2章 蠍の星14ー救援スピカと牡羊の神の伝言ー
「行き止まりってどういうことだよっ!!」
目の前の壁に思わず叫んだ。え、この道ってあの人のところに続いてるんだよな? なんで行き止まりなんだよ!
「うぅ、壁壊せないかな? "手に力を込める!"」
言葉を口にして、腕を引いて思い切り叩く。
「ーーっ! いたい……」
壁は手の大きさに凹んでいた。力があがるといっても限度があるらしい。この程度の力だと何回叩けば壁が壊れるのか、俺にはわからない。壊れる前にたぶん、確実に手の方がどうにかなる……。
さっきだいぶ引き離した大岩は徐々に迫ってきている。
俺の拳じゃ大岩を殴って砕くことはムリだ。どうしよう…? 手と足に力を込めて、どうにか大岩と受け止めるとか……?
あ、ダメだ。無理だって”確信”をひしひしとし感じてしまう。
でも、もう大岩はすぐそばまで迫ってきている。やるしかないっ。背中を壁に押し付けて、ふんばれるように体を固定する。
「”手と足に――」
シャっと何かを斬るような音が耳元で聞こえて、息が止まった。同時に背中から倒れる浮遊感。視界が天井を仰ぐ。
「へっ?」
視界に入る金糸の髪に青い瞳――スピカだ。背中の浮遊感は彼女の腕に支えられていた。
遅れてドン! っという大きな音と振動が足元でして、視線を向ければ壁に人が通れるくらいの四角いの穴が開いている。そこから大岩の一部が顔を出していた。
「アスク、大丈夫か?」
目の前に心配そうなスピカの顔が映り、あまりに近すぎて俺は慌てて起き上がった。
「だ、大丈夫!」
びっくりした~。めちゃくちゃドキドキする……。
「そうか、よかった。間に合ったようだな」
スピカも立ち上がって、使ったであろう剣を腰の鞘に納めた。
間に合ったってことは、やっぱりスピカが助けてくれたのか。俺が叩いて少しへこますことができた壁を、スピカはなんなく斬ってみせたわけだ。力の差を感じる。
俺は一呼吸おいて、スピカにお礼を言った。
「……助けてくれてありがとう」
「ああ。無事で何よりだ」
俺の様子を見て安堵したように笑うスピカに、ちくりと胸が痛んだ。彼女に約束したことが頭をよぎる。「スピカが戻るまでは危ない事はしないさ」そう言ったのに、さっきの状況はどう考えても危なかった。約束したのに、首突っ込んで危険な目にあって、情けなさと気まずさに視線を下に落とした。
「あの、ごめん。スピカとの約束守れなくて……」
「……怪我はなかったのだろう?」
「それはそうだけど……でも、俺が考えもなしにピラミッドまで来ちゃったから、ヘレにも心配かけてるし……」
スピカがいつものように俺の頭をぽんぽんっと軽く叩き撫でる。
「自覚があるなら私からは何も言わないぞ」
「ぐむ……」
いっそ責めてもらった方が楽なのに。でも、きっとこれ以上スピカは俺を責めたりはしない。
悔しくて上唇を噛む俺に、スピカは小さく笑って頭から手を離した。
「それに、アスクと一緒で私も反省しているところだ」
「え?」
スピカの言葉の意味がまったくわからなくて、俺は目を瞬きながら顔をあげた。
「どうやらアスクは神に好かれる体質らしいな。蛇遣いのオフィウクスしかり、双子のジェミニしかり……蠍の神も例外ではなかったということだ」
「好かれるって……」
たしかに星を移動してからずっと神に会ってるけど……。
「アスクは神の所業に巻き込まれやすいということさ」
「……その結論は否定できない」
オフィウクスに巻き込まれ、双子の星に逃げればジェミニに絡まれて。そういわれてしまえば納得してしまう。
「その巻き込まれやすい体質を見抜けなかった私にも非がある」
「なんか、そんな風に言われると何も言えない……」
「まあ、巻き込まれてもアスクはいつも無事なうえ、神と心を通わせる。私の心配も無意味だったかもしれないな」
「心通わせるって……そんなつもりないけど……」
