2章 蠍の星18ー毒による分断ー
蠍の神は閉じた瞼の裏に浮かぶ光景を眺めていた。
彼女は化身を蠍に変えて星やピラミッドの中に配置しており、その化身が見ている光景を自分に伝えさせ、状況を把握しているのだ。
「……どうやらあやつらはレプリカの宝庫に入ったようじゃな。他の扉はすべて過酷な罠を設置してあるが……どうやら唯一安全な扉を使うようじゃ」
周りにも聞こえるように話すため、ヘレも彼女がアスクたちの現状を見ているのだとわかった。どうやらみんな無事らしいということに、ヘレは安堵する。
「……あいつらは邪魔じゃのぅ」
蠍の神のいつもより低くなった地を這うような声が、はっきりとヘレの耳に届いた。
「絶望と困惑……苦難を乗り越えてこそわしのところに到達するにふさわしい。それが、こんな簡単にこなせてしまっては面白くもなんともないわ」
蠍の神を目を開けると立ち上がった。
「少しばかり出かけてくるのでな、おとなしく待っておれ」
ふんっと鼻を鳴らしながら告げると、縛ったままのヘレを残して蠍の神は部屋を後にした。
レグルスが扉を開けると、真っ黒い無数の何かが奥から飛び出してきた。思わず声があがり、後ろに1,2歩下がる。
「ぐっ……蝙蝠かよ」
飛び去った影を目で追ってレグルスがため息交じりに正体を口にする。小さな黒い個体は、暗い場所に住み着くと言われる蝙蝠だった。蝙蝠たちは飛び出したあと、宝物庫の天井を慌ただしく飛び回っている。けど、、敵意は見られない。
「真っ暗だな。うわ、カビと埃くせぇ……」
「蝙蝠の巣になっていたようですわね~。長年開けられていなかったのでしょう~」
「地図によれば、この長い廊下を抜ければ下りの階段があるはずだ」
レグルスが扉の奥を覗き込んでからそっと中へ足を踏み入れた。
「まー、そう簡単に行けるはずないよなー」
「やはり罠があるのか」
「一番安全とはいいましても~、一筋縄ではいきませんわね~」
レグルスがランタンに光を入れて廊下を照らす。すると、垂れ下がっている斧刃や、地面からむき出しになっているギザギザの半円の刃がぎらりと光を反射する。
これで安全な道って、他はどうなってるんだよ……。
「うわっ、ナニコレ……」
そういうのが精いっぱいだった。見えている罠? に尻込みしてしまう。
「ある一定まで近づくとたぶん動き出すぜ。どこかに動きを止めるスイッチとかあればいいんだけどな」
レグルスはそういいながらゆっくりと壁や床を調べていく。レグルスが調べた場所は安全ということで、アルディさんに手招きされて俺とスピカも廊下へと足を踏み入れた。
「すべて斬り伏せて進むのは、どうだろう?」
「力技は最後の手段な。下手すると崩れる」
「そうか」
スピカの提案はあっさりとレグルスに止められる。罠についてはレグルスに一任するつもりらしく、スピカもそれ以上は言わなかった。
それにしても、ピラミッドの中は本当に罠だらけだ。
「ヘレ、大丈夫かな……」
「心配だな。しかし、ヘレは強い。彼女ならきっと上手く立ち回るだろう」
「うん……」
そうだ。ヘレならきっと大丈夫だ。もしかしたら蠍の神と仲良くなってるかもしれないし。
「あの声の人、どこにいるんだろう」
「誰のことだ?」
「あ、ピラミッドに入るときに声が聞こえたんだ。とても寂しそうで……蠍の神かと思ったんだけど、さっき会ったときに本人かどうか聞けなかったなぁって」
「寂しそう、か……」
「スピカって、蠍の神と会ったことあるんだよね?」
「ああ……あの時は蠍の神だと知らなかったがな」
「どんな感じだった?」
さっきの蠍の神の様子があの声の人と似ているかと言われれば、似ていない。けど、どこか引っかかって仕方がないんだ。
「どんな……そうだな。自信に溢れ、人々に囲まれていた。一際目立ち、人の目を奪うお方だったな。今よりももっと明るく溌溂としていらっしゃった」
「じゃあ、やっぱり寂しいとは無縁の方なのかなぁ」
「……どうだろうな。私が先ほど感じたのは鬱憤だった。私が断ったせいかとも思ったが、あれは誰に対しての鬱憤だったのかわからなかった……」
スピカが考え込むように口を引き結ぶ。それ以上、話は進みそうにない。
「話は終わったか? こっちは罠の解除が終わったぜ」
「あ、うん。大丈夫。ありがとう、レグルス」
「じゃあ、俺の歩いた場所を外れないようについてきて――」
ぼとっと大きな塊が降ってきた。レグルスも息をのんで落ちてきたものを凝視した。
