12日間の呪い
突然呼び出された魔法騎士団本部。
街勤めの騎士団員の父とその息子であるだけで特に何の特技もない僕の目の前に、いかにも高貴そうでちょっと気難し気なおじさんが現れ、挨拶もなく椅子に座ると、
「アリシア様が呪われてしまわれた」
と言って項垂れた。
「アリシア様、が?」
おじさんは眉間にしわを寄せ、額にこぶしを当てると、深く、深く息をつき、こくりとうなずいた。あまりにわざとらしい大げさな語り口のおじさんにちょっとやらせ臭い、と思いながらも、まずは話を聞くことにする。
話題の「アリシア様」が、僕が知っているのと同じアリシア様だとすると、四聖第四席、つまりこの国で上から四番目に強いといわれる偉大な魔法使いにして、国を守る魔法騎士。
金にたなびく長い髪、いわゆるボン・キュ・ボンなナイスバディ、魅力あふれる笑顔で魔法使いと思えぬきらびやかなドレスをまとい、女王様から褒賞を受ける姿は、勇ましい中にも美しさを際立たせ、国の中でも王女様に並ぶ人気を博している。
ちなみに第一席から第三席は男の人で、みんな若くて実力もあり、街の女の子達の人気の的だ。
「失礼ながら、アリシア様は引退されるとの噂でございますが」
「そうだったんだが…」
つい先日、アリシア様は四聖第一席のリュート様との結婚を発表、今後は魔法騎士生活からは引退する、と発表されていた。
「すこしまずいことがわかってな」
おじさんは苦々しい顔を隠すように口元を覆い、軽く咳ばらいをした。
後ろにいた若い隊員がタイミングを見計らうようにお茶を差し出し、そのままいなくなった。
「天空狼討伐があったのは知っているだろう?」
「まあ、噂程度、には」
「公には何事もなく討伐終了となっていたのだが、天空狼の一匹が呪詛に侵されていた。その天空狼の血をアリシア様が頭からまともにかぶってしまってな…。その血に呪いが仕掛けられていた」
めったに聞けない物騒な話だけど、僕のような一般市民の前でそんな話をしていいんだろうか。ちょっと不安になった。席を外せ、と言われないけど…
「血に秘められていたのは『五つの心なき口づけ』の呪いだ。まあ十二日ほどで効力はなくなるようだが」
「はあ」
父もそのあたりの事情はよく知らないらしい。
「術式が深く、だれが呪ったかも定かでなく、解くことが断念された」
「断念? 魔法騎士団の皆様が? 四聖であるアリシア様も、リュート様もですか?」
「還元魔法を得意とするシェスタ様さえもが、だ」
静まる部屋に、おじさんのため息が深く響く。
僕はただ聞いているのが落ち着かず、出してもらったクッキーに指を伸ばした。おいしい。ナッツが入っている。
そもそも、なんで僕は呼ばれたんだろう。
アリシア様はもとより、リュート様、エリアス様、シェスタ様、四聖のどなたとも直にあったこともなく、目の前にいる人だって父のえらいさんであるだろうことは推測はつくけど、僕が会うのは初めてだ。
僕の二人の兄はそれぞれ魔法騎士団、騎士団に所属していて、学生時代から腕が立ち、討伐に参加するほどの強者だ。その二人と違い、どちらかというと虚弱体質で、兄に少しは稽古をつけてもらってもさほど成長を見せない、しがない三男の僕。
庶民中の庶民の子供をこんな場違いな場所に呼び出し、この部屋に他に人がいないことを考えてもおそらくかなりの秘密事項なんじゃないかと思われるこんな話題を振られても…、と嫌な予感を抱えながらもただ話を聞くしかなかった。
「テレンス・リーヴェ」
いきなり知ってる名前が出てきて、びっくりしておじさんを見た。目と目が合った。
「君のクラスにいるだろう? 彼女が実はアリシア様だ」
テレンス。同じクラスの「眠り姫」。寝てばかりいるからついたあだ名で、父も僕も小さな頃から知っている顔見知りだ。
「いやいやいや、アリシア様といえば十八歳、容姿端麗、成績優秀、偉大な魔法使いでその微笑みは誰もの心をとろかせる癒しの…」
「あれは影武者だ」
影武者って…もうちょっと本人に似せるんじゃないのか?