「そんなことはない。双子のジェミニはもちろん牡羊のアリエスもアスクには信頼を置いていたからな」
「アリエス様って、えっ……なんで?」
オフィウクスの加護を授けられた俺は、牡羊の星でアリエス様から攻撃を受けた。その拒絶と恐怖は今も覚えていて……。俺はアリエス様の鋭い視線を思い出してごくりと喉を鳴らした。
「そうか、邪魔が入って伝え忘れていたな。牡羊のアリエスからの伝言だ、悪い話ではないぞ」
双子の星の別れ際、たしかにスピカは牡羊の伝言の話をしていた気がする。悪い話じゃないと言われても、オフィウクスの加護を受けた俺のことをアリエス様がよく思うわけないし……。
でも、聞いておかないと何がなんだかわからない。だから、覚悟を決めて、俺はスピカをじっと見て言葉を待った。
「牡羊のアリエスからの伝言はこうだ。『アスクがすべてを清算した後、この星に戻ってくるなら僕の加護をあげるから』と」
「えっ?」
予想外の言葉に、驚きの声しかでなかった。オフィウクスの加護を受けたから、牡羊の星にはもう戻れないんだと。そう、諦めていた。
だけど、アリエス様は戻ってきてもいいって……信じられない。
「信じられないか? だが、アリエスは牡羊の星と民が大好きだと。アスクも牡羊の星の子だから、加護を得る資格がある『どこへ行っても牡羊の星の子だよ』と言っていた。あの言葉は優しさに満ちていたから、嘘は言っていないと思うぞ」
信じられず茫然としている俺に、スピカは続けてアリエス様の言葉を伝えてくれる。
その言葉は俺の胸に響いた。何度も『どこへ行っても牡羊の星の子だよ』という言葉が頭の中で復唱される。
牡羊の神アリエスがそんな風に俺のことを言ってくれるなんて……心が温かくて、胸から何かせり上がってきそうになる。
「アスクは、牡羊の星に戻る気はあるのか?」
「……戻りたい。このオフィクスの加護が解けたら……!」
俺は、スピカの問いに心のまま答えた。戻れないと思っていた。けど、戻りたいと思っていた。あの何事もない平和な日々に。
そして今度はやりたいことに向き合いたい。ヘレと同じように。
「ヘレと一緒に、戻りたい……」
「うむ。では、オフィウクスの星に行くまで頑張らなければな」
「ああ、まずは蠍の神に会う!」
「その意気だ」
決意を新たにして、気分は高揚していた。スピカもいるし、進むには心強い。
「あ、そういえばスピカはなんでここに?」
いまさらな疑問を口にする。ピラミッドに入るには蠍のマークを持ち、日ごとに代わる扉を見つけなければならない。しかも、スピカは一度乙女の星に戻っているのだから、さらに不思議だ。
「話せば長くなるが――」
と、乙女の星には他の星から近道で戻ったこと。同盟星というものがあって、牡牛の加護を持つアルデバラン――アルディというご令嬢がレグルスの知人だったこと。アルディがスピカから俺たちの話を聞いて、急いで蠍の星に向かうといい、すぐに双子の星との行き来を開放し蠍の星に来たこと。来たところで急いでいたレグルスに会ったこと。ヘレと合流してピラミッドに入る条件を満たしたこと。
とにかく、本当に長い話をいっぱい聞いた。途中から言葉が右から左に流れていったけど。
「じゃあ、ヘレたちもピラミッドの中に?」
「そうだ。私がアスクの気配を察知し、壁部分を斬り開いて駆けつけたからな、追いつくにはもうしばらく時間がかかるだろうが……」
スピカが自分が来た道を視線で指す。通路の壁がさっきと同じように人が通れる大きさに斬り抜かれていた。
「うわっ、すごっ」
「迷路の道を素直に進むとなると、アスクに追いつくのが難しいと判断していたからな。なるべく近道になるように進んできたのだ」
力技で進んできたのを、さも当たり前に言われた。蠍の神も予想外だろうなぁ。とどこか他人事のように思い、彼女の方を向いて曖昧に笑っていると、
「ーーアスク!」
聞きなれた声が耳に届く。振り返れば体に衝撃が走って、一、二歩後退る。