「蠍……?」
ランタンの光に照らされて黒光りするそれは蠍で、認識したと思ったら視界の端に次々と同じ塊が降ってくる。
「動くなっ!」
レグルスが俺たちに指示を伝える。動けば、壁に、天井に、床にひしめく蠍に触れてしまう。
「ちっ、生き物ってところが厄介なんだよ。アスク、灯りを持っててくれ」
ランタンを受け取る。レグルスは開いた両手で、荷物から布と棒を取り出して松明を作り上げた。
「スピカ。お前たちの荷物にも似たようなの入ってるだろ。同じように作れ。生き物だ、火にはさすがに近づいてこない」
スピカはレグルスに倣って松明を作り、蠍へと向ける。たしかに威嚇をしながらも後ずさりしていく。
「……道からズレたら相当危なそうだ。アルディ、手」
「わかりましたわ~」
ぴりっとした雰囲気に、アルディさんは差し出されたレグルスの手を取った。それから俺に手を伸ばしてくる。
俺がアルディさんの手を取る前に、闇からカツカツという音が近づいてくる。松明の明かりを掲げれば、褐色の肌が覗いた。
「蠍の神――!」
「やれやれ、まさかわしの家でいちゃつかれるとはのぅ。頭にくるわ」
蠍の神は目を細め冷え冷えするような視線をレグルスたちに向ける。
「どこをどうみたらそうなりますの~? あなたがこんな意地の悪いやり方をしなければ~、わたしだってレグルスの手なんかとりませんわ~」
アルディさんが敵意を返す。それに蠍の神はふっと笑い手をアルディさんに向けて掲げる。
「ふ、ふははは! いい度胸をしておるのぅ。しかし、わしは意見されるは嫌いじゃ。少し黙っておれ」
「アルディ!!」
レグルスがアルディさんの腕を引き、自分が前に出た。鋭い針がレグルスの肩に突き刺さる。
「ぐっ」
「このお馬鹿~!!」
後ろに倒れ込むレグルスをアルディさんが支える。
「蠍の神! 今のは!」
「毒じゃ。これでしばらく動けんじゃろう? まあ、早く解毒せんと命の保証はできかねるがのぅ」
「どうして、そんなことを……?」
楽しそうな蠍の神の表情に、俺は冷や汗が滲んだ。手が恐怖でかじかんで、口の中がからからになる。やっと絞り出せたのは単純な疑問で。
「わしがお主たち二人を気に入っておるからじゃ。解毒、捕らわれたオナゴ、わしを追いかける他はなかろう?」
追いかける他ないって、気に入ってるならこんな追い詰めるようなことするか? 蠍の神の考えてることがわからない。
「待っておるぞ」
それだけ言うと、うっすらと見えた褐色の肌は暗闇の中に消えた。
蠍の群のせいでスピカも思うように動けない様子で歯噛みしている。
「……スピカさんー、アスクさんー、二人はこのまま先へ進んでくださーい」
「アルディさん……?」
「蠍の神の狙いは~、どうやらお二人のようです~。わたくしが行っても先ほどの二の舞になりかねませんので~。わたくしは~、レグルスを地上へ連れていきますわ~。用意してあった解毒剤で~、症状の緩和はできましたが解毒まではいきませんし~。地上にいけば他の解毒剤が効くかもしれませんので~」
レグルスを膝にのせて彼の額の汗をぬぐいながら、アルディさんははっきりと自分の行動を伝えてきた。
「わかった」
「罠は動作はしませんが~、蠍のせいで刃などが見えづらくなっている箇所もありますし~、力業の出番ですわ~。ですが蠍には毒がありますから~、十分に気をつけてくださいませ~」
「ああ、そちらもな」
アルディさんは自分とレグルスの荷物から解毒剤や必要そうな荷物を一つにまとめ、俺に託してくれた。
「では~、レグルスを医者に預けたら~わたくしも追いかけますわ~」
「ああ、頼む」
アルディさんはレグルスを片手で抱え上げ、もう一つの手で松明を持つと蠍を蹴散らせてもと来た道を戻っていった。
「……蠍の神は、なんで俺たち二人に追いかけてきてほしいんだろう?」
スピカから松明を受け取り、蠍を追い払いながら話しかけた。
「わからん。直接あって話を聞くしかあるまい」
スピカは端的に答えると剣を抜いた。そして、剣を振るう。風圧で蠍が、設置されていた罠が、奥まで吹っ飛んでいく。
「蠍の神は……話してくれるかな?」
「私には難しいかもしれない……しかしアスク。お前ならできると私は思っている」
「俺……?」
俺に何ができるんだろう? 疑問に思うも、考える暇もなく、スピカが駆けだしたので、それについていく。吹っ飛ばしては廊下を駆け、それの繰り返しで先へと進んだ。