序章 1
少し、家からも離れてみたかった。
いつもよく来る商人の馬車が裏手に停まっているのが見え、隠し持っていた兄の服に着替えて、荷馬車にこっそり乗り込んだ。
土のにおいがした。野菜か何かの納品なのかもしれない。
「じゃ、また来週に」
動き出した馬車は、家族が通ることのない裏口から屋敷の外に出た。
町まではそう遠くない。きっと別のお屋敷にも届け物をするだろう。止まったところで降りれば、そう思っていたのに馬車は一向に止まる気配がなく、だんだん揺れが大きくなってきた。道があまりよくないのかもしれない。
外を見たかったけれど、見つかると困るので荷物の奥に隠れたまま、っとしていた。
もしかしたらうちが最後の納品で、家に帰るところなのかも。
まだ日は高い時間なのに、ちょっと薄暗くなってきた。
森の中を抜け、下手したら隣町まで行ってしまうかもしれない。
石で車輪が跳ね上がり、浮いた体に「わっ」と声が漏れた。
馬車が止まり、男が幌をめくって私と目が合った。
「どこの悪ガキだ」
伸びてきた手に首根っこをつかまれ、引きずり出された。
そこに
ワオオオオン
と低く不気味な声が響く。
油断した男を蹴って、地面に落ちるや否や一目散に森の中に逃げた。
「小僧、危ないぞ! ああっ、早く森から出ろよ!」
男はそう言いはしたけれど、追いかけてくるどころか急いで馬車の御者台に戻り、そのまま馬を急がせ去っていった。道の先には光が見えていて、あそこまで行けば森の外に出られる。
すぐに飛びだすと捕まるかもしれない。木の後ろに隠れ、遠ざかる馬車の音が聞こえなくなり、そろそろ元の道に出ようと思っていた時だった。
ワウウウウウウウ
さっきの声が近づいていた。
魔物だ。
だから男はためらうことなく森から出て行ったんだ。
魔物に見つかっていないなら、このまま隠れて過ごしたほうがいいだろうか。
心臓が音を立てる。
この距離なら、森の外に走った方が早いかも。
「いたぞ」
迷っているうちに人の声がして、複数の足音が草をかき分けた。木陰から様子を見ると、その声に振り返ったのは自分だけでなく、魔物もそうだった。
黒い大きな犬のような魔物がうなり声を吠えつく声に変えた。
剣を持った男の人が鋭い目を向け、魔物に走り寄る。
「ラファエレ!」
「おっしゃ!」
一刀の後、魔物の気配が消えた。
そんなに剣の試合を見たことがあるわけではなかったけど、美しく鋭い剣裁きだった。迷いがなかった。かっこいい、そう思った。
木の裏に隠れていたから見つからないと思っていたのに、目ざとく見つけられ、
「こんな所にちっちゃい奴がいるぞ」
と驚き、逃げる間もなく捕まって、あきれ気味に抱えあげられた。
魔物を見事に退治した三人組は、森に警備に来ていた人達だった。
家から脱走中と言う訳にはいかない。道に迷ったことにして、苗字は伏せ、とりあえず「テレンス」と名乗った。
女の子とばれて、もっと驚かれた。
「騎士団に迷子だって言ってくる。お前たちは家に戻ってろ。そろそろお昼だ」
「わかった」
「俺たちじゃ見回り報告書かけないから、そっちも後は頼むね、父さん」
「嬢ちゃんもなんか食ってきな。俺のかみさんの飯はうまいぞ!」
三人は親子だった。
父親のジェラルド・レオナールさんは騎士団と警備団を兼任しているらしく、今日は警備団として街周辺の見回りをしていたようだ。
二人の子供、兄のレオナルディさんと弟のラファエレさん。実はどちらもまだ学生で、腕試しもかねて父親に同行し、見回りに付き合っていた。そこへさっきの「ガルルル」の気配を感じて、さっそく実地訓練、と魔物相手に子供二人を止めることもなく向かわせた、と。
確かに、二人共今からでも警備団にスカウトされそうな体つきをしていた。我が家の護衛よりよほど強そうだ。
ラファエレさんたちの母、マリエラさんはふんわりと物腰の柔らかな人で、突然の来客を笑顔で迎えてくれた。パンと山盛りに盛られたおかずをみんな好きなだけ取っていく。見る見るうちになくなっていき、ジェラルドさんの分がなくなるのではないかと自分に盛られた分を差し出したけれど
「大丈夫よ、まだあるから」
と笑みをもらった。
食卓にはもう一人、男の子がいた。私と同じくらいの年で、二人の兄に比べると少しひ弱で大人しいように見えた。
「お迎えが来るまでの間、外で遊んでらっしゃい」
マリエラさんはラファエレさんとその弟と一緒に外に行くことを許してくれた。
弟のフェルディナンは昨日熱があったので、あまり遊べないと言っていた。
その分、ラファエレさんが近所の子供たちと一緒に遊んでくれた。気が付いたらフェルディナンも一緒に走り回っていた。鬼ごっこで捕まえてきた鬼の勢いが強すぎて、つまづいて膝を怪我してしまった。驚いたのもあって泣いてしまったら、近くにいた子に
「それくらいの怪我、なめときゃ直るよ」
と言われた。そんなの信じられず、まだ涙を止められないでいると、本当に傷をペロンと舐められた。びっくりして涙は止まったけれど、ラファエレさんに怒られていた。
夕方になり、自分がいないことに気が付いた家の者が、よく似た名前と年恰好の迷子の報告で私を見つけ出した。
そのままの迎えではまずいから、と騎士団の詰所に連れられ、裏手に用意された馬車でこっそりと家に帰ることになった。
マリエラさんにお土産にもらったクッキーは取り上げられないよう隠し持って、後でこっそり食べた。