1章 双子の星09―ジェミニの過去を知った二人は―
俺は、これを聞いて本当に良かったのだろうか――。
老婆の話が頭にこびりつく。
老婆は話終えたあと、もう話すことはないからと、食料を捜しに外へと出て行ってしまった。
残された俺とマルフィクの間にしばらく沈黙がおちる。
「……あれが本当だとしたら、この遊びになんの意味があるんだよ……?」
「意味? 腹いせにしか見えねェけどな」
絞りだした俺の声に、マルフィクは不機嫌に返してくる。俺に聞くな。というのがヒシヒシと伝わってきた。
「腹いせ……こんな遊びを繰り返しても、過去は変えられないのにっ」
吐き気がする。簡単だと思ったことがすべてひっくり返った気分だ。勝って、加護をもらうだけならあの裏口の扉を開けて進めばいい。でも、それだけじゃこの星はどうにもならない。
それを、俺は知ってしまった。
「知らなきゃよかった……」
知らなければ気にする事なんかなかったのに。知らなければ、簡単だと歓喜してすぐに裏口に走って行けたのに。知ってしまったばかりに、俺は今、進むことができない。
「オレもだ……」
マルフィクも苦い顔をして残りの茶を煽る。
老婆から聞いた話。それは、双子の神『ジェミニ』の片割れ――兄『カストール』を殺した男。オフィウクスの加護を得し『神殺し』をした人間についてだった。
まさか、双子の神のうち一人が殺されていて、それに固執した弟が加護を兄そっくりに実体化させ、暴れているなんて……。
聞きたくなかった。
オフィウクスの加護に久しぶりの嫌悪感を覚える。受け入れようと思った矢先に……こんなのってあるか。加護を使ってることに自己嫌悪が沸き上がってくる。
「……神を殺せるって本当だッたンだな」
マルフィクの呟きに、背筋がぞっとした。この星で初めて会った男の言葉を思い出す。
「オフィウクスの加護を受けし者は神を殺すことができるのだから――」
これのことを言ってたのか。
「だからって、本当に殺すなんて……」
「神は人間より上の存在なンだから、上を排除しないと、オレたちに自由はない」
まさかマルフィクからの、神殺しへの肯定。
何言ってんだ? やっぱりお前も『神殺し』の人間と一緒なのか?
「でも、だって、神殺しが起こらなきゃ、この星は平和だったんだろ? それまで仲良く豊かに暮らしてたって言ってたじゃん」
「結局、神のせいで人間の生活が振り回されたンじゃねェか」
「その前に壊したのは俺達人間だろ!?」
「過去のヤツがひとり殺り損ねたから、いけねェンだ!」
「いや、殺す前に話し合うとかすればよかったんだよ!!」
マルフィクは反論してくるが、どこか感情を殺しているようでよけいに俺の神経を逆なでした。本気で言ってんのか!? という思いが強くなりすぎて、思わず机をたたいて立ち上がり、大声を出した。
マルフィクは一瞬瞠目したが、ぎりっと奥歯を鳴らし俺を威嚇するように机をドンっとたたき返してきた。
「話し合いで済むんだッたらッ、神殺しなンか誰もやらねェ!!」
俺よりも大きな声と、怒りに満ちた怒鳴り声。さっきまで隠されていた感情がむき出しになった彼の黒い瞳に、今度は俺が唖然とする番だった。
マルフィクは一度口を引き結び、俺を睨み上げる。
「だから、過去のヤツも師匠も間違ッてなんかねェ」
はっきりと言い切った。俺との考えの決別を突き付けられて、足元がふらつく。机に手をついて体を支えた。
「……お、お前は、本当にその言葉の通りに思ってんのか?」
振り絞った俺の声は喉がからからで唸り声に近く、マルフィクは応えるように怒りのくすぶる目を俺に向けたまま
「……思ってる。オレは神にないがしろにされている人間を知ッてッから……自覚もなく飼いなされてる人間も知ッてる」
淡々と自分の持論を曲げずに紡いでいく。
何を彼は見たのだろうか、知ったのだろうか?