ローブを着ているとはいえ、そもそも身長も違うし、髪の色も長さも全く違うし、体型だってボンキュッボンッがキュッキュッキュウウでは似せようがない。
じゃあ、王宮での褒賞式典や、魔法騎士団の激励会に表れ、笑顔を振りまいていたボンキュなお姉さんは誰だったんだろう。
「アリシア様は第四席ということになっているが、四聖の中でも最も魔力が多く、攻撃、防御、治癒、そのどの才能にも恵まれている。それがあのような子供であることがわかるといろいろと不都合であり、リーヴェ家の意向もあり、公の場ではアリシア様の姉君が四聖であるように振る舞っていたのだそうだ」
あのような子供…。バカにした物言いだけど、違いない。僕たちは子供だ。
「幸い、四聖アリシア様の本当の姿を知るものは少ない。呪いの効力はあと十一日。おそらくは何事もなく終わると思いたいのだが…、アリシア様は敵も多い」
呪われるくらいだし。
「十一日間、閉じこもっていただく事も考えたのだが、リュート様が負傷していることもあって何かと依頼が絶えず、今日も竜を生け捕りせよと王命を賜り、出動されている」
竜の生け捕り??
「学校の出席日数もあまり余裕がなく」
そういえば、よく遅刻したり早退したり、…いても居眠りばかりだけど。
「十一日も休むとかえって目立ってよくない、とご本人もおっしゃるので、これまで通りお過ごしいただくが、全くの無防備というのも…」
学校で、…あ、なんかわかってきた。
父も察するところがあったらしい。僕と目が合う。
「警備の者をつけるのも悪目立ちするので、せめて近くでさりげなく見守る役を探していたところ、同じクラスで唯一、騎士団に関係する者が君ということで」
おじさんがじっと僕の目を見た。そして父に目をやると、父の手をぎゅっと握りしめた。
「ご子息に迷惑をかけることになり忍びないが、アリシア様の部下として報奨金付きで雇いたい。もちろん、父君であるあなたにも特別報奨があるだろう。見た目はご学友のまま、しかし、アリシア様がお困りの際にはご協力いただき、やんわりと近寄りそうな輩を排し、排せなくとも連絡役をお願いし、いつもと変りなくお暮しいただけるよう、ご配慮願いたい」
言っている意味が分からない。しかも、父に向けて語ってるけど、その仕事引き受けるのはどう考えても僕だ。
「僕、リーヴェとそんなに仲良くは・・・」
父から手を離すと、おじさんはにっこりと笑った。
「よいのだ、よいのだ。明日から仲良くなってくれれば」
ありえない。十五歳の男女が翌日から突然仲良しって、なにそれ。
「全ての警備を拒否したアリシア様に候補である君の名を告げたところ、部下ならばよいとおっしゃったのだ」
「部下?」
同じクラスの部下って、どういう立ち位置?
「ローブの下の素顔を決して見せることなく、同僚の皆様の目まで欺く完璧な魔法で、三年という月日を過ごされてきた、その技の見事さにますます感銘し、偉大な魔法使いがその魔法をなくすなどという事態は、何が何でも避けねばならんのだ」
魔法をなくす。
部屋が静まりかえった。キーン、という耳鳴りが聞こえてきそうなほどの静けさだった。
そんな裏があるような子には見えなかった。
教室の片隅、窓辺に近い席で日の光を浴びながら、授業の三分の一は寝ている。テストの成績は恐らく下に近く、魔法の実習だって三回に一回は失敗していたと思う。
女の子ながらいつも地味なズボンをはいていて、ほかの子たちとつるむどころか、だれかと話をしてるところもあまり見かけない。グループ学習の時や実習で少し話したことがある程度だ。
それが、アリシア様としての立ち位置と同じく、周りをごまかした仮の姿だとしたら、とんでもない魔女なのかもしれない。
「呪いは魔法をなくす類のものなのですか? 何に気を付ければいいのでしょう」
父がおじさんに質問した。
「解析でわかった呪いは『五つの心なき口づけ』。この呪いが効いている間に心をもたない、つまりは愛のない口づけを交わすと、魔力を半分づつそぎ落とされる。そしてそれが五回に至ると、魔力は尽き果てる、と言われている」
「く、、口づけっ、」
僕は独り言のように呟いていた。その言葉を口にするのもちょっと恥ずかしい。
だけど、あの子はそう言った色恋のことから一番遠いクラスメイトのように思えた。
「天空狼の事件の翌日、リュート様との結婚を発表し、引退を宣言されたアリシア様は、皆の目の前でリュート様と口づけを交わし、リュート様の足の怪我もあって呪いの十二日間を結界魔法を張った離島でお二人で過ごすことになった」
それは、隔離という名のバカんす…?
