思って顔を覆い瞼をつぶれば、すぐに浮遊感。その後に背中に衝撃を受けた。
「いたた……」
起き上がれば、暗闇を月が照らし砂がきらきらと光っていた。肌寒さに、腕をさすっていると上から荷物がぼとっと音を立てて落ちてきた。
砂も少しずつ降り注いでいるので、俺は荷物を手に取ってその場を離れた。荷物から布を取り出して被る。
「…………」
頭の中がぐるぐるする。選択肢がなかったとはいえ、本当にあれでよかったんだろうか? それに蠍の神の言葉。人を傍に置いておきたいって、独りじゃなくなるって、やっぱり寂しいのか? あの声にそっくりだったのは?
疑問しか浮かばない。もっと、情報が欲しい。もっと、彼女の思いが分かれば説得もできるんじゃない……かな。
「やっぱり、会いに行ってちゃんと話さなきゃ」
もしかしたら時間がかかるかもしれないけど、でも、俺だって諦める気はさらさらない。アリエス様に会うために……ヘレと戻るために。
俺は荷物を担ぎなおすと、夜の砂漠を歩き始めた。
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