「だから、師匠がしようとしてることは信じられッし、納得できる。過去のヤツもきっと知ッたんだ……と思う」
わずかに悲しみを滲ませた声色を最後に、彼はフードを目深にかぶり顔をそらした。
「…………」
「…………」
重い沈黙。
俺は、いままで助けてくれていた彼が、やっぱり自分とは相容れぬ考えを持つ”オフィウクスの加護を持つ人間”なんだと認識させられて、怒りよりも虚しさで立ち尽くしていた。
マルフィクの言ってることは理解ができない。俺は、双子の神も人間もどっちも悪かったと思ってる。だって、もし、『神殺し』の男と初めに話ができてたら? もし兄を失って怒り狂った双子の神が民の話に耳を傾けることができてたら? もし、”遊び”に関わった誰かが双子の神と心を通わせられたら? どこかで、何かが違ったかもしれないのに。どちらも歩み寄ろうとしていない。
でも、マルフィクの中では人間が振り回されたことが何より許せないようだった。
俺は諦めたくない。マルフィクが知っていることは知らないけど、この星のことを知ってしまった。だから、この星を諦めたくなかった。
俺は、落ち着くために席に座りなおして大きく息を吐いた。
「……たしかに俺は、お前が知っていることを知らない」
知ったら知ったで、また知りたくなかった。って言ってしまいそうだけど。
「でも、”今の俺は”あの話に出てきたジェミニも、この星の人間も、昔みたく仲良くできたらと思うんだ」
俺は後悔したくない。何もせずに後悔して、ずっと気になってるけど無視してしまうような、前の俺に戻りたくない。いまの双子の神の片割れのようには、なりたくない。
だから、俺は自分の意見を言った。これから、どうしたいのか。
意見は正反対でも、マルフィクはまだ話を聞いてくれるはずだ。だって、彼も俺を説得したいだろうから。
「……過去なンだから、いまさら変えらンないだろ」
マルフィクは顔をそらしたまま小さな声で静かに応えてくれた。表情は読めないが、的確な反論にぐっと喉が鳴る。
神殺しが起こらなければ、一瞬でも話し合いができていれば、と後悔しても今が変わるわけじゃない。
わかってる。
「オマエは加護もらうのが目的なンだから、この星のことなンか関係ねェじゃンか」
そこまで同情してどうすンだよ。と、マルフィクがため息を吐く。
彼の言葉はさっきから俺の心に刺さる。
関係ない。その一言は重くて、なぜか納得できなかった。俺は、この星の惨状を、民の悲痛な叫びを知っている。それが、ひどく胸にひっかかって……。
「俺だって知ったから……この星の現状を……」
こぼれた。
この星で出会った民たちの姿が頭にちらつく。ぼろぼろでやせ細った彼らを、助けを求めていた彼らを。
思い出しただけで胸がぎゅっと掴まれたように痛み、放っておけるわけがないと痛感した。
「……ンなに悪かッたのかよ」
「ああ、いつ死人が出てもおかしくないと思う……」
「……俺はまだ、神殺し教えられてないかンな」
「その選択肢はないから……!」
フードからちらっと覗いた鋭い視線に、慌てて止める。そうじゃない。俺がしたいのはそっちじゃない。
「俺は、双子の神も助けたいと思ってるから」
「……好きにしろ」
マルフィクの言葉は意外だった。驚いて見やれば眉をひそめて、睨み返してくる。
「……実際に見てないけど、師匠が偵察した結果は聞いてる。ここの人間にアイツを恨ンでるヤツはいないッて」
「えっ?」
「実際、飢えがひどいのは数年に一度の時期だけ。そンで伝承として、昔の神と神殺しの話が語り継がれてる。別の星の”救世主”によって昔の神が戻ってきてくれる。とも言われてるらしい」
マルフィクは一度言葉を止めて、眉尻を下げた。
「それをずッと信じてンだそうだ。昔のアイツがいつか戻ッてくるッてな」
なんだか、心が温かくなった。そうか、この星の人たちは今も自分の星の神を信じているのか……。
「なんとかしたい……」
やっぱり俺は、この星を昔のようにしたい。
この星の人たちのことと、兄カストールが死んで時間が止まってしまったジェミニのことを、どうにかしたいーー
「アスクなら、できると思うけど……」
突然、ヘレの声が耳に届いた。すぐにそれが、この星を昔のようにするための”確信”だと気がついた。
だから、あの時のことをゆっくりと反芻する。
あの言葉が、あの時は素直に認められなかったけど嬉しかった。もしかしたらいつかはっていう希望が少し心に湧いたんだ。
その小さな希望が大きくなったのは、乙女の騎士に出会って「アスク。貴方が先に双子の神の加護を受け取ってくれることを願っている。」と言われた時だった。まるで「できる」と背中を押されたようだった。
だから神を知り、神の加護を受け入れたいと思えるようになって、双子の神を捜したんだ。
ヘレの言葉はきっかけで、乙女の騎士の言葉は背中を押すものだった。
止まったままだった俺の時間は二人の言葉で進み始めてる。こんな風に何かをしたいと思える自分は、羊飼いでいた時よりも数倍好きだ。
もし、双子の神にも何かしらそういうきっかけがあったなら、彼の時間も動いてくれるだろうか。
「きっかけがあれば、できるかもしれない」
”確信”は傍にあった。
「きっかけェ?」
「そうだよ。きっと今、彼に俺が話し合おうと提案したところで、きっと心に寄り添うことも、話を聞き入れてくれることもないと思う」
これには”確信”がある。
オレの方が双子の神の過去に共感したことを話したところで、彼からしたら何を言ってんだこの人間はと思われるに違いない。
「だから、双子の神の心を開くきっかけがほしいんだ」
「人間を憎ンでる神に心を開けッてか?」
「んー……誰か双子の神が信頼している人とかいればいいんだけど」
言って、何かひっかかりを覚える。
――キィ
もう少しで何か、というところで、表の扉が開いた。
「おや、まだいらっしゃったんですな」
「あっ……そうか!」
彼女の顔を見た時、壁にかかっている仲良さげに遊ぶ子供の絵を眺めていた彼女の優しそうな瞳を思い出す。光明が射したような気がした。
彼にも支えてくれる人がいるじゃないか――
「お願いがあります!!」
俺は老婆の手を取った。