序章 5
傀儡を介した仕事を組み込まれて半年。
王立学校の卒業を迎えた姉は、とうとう憧れのリュート様にしびれを切らした。
父から茶会という名の見合いを勧められはじめたからだ。
四聖を務める姉の評判はか弱い女性を求める者には敬遠されたけれど、「アリシア様」の魔力と我が家の権力を求めるものは少なくなかった。
本来なら、卒業前の去年のうちから進められるべき見合いを、よくここまで伸ばしたものだ。
姉の情熱に、侯爵家令嬢だからとらしくない遠慮をしていたリュートもようやくその気になってくれた。リュートは、私が四聖アリシアの、つまりは私自身の引退を望んでいることを知り、安心して、妻を迎える準備をすると言った。
父のことは、心配なかった。
リュートが四聖として第一位を取るほどの実力者で、国の安全に大いに貢献している男であることで、姉の夫となることをすんなりと認めたのだ。
家のために嫁に行ってもらおうと思うほど、この家は落ちぶれてはいない、そういった父に母も惚れ直していた、と後で姉に聞いた。
リュートがかっこよかろうが、父が惚れ直されようが、私の知ったことではない。
…いや、父のおかげで無事に四聖をやめることができそうなのは朗報だ。ありがとう、父上。
こうして、四聖アリシアの引退は「結婚」を理由に半年後に行うことになった。
数日後、夜の呼び出しがあり、傀儡ではなく自分が出立した。
その日はリュート、シェスタ、私の三人が呼ばれていた。
天空狼の群れが現れ、家畜にかなりの被害が出ていた。人も巻き込まれたらしい。
この程度なら普通は四聖一人と魔法騎士団員数名で出向くところながら、他にも討伐が重なって人が出払っているため魔法騎士団員が出動できず、四聖三人だけでの対応を頼まれた。
シェスタに防御を任せ、リュートと私が15匹ほどの天空狼を相手にすることにした。
跳躍力が高く、文字通り飛ぶように動き回る天空狼は、群れで行動するためなかなか手ごわいものの、リーダーがいなくなると途端にちりぢりになる。
リーダーを抑えたのはリュートだった。
その後ろで、毛並みの違う一匹が狂ったように吠え掛かり、それを私が切った。しかし普通の獣の返り血と違った。爆発するように血を噴き上げ、その血をかぶった天空狼が次々と落下した。
シェスタの守りもその血だけが通り抜け、怪我をしていたリュートの前に出ていた私がその大半をかぶり、リュートもまたその血を浴びていた。
距離があって難を逃れたシェスタが素早く浄化の魔法を使い、血は消えたものの、血に含まれていた呪いはシェスタの力をもってしても完全には消えなかった。
それは人為的な呪いが複数絡み合っていた。
よくある治癒遅滞、意欲低下、魔法劣化、この辺りはシェスタが早々に無効化した。毒耐性低下は、足に怪我をしていたところに血を浴びたリュートにダメージが大きく、しばらく動けないだろう。
最も面倒なのは、魔女の呪いが付与されていたことだった。
解析では「五つの心なき口づけ」と呼ばれる古の呪詛で、いつ、誰によって天空狼に呪いが組み込まれていたのかもわからないとのことだった。四聖を狙っていたのか、偶然かもわからない。
その呪いは刻限十二日間、その間に「心ない口づけ」を受けるたびに魔力が半分づつ減っていく、という、いかにも魔女が喜びそうな邪悪な遊び心を持ったものだった。
許されるのは四回まで。一回で半分、二回目で四分の一、三回目で八分の一、四回目で十六分の一、五回目は、0。すべての魔力は失われ、二度と戻ることはない。
ただし、期日内で、五度目に達する前にたった一度の心ある口づけで全回復する、という、おとぎ話の大団円のような落ち付き。
すぐさま安全な離島に重厚な防御膜が張られ、リュートの足の回復を待ちながら、念のため十二日間を隔離して過ごすことになった。
その対象はリュートとアリシア。その「アリシア」は、私ではなかった。
もしかしたら、誰かが今回のふざけた呪いを利用して、私が力を失うことを望んでいるのかもしれない。
あと半年どころか、あと十二日も待たず、引退する日が来るかもしれない。
魔力をなくした自分など、思い浮かびもしなかった。