「何より心ある口づけでお二人の呪いは解けた可能性が高いと皆安心しところに、二人がいなくなった後、シェスタ様がまだ呪いは消えていないとおっしゃり」
「『おっしゃり』?」
「シェスタ様が誰が呪われたアリシア様本人かを見破り、本人を説得され、ようやく本当の事情を知るに至ったと…」
ああ…。それはばれちゃうよな…。
「あのような幼い姿であれば、口づけをかわす本命などはおらず、初心というより、あれは、あの方自身が心なきもののようであり、…そちらで呪いを解くことができないのであれば、アリシア様の正体を見破られることなく十二日間、残り十一日間を過ごすことさえできればよいわけで…」
「…学校、休ませたらどうですか? リュート様だって隔離されているわけだし」
父はお茶の入ったカップに口をつけると、一気飲みした。
僕もクッキーをもう1枚食べ、お茶を少し口に含んだ。
「学校の出席だって、感染り病にかかった、といえば、休み扱いにならんでしょう」
「…逃げるのが性に合わない、ともおっしゃってました」
「はぁ?」
「自分のことを知っているなら、何か意図があってこのような面倒な呪いを組み上げたのだろうと。それに…何やら面白がっている節もなくはなく…。もしかしたら、あの方は、魔力を失うことを願っておられるのかもしれない。杞憂かもしれないが」
そんな呪いを受けながらせっせと竜の生け捕りに向かうような人が、果たして魔力を失いたいなんて願うんだろうか。
無敵の四聖第四席。見目麗しく…はやらせだったかもしれないけれど、その実力は誰もが認めるところ。
今を時めくアリシア様は、十五歳のクラスメートの女の子。
学校で笑顔を見た記憶は、ほとんどない。
僕は居住まいを正し、ゆっくりと、考えながら言葉を紡いだ。
「部下の仕事が務まるかはわかんないですけど。僕は魔法もそんな大したことないし、力も全然貧弱で、兄たちほどお役に立てる人間ではありません」
おじさんは、少し期待をした目で僕を見た。
「それでも、変なのが近づきそうだったら、牽制くらいならできるかもしれないです」
「おお」
父は笑顔になって僕の肩をポン、と軽く叩いた。親指を立てたこぶしが向けられる。
僕なんかがこの申し出を引き受けたのは間違っているかもしれない。
でも、どのみちこの申し出を受けないという選択肢はないんだろう。このおじさんが、父の上司なのなら。
そして、テレンス・リーヴェが、僕だとわかって部下でいいと言ったのであれば。
「失敗しても、父や兄が職を失うようなことがないと約束してもらえますか?」
「心配無用だ」
「何もできないかもしれませんが」
「何もないのが一番の望みだ」
おじさんから手を差し出され、僕はおじさんと握手した。もちろん、口約束にしないよう父や兄の件は書面にしたためてもらった。
おじさんの笑顔はどこまでもうさん臭く感じた。
家に帰る途中、僕は父に聞いた。
「…どこまで知ってた?」
「アリシア様が引退、というのは今朝聞いた。テレンスがアリシア様で、呪われたあたりは初耳だ」
父はポリポリと頭を掻きながら、
「すまない」
と言った。
「学校内で護衛を頼める人を、と長官に言われてね。お前を連れて来いと言われたんだよ。…あまりお前はそういうのに向いていないと言いはしたんだけどねぇ」
「兄さんたちなら、在学中でもそこそこ護衛まがいのことができただろうけど、僕だよ? 父さんの首が飛んでも知らないよ」
「そこはお前が大丈夫なように言ってくれたから。お前はそういうところ、しっかりしているなあ。…そもそもあの学校の守りは充分だし、テレンスのいる寄宿舎も学校の敷地の中だ」
僕の護衛はおまけの気休め、それなら別に護衛をつけておく必要もないだろうに。
父がしみじみと言った。
「まさか、討伐について来てたテレンスが、アリシア様なんてなあ…」
テレンス・リーヴェが昔、父や兄と一緒に魔物討伐に参加しているのは知っていた。
後ろからついてきて、討伐隊員が危なくなったら魔法でサポートしては喜んでいたので、すっかり名誉魔法騎士に仕立てられていたけれど、次第に討伐隊で姿を見かけなくなり、学校も始まり討伐ごっこどころではなくなったのだろうと、父はさほど気にしていなかったらしい。
僕だって、同じクラスの子が四聖と言われても、夢物語としか思えない。
四聖でなくても、僕より向こうの方が魔力があるのは間違いない。
それなのに僕が護衛なんて…。護衛、本当にいるんだろうか。